たとへば君 四十年の恋歌 (文春文庫 か 64-1)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167900175

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  • 心に誠実であることのお手本のようなお二人

  • たとへば君 ガザッと落ち葉すくふやうに
    私をさらつて 行つてはくれぬか

  • これほどまでにと思う家族、夫婦の歌。フィクションではないほんもののドラマ。

  • 愛されること、愛することの全てを教えてくれる。

  • 20歳から64歳で亡くなるまで、ずっと愛し愛されてきた2人の生活と愛情が短歌と共に添えられたエッセイで伝わってくる。全く違う生活をしてきたのにピタッと合う2人。羨ましい。

    亡き妻などとどうして言へようてのひらが覚えてゐるよきみのてのひら

    泣けるわ…

    そして結構短歌って生々しい表現もあるのがビックリだった。
    「口づけ」「唇欲し」「人を抱く」「嗅ぎし体臭」「抱き寄せて」「いだきあうわれら」「ブラウスの中まで…わが乳房あり」とかかなりエロティック。

  • 齋藤孝先生の「読書の全技術」でおすすめされていたので読みました。
    短歌とは、五七五七七の、百人一首の...といった程度の学校で習っただけの知識しかありませんでした。
    まず、字数は五七五七七に縛られなくてよいこと、花や景色を歌ったものばかりではないことが新鮮でした。現代の日常生活のことが、時に生々しく歌われています。旦那さんの名前をまるごと詠んだ歌もあったり。
    夫婦となり、子供がいて仕事があり、そんな中でもお互いへの思いや不満や悩みを歌を通して開示しあう。もしも夫婦で小説家であったなら、ここまで直ではない。短歌だから、率直な気持ちを表現できるのだろう。

    手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

  • 夫婦ともに歌人であるふたりの相聞歌。20代の出会いの頃から、河野さんが乳癌に罹り64歳で亡くなるまでの、互いに向けられた歌を中心に、その他彼女のエッセイなどが時系列で編集されていて、その時々の思いが伝わってくる。

    以前、NHKのなにかの番組で、永田さんのドキュメンタリーが放映していて、そのとき河野さんが亡くなるときの歌を紹介していた。それを涙ながらに永田さんが詠んでいた。その歌は本書にも掲載されている。

    さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ 河野裕子(P257)

    その番組の内容はもう覚えていないのだけれど、歌で過去を振り返る様子をみながら、短歌というのは、その時そのときの気持ちを、そのままに残してくれる素晴らしいものだと思った。そこから私は短歌に興味をもちはじめ、歌集など手を出すようになった。本書のなかでも、それを感じさせた、印象に残った歌を抜き出してみた。

    貧しさのいま霽(は)ればれと炎天の積乱雲下をゆく乳母車 永田和宏(P63)
    昔から手のつけようのないわがままは君がいちばん寂しかったとき 永田和宏(P178)
    平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ 永田和宏(P195)

    河野さんの歌も多く載っているのだけど(表題である「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」など)、いまのわたしにはエッセイのほうが印象に残った。たとえば、

    うちの夫婦は私が何でも喋るんです。永田が帰ってくるとトイレまで付いていって外から喋る。あったことも思ったことも全部。これだけ話してきて、いつもいつもくっつ いてきた夫婦で淋しさなんて一番わかっているはずなのに、「お前はこんなにさびしかったのか」って言われて、短歌というのは生ま身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない言えない感じというのを読みあってゆく詩型だなあと改めて思いました。/家族の仲がいい、といいますが、それはそのレベルでの話であって、表現をした時の心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。(P158)

    仲の良い夫婦だけでない、歌人同士であることの、関係のとくべつなあり方が示されている。また、

    作歌は、お天気のよい日、雑音の聞える所では出来ない。雨の日、曇った日がよく、一日の時間帯でいえば、逢魔が時といわれる夕ぐれのうす暗い時が一番いい。/逢魔が時は、情緒不安定を起しやすい時間帯であるので、気分が妙な風に昂って、ことばがうまくスパークしてくれる。しかし、夕ぐれ時というのは、家事のかき入れ時でもあり、庭を掃いて走りまわったり、風呂そうじをしたりしていることが多く、身体をハキハキと動かすと、なぜか歌は飛んでいってしまう。(P141)

    などは、夕暮れの逢魔が時が、詩作のインスピレーションを生む創作の時間と同時に、家事というまいにちの生活の時間でもあるという面白さを感じた。彼女は、「歌は、台所のテーブルで作る。これは結婚して以来ずっと変わらない」(同)というところからも、詩作と生活がともにあった(それは当たり前なのかもしれないけれど)ことを思わせてくれる。どれも文章が上手い。

    その彼女の一番大事にしていたのが、夫である永田さんだった。

    私がしなくてはならないことは永田和宏という人を一日でも長生きさせること。私の仕事は全部放って置いても、永田が帰って来たとき、お皿をあたためて少しでもおいしくと思って待っているんです。歌は二の次。子供はメシだけ食わせて、あとは放っておいたらいい……(中略)……結局、子供よりも永田和宏を大事にしてやってきたというのが本当ですね。(P188)

    この率直な愛の在りかたに、すこし共感するものがあった。蛇足にはなるけれども、今回本書を手に取ったのは、新潮社の広報誌「波」で、永田さんが河野さんとの恋仲だった頃のエピソードを連載(「あなたと出会って、それから……」)しているのを読んだのがきっかけだった。そのなかでは、河野さんが、永田さんと同時に、青年Nへの恋慕があったことを、日記や歌などを引用しながら綴っている(連載第8回)。

    陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり
    永田さん あなたも Nさんも 同じ位 同じだけ好きな 阿呆な私を、 どうぞ つき放さないでおいて。(日記からの引用)

    本書で纏められた美しい関係も、或るたまたまのなかで決まったものと思うと、不思議な感慨を覚える。

  • 夫婦になるという事、機微の営みが詰まった一冊

  • 初めて歌集を読みました。歌はド素人ですがタイトルの歌が好きでなんとなく。
    河野裕子さん夫妻の、出会いのときめきから、子育てのあれこれ、病気発症後の衝突と、
    河野さんの生涯がぎゅっとつまった本でした。
    晩年は特に、かっこつけてない夫婦の現実が伝わってきて泣けました。
    「たったこれだけの家族」という言葉が自分にもしっくりきて、
    私の「たったこれだけの家族」と過ごす時間を大切にしたいと思える本でした。

  • 愛情のこもった言葉のやりとり。言葉で表現できるところよりさらに奥深い部分まで分かり合えた人間関係を見せていただいたような気がする。ある意味赤裸々であるがゆえに「偉大」で「尊敬」でき、「憧れ」る関係が築かれたのだろうと思う。

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