たとへば君 四十年の恋歌 (文春文庫 か 64-1)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167900175

感想・レビュー・書評

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  • 出会い、恋人になり、夫婦になり、別れる。
    二人の歌人の、その全てが詰まった本。

    そもそも、数があまりないのかもしれませんが、幸せな歌、楽しい歌があまり印象に残っていない。
    それぞれのフェーズでの、悩み苦しんでいる歌が印象的だった。
    この本の内容と直接関係はないのですが、思ったことが2点。
    ・病気で亡くなるというのは、失うと分かってから実際に失うまでの期間が長く、
     無力感、理不尽さや、失った後の時間など辛そう。
     だからこそ、色々印象的な歌が読まれるのかもしれない。
    ・心に響く歌というのは、自分の体験と似ていたり、リアルに想像できることが書かれているもの。そういった感情は、言葉にするのは難しいし、無理やり言葉にしても作り物感が出てしまう。歌だとすっと心に響くものになりえる。

    歌の本は、サラダ記念日ぐらいしか読んだことのない私ですが、とても楽しみました。

  • 線が細くてはかなげだった河野さんが、小さなことにはこだわらない永田さんと結婚したことで日常生活も歌作りも安定感が増したのではないかと思いました。

    まつすぐに進むものなり二人乗りの赤い自転車でくいくいとゆく(河野)

    二人乗りの赤い自転車かの夏の万平ホテルの朝の珈琲(永田)

    ぶつかり合うことも多かったようですが、この2首から、2人の時間を楽しんでこられたバランスのとれた夫婦関係だったのだろうと感じました。

  • 短歌というものは知らないけど、京大京女の組合せとは素晴らしい。私小説というものが下火になってる中、全部家族にもそれ以外にも筒抜けというのはすごい… 夫婦愛とか死とかそういった、よく言われるテーマよりそこが印象的。

  • 斎藤

  • 本を読んで、歌を読んで、こんなに涙を流したのは初めてだと思う。同じ病で亡くなった妻を想いながら読みました。

    永田和宏
    ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど
    昔から手のつけようのないわがままは君がいちばん寂しかったとき
    薯蕷(とろろ)蕎麦啜りつつ言うことならねどもあなたと遭っておもしろかった
    助手席にいるのはいつも気味だった黄金丘陵(コート・ドール)の陽炎を行く
    最後まで決してきみをはなれない早くおねむり 薬の効くうちに
    心配でしようがないと心配の素がわからぬ電話がかかる
    一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
    あなたにもわれにも時間は等分に残つてゐると疑はざりき
    この桜あの日の桜どれもどれもきみと見しなり京都の桜
    悔しいときみが言ふとき悔しさはまたわれのもの霜月の雨
    歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
    亡き妻などとどうして言へようてのひらが覚えてゐるよきみのてのひら
    女々しいか それでもいいが石の下にきみを閉ぢこめるなんてできない

    河野裕子
    こはいのはあなたが死ぬこと 死んでゆくわたしの傍に居るも気の毒
    一寸ごとに夕闇濃くなる九月末、寂しさは今始まつたことぢやない
    私には保護者のやうな夫と子が赤い椿の真昼は居らず
    このひとを伴侶に選びて三十年粟粒ほどの文句もあらず
    兄のやうな父親のやうな夫がゐて時どき頭を撫でてくれるよ
    栓抜きがうまく使へずあなたあなたと一人しか居ない家族を呼べり
    ごはんを炊く 誰かのために死ぬ日までごはんを炊けるわたしでゐたい
    この家に君との時間はどれくらゐ残つてゐるか梁よ答へよ
    死に際に居てくるるとは限らざり庭に出て落ち葉焚きゐる君は
    長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ

  • 我が儘を言えば妻よりは先に死にたい。遺された者の悲しみと遺していかざるを得ない者の辛さ。足らない想像力ではやはり前者には耐えられない気がする。
    様々な夫婦がいる中で、歌で通じあう夫婦というのも珍しい。歌中の一文字で相手の心模様が分かってしまうのは羨ましいようで恐いなと感じた。
    妻を始めとして家族を大事に、自分に正直に生きないといけないなと思わせてくれた一冊です。

    #読書 #読書倶楽部 #読書記録
    #たとへば君
    #河野裕子
    #永田和宏
    #2016年76冊目

  • 夫婦が出会ってから、妻の死までの日々を、二人の文章と、折々の短歌で綴ったアンソロジー。
    遺された夫、永田和宏さんの、河野裕子さんへの愛情が今も尽きないことがよくわかる。

    病に倒れてからのことが書かれた章は、重い病を得た人の惑乱も、それを近くで見つめる家族のつらさも、どちらも胸が詰まる思いで読んだ。
    とりわけ、同じように家族を乳がんで亡くしたことのある身には、残された側の、あの時なぜこうしなかったのか、という後悔は身につまされる。
    いつか、今度は病を得て、病の苦しみと、それを受け入れなければならない不条理にのたうち回る立場になる日が来るのだろうけれど...自分や家族はどうなっていくだろう。

    「たとへば君」の歌くらいしか知らなかった私には、河野さんの人柄や生い立ちのある程度が知れて、新鮮な思いもした。

  •  がんで亡くなった歌人、河野裕子と、夫で同じく歌人の永田和宏がお互いのことを詠んだ相聞歌が収められている。
     
     タイトルは河野さんの代表歌のひとつから。短歌には全く詳しくない私にも聞き覚えがあったので、教科書にでも載っていたのかも。
     河野さんの歌は潔いものが多い。むしろ夫の永田さんの方が女々しい(←失礼)歌を詠んでいる気がする。

     本には河野さんのエッセイも収められていて、二人の人生を追うように、出会いから結婚、出産、発病、そして河野さんの死に至るまでが記されている。言葉の数としては、エッセイ部分の方がずっと多い。でも、伝わってくるものは、歌の方がずっと多い。

     夫婦ともに歌人であるということは、お互いに対する愛情だけではなく、どろどろした感情もそのままさらけ出される。闘病中の河野さんの歌には、夫に対する不満や憎しみとさえ言える思いも詠まれている。逆に、永田さんの歌にも、精神的に不安定になっている河野さんをもてあましているような様子が窺える。

     それでも、歌を見ると二人がどうしようもなく夫婦であり、順風満帆でなくとも互いを大切に思っていたことが伝わってくる。特に、河野さんの死が近づいていた頃の歌はすごい。これ以上のラブレターがあるだろうかと思わせる。

     初期の頃の若々しい恋歌も好きだけれど、40年の時を共に過ごし、遠からぬ別れを覚悟した二人の歌は、成熟されているのに驚くほど純粋で、胸を打たれる。

     亡くなる前日、夫の手による口述筆記で遺されたという河野さんの最後の歌が、とても衝撃的だった。意識が朦朧とする中でも最後まで歌を詠もうとするその姿に、歌人としての生き様を感じた。

  • 夫婦のあり方を感じさせられた。
    いつかはどっちかが先に逝く。
    そのときのことを考えながら読んだ。

  • たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

    手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

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