NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ ツァラトゥストラ

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140815229

作品紹介・あらすじ

神は死んだ-。既存の権威と価値観を痛烈に批判した十九世紀の哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、神による価値づけを失った人間がどう自分の生を肯定すべきかを考え続けた。己の境遇をどのように受けとめ、いかに力強く創造的に生きるかという彼の生涯の問いは、時代を越えて、いま私たちの深い共感を呼ぶ。二大思想「超人」「永遠回帰」を軸に、『ツァラトゥストラ』の書に込められた「悦びと創造性の精神」を紐解く。

感想・レビュー・書評

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  • まあまあ面白かった。意外とポジティブやね。ニーチェは。

  • ツァラトゥストラに再チャレンジする前に読んだ。
    わかりやすく、面白かった。

    ニーチェは神という絶対的なものを否定し、その代わりに「超人」への道のりを価値観の拠り所とした。
    また、彼は永劫回帰という、人生への絶対的な肯定を説いた。さらに、肯定できぬ者の、自己の生への呪いを正当なものとした(チクショー)。

    彼は主体性や喜びを奪うルサンチマンを否定し、苦しみながらも、自らの意志で未来に進み続ける人間、さらにはその苦しみも含めて自己の人生を愛せるような、「超人」への道のりを至上のものとしたのだ。

    しかし、これはある意味、絶対的な価値観の導入という意味において、神の復活を意味しないだろうか。

    私が考えるに、(そして永井均先生の本やカミュから少なくない影響を受けた結果)、もともと人生は肯定される必要などないのだ。
    「これが人生か、さらばもう一度。」などという自認はいらない。「これが人生か。そうか。」でよいのだ。そこにあるべきなのは、過去に対する部分的な諦観と部分的な満足感のみである。

    人生を愛する必要などないし、そのために努力する必要もないのだ。
    なぜならば、人生は一つの長い外部の現象を、内部の別の現象を通じて想起したものに過ぎないのだから。
    そこに価値観を設けて、肯定・否定を論ずること自体が恣意的なものであり、十分な客観性・論理性が担保されない以上、いかなる行為もいずれ足元から瓦解してしまうのだ。

    その破壊と創造のプロセスを永久に続けるものが「超人」であり(また、「転げ落ちる岩を山頂に押し上げる者」としても良い)、まるで、苦悩しながら一つ一つ積み木を積んでいく幼児のようである。
    そこからいじらしい幼児性を引いて考えると、愚かでバカげた人間のように、傍目からは見えないか。
    ここで、第三者を考える必要はない。ただ、自己の人生を見つめ直した時に、客観的な価値観を導入したならば、自分の姿がバカらしく見えるだろうというだけである。
    この意味において私は、「超人」の価値を否定するのだ。
    「超人」のバカバカしさを悟った時点で、合理的な人間であれば、そこで「超人」への歩みを止めるべきである。

    神を⚪︎し、「超人」を否定し、人生への肯定を捨てて、無目的に精神の砂漠を歩き続ける人間こそ、真のニヒリストではないかと私は思うのだ。
    外部と切り離された場合、そこには一切の慰みも、絶望も、安心も平穏もなく、ただ空間が広がるだけである。その空間に他意なく放たれた孤児こそ、人間の精神の始まりであり、合理的な人間が現実を直視した時に取るべき行動は、無意味な逍遥に他ならない。


    ツァラトゥストラ、読みます。

  • ネット上で予習したツァラトゥストラの内容に親近感を覚えていたので、読みやすい文体でおおよそのあらすじと考察を記載されている本書を一読。
    入門書に適しておりかなりわかりやすく読めた。
    ニーチェの人生を追体験した上で、キリスト教世界における神はどういう存在でどんな価値観だったのか、そこからニーチェの考える価値観、神の死から新たな超人という指針、ニヒリズムや永遠回帰と超人への道に行き着いたストーリーが、筆者の易しい説明で解きほぐされていく。あとはニーチェの悲劇の誕生という処女作では、ディオニュソス的なもの(感情や享楽を前提とした世界)とアポロン的なもの(理性や論理で組み立てられた世界)という概念が語られており、ユングやMBTIにおけるFi(内向的直観)、Ti(内向的思考)のような概念だなと思ったのと、ニーチェは前者のディオニュソス的な思想を持っている点が強く惹かれるポイントだと感じた。全体を通してその人間の深淵たる内面性を肯定し、つらく大変な現実に対して能動的に前向きに立ち向かい続けることこそが人のあるべき道であると諭している。そのリアリスティックな視点が僕は好きだなぁと。

  • ニーチェのツァラトゥストラを著者の考えも交えながら現代向けに咀嚼し自己承認を得るきっかけになる本
    永遠回帰について自分なりに解釈すると、「もう二度と味わいたくないような辛い出来事があったから今の自分がある。それは辛い出来事の経験きっかけの行動だけではなく、その出来事があったから歩まざるを得ない道がありそういう積み重ねが一つでも欠けたら今ある幸せは存在し得ない。」と感じた。
    親ガチャの考えやインターネット普及によって他者との比較をしがちなこの世の中だからこそ読むべき本

  • わかりやすさで流行った100分de名著シリーズ。ニーチェ哲学のキーワード「超人」と「永遠回帰」が著者の丁寧な補足により誤解なく理解できる。孤独に陥らず「頼ることを学ぶ」「表現ゲームをうまく働かせる」といった修整アドバイスが素晴らしい。自分の人生を自分で作っていく主人公でありたいならこの状況で何が自分を悦ばしくするかを問う以外にはない。自分の今に立ち返ることから自己肯定感を作りあげることが大事。ニーチェの気付きに拍手。自己否定する動物は人間だけ。なんとも厄介な生き物だ!

  • 【読もうと思った理由】
    ツァラトゥストラ(光文社古典新訳文庫)の上下巻あるうち、下巻の2/3ほど読み進めて、ふと我にかえった。このまま最後まで普通に読み進められるけど、「なんかイマイチ心に響かない」。このまま読了しても良いのだろうか?いや、ダメだろうと。このまま読了すると、ニーチェに対して苦手意識を持ってしまうかもしれないし、下手をすると、「やっぱり哲学って、こ難しいから、今後哲学を読むのは控えようかな」と認識してしまう可能性が高い。それは避けるべきだと思い、以前ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟のときに行った「100分de名著」に解説してもらおうと思った。

    一昔前の自分なら一冊の本を読了する前に解説本を読むのは卑怯だと思い、読了するまでは、何がなんでも他の関連書籍は読まないと、頑なになっていたと思う。ただ以前、村上春樹氏に対して20年以上も苦手意識を持ち続けてしまった経緯があった。その時の反省を活かし、20年も心にトラウマを持ち続けるよりは、一人の哲学者を理解するために、複数の関連書籍を同時並行で読み進めていくのは、まったく問題ないどころか、むしろそれで理解が深まるなら、絶対そうするべきだろうと。

    よく考えたら、僕が好きなCOTENの深井龍之介氏も一つのテーマに対してコンテンツを作る際、大体5万円ほどの書籍を購入し、関連書籍を読みまくるらしい。また、今は亡き司馬遼太郎氏も「竜馬がゆく」を執筆した際は、神保町の古本屋からその関連書籍がほぼ無くなるほど、書籍を爆買いしたらしい。その数、軽トラック一台分で当時の価格で1,000万円なんだとか。

    僕が今後読もうと思っている書籍は、哲学書や古典思想書などで、世間一般にも難しいと思われている本だ。なので今までの本の読み方とやり方を根本から変えるべきだなと思った。一人の著者(作品など)を読もうと決めたら、その著者を知るために複数の書籍を同時並行で読むことをある種デフォルトにするべく、考え方をシフトチェンジしようと決めたため。

    【ニーチェの生涯】
    やはり解説書を読んで良かった。
    ニーチェ個人に対して、まだまだ知らないことが多すぎた。村上春樹氏のときもそうだが、その作品を深く知るのに最も手っ取り早いのは、作者自身のことに興味を持ち、出来るなら作者本人を好きになってしまうのが、最短の道だと改めて思った。

    ニーチェの経歴について、今回新たに知ったことを詳細に書くと、以下になります。

    フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、1844年に生まれて1900年に亡くなる。その人生を一言でいうと「若くして成功に恵まれたが、後半は挫折と苦悩を抱えつつ執筆し、最後は精神を病んでしまった」と言える。

    ニーチェはドイツの東部ザクセン州ライプツィヒ近郊の村レッケンに、両親とも牧師の家系の息子として生を受ける。父親が5歳のときに亡くなると、一家は中都市ナウムブルクへと移り、ニーチェはそこで母と祖母、叔母である父の姉二人と自身の妹、それから小間使いという、女性ばかりに囲まれて育つ。

    成績は子供の頃から優秀で、音楽もナウムブルク一の先生のもとに通い、ピアノの腕は相当のものだったんだとか。ただ小さい時から集団生活が苦手で、本当に気持ちの通じる仲間が一人か二人と付き合うスタイルで、そのスタイルは生涯にわたり変わらなかったんだとか。1858年、14歳のときにプフォルタ学院という有名学校に入学。ここで20歳になるまでの6年間を過ごす。その間詩を書き、作曲をし、哲学論文を記し、ゲルマン英雄伝説の形成についての文献学的研究まで行っており、若い頃から極めて突出した存在だった。ワーグナーを初めて聴いたのもこの頃で当初は音楽家になりたかったんだそう。のちにインド哲学の研究で有名になるパウル・ドイセンとは親友であった。

    プフォルタ学院を卒業したニーチェは、一度ボン大学へと入学するが、翌1865年にライプツィヒ大学へと移り、高名な学者であったリッチュル教授のもとで古典文献学を学ぶ。

    ちなみに古典文献学とは端的にいうと「ギリシャ・ローマの古典を研究する学問」だが、当時のドイツでは大きな意味を持っていた。それは一種の憧れといってよいもので、ゲーテ・ヘーゲルその他のドイツの知識人たちは「ギリシャ・ローマをモデルとしてこれからの人間社会を考える」という姿勢を一貫してとってきた。その背景としてプロテスタントの国ドイツには厳しい掟があり、人間は禁欲的につつましく生きなければいけないとされていたという。若者はそうした生き方に抵抗がある。そこでギリシャの古典を読むと、たとえばソクラテスは色々な若者たちと自由に語り合い、心から納得できる考えを取り出そうとする。哲学とは本来そういうもので、自由闊達な議論が大前提だ。

    ドイツの学生や知識人はこうしたギリシャの自由な生き方に大きな憧れを抱き、それを人格形成の礎にもし、また今後の社会の模範にもしたいと考えた。しかしニーチェの生きた19世紀後半になると、古典文献学では厳密で実証的な文献研究が進み、自分で自由に大切と思える部分を取り出して解釈する読み方は、受け入れられないようになる。

    ニーチェは大学の懸賞論文で、三世紀前半の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスの「哲学者列伝」の典拠をめぐる研究をするが、彼は同時期に、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を読んで衝撃を受けているので、自分の思いを大胆に書き出したい気持ちがあったのではないかと思われる。はやる気持ちを抑えて、厳格に学問的に古典を正確に読むという訓練を行なっていく。その甲斐あって、この論文は学内で賞を獲得し、リッチュル教授推薦のもと、ニーチェは24歳の若さにして、スイスのバーゼル大学の古典文献学員外教授に就き、出世を遂げる。

    この頃ショーペンハウアーに夢中になっており、特に「生は苦悩で、音楽だけが忘れさせる」という言葉に真実があると考えていた。しかしそのことは恩師リッチュル教授には伝えず、ひたすら真面目に文献学の修行をする。1869年、24歳の若さで古典文献学の員外教授に就いたニーチェは、翌年あっという間に正教授に就任。これは当時でも異例の抜擢とのこと。

    この頃ニーチェが特に交流を求めたのがワーグナーだ。この頃のワーグナーは、50代半ばで、すでに名声を確立しスケールの大きなカリスマ的人物としてたくさんの人々から称賛を浴びていた。ニーチェはワーグナーとその妻コジマの別荘に訪れては、入り浸っている。ニーチェはワーグナーをさして「アイキュロス(古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人)が現代に生きている」といったそう。古代ギリシャの精神をドイツとヨーロッパにもたらしてくれる「文化改革者」として捉えていたことになる。ワーグナーもニーチェのことを、自分の音楽のことを理解し支えてくれる若く知性ある若者と捉えていたようだ。そして二人はともに、熱烈なショーペンハウアーの支持者でもあった。

    1872年、28歳のときに処女作「悲劇の誕生」を出版。しかしこれが問題の書で、その後のニーチェの人生を決定づけることになる。なぜなら、この書物は厳密な古典文献学の研究というよりも、ニーチェ自身の芸術論をギリシャ悲劇に託して書いた面があったからだ。そのため学会からは、総スカンを喰うことになる。

    ニーチェは、古典文献学は実証的な精密さだけではだめで、古代ギリシャ人の精神の核心に迫るものではなくてならず、そうすることで初めて自分たちの生をよくすることに役立つと考えていた。ニーチェはさらに、悲劇を滅ぼしたのは、知や理論によってすべてを理解できるとするオプティミズム(楽天主義)であるという。悲劇詩人エウリピデスはディオニソス的なものを滅ぼしたと批判しつつ、最終的にはソクラテスを批判することへと向かう。ソクラテスは「よく生きるためには何がよいことかを知らねばならない」と説くが、ニーチェにいわせれば、知ができることは限られており、人間が生きる上でぶち当たる深遠な苦悩には届かない。苦悩を無視してこしらえた理屈など何ほどのものでもない、という。これはもちろん、時代状況の批判にもつながる。つまり、理論と技術を万能とする進歩主義、平板に知的に人生を理解する見方への批判でもあった。

    このような「悲劇の誕生」はワーグナーやそのサークルの人々には激賞されるも、厳密な文献学研究とはまったく認められず、ニーチェは学会は言うまでもなく、自分を推薦してくれたリッチュル教授にすら見捨てられてしまう。義務はあるので大学には勤めなくてはならない。でも、授業を開講しても学生がまったく来ない。学生にまで見放されたニーチェの大学人としての生命は、28歳にしてほぼ終わってしまう。

    それでもニーチェには、まだワーグナーへの期待があった。ところがその関係もしだいに崩れ始めていく。理由は、ニーチェのワーグナーに対する「違和感」だった。ワーグナーこそは、自分たちの今いる世界と文化を本気で作り変えていく人間だと思っていたのに、もしかしたら彼はたんに自分の名声が欲しいだけの俗人なのではないか、それに彼はキリスト教に戻ろうとしている。その不信感は、1876年、ワーグナーがバイロイト祝祭劇場を建設したときには確信へと変わっていた。

    でもワーグナーからすれば、ニーチェの心変わりは奇妙に思えたことだろう。これまで自分を礼賛していて、自分も目をかけて親切にしていた若い学者が、突然手のひらを返したかのように、著書「人間的な、あまりに人間的な」で悪口を言い始めたからだ。ニーチェはこうしてワーグナーを批判し自ら離反していったのだが、ニーチェにとってワーグナーは生涯通して「すごい人」であり続けた。ワーグナーと彼の妻コジマと過ごしたときの幸福はいつまでも覚えていた。

    ニーチェのここからの後半生はひどいものだ。もともと目は悪かったが、さらに悪くなり、頭痛や吐き気、胃痛が続くなどほとんど病人で、何度か自殺を考えたこともあったようだ。学会はダメ、ワーグナーもダメ、体調もダメ。友人もますます少なくなる。それでもニーチェは、思想家として書き続けようとする。

    まだ体調がましだった頃に刊行した「反時代的考察」はそこそこ評判になったが、体調が悪化してからの「曙光」(1881年)、「悦ばしき知」(1882年)と80年代に入ると、誰も見向きもしなくなる。79年には体調悪化で大学も辞めてしまう。ニーチェとしては文筆業で身を立てたいという希望があったのだろう。でも書くものはまったく売れない。大学からの年金があったので生活は成り立ったが、以降はイタリアやスイスのあちこちを巡りながら、売れない原稿を書き綴っていくことになる。

    そんな中、1881年8月にニーチェは突然「永遠回帰」の思想が、インスピレーションとして到来する。また1882年にルー・ザロメとの失恋を経験する。この2つの体験が「ツァラトゥストラ」執筆にあたっての大きな動機づけになったことは、間違いないとのこと。翌1883年、ニーチェは2月3日〜2月13日までのわずか10日間で「第一部」を書き上げる。そして続く1884年には「第二部」「第三部」、1885年には、ほとんど私家版ともいうべき「第四部」を完成させる。

    その後の著者は、「ツァラトゥストラ」に込められた思想を別のやり方で補足・解説していくという感が強く、1886年の「善悪の彼岸」と1887年の「道徳の系譜学」はまさにそうしたもの。
    そして1888年「ワーグナーの場合」「偶像の黄昏」「アンチクリスト」「ニーチェ対ワーグナー」と、まるで蝋燭が消える前の明るさのごとく、急ピッチで本を書き上げるが、翌1889年の初めには精神に異常をきたしたと診断され、その後は母親と妹に看病されながら10年ほどを過ごす。

    ところが運命とは皮肉なもので、それとほぼ時期を同じくして、ニーチェの名声が少しづつ高まっていく。かつての教え子で音楽家のペーター・ガストが全集刊行のために奔走するところへ、南米から妹のエリザベートが戻り、兄の著書の出版に対して積極的に関与していく。彼女は「ニーチェ文庫」と呼ばれる施設をつくって、次々とニーチェの本を出していくが、ニーチェ本人はもはや認識しておらず、印税もすべてこの妹の独り占めだった。そして1900年8月25日、ニーチェはワイマールで息を引き取る。満55歳。孤独な男の寂しい生涯だった。

    【本書を読んで得た気づき】
    ここまで詳しくニーチェ本人のことを知れば、知る前と比べて当然「ツァラトゥストラ」を読んだときの思い入れも違ってくるし、読後に受ける思考の深さも大きく変わってくる。村上春樹氏のときは、エッセイから入り、村上氏のことに対して好意を持ったが、世界的に著名な哲学者や思想家であれば、入門書や解説書も多数出版されている。今後僕が読もうと思っている哲学書・思想書は、その著者の考え方の奥の奥まで入り込まないと本当に理解したとは言えないだろう。そう考えると、その著者本人のことを深く知ることは、哲学書・思想書を知る上では必須事項だと思った。今後哲学書・思想書を読む際は、まずはその本人の生涯を詳しく書いた入門書か解説書から読んでいこうと思う。

    【雑感】
    この後は「ツァラトゥストラ」本編を読了し、感想をアップします。今回本書巻末で、より適切なニーチェ入門書を紹介してくれていた。今後も海外の古典文学は光文社古典新訳文庫をベースに読んでいきたい気持ちは変わらない。ただ哲学書・古典思想書に関しては、他の出版社からの選択肢も増やしていこうと思う。

    • 傍らに珈琲を。さん
      ユウダイさん、こんにちは!

      ユウダイさんが100分de名著を読まれていたのを見て、私も倣うことにしました!
      私が読んだのは高橋源一郎さんが...
      ユウダイさん、こんにちは!

      ユウダイさんが100分de名著を読まれていたのを見て、私も倣うことにしました!
      私が読んだのは高橋源一郎さんが斜陽を解説されたものですがとても読みやすく、楽しく深掘りすることが出来ました。
      いいですね、100分de名著♪
      これからも該当するものがあれば100分de名著を頼ろうと思います!
      有難う御座いました。
      2023/09/21
    • ユウダイさん
      傍らに珈琲をさん、お久しぶりです!
      100分de名著良いですよねー。
      ネタバレが過ぎるところが、玉に傷ですが(笑)
      仕事が忙しすぎて、趣味の...
      傍らに珈琲をさん、お久しぶりです!
      100分de名著良いですよねー。
      ネタバレが過ぎるところが、玉に傷ですが(笑)
      仕事が忙しすぎて、趣味の本を全く読めていないので、感想をあげれていなく、マズいなぁと思いつつ仕事が落ち着くまでは致し方なくという感じです。また仕事が落ち着けば、以前のように感想を上げていきたく思っています!今後ともよろしくお願いします!
      2023/09/22
    • 傍らに珈琲を。さん
      ユウダイさん、お忙しい中お返事有難う御座います。

      初めて読みましたが、とても良いですね♪
      確かにネタバレ気味ではあるので、どのタイミングで...
      ユウダイさん、お忙しい中お返事有難う御座います。

      初めて読みましたが、とても良いですね♪
      確かにネタバレ気味ではあるので、どのタイミングで読むか悩みますが。

      体調に気を付けて、お仕事ファイトでーす!
      2023/09/22
  • ニーチェの入門書として読んだ
    生い立ちから、超人とか永遠回帰とかよく聞くニーチェの思想のキーワードとなるような言葉の意味を学べた
    4章の「表現のゲーム」は西さんの個人的な考え(哲学)で、この本になくてもいい気がした
    大学生のリアクションペーパーからの引用は面白かった

  • さすが西研先生、という感じでわかりやすく内容がまとまっている。ツァラトゥストラは一読したもののなかなか理解が及ばないが、副読本として読むのに良い。
    ルサンチマンはニーチェの代名詞なのにツァラストラを読んでも思い当たるところがなかったが、そもそも記載がなかったと知り驚き。善悪の彼岸や道徳の系譜も読まないと、、。

  •  さて、「永遠回帰」の意味するものについて見てきました。でも、「何度も繰り返しの人生を生きることを欲する」なんてことは、本当にできるのでしょうか? 大学でニーチェを講義するとき、ぼくはよこくの質問を学生に投げかけてみました。よくある答えは、「いまの人生を全否定するわけではないが、楽しいことがあっても厄介なことはもあったわけで、まったく同じ人生をもう一度というのは実際には辛いかな。一度ならいいけど」というものでした。そして「何度も繰り返していい、というところまで自分の生を肯定する必要なんてあるんだろうか?」と疑問を呈する人もいました。でもなぜ、ニーチェは「永遠に繰り返せるほどの生の肯定」を求めたのでしょうか?
     それはルサンチマンの克服という問題と深くかかわっていると思います。
     ニーチェは、「こうあった」--たとえば「両親が離婚してしまった」「身体の障害をもって生きていかなくてはいけなくなった」「好きな人から別れを告げられてしまった」というような、ネガティブな過去のできごとーーに対する意思の歯ぎしり、ということをいっていました(第二部「救済」)。たしかにこのようなことを耐えつつ生きていくのは辛いものです。だからこそ、どうすることもできない「無気力」を感じ、そこから何かに心理的に復讐したいという気持ちが生まれます。失恋のばあいなら、自分をふった人に対して「どうせあんな女なんか」と急に欠点を探し出したりするかもしれません(ほんとうは素敵なのに)。人間の心にはそんな動きがあって、無力な復讐心で紛らわそうとするわけです。これがルサンチマンです。
     このような状態から、ふつう人はどうやって抜け出ていくのでしょうか。多くのばあいは、しばらくは呻いたり呪ったりしながら、時間が経つにつれて「しかたがない」と思いはじめて、だんだんと受け入れていくのでしょう。ところが、ニーチェは「しかたなく」受け入れるのではまだだめで、「それを欲した(意欲した)」にしなくてはいけない、すなわち「失恋してよかった」としなければいけないというのです。「すべての『こうあった』を『私がそう欲した』につくりかえることーーこれこそわたしが救済と呼びたいものだ」(第二部「救済」)と。
    「しかたなしの受容」というのは、みんなわかると思うのですが、「これ“が”いい。私はこれを欲する」ということになると、多くの方が「それは無理ではないか」と感じるのではないでしょうか。たとえば身体の障害であれば、「障害をもったことは、“しかたがない”ではなく、障害をもったことを“欲する”」、つまり「何度生まれ変わっても障害者であることを欲する」までいかなくてはいけないわけですから、これはとてつもなく厳しい要求です。ぼくも最初にこれを読んだときは「何もそこまでいわなくても」と思いました。
     けれどもあるとき、ふと友人のKさんの言葉を思い出したのです。Kさんは、一九八〇年代の初頭、ぼくがまだ二十代のときに出会った人で、「骨形成不全症」という病気を抱えた女性でした。発育不全で身体は小さく、骨が弱くて脆いために骨折を起こしやすいので、彼女はいつも車イスにのって移動していました。以前は看護体制の整った施設で暮らしていたのですが、そこではさまざまな人たちとつき合う「関係の悦び」が得られにくい。当時は「障害者よ、街へ出よう」という「自立障害者」運動が盛んな時期でしたから、Kさんも公的扶助などを受けながら、ボランティアの人にお願いしてアパート暮らしをするようになったのです。
     しかしトイレ介護を受けないと一人ではできないので、夜眠るときでも必ず誰かが付き添っていなければなりません。彼女は二百人ほどの名前をリストにしたノートをもち、今日はこの人、明日はあの人というように、自分のおなかの上に電話器を置いて電話しながら、介護のスケジュールを埋めていたのを思い出します。
     Kさんはこの「自立障害者」運動のなかで、たくさんの障害者や健常者と出会って友だちになりました。彼女は大学生ではありませんでしたが、車いすを押してもらって大学のゼミにも顔を出し、そこでぼくもゼミ生の一人として彼女と知り合いになったのです。その彼女が、あるときこんなことを話してくれたことがあります。
    「障害者の仲間の間では、こんな話があるんですよ。『もし天使が降りてきて“あなたの障害をすっかり治してきれいにしてあげる”といわれたら、そのときはどうする?』って。私は『このままでいい。障害をもって生まれたこの身体をもう一度選ぶ』と。それを聞いた二十代のぼくは、「ほんとかなあ? それはちょっと無理があるんじゃないかな」と思って、彼女にもそういった記憶があります。
     でもだいぶ後になって、あらためてこの「永遠回帰」の思想――マイナスな生の条件に対しても“われ欲す”といえるとすれば、どんなときだろう」と考えてみたとき、彼女の「このままでいい」といった理由がわかる気がしたのです。
     彼女にとっていちばん大切だったのは「関係の悦び」だったのだと思います。障害をもって生まれてきて、施設にいれば安全だけど悦びは少ない。それに対して「外に出る」ことは大変なリスクを伴うとしても、さまざまな人たちと出会える。新しい出会いを通じて生活を作れるのは、彼女にとってとても大きな悦びだったと思うのです。「障害だけを見ればたしかにマイナスだ。でも、この障害とともに自分の人生はあった。苦しみもあったけれど悦びもあった。障害のおかげで、他の障害者や健常者の友だちに出会えた。素敵な出会いがたくさんあった。この人生全体を私は愛す」と彼女は心から思っていたのかもしれません。
     あらためて「マイナスをどうやって欲するか」について考えてみましょう。「しかたがない」という言い方は、たしかに受け入れてはいますが「外から押しつけられた」感を伴っています。ですから、「もしこれがなかったら」と考えてしまう可能性が残っている。でも「このこと(障害)が私の生を作っている」と思えたならば、それは自分の人生の内側を形作っているものとして受け入れていることになります。それはもう自分から切り離せる「外からの」ものではない。苦しみも悦びもつくり出すきっかけにもなっている。そう考えるならば、マイナスを含めて自分の人生を肯定できる。そしてその人生を何度でも繰り返そうと思えるのかもしれません。

     ふたたびルサンチマンについて考えてみましょう。そもそも、なぜルサンチマンは「よくない」のでしょうか? ルサンチマンとは「無力感から生まれる復讐心」のことですが、ぼくなりの言い方をすれば、前向きな力を損なうところが問題なのです。
     まず第一に、それは「自分が人生の主人公であるという感覚」を失わせる。自分の人生を自分でコントロールしていけると思える「能動的」な感覚、これをだめにする。さらにもう一つ、「みずから悦びを求めて汲み取ろうとする力」を失わせる。たとえば、同じ時間で仕事をするときに、嫌々ながらやることもできるし、悦びを得ようとすることもできますよね。ルサンチマンとは「ブーたれ」ですから、自分から動く能動性を失わせてしまい、「文句をいう」という微弱な快感とひきかえに、積極的に悦びを汲み取ろうとする力を損ねてしまうのです。

     さて、いよいよ本題へと入りますが、ニーチェの思想のうち、私たちが現代を生きるうえで大事だなと思うポイントをいくつか拾ってみましょう。
     最初に強調したいのは、ニーチェの思想は、まさに「いま」という時代を生きるさいの「柱」になるものだ、ということです。高度経済成長期のように、「いまは自分たちは貧乏だけど、いずれ豊かになれる」とか「あそこには素晴らしいものがある」という目標が与えられない時代です。
     そんななかで、「では何ができるのか」と考えたときに、もしあなたが「自分の人生を自分でつくっていく主役でありたい」と願うならば、この状況で「何が自分を悦ばしくするか」を問う以外にありません。--これは一見、とても厳しい思想のように思えます。「こうやって生きるべきというものはない。どのように生きてもいい。そして、どの絵を描くのかもすべて君に委ねられているのだ」というので、恐ろしく感じる人もいるかもしれません。しかしそれは、人を本当の意味で自由にしてくれる思想だとぼくは思います。

     なぜ「この作品はすごい」のか、なぜ「この作品はいまひとつダメなのか」。こうやって互いに語り合われることを通じて、人生に対する態度や、他社に関わる態度、社会に対する姿勢など、自分がいままで無自覚につくってきた「よい・わるい」の感覚が、他者の感覚と照らし合わされ、検証されていく。そのプロセスを経て、「やっぱりこれはいい。これはよくない」という価値観の軸ができあがっていく。こういうことが文化の本質でしょう。一言でいえば、自他の価値観を照らし合わせながら、ほんとうに納得のいく価値観をともにつくりあげていこうとすることです。
     こうした語り合いのないところに、「創造性」や「高まること」はない、とぼくは考えるのです。

  • 解説者の解釈がたぶんに含まれているというレビューも多いが、だからこそ非常に読み下しやすかったのではないか。
    自分のように特に前提知識も持たない一般人にとっては、かなり平易に噛み砕いてもらったおかげで大変読みやすかった。
    自分も「超人」として生きたいが...。

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著者プロフィール

哲学者。京都精華大学社会メディア学科助教授。哲学者らしからぬ軽い風貌と語り口で若いファンを多くもつ。「普通の人々の心に届く新しい哲学を構築するのは彼しかいない」といわれる期待の学者。著書は、『哲学的思考』(筑摩書房)、『実存からの冒険』(ちくま学芸文庫)、『ヘーゲル・大人のなりかた』『哲学のモノサシ』(NHK出版)、『哲学は何の役に立つのか』(洋泉社新書y、佐藤幹夫との共著)など多数。現在、『哲学のモノサシ』シリーズを執筆中。

・もう一つのプロフィール……
だれに聞いても「怒った顔をみたことがない」という温厚な哲学者。学生からの人気はピカイチ。天才的頭脳の持ち主にしては「ちょっと軟弱」「貫禄がない」との評もあるが本人は全然気にしていないようだ。

「2004年 『不美人論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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