- Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163902562
感想・レビュー・書評
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あの事件を自分なりに解釈し、消化して生まれた全く別のフィクション、として読みたかった。
書かねば、という強い衝動をあの事件から受けたとしても、ここまで物語性を強めるなら、少年Aという名前は使わずに、あくまでオリジナルのキャラクターということにして創造して欲しかった。
実際の事件を題材にしたフィクションは多々あれど、その中でもこの作者、作品の立ち位置がとにかく中途半端な印象を受ける。
偽善めいたことはあまり読書や文学には持ち込みたくないのだが、どうしても少年Aという名前を使ってこんな作品に昇華されてしまって、遺族はどんな気持ちがするだろうという感想を抱かざるを得なかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白い!
まさかこんな展開になるとは思わなかった。
途中からは主人公の書いている小説なのかと思っていた。
少年Aを美化し過ぎの部分もあるが、フィクションとしてはかなり、ひきこまれる。どこまでが真実に基づいているのかもきになるところ。
最後の、誰だかわからなかったなぞの黒いワゴン車とても気になる。
最終章は作家本人の想いにも取れた。書くということは苦しい。売れても売れても楽になれない。でも書いていくしかない。柳美里が、ハンを超えると言っていたのを思い出した。 -
窪さんの「書きたい」という気持ちがよく伝わってくる作品
あくまでフィクションだけど、実際の事件の被害者が読んだら、どんな気持ちになるのだろうか… -
2015 9/10
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★★★★★
少年Aにまつわる傑作群像劇!
【内容】
14歳のころに小学生を殺害した少年Aにまつわる群像劇。
小説家を目指すオバサン。少年Aをあこがれを抱く高校生の莢(さや)。少年Aに娘を殺された母親。そして少年A。そんな4人の人生が交わっていく。
【感想】
2015年のナンバーワンは決まりです!いや、ここ数年で一番の傑作!!
史上最悪の少年犯罪と言っても過言ではない酒鬼薔薇事件。その少年Aをモチーフとしています。
少年A=酒鬼薔薇っぽいのですが、細部が違っておりあくまで小説です。2度の大震災やオウム事件など実際の出来事を取り入れており、まるで現実のように思ってしまいますが小説です。(大切なので2回いいましたww)
群像劇の面白さは、別々の話がしだいに交じり合っていく所でりそこが筆者の腕の見せどころだ。
良作「晴天の迷いクジラ」以降は低迷していた窪美澄さんだが、本作で復活。いや、一段上に登った感じだ。違和感のない交じり合い、次はどうなるのかという展開でページをめくる手が止まらなかった。とくに章末が巧みで、続きを読みたいのに次の章は別の話という歯がゆさ。
本作で最も巧みだったのは、加害者にも、被害者にも同様に目を向け、平等に扱った点だ。
決して美談やお涙頂戴にするのではなく、まっすぐに向かい合っていると感じる。
「ニルヴァーナ」は、本文にあるロックバンドの"ニルヴァーナ"ではなく、仏教用語"涅槃(ねはん)"の方です。
**「涅槃」はwikiによると**
心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地。「さとり」と同じ意味であるとされる。
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"さよなら"なので、
加害者や被害者だけでなく、被害者の家族や関係する人々も皆、"心の平和は訪れない"ってこと。
加害者は贖罪を続けるべきだし、残った家族も"生"をまっとうすべきなのだ。そしてこの題材を扱った作家さえ、自分の役割を続け続けるしかないのだ。
事件は解決すれば終わりではなく、死ぬまで続くのだ。
WOWOWさんは今すぐに映像権を買いに行ってください。配役はこんなかんじで!
少年A :生田斗真
莢 :広瀬すず
オバサン :オアシズの大久保さん
母親 :YOU -
序盤,何故かすごく引き込まれた。途中からももちろん悪い訳ではなく,端々ですごいと思うし,「重い本だったけど,読んでよかった」という感想も変わらないのだけど,読後感が。現実には救いはないんだと言われるんだろうけど,終章の語り手とか,こうしてしまうか,と思ってしまう本だった。
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この本が何をモチーフとしているかわかっていたらこの本を手に取っていただろうか。忌むべき事実が輪郭をかえて読み応えのある1冊となった。少年Aを主題に小説を書こうとする幾分年の過ぎた小説家の卵。少年Aに憧れを抱き、彼の居場所を探す少女。少年Aに子供を殺され、その傷を負ったまま生活せざるを得ない母親。幼少の頃より宗教団体で育ちその性癖ゆえ子供を殺してしまった少年A。その4者から語られる言葉により現実の事件の真相があたかもこの小説の通りなのかもしれないと思わせ、残虐性を通り越した人間の悲しみを想像させる作者の力量に敬服する。
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小説としての完成度は高く渾身の作と感じた。
ただ、神戸の事件がベースに"なり過ぎている"こと、元少年Aの手記出版と時期が近いこと、そして本作中の少年Aが繊細で容姿に恵まれ不幸な過去を背負うという、恐らく感情移入されやすい人物として描かれているが故、倫理的な意味での批判や拒否反応があるものと思う。
実際、良く描けた小説であるとは思いながらも、子を殺められた母親の末路が非常にやりきれないし、実際の被害者家族の目には触れてほしくないと願う。
一方で、作家として「人の中身が見たかった。それを文字にしたかった。」という著者の性を非常に生々しく、まるでフィクションではないように感じ取った。
自分もAも同類であり憎まれ糾弾されて当然、それでもこれが自分、という意思表示は(開き直りと見る向きもあるけど)罪は同じはずなのに社会的に課せられる罰はAの方が格段に大きいことへの罪悪感または不公平感故に、敢えて自らも咎を受けるよう事件を連想しやすい設定にしたのではないかと勘繰りたくなったほど。
そしてそれでも、誰もが自らの生を全うすること、それを祈ること。祈ってくれる誰かがいること。
著者の最大のメッセージはそのことであるという読み方を私はする。したい。
被害者の母を「地獄を生きたのは、あの人だ。物書きの自分が見た地獄など、地獄の入口ですらない。」と書いている。
自分の欲望を露にすることで一生が変わったAと自分。でも、それでも「私はこれから、迷って、悩み、苦しみ、悶えて、書いて、書いて、書いて、そして、死ぬのだ」という決意表明に思える。 -
14歳の時女児を殺しその首を切った少年A、被害女児の母親、少年Aを崇拝する少女、夢に敗れ地元に帰ってきた作家志望の女性。章ごとにそれぞれの語りで物語は進み、誰も救われない重い現実がこれでもかとのしかかる。
現実にあった事件を題材にしたフィクションだが、読んでいてざらついた感情を抱いてしまうのは、作者が被害者の母親によりもむしろ、少年Aとその崇拝者である少女に肩入れしているように感じるからかもしれない。
結局、作者が言いたかったのは、「作家が書くと言うことの覚悟」だけだったのかな・・・
黒いワゴン車の正体が知りたい。 -
あの 痛ましい事件がモチーフ。
被害者側と加害者と
それを崇拝する少女と作家の視点から、
事実と 虚構 ないまぜで
物語は展開します。
きっと、小説としての表現は、
巧みなんだと思いますが。
なにもかもに 心がえぐられて、
読んだことさえ 後ろめたくなる。
う〜ん、これは
あり とされるんでしょうか・・・。