- Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163742403
感想・レビュー・書評
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歌を詠む事のできない私が病んだとして。
どうやって愛するものたちへの思いを残せばいいのだろうか。
歌を残せない私が逝ったとして。
愛するものたちは歌に泣くこともできない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ふたりの出会いも、生活も、短歌も劇的だけれど、
裕子の死に際に圧倒される。
生まれながらの歌人、
死してなお歌人。 -
たまたまTV番組で河野一家の特集をしていて、彼女のことを初めて知ったのだが、「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」この一首が私に強烈な印象を残した。出会いの頃の歌は若々しく、妻となり母となっては家族を持った幸せが感じられる。「しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ」そして、夫婦仲睦まじく「共に棲みまだ七、八十年はあるやうな君との時間ゆつくり過ぎよ」でも癌発病「何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない」とても悲しい。
絶筆「さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ」「手をのべてあなたとあなたに触れたときに息が足りないこの世の息が」涙で文字が霞みました。平凡なコメントですが、とてもとても悲しく美しい、家族を愛する気持ちが溢れている歌だと思います -
「たとえば君 ガサッと落葉をすくうように私をさらって行ってはくれぬか」どんな状況で読まれたのか、どんな出会いだったのか…。病い発覚の前後も歌を混じえての経緯があり、とても親切な本です。歌だけだとさらっと過ごしてしまうところ、エッセイや旦那様の解説もあり、沢山の歌も更に深く味わえます。
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「とても親切な本です。」
ETV特集で見た「この世の息~歌人夫婦 40年の相聞歌~」とっても切なくてジーンとなった。この本も読まなきゃ、、、...「とても親切な本です。」
ETV特集で見た「この世の息~歌人夫婦 40年の相聞歌~」とっても切なくてジーンとなった。この本も読まなきゃ、、、と思いつつ忘れている。2013/07/04
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相聞歌とよばれるものばかりが収録されているせいもあるが、このご夫婦がお互いを愛しあっていたことが伝わってくる。
河野さんの「家」という歌集をよんだ永田氏が「お前はこんなに淋しかったのか」と言ったこと。日常つかう言葉以外で、わかりあえる言語をもっていること。
短歌をほとんど読んだことのない私にも、この間にはさまれているエッセイが、鑑賞の手引きになってくれた。 -
立ち読みをしていたが、途中で「まずい」と思って中断。迷った末、値段に目を瞑って購入。
帰宅後すぐに読んで号泣。
こういうのはいけない。
最後の歌が美しくて切なくてつらくてたまらない。
いかんよ、いかん。 -
出会い結婚闘病、妻の死
そのなかで夫婦二人が互いにおくりあった歌と、それにまるわる話など。
手をのべてなたとあなたに触れたきに息がたりないこの世の息が(絶筆 河野裕子)
歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る(永田和宏)-
「それにまるわる話など。」
こんな本出ていたのですね、、、NHKのETV特集で「この世の息 ~歌人夫婦 40年の相聞歌~」を観て、良いなぁ~...「それにまるわる話など。」
こんな本出ていたのですね、、、NHKのETV特集で「この世の息 ~歌人夫婦 40年の相聞歌~」を観て、良いなぁ~とシミジミ感じました。。。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0710.html2013/04/08
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本書はもの凄い本だから、覚悟して読んでいただきたい。これまで僕が読んだなかで最も偉大な恋愛小説は、小島信夫の『菅野満子の手紙』(集英社)だと勝手に思っているけれど、本書はまったく別のあり方でそれに匹敵している。1年前に亡くなった歌人の河野裕子さんとは、生前に1度だけお会いしたが、たった1度の印象がこれほどまでに焼き付いて離れない人は、河野さんをおいて他にはいない。あれは、今から10数年前、僕が大学2年のときだったか。ある短歌賞の受賞者と選者という立場で、2日間、延岡でご一緒させていただいたのだ。当時、ライトヴァースに傾倒していた僕にとって日常を詠む河野裕子は憧れの歌人というわけではなかったけれど、彼女に接してすぐに、「この人はごまかせない」と直感した。あまりにも地に足がついていて、あまりにも力みのない自然なかたちで少女の無邪気さと家庭を持つ大人の女性の鋭さを同居させている姿に、20歳の僕は空恐ろしさを感じた。今から思えばとてもではないが短歌と呼べるような代物ではなかった僕の稚拙な歌にも、「意外と古風なのね。もっと自由にやればいいのに」とおっしゃり、後日、わざわざ、自身の結社の入会案内と結社誌『塔』を送ってくださった。短歌のことではない。もちろん、人として見透かされていたのだ。先日、そのことを実家の母に話したところ、当時の僕は「京都に遊びにいらっしゃいよ」と言われたとも言っていたそうで、あるいはそうだったかもしれない。訃報に触れたのは、昨年の8月、尾道に滞在しているときだった。結局、その後、僕が本格的に作歌に取り組むことはなかったのだけれど、なぜだろう、たった1度の河野裕子との出会いは、今でも僕の存在の芯に近いところにありつづけていて、それはとても幸福なことで、なんとまあ、不思議な人だった。
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私が河野裕子という歌人を知ったときには、すでに癌が再発して病床にいた。『短歌』誌上で初めて作品を読んだときには、その情念の強さに圧倒されたと同時に、なぜこのような強さを持てるのかと不思議に感じていた。本書を読んで、はじめてその強さに納得がいった。
本書は共に歌人であり夫婦である河野裕子と永田和宏の馴れ初めから河野さんの死までを、2人の当時のエッセイと歌で記述している。人の一生を1冊の本で表現するのだから、どうしても内容は急ぎ足になってしまうが、短歌が掲載されている個所になるとふと立ち止まり、当時の時間の速さで2人の生活が叙述される。そこから強い共感を感じる。やはりこの2人の物語は短歌でなくては表現できない。
短歌を詠んでみたいと強く思わせてくれる書籍です。 -
この間借りた「あの胸が…」を図書館に返却したときに借りてきた。後半の癌末期の闘病記録は読むのが辛かった。だけど素晴らしい夫婦、素晴らしい家族でした。歌のある暮らしは人生を倍以上に豊かにするな。うらやましい。