- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163742403
感想・レビュー・書評
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「たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」という短歌を知っていたのは、教科書に載っていたからだっただろうか。河野裕子という歌人の歌だった。
読み進めるに連れて、泣いて泣いて電車のなかなのに大変なことになった。
夫婦になったって、淋しさは無くなるものじゃないし、愛していたって、一生許せないこともある。今の自分の状態と重なって、苦しくて、でも救われる思いもあった。
「嫁って大嫌いな言葉ですが、嫁はね、夫が話を聞いて支えてくれさえしたら、少々のことは我慢できるんです。あの時、永田は私を庇ってくれなかった。これは一生忘れられない、消えない傷です。」
2023-11詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歌で結ばれた夫婦の相聞歌
日常会話では伝わらないことが、歌になることで伝えられる不思議
饒舌さが心を伝える手段なのではないのだ
ダンドボロギクをGoogleで検索して、ああこの花だったのかと花の名を知る。花の終わった後の綿毛がボロのように見えるからだという花の素朴さに、河野裕子さんの素朴さが重なる。 -
歌人夫妻の相聞歌のアンソロジー。妻の河野さんは、2010年に乳がんを患って亡くなっており、それを受けて編纂されたのが本書。大学時代の二人の出会いの頃から、ひかれ合い、結婚し、子育てをし、闘病しといった折々の出来事がそれぞれの視点から詠われる。
若い頃の何となく背伸びした言葉で詠ったものから、ページを進めていくほどに歌は自然になっていく。それとともに、一家を営む悲喜こもごもも伝わってきて、それが何ともいい雰囲気を醸している。もちろん、家族だから楽しいことばかりではない。喧嘩をしたことも、意思の疎通ができず憂いてることもある。その思いが短歌というわずかな言葉の内からも読み取れるものだ。
河野さんが乳がんにかかってからの日々は、精神的に不安定になるなど大変なことが続いたようで、歌からもそれはわかるし、悲しく不安な日々でもあるのだけど、一方で、こうして支え合ってつらい時期を共にする家族というもののよさを感じた。果たして、自分が病気の妻を支える立場になったとき、永田さんのように振る舞えるだろうか。永田さんですら、河野さんが求めるほどには支えきれないときがあった。たぶん、自分はどこか突き放すような言動をとってしまうだろう。それが、自分が伴侶や子どもをもつことを恐れる理由。 -
谷川史子『積極』を読んで読む。
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小説のような二人
でも紛れもなく短歌がリアルを証言してました -
河野裕子・永田和宏夫妻が歌で出会いやがて結婚。河野さんが乳癌でなくなる40年間を歌集とエッセイ集。世代が同じことも有り、身につまされる。夫婦の愛情が歌にもエッセイのも表現されている。
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生きること
感じること
表現すること
思いやること
まっすぐなこと