たとへば君―四十年の恋歌

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163742403

感想・レビュー・書評

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  • 「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」という短歌を知っていたのは、教科書に載っていたからだっただろうか。河野裕子という歌人の歌だった。

    読み進めるに連れて、泣いて泣いて電車のなかなのに大変なことになった。
    夫婦になったって、淋しさは無くなるものじゃないし、愛していたって、一生許せないこともある。今の自分の状態と重なって、苦しくて、でも救われる思いもあった。
    「嫁って大嫌いな言葉ですが、嫁はね、夫が話を聞いて支えてくれさえしたら、少々のことは我慢できるんです。あの時、永田は私を庇ってくれなかった。これは一生忘れられない、消えない傷です。」

    2023-11

  • 「世界文学アンソロジー」つながりで。歌人夫婦の出会いから別れまで、それぞれの歌とエッセイでつづられる。河野裕子のパート、何気ない夫婦と子供との道行きを読んでると泣きたくなってくる。特に「子供たちのいない日」が。以下目にとまったところ/たとへば君 ガサッと落葉すくふやふにわたしを攫って行つては呉れぬか(河野裕子)/つきあいはじめたころ、黒谷の墓場でデートしていて/この人は全身をかけて愛されたことがない人だ、寂しい人だと思いました。ドーナツだと思ったんです。真ん中がない。(河野裕子)/あの時、永田はわたしを庇ってくれなかった。これは一生忘れられない、消えない傷です。(河野裕子)/どんなときにもう若くないという感じを抱きましたかとの質問に「涙がまっすぐに流れないで、横に走った時です」(吉永小百合)/白桃の生皮剥きゐて二人切りやがてこんな時間ばかり来る(河野裕子)/何という顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢゃない(河野裕子)/心身ともに繊弱で不安定だったわたしに、あなたはそのままでいいと言ってわたしを受け入れてくれた。このひとことが、わたしと永田の人生を決めたといっていい/あなたの一生をつづめて言ってしまえば、眠いしか残らないんじゃあないかしら、と言えば永田和宏は怒るだろうか。/テレビドラマなどで、この病気になってよかったというセリフがでて、それらしく終わってしまうことがあるが、わたしはそんな綺麗ごとは言わない。病気になっていいことなんて何ひとつなかった。

  • 味わう度量がなくて短歌は読めないんですが、
    「詩を想い、そして思い出す日33」
    というイベント向けにチャレンジ。

    装丁からして、泣けますが
    予想通り目頭が熱くなりました。

    乳がんで逝った妻とその全てを見届けた夫。
    河野裕子と永田和宏。

    歌人夫妻の相聞歌、
    40年分の全380首とエッセイ。

    醜い部分も包み隠さず、記された家族の風景。

    日本語の美しさよ。


    ・たとへば君
    ガサッと落葉をすくふやうに
    私をさらつて行つてはくれぬか(河野)

    ・ざんざんばらんと、蹴飛ばし、打ったり、
    抱きしめたり、つき放したり、人を憎んだり、つまりは体ごと他者を問い求めているということだろう

    ・一寸ごとに夕闇濃くなる九月末、
    寂しさは今は始まつたことぢやない(河野)

    ・ひとことのやさしきことばはたちまちに
    われを浸すであろうと恐れき(河野)

    ・一日が過ぎれば一日減ってゆく
    君との時間 もうすぐ夏至だ(永田)

    ・手をのべて
    あなたとあなたに触れたきに
    息が足りないこの世の息が(河野/絶筆)

    ・歌は遺り歌に私は泣くだらう
    いつか来る日のいつかを怖る(永田)

  • 歌で結ばれた夫婦の相聞歌
    日常会話では伝わらないことが、歌になることで伝えられる不思議
    饒舌さが心を伝える手段なのではないのだ

    ダンドボロギクをGoogleで検索して、ああこの花だったのかと花の名を知る。花の終わった後の綿毛がボロのように見えるからだという花の素朴さに、河野裕子さんの素朴さが重なる。

  • 荒あらと肩をつかみてひき戻すかかる暴力を愛せり今も
    子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
    君を恋ふこころかなしく書き更かす歌さへなべてわれがものなる
    でまかせの嘘のついでに言ひしことまさしく君を撃ち貫きぬ
    *寝息かすかー妻には妻の夜がありて告げねば知るはずもなきさびしさは
    君に凭りバスに揺られて眠りつつ覚めてゐしなり二十歳の頃は
    *汝が眼もて世界見たしと告げられしかの夜のさくらかの湖の色

    *「おまえなあ、もう、アホなケンカは買うなよなあ」

    おほきな月浮かびたり六畳に睡りて君ゐるそれのみで足る
    賢くならんでよろしと朝のパン食ひつつあなたが私に言ふ
    *あるいは泣いているのかもしれぬ向こうむきにいつまでも鍋を洗いつづけて
    *ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど
    *言つて欲しい言葉はわかつてゐるけれど言へば溺れてしまふだらうきみは

    *…永田さん

  • 歌人夫妻の相聞歌のアンソロジー。妻の河野さんは、2010年に乳がんを患って亡くなっており、それを受けて編纂されたのが本書。大学時代の二人の出会いの頃から、ひかれ合い、結婚し、子育てをし、闘病しといった折々の出来事がそれぞれの視点から詠われる。
    若い頃の何となく背伸びした言葉で詠ったものから、ページを進めていくほどに歌は自然になっていく。それとともに、一家を営む悲喜こもごもも伝わってきて、それが何ともいい雰囲気を醸している。もちろん、家族だから楽しいことばかりではない。喧嘩をしたことも、意思の疎通ができず憂いてることもある。その思いが短歌というわずかな言葉の内からも読み取れるものだ。
    河野さんが乳がんにかかってからの日々は、精神的に不安定になるなど大変なことが続いたようで、歌からもそれはわかるし、悲しく不安な日々でもあるのだけど、一方で、こうして支え合ってつらい時期を共にする家族というもののよさを感じた。果たして、自分が病気の妻を支える立場になったとき、永田さんのように振る舞えるだろうか。永田さんですら、河野さんが求めるほどには支えきれないときがあった。たぶん、自分はどこか突き放すような言動をとってしまうだろう。それが、自分が伴侶や子どもをもつことを恐れる理由。

  • 谷川史子『積極』を読んで読む。

  • 小説のような二人
    でも紛れもなく短歌がリアルを証言してました

  • 河野裕子・永田和宏夫妻が歌で出会いやがて結婚。河野さんが乳癌でなくなる40年間を歌集とエッセイ集。世代が同じことも有り、身につまされる。夫婦の愛情が歌にもエッセイのも表現されている。

  • 生きること
    感じること
    表現すること

    思いやること
    まっすぐなこと

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