- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309411385
感想・レビュー・書評
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この本はこれまで私が読んできた他の宮本常一の本たちと、ちょっと様子が違う。
民俗学は民俗学なのだが、俯瞰的・通史的な観点が入って、歴史学的な著述となっているのだ。町や村の「なりたち」を問うということは、継起した事象の因果関係を追うことであり、それを体系化していくと民俗学とも人類学ともちょっと違う場所に行ってしまうようだ。
私の好みとしては、今回の宮本常一はいまひとつだった。
ちょっと面白かったのは、著者によると「村八分」というのは明治以降、つまりムラが解体しはじめたとき、共同体の維持のためにとられた方策だという指摘だ。
つまり、それ以前はムラの掟にわざわざさからう輩はいなかったのに、明治維新という「近代化」によって個人が自立化し、共同体から離れ始めた。村八分はそれを罰し、共同体を守ろうとしたわけだ。
宮本さんの言うとおり、江戸時代に村八分がなかったかどうかさだかではないが、そうだとすると、近代化=個人主義化=自由化の波にあらがい、共同体はかつての「自然なむすびつき」を失って、懲罰を処する「権力構造」を武装したということになる。それ以前には、共同体は構造的な権力を必要としなかった。
ちょっとおおざっぱな見方になってしまったが、ついでに連想を広げていくと、子供たちの世界に「権力構造」がなく、素朴な結びつきしかないのであれば、「いじめ」もまた存在せずに済むのかもしれないと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の町、ムラの様々な成り立ちの歴史を追う。
相変わらずおもしろい。
もっと文庫化してくれないかな。
以下引用メモ
「貧乏人が20軒あれば店屋が成り立つが、金持ちが20軒あったのでは店屋がつぶれる」
「江戸時代に入って船着き場として発達した港町の多くは風待ち潮待ちのためのもの」
「西日本にはこの蛸足状の枝町があるものが少ない」
「門付けしてあるくということによってすべて賤民とみられた」
「ムラに住んで死者の弔いをしたり、死穢をはらうための祈祷をしつつ、農業や雑業にしたがっていた仲間」
「僻地や離島に住む者を、より便利なとことに住んでいる者が蔑視する風習」
「ムラが共同体として強く結ばれているときには仲間の一人をも没落させまいとする配慮が強く動いていた」
「一軒の家が特別に大きく財産をのばしていく裏にはこうして多くの没落者のあるのが普通であったから、村人はそうした特別の家が産をなすことを喜ばず、阻止しようとした」 -
2012/8/17購入
2016/7/19読了 -
おじいさんから昔話を聞いているような感じ。善し悪しは棚上げしておいて、素直に聞いておこうと思うような文章。それぞれは興味深いし、やたらと現在と結びつけようとしていないところがよい。
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河出文庫から、宮本常一の著作が復刻されている。全集などでしか読めなかった作品が手軽に読めることはラッキーで、出版社に敬意を表したい。
中身は、日本の町、村の成立を概要的に解説しており、非常に読みやすい。一通り読めば、流れをつかめるようになっている。
書かれたのは今から数十年前になるが、読み終えたあと、そこから現代に至る道筋がぼんやり浮かび上がる。
(2012.5) -
昭和39年の東京を出発点に、日本の都市とムラの成り立ち、失われていく伝統や地縁を記録した一冊。とくに明治期の都市の形成過程において〈村は古さを保つために、増えていく人を都会に送り出し、都会は村の若者たちと新しい知識を吸収して新しくなっていった〉という一節は印象的だった。日本の都市が伝統や固有の色を持ちづらいことが納得できる。
もう一つ気になった箇所は、中世の河原者の記述について。〈落伍者だけで町はできるものではなく、それらの人を支配し統制し、ばらばらの民衆をまとめて大きな生産力にしていくことによって、はじめて町としての機能が発揮せられる〉という部分。人生から落伍すると一発KOの現代社会にも活かせる考え方かなと思った。 -
日本の村、町の地理的、歴史的な成り立ちを著者の体験を踏まえて描いている。町の中の村、村と町の関係など、思わぬ視点から書かれている。1960年代の日本の村や町が描かれており、この50年での変化の大きさに驚かされなちる。著者の日本各地でのフィールドワークの経験に基づく発見、指摘が随所に有り、読み物としても楽しい。日本の伝統的な村が消えるぎりぎりの時点でこの本が書かれたのは本当に幸いだった。