本の声を聴け ブックディレクター幅允孝の仕事

著者 :
  • 文藝春秋
3.84
  • (35)
  • (60)
  • (45)
  • (4)
  • (2)
本棚登録 : 802
感想 : 71
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163760308

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ノンフィクション
    本の本

  • ”○○の仕事”系の本はなんかキモチワルイのでほとんど読まないのだが、売れっ子のブックディレクターってなんだろうと、ちら見のつもりで読んでみた。構成がうまくて、最初に病院のライブラリーを手掛けたエピソードを持ってきていたのがよい。ブックディレクターとは何をする人なのか、が誤認なく掴める。これが都心のカッコイイ事例からだと鼻白んで入りこめなかったかもしれない。さまざまな事例の紹介を経て、最後に意外な電子書籍の仕事を取り上げていることで、よりいっそうこの仕事の髄が伝わったような気がする。本ってすごい。そして本棚を編集するという仕事ができるのは知の巨人だ。
    見れば著者は幅氏の親世代ともいえるベテランジャーナリスト。この二人も”幸福な事故”よい出会いだったのだろう。

    [more]<blockquote>P23 「大事なのは、手が動くことより、動いた手で何をつかむのかなんです。足が動くことよりその足でどこにいくのか。本は読み手にさまざまな感情を味わってもらうことができます。リハビリのためのリハビリではない。本は、自身のなかに沈んでしまっていた「愉しい」とか「嬉しい」とか「照れくさい」とか、そんな多様な感情をすくい上げることができるんだなと、その時思いましたね。書き手や差し出す側の意図を軽々と飛び越えて。」

    P51 本は即効性でなく明らかに遅効性の道具なんです。【中略】さまざまな本を読み、さまざまな感情を通り過ぎることで救われる、というと多分言いすぎだけど、耐えられた経験は何度もあります。

    P132 本を読む人は、真面目なイメージがあるが、本にはきわどい話や、汚れたことも面白く書いてあったりする。一番自由でラディカルなメディアだと思う。

    P156 自分は一つではない。他の人の視線の数だけ無数にいると思っている。真っ白いキャンバスがあったとすると、僕の考える表現者は、そこに赤や黒や黄色をドン!と置いていく感じ。でも僕にはそれはできない。ここが赤だとすると、この辺は青でしょう、という感じで他の色に呼応して動いていくんです。

    P184 物は単体でそこにあるだけではひとつの物にすぎない。本もまた同じだ。しかし、それを組み合わせることで、点と点がつながり、豊かな時空が生まれる。その瞬間、人は、とても心地よい気持ちになったり、夢を描きたくなったり、前向きな感情が湧いたりするのだろう。【中略】物と本のギャップがあるほど、驚き、感情が揺さぶられる。「落差のデザイン」という手法だ。

    P236 電子書籍というのは「出版社」「取次」「端末」という、既存の紙の本の流通システムを包括する「電子化されたシステム」全体のことだということである。【中略】端末の中に、本の出版から読者の読むと言う行為までの「本」の全体構造が入っているようなものだ。そう考えると、電子書籍は「紙の本」とは違う次元の「本との接し方」を示すものとして登場してきたというように捉えるべきなのだろう。

    P259 問題の所在が見えていても、さまざまなものが絡み合い、お互いを縛りあって変えることができない。改革が難しいという状況が、社会のあちこちで起きている。【中略】だからこそ、というべきなのか。時代を超えて変わらない本の生命力が際立って見えるのである。</blockquote>

  • ブックディレクター幅充孝、彼のことを知ったのはいつだったか……
    編集者ではなく、装幀家でもなく、依頼人のコンセプトにあった本をセレクトして、最適な配置で本棚に並べる仕事。
    それを最初に知った時、
    え、それ単体として仕事になるの?
    すごい面白いと羨ましいがないまぜになった気持ちになったことを覚えてる。

    彼が言っていることは、いちいち同意なので、そういう意味では個人的に新味はないのだけれど、取材者がなんかびっくりしてるっぽいのが新鮮。
    とは言えこの本も出版は5年前で、取材したものの中にはもう存在しない棚もあり、電子書籍をめぐる状況も変わってきたので、業界を多少追っている人には少し情報としては古くなってきてる部分あり。

    幅さんの大学時代の恩師にインタビューした部分については、図書館司書としてちょっともやもや。
    恩師は長く美術館職員だったので、幅さんの仕事はキュレーターに似てる、とおっしゃってて、そこに異論はないのですが、引き合いに下記のようにおっしゃってます。

    ***************
    本で言うと、それに当たるのは図書館司書と思われがちですが、ちょっと違う。彼らの仕事は、膨大な書物の中から、何を提供するかという検索システムを作ることです。それは、正確なデータが分かっていて、何がほしいか絞り込めている人には凄く役に立ちます。でも漠然と何かを見つけたいとか、何かを調べたいという人に対しては、どこまで幅広く柔軟性をもたせて、的確に情報を提供できるかということが大事になってきます。
    **********************

    ええ、図書館司書の中でもカタロガー(目録作成が出来る人/読めるのと作れるのは別)は特別ですとも。
    図書館司書の専門職としての仕事の半分はそこで間違いないと思います。
    ですが、漠然と何かを見つけたいとか、何かを調べたいという人のために、図書館司書はレファレンサー(調べ物請負人)として専門性を発揮するのですよ。
    作り上げた検索システムと経験知を駆使して。
    図書館はシステム上余り複本をもたず、本棚位置が固定になりがちなことはわかっているので、特集展示を打つわけですが、そこの部分はまさに幅さんのお仕事とも展覧会を作成するキュレーターとも根っこを同じくする部分だと思います。


    カバー写真 / 久家 靖秀
    装幀 / 野中 深雪

  • 憧れの人。いつか一緒に仕事してみたいな!

  • 去年、たまたま訪れた地元のカフェに本が並べられていた。それがブックディレクター・幅允孝が編集した本棚との初めての出会いだった。「こんな本もあるんだ」という本ばかり置かれていたのを覚えている。本著を読めば分かるが、ブックディレクターの仕事内容は魅力的。本屋に人が来ないなら本のほうから出ていけばいい、という幅の考えにより、依頼があればどこにでも本棚を作る。病院、美容院、企業のエントランス、空港のお土産コーナー、大学など活躍の場は多岐にわたる。求められた本棚を作るのは決して容易な作業ではないはずだ。それでも彼への依頼は引きも切らない。時々語られる、彼の本に対する想いに共感しっぱなしだった。

    p9
    かいつまんで言うなら、本を本棚に並べるとき、ある意図を持って本を並べ、本棚全体を通して、見る者に、メッセージや世界観のようなものを感じさせるという仕事である。

    p10
    ブックディレクターは、本についての知識があるだけでは務まらない。無限といってもいい膨大な量の本の中から、依頼されたテーマ、独自に考えたコンセプトに沿って選ぶ「選書の力」と、並び替える「編集する力」、本棚全体を通して何かを「表現する力」が必要だ。デザインする能力や、アートに関しての感性までも求められる、いままでありそうでなかった仕事なのである。

    p40
    つまり、それだけ本というのは、広がりのある、多彩なテーマを扱ったものが出版されていて、それらの組み合わせによって、とても豊かで、知的な世界に出会えるということを示してくれてもいる。

    p42
    「お金についてこういうスタンスで考えましたということを一言で言ってしまうよりは、いろいろな本の組み合わせによって、そこはかとなくこういうことが言いたいんだろうというアトモスフィアとして伝えたい。何百冊というセレクトを通して、相対的に『こういうことが言いたいのか』ということを伝える。そういう点で言えば、僕のやり方は一緒です」
    あるメッセージを伝えるために、一色ではなく、いろいろな色が混ざり合い、織り成した全体的なものとして感じとってもらう。そんなイメージだろうか。

    p43
    目的は何か。顧客はどういう人たちなのか。いままでどういう営業をしてきたのか。会社の最も特徴となる点は何か。これからどうしたいのか。どういう人たちに、何を伝えたいのか。本棚のイメージはどういうものか。聞き取りは一日で終わらないこともある。
    「自分の好きな本をただ持っていっても、おせっかいにしかならない」
    と幅はいつも言っている。

    大きな構えというか、こういう人だと、こういう種類の本がだいたい良いのではないかというように「一色」では捉えない。複雑で、多様な人間の奥行きと幅を視野に入れ、さまざまな色を使いながら、本棚に全体的なトーンを与えていくという感じである。

    p50
    なぜなら、本を読むという行為は、効率を求めることや、目的だけを求めることとは違うからだ。もっと無目的なことだったり、一円の得にならなくとも、面白いから読むのである。それはこれが欲しいから買ったというような、ネットによる一点買いとは違う心の作用だ。なんとなく本屋に入り、何を買うか目的もなく棚を眺めているうちに、自分では予想もしなかった本やタイトルに出会い、自分の内側に眠っていた好奇心や、冒険心が刺激される。そのときに手が伸びた本がその人にとって「ふさわしい」本だと幅は考える。

    p51
    「本は、あとからじわじわ効いてくる。この本を読んだら五キロ痩せますとか、効果がすぐに現れることが、人々の生活のプライオリティーになっているところがありますが、本は即効性ではなく、明らかに遅効性の道具なんです。たとえば、失恋をして悲しいときに、本を読んだって、その恋が急に成就し直すことは残念ながらありません。けれど、本のいいところは、そのもやもやした気持ちに言葉が与えられたり、物語の感情と自身の感情を相対化することができたりするところ。自分の心の置き場所が見つかってホッとするんです。さまざまな本を読み、さまざまな感情を通り過ぎることで救われる、というと多分言い過ぎだけど、耐えられた経験は何度もあります。そんなとき、ほんとうに本を読んでいてよかったなと思いますね」

    p56
    一冊のタイトルだけではわからない。しかし、それが連なるとメッセージが見えてくる、本は単体の商品でありながら、それだけでなく、他の商品とつながり、関連しあっているということだ。その関係の作り方も、人によって違う。幅は、ある本とある本を見ることで、自分の中のイメージを広げ、確認し、飛躍させ、「世界」を創る。しかし、別の人はまた違ったことをイメージするだろう。人それぞれぞれの興味、関心、好奇心が違うからだ。
    いずれにしても大事なことは、興味のある一冊の本だけでは分からないということだ。相互に関連しあうことによって、思いもよらぬ発想や連想が生まれ、新しい創造のイメージを生み出す。それは、幅がよく言うように、足元の氷に小さな穴を開けて釣る「ワカサギ釣り」では分からない「知の広がり」と関わっているように思える。氷の下の水の中に広がる豊かな世界。無尽蔵にある本の世界と出会ってみなけらば分からない。そんなことと本棚の編集は結びついている。

    p70
    「たまたま見つけた本が、次の本を呼び込んでいくような、ちょうど波紋と波紋がぶつかるように、興味と興味がどんどんつながっていくような感じ。それがものを知る喜びだと思っています」

    p87
    店の雰囲気を作っているのはやはり棚の魅力だった。
    キーワードは「トラベル」「フード」「デザイン」「アート」。それぞれの要素が混ざりあっていて、どんなセグメントのものでも、心が浮きたってくる感じがする。

    p90
    何かの言葉によって、自分の中に眠っていた記憶や、感情が引き出されてくる、本のタイトルや装丁によって刺激され、旅への憧れや思い出が甦る。その時、ふと目に入った別の本や写真集が、文学や歴史についての自分の中の関心に火をつける。イメージはさらに増幅する。

    p125
    「クッキングという棚に『食』にまつわる小説、たとえば関高健や檀一雄の本を置く」「村上春樹や倉橋由美子の小説を、旅の本棚に並べてはどうか」「骨組みはノンフィクション、肉付けに小説」「安藤忠雄の写真集や随筆は、建築のジャンルを逸脱している。安藤さんが建てた建物について書いた本は東京歩きのコーナーにどうだろう」

    p135
    一見関係ないと思われる言葉が、"接近"したり隣り合わせになったりすることで、見る者の中で何かが閃いたり、思わぬことに気づかされたり、何かあると感じさせられたりする。言葉と言葉の掛け合わせ、組み合わせによる"化学反応"のようなものだろうか。

    p145
    …ジャンル分けについて、いま出版界で注目されているミシマ社の社長で編集者の三島邦弘から「本は本来、ジャンルで分けられるものではない」という話を聞いたときのことだ。一冊の本の中には、いろいろな要素が入っていて、本屋に並べる都合上、ジャンル別に分けているのであり、人間の考えにジャンルはないはずだという趣旨の話だった。


    p156
    「幅さんは、ジャック・ラカンの話をよくしますね。ラカンというのはポスト構造主義に影響を与えた精神分析家として知られる人ですが、自分がどうあるべきかということではなく、他人に対して、どういうイメージで対応するかという考え方の人です」
    幅自身、「自分は一つではない。他の人の視線の数だけ無数にいると思っている」と言う。

    p157
    「自分探しなんて、くそくらえのラカンですね。自我そのものは空虚で、想像的なものにすぎないという考え方には驚きました。でもそれが不完全であるゆえに、面白いな、と。あと、彼の言語に対する考え方は、僕が本について考える時のヒントにもなっています」
    普遍的、絶対的な自分がいるのではなく、他者との関係の中で自分が存在し、相手との関係を作る中に存在する自分が、その時の「私」ということになるのだろうか。重要なことは関係性という考え方である。それはコミュ二ケーションという言葉に置き換えることもできる。

    p198
    経験的直感というのは、まだ読んでいない新刊などを、自分の読書地図にマッピングしていく能力のようなものだという。新刊リストを見て、タイトル、著書、出版社、装丁家を見れば、これはいけるというようなことが分かるのだという。

    p199
    好きな本を、いったんつき離して客観的に見る。自分以外の誰かが、これを読んだらどんな風に思ってくれるだろうという想像力。他人の「読み」を承認する余白の部分。この距離感のようなものが、どうやら本棚の編集という仕事の一つのポイントのようだ。それは、幅がしばしば語る、「本を読むことも好きだが、読んだ本について会話をしたり、本を通してコミュニケーションを図ることはもっと楽しいし、大事なこと」という話と通底するものがあるように思える。

    p238
    「好奇心マップ」というのを作ったこともある。本のつながりをマップにしていくもので、一例を挙げれば、哲学者「ニーチェ」の言葉をピックアップしてきて、そこから連想される、いろいろな本につなげていくもので、それをマップとして表現した。

    p241
    「僕自身、小さい頃から本は傍らにいつもあったし、読書は大好きですが、本はあくまでツールだと思っています。たくさん読むことや、名著と言われる本を読んでいることが重要だとは思わない。それよりも、本が読んだ人の日常にいかに親密で、日々の生活にどう作用するかの方がずっと大事。それができるのであれば、紙から読もうが、電子リーダーで読もうが、パソコンの画面で読もうが構わないと思っています」

    p253
    「読んだ本のことを思い出す契機って、内容だけでなくいろいろな要素が絡んでいると思う。厚さとか、装丁とか、その当時の記憶とか。そういう依り代が多い本が、結局自分の中で血肉化する本なのではないでしょうか。僕はとにかく、読んだ本が日常に機能して、面白おかしく毎日を過ごすことが最も大切だと思っています。紙の本であれ、もう少し道具として進化し、システムが整った電子の本であれ、人間が主体として、それらを使いこなし、人がもっと本を読む自由を獲得できればいいと思っています」

  • 本好きからすれば、幅さんの思想は本当に素敵だ。「人が来ないなら本を持っていけばいい」。本がない場所に本を持っていくことで本を気軽に読んでもらう。本の楽しさを伝える。本一冊一冊が輝けるように。読むだけでこういった幅さんの考えが伝わり、「出版不況」と言われる中本の可能性はまだまだあるのだと感じる。本を読む人が増えたら、本を好きな人が減らなければ。本を輝かせるためにも、書店には頑張ってもらいたい。

  • 松阪BF

  • 本棚を編集する
    本は遅効性の道具p52
    多くの視点で愉快な本の差し出し方
    地場を、とても大切に考えているp54

    一歩はみ出た選書をしてみたい

  • 2013年11月3日読了。

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:014.5||T
    資料ID:95160023

    本の選び方、すなわち差し出し方は本を置く場所によってさまざま。「本を読むのは好きだが、本を通してコミュニケーションを図ることはもっと楽しい」と筆者は書いています。
    (生化学研究室 大塚正人先生推薦)

全71件中 21 - 30件を表示

著者プロフィール

1955年長崎県生まれ、ジャーナリスト・ノンフィクション作家。ニッポン放送勤務時の1982年に日本民間放送連盟賞最優秀賞他受賞。著書『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』他。

「2023年 『ニッポンの正体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

高瀬毅の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×