- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166606580
感想・レビュー・書評
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自らの半生を語る木田元はいつも痛快で、ヒーロー物の映画を見ているような楽しい気分になる。勉強になったのは第8章のキルケゴールと第12章のハイデガーについての言及。いつもながら、難しいことを分かりやすく説明していてくれて有難い。
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何かを掘り下げたわけではなく、木田元さんの読書、思索遍歴を赤裸々に綴っただけなのだが、これがわたしにはすこぶる面白い。
語学の習得方法、一筋縄ではいかない読書遍歴、ハイデガーの思想と人物の立て分け方、保田と小林の立ち位置、哲学という学問の性格などなど。 -
木田元 「 なにもかも 小林秀雄 に教わった 」
著者の読書歴の本。著者のハイデガー研究は 小林秀雄の「時間を捉える直観性」や ドストエフスキーの「絶望した人間の存在構造」を基盤にしている と思った
著者が 青年期に読書から抽出したもの
*蕪村俳句〜故郷への郷愁→時間の遠い 故郷の思い出
*滑稽小説〜道化の笑い→道化は人間の存在自体の不合理を肯定→不合理ごと笑いとばす
小林秀雄や芥川龍之介の評論、太宰治や坂口安吾の滑稽小説、松尾芭蕉、ドストエフスキー「悪霊」、ドストエフスキー論、キルケゴール など 読みたい本が増えた
ゴッホについての比較
*小林秀雄〜ゴッホの天才=色とデッサンとの格闘
*ハイデガー〜芸術の本質=芸術作品そのもの→「農婦の靴」は 農婦の世界を示している=芸術作品の存在論 -
・木田元の著作は未読で、哲学者ということだけ知っている。なので、本書は「小林秀雄」論を期待して読み始めた。だが内容としては、彼がハイデガーへと至る道がどうやって形成されたかを知ることのできるといったものだった。そこに興味がなく、小林秀雄論を期待した者からすれば期待外れのエッセイに過ぎなかったという印象。ただし、木田さんが興味を持った複数の思想家と小林秀雄との共通性についての所見は面白かった。若干、牽強付会の印象もないではないが、優れた思想家であれば洋の東西を問わず、類似した問題意識、思考を辿るということなんだろうな。
・タイトルに偽りありと言ってもいいんではないだろうか。著者自身も書いてる通り、「小林秀雄だと思ってたが、ちゃんと思い返してみると、他にも師匠(と呼べる本)がたくさんいた」と、なかなか、タイトルに対して無責任な記述が。要所要所で小林秀雄が出てきてはおり、終章では「やはり小林秀雄が総元締めだったのかと思わないでもない」という記述があるが、これはこじつけた感が拭えない。
・歴史の歯車がもう少し違っていたら、哲学者ではなくて闇屋になっていたという戦後の暮らしぶりについての描写は面白かった。とは言え、「永山則夫」で、悲惨な戦後の家庭を本書の直前に読んだだけに、木田さんの境遇との違いに、少し気分は沈んだ。 -
「おわりに」で著者自身も述べているのですが、小林秀雄だけでなく、著者が青年時代に触れたさまざまな文学書や哲学書について振り返っている本です。
著者の乱読の回想については、他の著作の中でもしばしば語られていますし、それらに比して内容がまとまっているわけでもなく、やや期待外れに感じてしまいました。小林秀雄とハイデガーの比較も多少展開されてはいるものの、本格的に取り組んだものとは言えず、印象批評的な類似性の指摘にとどまっているように思います。 -
『小林秀雄は近代日本の生んだ偉大な思索者 Denker の一人である。』所以を伝へてくれる本。著者木田元氏自身の終戦直後の混乱期の生活振りも大変興味深い。
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著者自身が「おわりに」で書いているけれど、本書は小林秀雄について書かれた本ではない。木田先生の若いころからの読書遍歴が語られている。それはそれでおもしろい。でも、小林秀雄に興味があって読み始めたからちょっと物足りない。小林秀雄とは何者なのか。残念ながら1冊も小林の本を読んだことがない。読んでみたい、読んでおかないといけない、などと思いつつ、ちょっとこわくて手が出ない。茂木健一郎さんなんかが小林の講演会CDを聞いているなどという話を読むと、一度聞いてみないと、と思ったりもする。でも、それもまだ。さて、ドストエフスキーについても気になっていたので、その点については参考になった。こちらを先に読もうと思う。自分はどちらかというとトルストイ派なのかもしれないけど。ハイデガーについてのくだりは、やはり(前にも木田先生の本を読んで途中で挫折している)読み通せなかった。ただ、ナチスに加担していたとか、性格が悪かったとかいう話しはちょっとおもしろかった。いずれにせよ、自伝は楽しい。
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ドストエフスキーとキルケゴールのところだけ拾い読み中