- Amazon.co.jp ・本 (161ページ)
- / ISBN・EAN: 9784267018404
感想・レビュー・書評
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なにかに迷っている時に立ち返るために読むとしたらこの本だろう。
鶴見俊輔さんの一言が重く深い。
ヴィトゲンシュタインが師であるラッセルの理論をひっくり返したエピソード、ヘレン・ケラーに会ったときに聞いた話、祖父である後藤新平の話、そして、姉である鶴見和子の話、短い、なにげないエピソードだが、どれをとっても、「ぼくはこう生きている。きみはどうか」と問うているようにこちらに突き刺さってくる。
“一番病”を患う現代社会の住民である我々に、「一番である必要があるのか」と問うてくる。
1905年以降、日本の教育はダメになっている。これ以降、「本当の教育」は終わっていると。
ノーベル賞をとるために予算をつけるのは「箱モノ行政」に過ぎないと喝破する。
蓮舫が事業仕分けで言い放った名言「なぜ二番じゃいけないのですか」を思い起こす。
ゲマインシャフト、路地、斜めの関係など、現代社会が失っているものを、取り返すことは、いま、政権が代わり、少しずつ行われているように思う。
これが、前回の不況、失われた10年とは違うところではないか。政権が変わったことも、新しい公共が語られることも、我々には希望である。
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「作品を読んできた感想は、何か『鞍馬天狗』を読んできた時のように、心がそこに入っているということで、すでに九十歳に近い私が自分の人生の一部として重松清さん小説を読んでいるということだ」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
”一人で生きられる力をつけさせることが子供を育てるということなんだ”、”だけど子供との関係のゴールに、子供が働く、自活するというのが、親のなかにイメージできていないような気がする”、”失敗できる、一人ぼっちになれるというのは大事なことであるはずなのに、親がよかれと思って、子供を一人にしない、失敗の悲しみを味わわせない、これが根本的に間違っている”
”どんな子供でも家のなかでは世界一の有名人。家のなかで無名な子供なんていない。そのかけがえのない財産を大切にすること、それが家庭・家族の持つ最大の意味だと思うね” -
鶴見俊輔と重松清の5回にわたる対談(重松氏は講義と呼んでいる)
主に、鶴見氏が語り手、重松氏は聞き手。
正直、私には難しい話もあったが
ところどころ、うなずいたり、感心したりして読み進めた。
一番印象に残ったのは「エピソードのない友情は寂しい」の中で
鶴見氏が語った「村八分は魔女狩りに比べて相当立派である」
のくだり。読んでなるほどである。また時間をおいて再読したい -
■重松清さんの全作品を感想文にしてブログで挑戦中です。
重松清ファン必見!
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