増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫) (文春文庫 フ 1-4)
- 文藝春秋 (2003年4月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (597ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167651336
感想・レビュー・書評
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まずこの本が沢山の人に読まれ、
色々な解釈色々な意見があることは置いといての感想になります。
うまい!
まぁ和訳してるから訳者とかが読みやすくしてくれてるんだろうけどそれでも読みやすい!
話の書き方も
10代の女の子らしく散漫であり
それでも強く考えているんだという意思が感じられるし
この子は本当に頭のいい人だったのだなぁ・・と
思いました。
自分の昔、いや今現在ですら感じるような、
思うような悩みを持っていて時代など関係なかったのだなと、どこでも家族での悩みや孤独というものは存在し同じような考えを持つ人がいるのだと思いました。
戦争中自分はこんなに強く生きれるのだろうか?
多分むりだろうなと。
この日記の感想を少し調べてみたら
他の人に対する愚痴が多かったとの意見が多かったような気がしたのですが
私自身の感想としたらそうだろうか?
自分自身日記を書いているので、自分に対して(アンネの場合はキティーという人物に宛てた手紙形式でしたが)どうして嘘をつく必要があるのか嫌なことがあったならば嫌なことがあったと書くことが必要だったのではないのかな?と思います。
それにアンネはここまでにしましょうとか
こんなことばかり言ってうんざりでしょうねとか
なんであの時こんなこと書いたのかなとか
自分を省みてる描写が見られるので自分を抑えていて日記ぐらいもっと書いてもいいじゃないかとこっちが我慢しなくていいのよ?
と言いたくなるほどな感想をうけました。
食べ物や人間関係、隠密生活どれも想像を絶するものだったと思います。
自分の生活と照らし合わせてどちらが不幸だとかそういうことを言いたいとかではなく
辛いものは誰であっても、程度など関係なく辛いものなのだと。
とてもいいことを書くなぁと思います。
ところどころ書きぬきたい文書がありました。
女の子らしく恋愛してみたり
寂しいからと恋と寂しさを勘違いしてみたり
とても人間らしく
なんともこれが実際にあったことだと
信じたくないです。
物語を読むみたいに読めたので
もう本当に物語だったならよかったのにと何度思ったことか。
もっとこの時代を深く知りたいと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
凄いの一言。これが14歳前後の少女が描く内面なのか…恐るべし。
人の内面、人との付き合い方、親子の関係、達観した恋愛観、男女差別問題、政治や人生観…抑圧された異常な空間での生活でよくもこれだけの思いが綴られるものか。抑圧されてこそ紡ぐことができたとも考えられなくはないが、生まれ持った文才と前向きな性格、何と言っても自分を客観的に観ることができる、自分を分析できる能力が成せる技なのかも。
全体を通して見れば閉鎖空間のなかでも活き活きと前向きに過ごす快活な少女の様子がユーモアも含めて書き記されていて読み物としても楽しめます。結末を知っているため、遺りのページ数が少なくなるにつれ、切ない気持ちが募ります。特に終盤は戦況に関する明るい状況が続き、将来への希望に満ちた気持ちが描かれているだけに。
アンネの理想論がこの世に蔓延する事で世界が一歩進化することを願いたい。
自身においては、この自由を当たり前と思わず尊く思い、幸せを噛みしめて生きていきたい。 -
小学生の頃に知ったアンネ・フランク。
ナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺のため多数の罪もないユダヤ人が亡くなったことは知識として知っていた。
それでも、単なる数字としての認識だったことが、アンネ・フランクという自分と余り年の違わないチャーミングな少女が亡くなったという具体的な事実として突きつけられると、とても衝撃を受けたことを記憶している。
アンネをもっと知りたくて日記を読んだ。
すると今度は、ナチスドイツやヒトラーにも興味が出て、更に第二次世界大戦へと関心が広がった。
戦争の恐ろしさや悲しさを知り、決してもう二度と繰り返してはならないことなんだと心に強く刻んだ。
今回、安保関連法案の強行採決など不穏な情勢に傾きつつある日本を不安に感じたとき、アンネの日記を読み返したいと思った。
わたしが読んだときのアンネの日記は、父オットーの意向で削除された部分の多いものだったのだと改めて知った。
多感なアンネが母親と衝突を繰り返していたことや、批判めいたことを日記に書いていたことは知っていたが、また随分辛辣な言葉で書き記している。
母親のことのみならず、隠れ家生活を共にしたファンダーン夫人のことなども、こきおろしている。
アンネに心惹かれたのは、同じように次女で、姉ばかり可愛がり無理解な母親との関係がわたし自身良好でとはいえなかったところもある。
アンネのように日記に不満を書き残していたことも同じだ。
アンネのようには母親を嫌いだとまで書けなかったところは、母親への遠慮なのか自立出来ないことを自分なりに弁えていたからなのか、今ではよくわからない。
大きく違うところは、残念ながらわたしの日記は、アンネのように思慮に富んだ文学的なものでは無かったことだろうか。
みずみずしく溌剌とした文章で、不自由な隠れ家生活の中からも楽しみを見出し、生きる希望を綴るアンネ。
そんな中でも時に近く来る収容所行き果てに待つ死を予知しているような記述もあり、少女らしく揺れる不安定さも窺える。
わたしは思うのですが、戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家にだけあるのではありません。そうですとも、責任は名もない一般の人たちにもあるのです。(P487)
14歳の少女が既に戦争の責任が被害者であろうとする一般の民衆にもあると気付いていることに瞠目する。
それも、まさに大きな迷惑を被っているときに。
アンネは、冷静に社会を見る目を持っていたのである。
アンネは多くの夢ややりたかったことを成すことなく亡くなってしまったが、かわいそうなだけの少女ではない。
彼女の言葉通り、死んでからもアンネは生きつづけている。
永遠に平和を語りかける。 -
アンネ・フランク関連の図書館の蔵書が破損されるという事件があった。
道徳か何かの教材でアンネの写真を目にしたことはあり、知った気になっていた。
読むタイミングは今だと思い、図書館で借りた。
ナチ占領下、13歳から15歳の時期を、オランダの隠れ家で過ごしたドイツ系ユダヤ人、アンネ・フランク。
そのアンネの、自分用の日記と、戦後の公表を意識して清書した日記、2種類と新たに発見された日記を加えた〈増補改訂版〉。
読み終わるのに、3週間ほどもかかってしまった。
読めても1日に50ページ。
日記であること、思春期独特の自意識が痛々しいこと、いずれ密告されて死んでしまうこと、などなど、いつもどこかしら暗くて重かった。
はじめの方のユダヤ人に対する禁止事項が、変だ。
戦争というだけで異常事態だというのに、民族差別も加わっている。
日記を書かなければ、アンネはおかしくなってしまったのではないかと思う。
アンネ・フランク、アウシュビッツ、ホロコースト、などと検索すると、恐ろしい資料が目に入る。
見たくないけれど、見なければいけない気がしている。 -
とにかく長かったです。アンネは本当に文才ありましたよね。亡くなったのが惜しかったです。
アンネが生き延びていたらどんなに面白い話を書くのだろう。狭い隠れ家にいつつ諦めず希望を見出すアンネがすごいです。
でも両親に反抗的な態度をとってしまうところは共感できました。
15歳なのに表現力がうまくて感心してしまいました。 -
ひとりの人の生きた時代と、成長が記されている貴重な書物です。
私もアンネと同じくらいのときに日記をつけたりブログを書いたりしていました。
自分の周囲のありとあらゆることを思うまま書き殴っていました。
後から読むと、これが思春期というものなんだなと自分でも思うほど青臭く恥ずかしいのですが、そのような思考を繰り返したことが今の自分に繋がっていると思うと、その日記をなかなか処分できなかったりしました。
自分が体験したそのようなことを、アンネはあの大変な時代にも行い、ゆっくりと大人になっていったんだなと感動。
さらに、絶え間ない恐怖を感じながらも強く生きていたことに感動。
そして戦争、迫害への怒り。
文字にして書ききれない恐怖をきちんと読みとって二度と同じようなことを繰り返さないようにしたいものです。
いろんなことを感じる本でした。 -
此は皆さんご自分でお読み下さい。俺の感想等役に立ちません。
マレーネディートリッヒは嘗てコンサートツアーの途中でアンネの家を訪れ、中から出て来た時には泣き腫らした顔をしていて、アンネの部屋一杯に花束を届けるよう頼んだ。
そういう側面もある。
また、松本人志はオランダに行った時にアンネの隠れ家を見学し、「楽しかったんちゃう?」と言った。
そういう側面も確かにある。
つまり、ひとつの側面或いは見方では語り尽くせない事なのだ。 -
ただ一人生き残ったアンネの父、オットーは彼女の日記を読みながら、何を考えていたのだろうか。
彼女の日記の中に、母を、父を、姉を、その他の人間を非難する文章を見た彼は、後悔ばかりしたのではないかと、そんなことばかりを考える。
「あのときああしていればよかった」「こうしていればよかった」と、自分の過去を振り返っては、自分のことを責め立ててしまったのではないかと思うと、悲しくてやりきれなくなる。 -
中学時代に一度読んだのですが、再読しました。中学生の時は「隠れ家」の人々のあまりの自己主張の激しさに途中でついていけなくなりましたが、今回は最後まで読み通せました。戦後「隠れ家」メンバーで唯一人生き残った彼女の父親が、この日記をどんな気持ちで読んだのだろうと想像すると、とても居たたまれない気持ちになります。戦争について考える、民族性の違いについて考える、アンネという一人の少女のおしゃべりに唯耳を傾ける等、いろいろな読み方のできる本です。私は、「悲劇の少女」というフィルターを取り払って読むことをお勧めします。少女らしい、自分の考えに対する過剰なまでの自身が見える一方、時折それについて反省する姿勢が見えたり、またイギリス軍の動向やオランダ世論にたいする洞察等、彼女の才能を感じずにはいられません。そしてその才能がいとも簡単に失われてしまったことについて、やはり戦争という行為の非生産性と非道性について考えざるをえません。数年後にまた読もうと思います。その時は今回とはまた違った感想を持つでしょう。
2008/7/9