- Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
- / ISBN・EAN: 9784260031578
感想・レビュー・書評
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第5章と第8章がよかった。
意志とそれに類似したものの違いを切り分けたのは見事。
スピノザの内在的神を中動態で説明したのは見事。
責任によって我々の世界は能動態と受動態という世界を創り上げている。でも、それは、たまたま今現在の社会がそういうふうにできているからであって、必然ではない、ということを示してくれている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難しかったけれど、この先論功がどんな展開になるんだ?という多少のワクワク感もあった。
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冗長的で飽きてしまった。何をこうくどくどと語る必要があるのかよくわからなかった。
意思とはかなり曖昧な概念。責任を負わせて良いと判断された習慣に意思という概念が現れる。
能動では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示す。
中動では、主語は過程の内部にある -
能動態、受動態では語り得ない概念である中動態が、かつてあったこと、その実態と現代おける再認識の意味について。興味深い。
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ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』経由で読んでみた本。
人の話す言語はその人の人格に影響をあたえるっていう考え方をわりと信じている方なので興味深かった。能動でも受動でもない、中動態。
使い分け方に昔の人の人生観が出ているよう
能動態は主語の外で完遂するもの(曲げる、や与える)
中動態は主語の中で過程にある(生きるや死ぬ)
しかし在る生きるは能動態にカテゴライズされる
(自分の中において完遂されるものではないと定義されている) -
【メモ】
・あるインタビュー
〈http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03249_03〉
・ある書評
〈http://honz.jp/articles/-/43946〉
・ある対談
〈https://wired.jp/2017/08/31/wrd-idntty-kokubun-kumagaya/〉
・言語学者による書評
〈https://www.hituzi.co.jp/hituzigusa/2021/08/18/brss16/〉
【版元】
中動態の世界――意志と責任の考古学
著:國分功一郎
判型 A5
頁 344
発行 2017年04月
定価 2,160円 (本体2,000円+税8%)
ISBN 978-4-260-03157-8
◆失われた「態」を求めて――《する》と《される》の外側へ
自傷患者は言った。「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」依存症当事者はため息をついた。「世間の人とはしゃべっている言葉が違うのよね」――当事者の切実な思いはなぜうまく語れないのか? 語る言葉がないのか?それ以前に、私たちの思考を条件づけている「文法」の問題なのか? 若き哲学者による《する》と《される》の外側の世界への旅はこうして始まった。ケア論に新たな地平を切り開く画期的論考。
〈http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=87748〉
【簡易目次】
プロローグ ――ある対話
第1章 能動と受動をめぐる諸問題
第2章 中動態という古名
第3章 中動態の意味論
第4章 言語と思考
第5章 意志と選択
第6章 言語の歴史
第7章 中動態、放下、出来事――ハイデッガー、ドゥルーズ
第8章 中動態と自由の哲学――スピノザ
第9章 ビリーたちの物語
註
あとがき -
第5章 意志と選択は、興味深かった。
分かりやすく言語化されているはずだけど、悲しいことにかなり理解不能、、、何年か後に、熟読したい。
リベルム・アルビトリウムは理性の指導や欲求の誘いに基づいて行われる選択である。p128
日常において、選択は不断に行われている。人は意識していなくとも常に行為しており、あらゆる行為は選択である。選択はそれが過去からの帰結であるならば、意志の実現とは見なせない。・・・ 意志と選択は明確に区別されなければならない。p131
選択とはこの世界に満ちあふれている事実である。・・・
あらゆる行為は選択である。p131 -
N049
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哲学は概念を扱う。問題に直面した時に概念を生み出す。この本は「精神看護」という雑誌に連載されてたものである。執筆の動機は依存症患者を救うヒントとなるかもしれない義の心である、などを考えるに、現在の言語体系、能動態と受動態で言い表される世界の中で苦しむ人たちがいて、この世界はそのような二極で語れる世界ではもともとなかったんだよということを述べたかった(中動態を論じることで結果的に明らかになる)本なのかなぁと、私は感じた。
哲学を語ることが依存症患者を救う、回復させる見込みとなるということ自体に驚くが、そういう背景がわかると、この本で著者が何を伝えたいのか、より明確になった気がする。
本書は現在の能動態・受動態が作り出した世界に対する違和感ををあぶり出すところからスタートする。意志・責任・選択・自由・強制。最後は自由に一歩近づける。
何度か読み返してなんとか大枠を掴みかけた感じだが、やはり難解。手元に置いて、じっくり読みたい時にまた読み返したい。 -
言語の中にある意思と責任の所在、という観点は非常に面白い。
「する、される」の能動/受動だけで人間の行動は評価し得ない、かつては主語がその行為/過程の中か外かが注目されていた、それが能動/中動態だと。
ただ、言語学的な、能動/中動態の議論は興味深かったけど、そこから発展した意思と自由についての部分が正直、消化不良だな…。