三浦按針の生涯 航海者 上 (文春文庫 し 5-25)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (383ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167370251

感想・レビュー・書評

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  • 口語調?読みやすかったが、どこまで本当かよくわからない。ライトノベルとまではいかないが、軽めのフィクションな感じがする。

    マゼラン海峡を回って日本についた新興国オランダの船。航海長でイギリス人のアダムス・ウィリアムスはようやくたどり着いた日本でとらわれの身に。


    時の支配者になろうとしつつある徳川家康に気に入られ、伊東で初めてのガレオン船造りを始める。

    作り上げて、いざ出航かーというところで上巻終わり。

  • どこまでが真実で、どこまでが創作か分からないが、実在の人物が登場して、なかなか面白い読み物になっている。

  • イギリス人でありながら、徳川家康に武士に取り立てられたウィリアム・アダムスこと三浦按針について書いた本です。

    江戸時代初期に有名だった西洋人には、このウィリアム・アダムスと八重洲に土地をもらったヤン・ヨーステンがおりますが、ウィリアム・アダムスはイギリス人でヤン・ヨーステンはオランダ人という違いがあります。

    あまり違いを意識したことがありませんでしたが、この本を読んで、スペインとポルトガル、そしてイギリス、オランダのそれぞれの思惑の違いがよく分かります。

    日本で領地をもらい武士にながらも、最後まで航海者であり続けようとするウィリアム・アダムスの人生がとても素晴らしいものだったと感じました。

    ↓ ブログも書いています。
    http://fuji2000.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-4672.html

  • 九州の臼杵に到着したウイリアム、アダムス等。時は関ヶ原の合戦が行われる1600年。スペイン、ポルトガルの宣教師達の讒言を受けながらも、アダムスの率直な態度と豊富な知識が家康に気に入られ、家康のブレーンとしての地位を得たアダムス。船大工の力を借りてガレオン船をつくることに成功する。

  • 航海長ウィリアム・アダムスは大西洋と太平洋を結ぶ唯一の水路マゼラン海峡を通って遥々日本にやってきた。アダムスはイギリス人であるが,オランダの船団の旗艦ホープ号に乗っていた。遠洋航海に関しては,当時,同じ新興国でもイギリスがオランダに先んじており,出資したオランダの貿易会社は同国人ではなく,航海に実績のあるイギリス人を雇わざるを得なかった。当然,キリスト教でもカトリック国のスペイン・ポルトガルとは,オランダ・イギリスのプロテスタントと抗戦状態であるので,カトリック側の国の航海士は雇えない状況でもあったのだ。

    アダムスはイギリスがスペインの無敵艦隊に大勝した時,輸送船長として海軍に在籍していた。そして,海軍を辞めて貿易会社に職を得て,オランダの東洋探検の船団に参加したのである。マゼラン海峡は非常に危険な海峡であり,大西洋から無事に太平洋に出られた船はほとんどいない。アダムスも,5隻でマゼラン海峡を通過したが,最終的に日本にたどり着いたときは1隻となり,乗組員も100名から20名程度に減っていた。多くは船乗り特有の脚気による死や凍死であった。そんな時,アダムスはついてきた弟に対しコロンブスの合言葉『航海するのが必要なのだ。生きることは必要ではない』と力強く言うのであった。

    当時のヨーロッパ人にとって,東洋貿易は一攫千金と言ってよい巨大な利益をもたらすものだった。東洋諸国に比べて,ヨーロッパの国々は貧しかった。金銀の生産量は少なく,穀物の収穫も乏しかった。唯一の財産は牧畜だが,せっかく飼育した牛や豚,羊等も,冬の到来する前には大量に処分して,塩漬けにし,冬の食糧不足に備えなければならなかった。日光に乏しく,地味の痩せたヨーロッパは慢性の飢饉にさらされていたのである。胡椒やシナモン,ハッカなどの香辛料が信じられないほどの高値で取引されたのも,食糧不足が原因と言えた。穀物不足の冬の間,食える物と言えば,腐臭を放つ燻製肉か塩漬け肉だけであった。香辛料は肉の腐臭を消し,食あたりを防ぐ薬品として珍重された。胡椒1グラムが金や銀の1グラムに相当したと言われるから,東洋の莫大な利益は想像がつく。香辛料等はインドネシアなどではただ同然で手に入るからだ。

    アダムスは3年に亘る厳しい航海の後,日本の大分臼杵の佐志生村に漂着した。漂着地では言葉は通じなかったが,長崎から神父がやってきた。神父はもちろんカトリックであり,東洋貿易の利権をめぐる抗争も熾烈であったので,殿様に対し,アダムス達を悪魔だ,海賊だのと説明し,処刑を求めた。しかし臼杵城主はアダムスらに好意的であったので助かったのだった。

    とはいえ,臼杵城主も勝手にアダムスを領内に住まわすわけにはいかない。そこで,当時は秀頼は健在だったが,実質,政権を握っている家康に伺いを立てた。家康は政務をとっている大阪にアダムスを呼び寄せた。アダムスは包み隠さず来日のわけを話した。宗教を広めることが目的ではなく,オランダ・イギリスも通商の権利が欲しいと。このことを家康は好意的にとらえた。というのも,家康は三河の国で一向一揆に苦しめられた経験を持ち,宗教に対し非常に神経質になっていたからだ。そんな家康には,アダムスの言う,宗教を広めることが目的ではないということは心地よく聞こえたに違いない。また,時局は関ヶ原の戦いに向けて進んでおり,富の蓄積,戦備拡張が家康には必要であった。このため,通商交易だけを希望し,キリスト教の布教を優先しないという南蛮人の出現は大いにありがたかったに違いない。

    当時のアダムスが持って来た商品の中には,大砲があった。それは関ヶ原の戦いで日和見をしていた小早川秀秋に向けて発砲され,その脅迫に恐れをなした小早川秀秋が寝返りを実行し,東軍勝利に結びつけた大砲であった。徳川幕府は,アダムスの持ってきた大砲により開かれ,ペリーの放った黒船の大砲により幕を閉じたということだ。

    アダムス達が乗って来た船は使い物にならなかったため,関ヶ原後は乗組員達は利益を分配して別れたが,アダムスら数名は家康に留め置かれ,家康の知識の源泉となっていた。しかし,祖国に帰りたいという思いもあり,家康に懇願し,自分達が乗ってきた船を造り,その船で帰国しようということになったのだ。

  • オランダの東洋探検船団の一隻リーフデ号に乗り込んだ
    ウィリア・ムアダムスは、1600年4月19日、
    豊後水道の臼杵に漂着した。足掛け3年の過酷な
    航海の果て、同船の乗組員110人は24人の
    生存者を数えるのみであった。航海長アダムスは
    天下統一をめざす家康に目をかけられ、艦載の大砲を
    関が原へとい運ぶ。海洋歴史小説の金字塔。

    2008.10.7 読了!

  • 関ヶ原の戦い直前に日本に来たはじめての英国人・ウイリアム・アダムスこと三浦按針のお話です。彼がいかにして日本にたどり着いたのか。そして日本での二十年間における苦悩と不思議な運命を描いています。著者の海洋小説の代表作のひとつです。

    2007.3.15読了

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著者プロフィール

白石一郎(しらいし いちろう)
1931年11月9日 - 2004年9月20日
釜山の生まれの作家。終戦までは釜山、戦後は佐世保市で育った。長崎県立佐世保北高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。双子の息子がおり、白石一文・白石文郎両名ともに作家となった。
1987年『海狼伝』で第97回直木賞、1992年『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で第5回柴田錬三郎賞、1999年『怒濤のごとく』で第33回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。

白石一郎の作品

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