第三の嘘 (ハヤカワepi文庫 ク 2-3)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200168

感想・レビュー・書評

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  • ストーリーの整合性を予め確保した、一般的な小説を目指し書いたのではなく、自身の内側に漂い続けているものを小説という形をとって表現したのだと思う。
    訳者の解説が巧みで素晴らしかった。


    双子の、「でも、あなたは、今しがたおっしゃいましたね。〝苦しみは減少し、記憶は薄れる〟って」という言葉に対し、不眠症の男の「そう、確かに私は、減少する、薄れると言った。しかし、消え失せるとは言わなかったよ」という一言が印象的だった。

    理不尽な力によって本来の自分から引き剥がされ、本来ならばそこに存在したはずの自分、家族、自然、国といった幻の中をさまよいながら、完治することのない傷と共に生き続ける人間の強さ、脆さ、悲しさが物語の随所に滲んでいた。
    緑色の鎧戸の家を見つめながら涙を流す双子の描写が辛く、なかなか読み進めることができなかった。

    忘れられない本になった。

  • 凄まじい三部作だった。
    『悪童日記』『ふたりの証拠』そして本作『第三の嘘』と、それぞれの作品に異なる衝撃があり、そして二作目を読めば一作目の、三作目まで読むとシリーズ全ての、見方や印象がガラリと変わってしまう。
    「真実」がどうであるのか考察することにさほど意味はないだろう。重層的かつ撹乱するような複数の物語を貫く、強烈な孤独感と、無理矢理引き裂かれ揺らぐアイデンティティ。亡命者である著者が故国と移住国に抱く感情の、言葉にし難い生々しい領域の、わずかな一端に触れた思い。

  • 「『…一冊の本は、どんなに悲しい本でも、一つの人生ほど悲しくはありません』」

    この一文がもっとも印象に残ったが、本書を読み進めるにつれて、この本よりも人生が悲しいものであってはならないというふしぎな抵抗感をおぼえるようになった。

    また、本書で描かれるあまりに悲しい人生ほど悲しくはない、いやむしろ幸福な本が、第一作目の『悪童日記』であってほしいというのが私の理想。

    とはいえ本書を『悪童日記』『ふたりの証拠』と関連する謎解きとして読みすぎるとだんだんとつまらなく感じはじめた。だから後半からは、これはこれ、として読んだ。

    本作が前作とつながっているとすれば、時間がこれほどまでにーーパラレルワールドと思われるほどにーー人間を変えてしまうという生々しい真実こそがごろりとそこにある。

  • 『悪童日記』『ふたりの証拠』に続く第3巻・完結編。続編ですがどれも独立した作品のようにも見えます。

    2作目『ふたりの証拠』で積り積もった謎は一旦横に置かれ、冒頭から彼らは50代半ばへと年を重ねています。1作目『悪童日記』であんなにも分かち合い共鳴し合っていたように見えた2人は時代と年月に揉まれ関係性に大きな変化が生じます。
    時代という大きな波に翻弄されることで心の大切な部分を押し殺しながら生きなければならない状況。母国ハンガリーから致し方なく亡命せざるを得なかった著者の半生とどことなく重なり、心が締め付けられるようです。
    相手を想うからこそ嘘が重なり、リュカもクラウスも心に反して拒絶し合います。

    3作を通して全く異なる文体や様相を見せる小説は初体験だったように思います。読者もどこまでこの作品の、彼らの“嘘”に巻き込まれているかあやふやに。
    真実は個々人の胸に秘めたまま――そんな無常さを感じるラストでした。

    クラウスは言う。
    「いや、嘘が書いてあるんです」
    「嘘?」
    「そうです。作り話です。事実ではないけれど、事実で有り得るような話です」(130p)

  • 『悪童日記』の単純明快な物語は続編『ふたりの証拠』で音を立てて軋み始め、第三編である本作『第三の嘘』において崩壊する。

    前作『ふたりの証拠』は『悪童日記』の続編である。『悪童日記』のその後が語られているものと思って読み進めると「おや?」というところが散見され、「おやおや?」という引きで終わる。

    本作『第三の嘘』では『ふたりの証拠』の「おやおや?」の種明かしが行われるのだろうと思いながら読み進めると、過去作の断片的なイメージをかすめながらも決してそれと重なりはしない事実が語られていく。

    第一作『悪童日記』執筆当初からすでにこの構想のもとに書き進められたものなのか否かについて思い巡らしながら読んだが、巻末の訳者解説にて本人が当初の構想にはなかったと語っていたことが明かされる。

    前作『ふたりの証拠』と本作は名作『悪童日記』の続編三部作に位置付けられるものの、その実、一貫した物語ではない。『悪童日記』だけで完結した物語でありながら、続く二作では『悪童日記』の物語を揺るがし、冒頭に記載したように崩壊させるものでありながらも『悪童日記』の物語は損われることなくあり続ける。

    虚構が虚構であると知りながら、その記述を信用しないことには読み進めることのできない読者が、虚構のその本来の虚構性を知ること、すなわち記述の真偽両面、二重の物語を読むことがフィクション作品を読む醍醐味であり、かつまたそれが私たちが現実を解釈する際に行っていることそのものであることを改めて認識させられる。

  •  見かけの大枠は、悪童日記は双子が2人で書いた日記、ふたりの証拠は双子のうちおばあちゃんの家がある街に留まったリュカの物語、本作は第一部と第二部からなり、双子それぞれの視点で語る物語である。ただ、それが揺らぐのが面白い。

     三作品とも、読み始めたら一気に最後まで読めてしまうくらい文章そのものは軽く、淡々としている。A・クリストフが理系ということに非常に納得する。淡々としているため読んでいる時は、展開的にもこのままずっと淡々と行くんだろうなと思わされるが、そんなことはない。しっかり衝撃的な部分がある。

     悪童日記の最後では、双子の別離によって、主人公が分裂したように感じられた。ふたりの証拠の最後では、双子の一方の物語を読んでいたつもりであったのに、双子の存在と日記の信憑性に疑念を抱かされた。どう考えてもリュカとクラウスの存在に矛盾が生じてしまう。疑念は第三作目の前半まで続き、読者に悪童日記もふたりの証拠も双子の存在も、全て嘘であったと思わせる。しかし、第一部の最後で双子は存在していたと語られ、真実と思われる物語が第二部で第一部とは別の主人公の視点から語られる。

     ただ、第三の嘘で語られる物語が必ずしも真実とは限らない。本作品には繰り返し嘘という単語が登場し、複数の嘘が重ねられるが、本作品のタイトルが第三の嘘である以上、筆者は大きな括りでも嘘をカウントしている。悪童日記が第一の嘘、ふたりの証拠が第二の嘘、本作品が第三の嘘だと仮定すると、真実の物語を語っている作品はこの三作の中に無いと言える。この作品のどの部分も真実としてありうるし、どの部分も嘘としてありうるように思われる。もっとも、もっと読解力があって細かく分析していけば嘘と真実を区別できるのかもしれないが…。
     しかし、どこが真実でどこが嘘であろうと、これらの物語は単独でも三冊まとめてみても巧妙であり、非常に面白い作品達だと思う。淡々としていて、シリアスで、ミステリーチック。今読んでる物語は嘘かもしれないから淡々と読もうとする反面、物語そのものの魅力に惹き込まれてしまった。
     嘘をどうカウントしているかについては別の見方もあるかもしれないので、読み返した際にまたじっくり考えたいと思う。

     一冊の本はどんなに悲しい本でも、一つの人生ほどは悲しくないという言葉が胸に焼き付いている。どんなに本を読んでその世界に浸っても、実際にその物語を歩んだ者の世界を見ることはできない。

  • お願いなので悪童日記を読もうと思ってる人はこの「第三の嘘」まで買っておくべきだし、「ふたりの証拠」以降を並べていない書店は本当になにも分かってない。

  • 三部作の最後ということだけれども、先の二作と比べたとき、双子の関係性が一番不幸で、悲しくなった。

    一、二作目の『悪童日記』と『二人の証拠』では、リュカとクラウスという双子の兄弟を巡って、全く違った物語が語られつつも、二人の関係は、一心同体のものとして描かれていた。『悪童日記』の二人は、理不尽な生活の中にあって、協力し合いながら、強かに生きていたからこそ、最後、国境を隔てて別れるシーンに感動があった。『二人の証拠』では、双子の二人が、実は同一人物であることが仄めかされて、クラウス=リュカにとって、双子の兄弟の物語は、妄想であるからこそ、理想的な兄弟だった。

    だからこそ、二人の関係が、修復しがたい溝として描かれる『第三の嘘』は、とても悲しい。
    兄弟のリュカは、戦時中、母親が起こした銃乱射事件によって重症を負い、離れ離れで暮らすことになる。一方、双子の片割れであるクラウスは、その後も母親と共に暮らしながらも、当の母親は、兄弟のリュカを愛しており、クラウスに対して辛くあたる。数十年の時を経て、リュカは、家に帰ってくるが、クラウスは、彼が母親と会うことを拒み、追い返してしまう。
    作中クラウスは、自分が書く物語について、「私はすべてを美化し、物事を実際にあったとおりにではなく、こうあってほしかったという自分の思いにしたがって描くのだ」と語っている。『悪童日記』と『二人の証拠』に描かれた双子は、まさしくその通りに理想的なものとして描かれる。しかし、『第三の嘘』は、そうなっていない。もしこれも「こうあってほしかったという自分の思いにしたがって」書かれたのであれば、悲しいように思う。

  • 予想を裏切る展開と、ラスト。
    三部それぞれが、物語として成立していながら、通して読んだ時の、新たなる発見がすごい。
    2人のどちら側からの視点なのか、実際なのか創作なのか、その全部が、層になっていて、切ない。
     匂いや 温度 視覚を感じる描き方だった。

  • ■ Before(本の選定理由)
    「悪童日記」「ふたりの証拠」に続く3作目。

    ■ 気づき
    明かされる真実。これまでの物語を根底から覆すような真実。これは果たして真実なのだろうか?虚実入り混ざるような、不安とアンバランスさを感じさせる。

    ■ Todo
    どうして著者は、前作の続きとしてこの本を描かざるを得なかったのか?それがもっとも気になる。

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著者プロフィール

1935年オーストリアとの国境に近い、ハンガリーの村に生まれる。1956年ハンガリー動乱の折、乳飲み子を抱いて夫と共に祖国を脱出、難民としてスイスに亡命する。スイスのヌーシャテル州(フランス語圏)に定住し、時計工場で働きながらフランス語を習得する。みずから持ち込んだ原稿がパリの大手出版社スイユで歓迎され、1986年『悪童日記』でデビュー。意外性のある独創的な傑作だと一躍脚光を浴び、40以上の言語に訳されて世界的大ベストセラーとなった。つづく『ふたりの証拠』『第三の嘘』で三部作を完結させる。作品は他に『昨日』、戯曲集『怪物』『伝染病』『どちらでもいい』など。2011年没。

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