ぼくはこう生きている 君はどうか

  • 潮出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (161ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784267018404

感想・レビュー・書評

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  • 鶴見氏と重松氏の対談本です。

    「8年前と比較して、いまの日本の教育をめぐる状況は少なくとも好転はしていない、というふうに見えるが?」という重松氏の問いに鶴見氏は、「1905年、日露戦争の終わりとともに、この国の『本当の教育』は終わった」と答えています。
    ここでいう教育問題とは「箱モノ化した、成績しかみない教育」を指しています。

    鶴見氏は、1853年のペリー来航後10年の間に、坂本龍馬、高杉晋作、横井小楠、西郷隆盛、大久保利通など、大衆からエリートが排出されていることを例に、『ゲマインシャフト』(情緒の通う「共同体」)を日本の特徴と述べています。
    この『ゲマインシャフト』の終わりが1905年。これを境に「『本当の教育』は終わった」と答えたのです。


    教育の分岐点を語るとき、戦前・戦後を境に論じられることがおおいのですが、1905年まで遡るとは...。
    鶴見氏、さすがです。

    第四章にバートランド・ラッセルの話しがでてました。
    ラッセルは10代終わりから数学者、20代までに数学・記号論理学で大きな業績をあげ
    ました。
    第一次世界大戦では、戦争に反対して牢獄に入り、牢獄から出てから哲学の本を書き、年を取ってから小説を書いたそうです。
    そして90歳をこえてからアインシュタインと協力して原爆反対の座り込みをやって、警察に引っ張られたのが94歳。
    ラッセルのすごさに、ビックリしました。

    タイトルの『ぼくはこう生きている 君はどうか』は、『「自分はこういうふうに生きている」「きみはどうか」、それが私にとっての哲学なんです』という鶴見氏の言葉からとったもの。

    「自分はこう生きている。君はどうか」
    人生と真正面から向き合った人からしか、このような言葉は出てこないでしょう。

  • 中原淳はじめ人材開発業界で「アンラーン」という用語をちょくちょく見かけたが、元ネタ?は鶴見俊輔だったのか。
    これをヘレン・ケラーから聞いたというのが、重みがあるな。
    “ 「アンラーン」というのは「学び解く」というほどの意味で、学校で学んだことをそのまま学術的に復唱するというのはただのラーニングで、アンラーンというのはそれを自由に使いこなすということなんだ。 ”

  • 真のエリートと教育について  

     鶴見先生の考えによれば、「本当の教育」は1905年、日露戦争の終わりとともに終わったのだという。どういうことだろうか。1853年、ペリー黒船来航時に幕府は全国の大名にどうしたらいいかと聞いた。大名はみな「よろしいようになさってくだっさい」と答えた。こうした混乱の中抜きん出てきた指導者こそ真のエリートなのだ。坂本竜馬然り、高杉晋作然り、横井小楠然り、西郷隆盛、大久保利通然り。みな大衆から出てきた人材だ。みな身分という点では決して高い者ではなかった。こうした人材を生み出したのは、情緒通った「共同体」、ゲマインシャフトなのだと。そうした関係性が1905年までは機能していた。それ以降は学校の成績しかなく、したがって本当の教育は1905年に終わっているのだ。

  • 鶴見さんのホンで読んだのはこれが二冊目。耳鼻科で読了。

  • 鶴見氏を知らなかったのですが、とても博学で尊敬できる方だと感じました。
    一つ一つの言葉が心に染みていくようでした。

  • 悪くはない。
    しかし、違和感がありあり。
    だが、読んだ後に奥付を見たら、違和感の納得がいった。

  • 30年後看護師になった「ひこうき雲」の主人公は、当時は人の死というものがどんなに重く、悲しく、悔しいことなのか、その意味を想像できなかったと後悔し、いま終末医療にかかわっていて思うのは、「その日」を見つめて最後の日々を過ごす人は実は幸せなのかもしれない、というんですね。「自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、ちゃんと考えることができるから」と。そして「どんなに考えても答えはでないけれども、考えることが答えなんだ。死んでいくひとにとっても、あとにのこされるひとにとっても」と。これはすごいと思いましたね。私は非常に感銘を受けました。

  • 100105by朝日
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    家族とは、友情とは、人生とは―。日本人をめぐる5つの対話
    この国に生きるすべての人たちへ
    私たちの進むべき未来へ向けられた、哲学者と小説家のまなざし
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    第1章 子供たちに必要な“二つの物差し”
    第2章 家族とは、どんな意味を持つ“場”か
    第3章 エピソードのない友情は寂しい
    第4章 幸せな「老い」を迎えるために
    第5章 「師弟」から見た日本人論
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    『たまたまこの世界に生まれてー半世紀後の「アメリカ哲学」講義』 15
    『小学5年生』:鷲田清一が涙 33
    『小さき者へ』「フイッチのイッチ」 43
    『ぼくのおじさん』北杜夫 61
    『回想の人々』戦争中の振舞い 94
    109,
    『気をつけ、礼』 152
    『大人になるって何? 鶴見俊輔と中学生たち』『大切にしたいものは何? 鶴見俊輔と中学生たち』『きまりって何? 鶴見俊輔と中学生たち』 153
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    18,27,31:同志社人と途中点, 38,63,67-8,89,96:テーマ, 137,144,150,157:背筋を伸ばせば能率も上るよね。

  • 「ぼくはこう生きている」と言いきれる強さ【赤松正雄の読書録ブログ】

     「日露戦争の終わりとともに、この国の『本当の教育』は終わった」「どんな子供でも家のなかでは世界一の有名人」―刺激的な言葉が連発され、ぐいぐいと引き込まれる。鶴見俊輔、重松清『ぼくはこう生きている 君はどうか』は軽い本(百六十頁の対談本)だが、中身は重い。87歳の老哲学者と47歳の気鋭の作家が家族、人生、友情、師弟を語りあう。読むものに考えるヒントが次々と放たれる。

     今NHKの大河ドラマに嵌ってしまい、『龍馬伝』を毎週DVDで深夜に追っかけている身としては、ペリー来航から「わずか10年の間に混乱の中から指導者が抜きん出てきた」経緯が熱く蘇る。「戦後民主主義教育の失敗」こそ今の教育の最大の問題だとの捉え方に、「戦後じゃあなくて、1905年からの問題」というのは新鮮な響きを持つ。欧米のどの国を見ても、一国のリーダーシップがゲマインシャフト(情緒の通う共同体)から出たところはない。狭い地域の中から、大衆の中から『きみ・僕』の関係が続々と巻き起こってきた―なるほど。日露戦争の勝利に酔っている間に、今日の散々な事態にたどりつく遠因が作られたのだ。百年の孤独ならぬ百年の怠惰といえようか。

     鶴見さんと重松さんのほぼ中間の世代に属する私でありながら、鶴見さんの方にこれまで近いものを感じてきた。つまり、重松さんのものは全く読んだことがない。この本を読んでその人物がすっかり好きになった。冒頭の鶴見さんの言葉のあとに「その一言には家族をめぐるすべての主題が含まれている」と解き、「子供をたとえば父親、母親に、夫、妻に置き換えれば」と続ける。いい加減にはとても扱えないではないか。

  • この手の重松清は、面白くない。

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著者プロフィール

922−2015年。哲学者。1942年、ハーヴァード大学哲学科卒。46年、丸山眞男らと「思想の科学」を創刊。65年、小田実らとベ平連を結成。2004年、大江健三郎らと「九条の会」呼びかけ人となる。著書に『アメリカ哲学』『限界芸術論』『アメノウズメ伝』などのほか、エッセイ、共著など多数。『鶴見俊輔集』全17巻もある。

「2022年 『期待と回想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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