- Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163903460
感想・レビュー・書評
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星野博美が今回取り組んだのは、400年以上前の日本、主にスペインから来た宣教師と日本人切支丹たちの物語、テーマはズバリ「殉教」だ。
氏にしては珍しいこの「殉教」というネガティブなテーマを、どのように料理していくのか、興味をもって読み進めた。
序盤はリュート(主に中世からバロック期にかけてヨーロッパで用いられた古楽器群の総称。 因みに表紙の女性が弾いているのはリュートではなくビウエラ。)を巡るあれやこれやで、ソフトな導入となるが、如何せんあの時代の切支丹たちを書くにということは、必然的に陰湿なものとならざるをえず、コレジャナイ感はすごい。
しかしながら、終盤スペインに出張るあたりからは、いつものズシズシと逞しく前に進む星野ワールドが展開されるので、そこは安心してほしい。
ただ読後、どうしてもこの作品を手放しに支持できない違和感がどうしても残った。
それが何なのか2日ほど考えたのだが、恐らくそれは作者がある程度切支丹サイドに軸足を置いたため、少なからず「殉教」を美化してる点にあるのではないか.....と思うに至った。
その時の為政者や宗教の指導的立場の人間が、組織の都合とかで末端や中間層に対して、死を正当化したり美化する行為は、現代社会において決して認めてはならない行為だと思っている。
私の中では、キリスト教であれ、仏教であれ、神道であれ、宗教に殉じる死を美化した時点で、すべてそれは「カルト」である。
作者はそんなつもりはないのかもしれないが、ちょっと「殉教」をロマンチックに捉えすぎた嫌いがあるのはやや残念だ。
ただ、私にとってあまり馴染みのなかったこの切支丹の時代が、世界史の動きと連動してとても興味深い時代であることに気づかせてくれた本であり、結論から言ってやはり星野博美は面白い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
天正の遣欧使の少年たちが秀吉の前で演奏したという故事に触発されリュートを習い始めた著者は、次第に16世紀末から17世紀初頭にかけてのキリシタン弾圧の実態にのめり込み、長崎の世界遺産とは無関係に捨て置かれた殉教の場を一々確認して回り、最後には殉教した司祭たちの故郷をスペインまで訪ねる。
その過程で、殉教を生む時代背景やキリスト教への著者の理解は、読者と共に深まっていく。
キリスト教ではないという著者だが、殉教した信者、司祭、更にはスペイン現地の人々への感情移入は濃厚で、のめり込まざるを得なかった心情はよくわかる。 -
1549年にザビエルが日本に来てキリスト教の布教をし、秀吉のバテレン追放令があって、徳川家康による本格的な禁教令があって、島原の乱があって、という大まかな日本のキリスト教史は知っていたが、宣教師が何故死を恐れずに日本にやってきたのか。何故、世界でもまれな大規模な殉教が日本で起こったのか。若桑みどり氏の名著『クアトロ・ラガッツィ』は天正遣欧使節をテーマとし、日本におけるキリシタンの歴史を描き、グローバル化とは何かを深く考えさせられる作品だが、本書は作者がリュートを学ぶところから始まり、現代の作者の日常と日本におけるキリシタンの歴史が織り交ぜて語られる。カトリックにとって殉教は栄光であり、当時の日本は殉教が実行できる数少ない国であったこと、日本側のキリシタンの取り調べは棄教者がこれに当たり、殉教させまいとしてより残酷な仕打ちを行ったこと等、はじめて知りました。作者は『歴史を忘れやすいといわれる私たちは、ただ忘れっぽいのではなく、積極的に忘れてきたのだ』という。(まさしく正論である。)本当のグローバル化とは何かを考えさせられる好著です。終盤で作者が殉教者のひとりであるハシント・オルファネールの生まれ故郷を訪ねるところは清浄な感動を覚えました。
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キリシタン物として欲しいものリストに入れた。
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2016年22冊目。
ふとしたきっかけで始まった、400年前のキリスト教布教とキリシタン弾圧の歴史を追う探訪の記録。
決して「調査結果まとめ」ではなく、著者と探求のプロセスを追体験するような文調で、グイグイ引き込まれた。
関心を持ったものへの探究心、目にした事実を捉える感性が素晴らしい。
背筋が凍るような暗い事実と著者のユーモアのバランスが良く、両足を交互にテンポ良く出していくように止まらなかった。
自分の関心を、こんな風に探求して、こんな風に綴れたらと、憧れる。 -
16世紀のキリスト教伝来から、司祭追放、殉教に至る約100年間をテーマにしたノンフィクション。著者の私的な視点がちりばめられたエッセイのような仕上がりになっている。
前半は話があちこちに飛んで、読みずらい部分があったが、後半は九州に赴き、果てはスペインまで、キリスト教の布教、司祭への迫害、殉教を追っていき、テンポよく読めた。
長い旅をして、宗教に対する人の思いの重さをしみじみと感じる、そんな一冊だった。 -
リュートとキリシタン。
この少し不思議な組み合わせ。
このセットで、リュートという楽器、そしてリュートが奏でる音楽から、日本にリュートを持ち込み秀吉の前で演奏した天正の少年使節に展開し、主に日本におけるキリスト教布教、そして弾圧の歴史を辿っていく。
そのふたつの話は、混沌としながらも時系列的にはきちんと整理されており、混乱することは無い。
リュートへの理解と、キリシタンの研究は、同じ時間を共有しつつ深められていく。
本書を手に取るなら、あらかじめリュートの音楽を聴いておいたほうが良いと思う。
リュートから奏でられる音の音量にくらべると、ややもすると非常に大きな音にも感じられてしまう、弦を抑える音や演奏者の息遣い。それが、繊細な音を奏でるリュート故の宿命であることもわかるような気がした。
そして、日本でのキリスト教布教の概要と、長崎、五島の自然をぼんやりと頭に入れておいてから、本書を読むと、その光景のなかで、登場人物が活き活きと浮かび上がり、また時として残虐で生々しい弾圧の歴史が眼の前に浮かび上がるような気がした。 -
キリシタン史に興味を持った著者は膨大な文献と長崎からスペイン,バスク地方にわたる旅をすることでキ本当のリシタンの姿を解き明かしていく.日本が聖遺物の宝庫だったことや聖人の作られ方など興味深い事実が多い.
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小さなきっかけ、ふと覚えた引っ掛かりを放っておかず、少しずつ辿っていくうちに、思いがけないものに行き着いていく道程を、一緒に追っていく面白さ。そして同時に感じる、宗教の救いと罪。
リュートの音を、生で聴いてみたい。 -
2015/11/20