- Amazon.co.jp ・本 (367ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150103538
感想・レビュー・書評
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さー、久々にハードSFでも読んでみるか!と手に取ってみたら全然違った、という本。
むかしSFはよく読んだけど、この著者は初めて読む。
なぜハードSFだと思ったかというと、別件で調べものをしていて「アイス・ナイン」という物理学方面の単語に出合ったからだ。
9番目の氷? なんか素敵じゃん。と。
ところが、開いてみたらこれはそういった科学的興味の本ではなく、著者自身が冒頭で示唆している通り虚妄の大伽藍で、平たく言えば偉大なるホラ話だったのである。
さて、作中でいうアイス・ナインは、常温・常圧で水を凍りつかせる「種」なのである。
たとえばコップの水にそれを落としたら、その水はたちまち凍ってしまう。「種」に口をつけ、体の水分に触れさせたら、体がすぐに凍ってしまう。その遺体がもし海に落ちたら、海すらもあっという間に固体と化してしまうのだ。
そうした世界の救いなき終末までを、この小説は描き上げる。
猫のゆりかごとは、この本によるとあやとりのX字が重なったもので、指をほどけば解けてなくなってしまう象徴。すなわち絢なる世界もひと皮むけばすべて無意味で虚しいのだ、ということが主題らしい。
たいへん面白かった。
結末は、わたくし的には非常に納得の行かないものだったけどね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
かわいいタイトルだけど、内容は相当に人を喰っている(笑)。
ジャンルは終末世界SFになるのだろうか。架空のボノコン教という宗教が出てくるのだが、その『ボノコンの書』の冒頭はこんなだそうだ。
「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんな真っ赤な嘘である」
すべての物事は大まじめに進んで行くが、それらは同時にとても滑稽で、それでいて哀れである。
目がまわる、目がまわる。うんざりするほどの混沌と単純さが入り混じった世界で、しかしヴォネガットさんは現実をありのままに語る。この作家さんは、そんな現実をそのままジョークにしてしまうのだ。いやはや。
現実に対してユーモアで反骨しているのだと思う。ほんとに皮肉屋ね。でも、それは一つの許しなのだとも思う。人間は愚かだということへの。
「<フォーマ>(無害な非真実)を生きるよすべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」 ――『ボコノンの書』第一の書第五節 -
中盤になるまで、読者が置いて行かれてる感がすごい。
でも、ボコノン教の正体が分かってくるとどんどん読み進められる。
平和を続けるって難しいことなんやなと思った。 -
これすごく好き。とても好き。
すごく雑に言うと、科学と宗教と、世界が滅びる話。
やっぱり人間は馬鹿で悲しいなと思うし、私も馬鹿でヘンテコな悲しい生き物だなと思うけど、だからといって私はもう、そのせいで死にたくなるほど若くもない。
こういう皮肉的な物語があれば生きていける気がする。
人間なんて、善人の面と悪いやつの面を上手に使うこともできずに、全く的外れな同族意識みたいなものを持ったりして、自然にしてたらディストピアに向かうもののような気がする。
だから自分は自分自身でいなきゃ生きていけない。
けどこんなのも全部たわごとで嘘かもしれない。
ボコノン教はヘンテコだけど、でも世界も人間ももっとヘンテコね。
そういう時は、私も「目がまわる、目がまわる、目がまわる。」と言ってみよう。
良かった。 -
SF。
ボコノン教という宗教を中心とした終末SF。
登場人物は変な人ばかり。ボコノン教もおかしな宗教。ストーリーも荒唐無稽。
とにかく奇妙な作品だが、地味に感動できて、印象的なセリフも多い。
ヴォネガットの著作の中でも、かなり好きな作品。 -
こんなに頭の中がぐるぐるしたのは初めて。SF面白い。エピグラフを読んで即買い、期待通りの「作り物」でした。
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「猫のゆりかご」ってなんだろう。
マザー・グースの詩に
「風が吹くと、ゆりかご揺れる、ゆりかご揺れて赤ちゃん落ちる、落ちると...」(思い出したまま)
という恐いのがある。
読み始めてすぐに謎はとける、がその後の展開に怖ろしい予感。
世界が終末をむかえるのか。
短い文章の章立て。勿論シニカル。さびが効いている。
たたみかけて大団円に。まるでSFXの画面を観ているよう。
「専制」「大統領」「とりまき」「兵士」「科学者」「金持」「多くの貧困者」「カルト宗教」「カリスマ教主」「アメリカ」「ジャーナリズム」
と、キーワードを上げるだけで現代と酷似している。1960年代に書かれたSFだのに。
ちなみにあの頃は映画「渚にて」とか小松左京の「日本沈没」があってはやったけど。
これは普遍性があると思う。「ソ連」が出てくるのは時代性。
あーあ、相も変わらずの変らない世界よ!
『フォーマ=無害な真実を生きるよるべとしなさい。…』と作者はフィクションの宗教『ボコノン教』の聖書に語らせる。
つまり、「うそからまことがでる」と。
でも、そんな哲学よりもユーモアと展開の面白さを愛でよう。
カリブ海に浮かぶ孤島の断崖絶壁に建つお城にいざなわれて。 -
いわずと知れた代表作のひとつ。
伊藤典夫さんによる名訳がぶいぶい冴えている。
この話は浅倉さんではなく、伊藤さんで正解だったと思う。
乾いたタッチ、クレイジーすぎる登場人物たち。
猫、いますか。ゆりかご、ありますか。
「フォーマを生きる寄る辺としなさい」...この本そのものがフォーマの塊だ。
真実を見つめるのはあまりにもつら過ぎる現実。
だから、無害な非真実=フォーマを見つめよう、とボコノンの書は解いている。
それにしてもヴォネガットさん、どえらい宗教を作ったもんだ。
無神論者・ヴォネガットの面目躍如。
このタッチは、後の「チャンピオンたちの朝食」に引き継がれているように思う。
好みは分かれるだろう。ナイス・ナイス・ヴェリ・ナイス。
余談:フランシーン・ペフコがこの本から登場していたのを改めて発見した。ハイホー。 -
ヴォネガット長編3冊目は『猫のゆりかご』
出だしからしてヴォネガット節がきいている笑
本書には真実はいっさいない。
「<フォーマ>*を生きるよるべとしなさい。それはあなたを、勇敢で、親切で、健康で、幸福な人間にする」 ー『ボコノンの書』第一の書第五節
* 無害な非真実
そうだよねえ...いやそうなんだよ....
話はシニカルでユーモアたっぷりだったが、個人的には読んだことある長編他二作(タイタンの妖女、スローターハウス5)の方が好きだったかなあ
さて次は短編集の2を読む -
古本屋で 「ヴォネガット、大いに語る」をゲトったはいいものの、本著を読んでいる前提だったので読んだ。世界が終末する過程をいつもの厭世観とウィット、パンチラインでのらりくらり描いている小説でオモシロかった。原子爆弾の発明者の家族について取材するところから始まり、その周辺にいる人たちのトンチキっぷりに身を任せていると、いつのまにかカリブ海の謎の島へ行って…と目まぐるしく展開していく。その中でもオモシロいのは登場人物たちの会話だった。今でも十分に通じるパンチラインがそこかしこにあり、物語がはちゃめちゃな展開でSFらしさがありつつも会話で現実にグッと引き戻される。そんな感覚だった。以下引用。
真実は民衆の敵だ。真実ほど見るにたえぬものはないんだから。
成熟とは苦い失望だ。治す薬はない。治せるものを強いてあげるとすれば、笑いだろう。
人はだれでも休憩がとれる。だが、それがどれくらい長くなるかはだれにもわからない。
ボコノン教なる新興宗教を軸に話が進んでいくのだけど、キリスト教へのアンチテーゼなのは間違いないだろう。ただベースのキリスト教に明るくないので、どこまで皮肉たっぷりなのかは分からなかった。世界が終わるときのあっけなさとしょうもなさがヴォネガットっぽいなと思う。アイス・ナインという物質が世界を終わらせるトリガーなんだけど、それは水の分子配列を変えることで一気にすべてを凍結してしまう。とんでもない威力の核爆弾ではなくて、身の回りにある水が兵器となって人々を殲滅する。些細なことで世界の価値観はガラリと変わっていく、つまり今あることも絶対ではないというメッセージなのか。「ヴォネガット、大いに語る」はもちろん時間をかけて他の著作も読んでいきたい作家。