- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167838584
感想・レビュー・書評
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これは、普通の主婦の、十年間の心の記録である。
夫のうつ病が原因で、家族四人で、東京から北陸の夫の田舎へ引っ越すことになった梨々子。
梨々子の心の動きが実に細かいところまで、淡々と描かれていた。
息子が通っていた幼稚園のママ友とも遠く離れ、社宅から田舎のマンション暮らしへ。
私は本当は東京で暮らしたかったの?王道って何なのか?
自問自答が延々と続いていく。
けれど、読んでいくうちに、年をとるにつれて次第に楽になっていく梨々子が感じられ、光が射し始める。
人生なんて、目的のない編み物。
私はひとりだ。私だけがひとりなんじゃない。みんなひとりなんだ。
不思議なほど勇気をもらえる、愛おしい物語だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
竜胆梨々子は夫のうつ病を機に夫の実家のある田舎に引っ越します。
30歳から10年間の梨々子が描かれています。
慣れない田舎暮らしで戸惑ったり夫にがっかりしたり子どもたちのことで悩んだりしますが梨々子は諦めたり受け入れたりしながら変化していきます。
派手な展開はないけれど梨々子の感情が丁寧に描かれていて良かったです。
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読む前はタイトルを見て、どんな作品かいまいち想像できなかったけど、読み終わってからはすごくしっくりくるタイトル。「イナツマ」ね。解説は辻村深月さんでびっくり。好きな作家さんの共演……!
主人公の梨々子は、子供2人と素敵な夫と暮らす、東京のキラキラ奥さんだったが、夫のうつ病をきっかけに田舎へ移住する。
「田舎」「何もない」など、物語の半分以上は雨が降りそうなどんよりした曇り空。
でも、最後には雲の隙間から光がさす。梨々子が「田舎の紳士服店のモデルの妻」と胸を張って名乗れるくらいにはどっしりして、どっこい生きている。
梨々子はなかなかおもしろい「普通」の女だ。 -
中途半端な田舎町暮らし中の私がいうのもなんだけど このまんまの日常に 包まれている。梨々子さんの揺らぐ気持ち 手に取るようにわかる。思い通りにならないことばかりだけど お茶をのむテーブルはある。ささいなことを肯定して納得して やりすごして 月日は重なっていくものだ。結局 自分は何者でもないんだけど どっこい生きている!それで十分だ。町の人が優しくて 羨ましい。読後、窓の外が 優しく見えた。
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結婚し家庭を持ち、子どもが産まれたら…
まっとうな人生を送っていると安心できるのか?と思っていた。疑問にも感じていた。
結婚しても子どもが産まれても、私は一人でしかなく、何者でもない。
家庭を持ち頑張っている人、未婚で頑張っている人、どちらの背中もそっと押してくれるような小説でした。
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作家の宮下奈都さんは、「全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 2016年本屋大賞」を取っている。
本屋大賞になった本って、けっこう面白いんだよね。
という事で、大賞を取った本(『羊と鋼の森』)ではないけど、同じ作家さんの作品を読んでみたいなと思って。
で、これは(私にとって)大当たり。
もちろん、好き嫌いは個人差があるので、これをつまらないと思う人もたくさんいると思う。
ストーリー展開が大きくある訳じゃなく、一人の女性の10年間を淡々とつづっているだけなので、ページをめくるのがワクワクしてたまらないという訳でもない。
何も無いのだが、私はこの主人公に凄く共感してしまった。
鬱になってしまった夫。
それがもとで、会社をやめ都会から田舎に引っ越すことになる。
その田舎の、洋服屋のチラシのモデルになる時もある夫。
すなわち、ある程度カッコいいわけだ。
息子二人も、人見知りでコミュニケーションが取れないとか、発達障害があるとか。
小学校に何度も呼び出されても、強い信念をもっている主人公。
最初は、なんで私がこんな田舎で生活しなければならないの?
こんなハズじゃなかったとか、いろいろ揺れるんだけど、様々なちょっとした出来事の積み重ねでだんだんとその生活に溶け込んでいき、幸せを感じるようになる。
読了感が、なかなか良かったです。
この作家さんの作品は、他にも読んでみたいなと思いました。
なかなか、そういう作品に出合えないですけどね。 -
学生時代はクラスの中でも美貌で注目され、恋も思うままにできた梨々子。
結婚し、二人の子供が生まれるが、子育ては期待通りにはいかない。
その上、かつては輝いて見えた夫、達郎は、鬱病に罹り、東京の暮らしから「脱落」する。
夫とは心が通じていないことにもがき、自分が「誰でもない者」だと突きつけられるつらさが、丁寧に描かれ、読んでいるこちらまで息詰まるようだった。
「ダロウェイ夫人」を引用しながら、主婦の飢餓感を描いた「巡り合う時間たち」のように。
その梨々子が、少しずつ変わっていく。
「自分は一人である」こと、「自分が誰でもない」ことを受け入れるようになっていくのだ。
それは、本当の意味で大人になったということだと、私は思った。
梨々子の二十代終わりから三十代終わりまでが描かれる。
地味な作品とも言えるけれど、実はかなり骨太な成長小説なのではないか、と思っている。 -
東京から北陸の何もないところへ移住した家族、妻目線の10年間の話
こどもたちへの期待や普通、
夫との関係、
私自身の悩みも重なって共感できた
長男がピアノが好きになってそのまま頑張ってくれたら嬉しい!!
運動会やボランティアを通じての人々の交流も温かい -
そのしんどさはよく覚えてる。
知らない街で子育てをし、頼れる人は思ったよりも頼りない。私は踏ん張らなくちゃ、頑張らなくちゃ。でなきゃ一気に崩れてしまう。この家から私がいなくなったら、きっと一気に崩れてしまうと思った。
解説の辻村深月さんの「普通の私の話」がよくわかります。少女漫画のような生活はありゃしない。普通だけど、日々の生活なんて普通ではない。精一杯努力しなくてはと、きっと誰でもなく、私は私自身を高く吊り上げて、そうやって危ういな精神状態にぎりぎり攻めてしまい、一気に崩れたのは家庭ではなく自分自身だった。
今は、もう大丈夫。
物語の終盤の主人公のように、幸せは誰かに評価されることではなく自分の肌で感じるものだと思いました。 -
男の子の子供二人、イケメンの旦那の4人家族である程度うらやましがられるような都内の住宅街に暮らしていた主人公。ある日夫がうつ病で会社にはもういけないと言い出し、会社を辞めて一家四人で夫の郷里に引っ越すことになる。
俗にイメージするイナカよりは栄えている、今の言葉で言えばファスト風土化した何の特色もない地方都市なんだろう。
ほんの少しなまってて、海とか山とか畑が広がってはいない、本当に普通の地方都市。
ちょっと人よりキレイであることだけが取り柄の主人公と優秀な長男、成長が遅れてるのか3年生になってもろくな挨拶もできない変わり者の二男と夫との普通の生活が描かれている。
主人公の葛藤が痛いほどわかります。
「私」の濃度がどんどん薄くなっていく。年代ごとにぶつっと区切られた章立てだから成り行きの自然さは味わえなかったんだけど、きっと特筆すべきエピソードなんてないうちに「私」というのは薄まっていくものなのだろう。
それがとても「楽」で「誕生日が楽しみ」というぐらい年齢に感謝するまでの10年。
三人称で書かれているにも関わらずものすごく一人称的な見え方でしか描かない書き方は遠すぎたり近すぎたりして「私」からうまく見えない部分をうまく補強してくれたように思う。
自然に私が薄くなる、という過程は露悪的に言えば知らないうちに白髪が増えてるみたいなもんなんだろうなー。