服従の心理 (河出文庫)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309463698

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  • かの有名なアイヒマン実験。
    非倫理的な命令をされた時、やはり私も権力に従うのだろうか。それを想像することはとても苦しい。
    自分だけは...と思う一方、自分もやはり凡庸な人間だと思う。

    一方、自分が命令する側になった時、その判断の重さを忘れずにいたいし、相手の地位に関わらず謙虚に意見を受け止めたいと思った。

  •  ミルグラムの社会実験とそれにおける分析をまとめたもの。実験概要は、被験者は先生役を与えられ、実験者である指導役に、学習者が問題を間違えるごとに電流を流すよう指示される。また間違える度に一段階ずつ電流のボルトを上げるよう指示され、電流のショックに呻く学習者にどこまで強い電流を流し続けるか?というもの。

     実験は色々なパターンを変えて行われたが、概ねの結果としては多くの人は実験者の指示に逆らえず最高レベルまで電流を流してしまうということだった。被験者は特別サディスティックな性質を持っているわけではなく、至って普通の人たちである。それでも指示されると服従してしまう、という怖い結果だった。

     そもそも服従とは個が権威システムへ組み込まれることによりエージェント(代理人)状態へ移行することだという。権威システム自体は家族、学校、会社、どこにでもあるし、その組織を安定させ秩序を保つためにはある程度必要かと思うが、その権威システムがイデオロギーを持って本来なら許されない物事にまで正当性を与えてしまうと、エージェント状態へ移行した際に暴走してしまう。そこには責任感の喪失、守るべきルールの変更があり、善良で平凡だったはずの人たちはその新たなルールのもとで感覚が麻痺していく。
     またどれだけ自分の行為は許されないことだと思ったとしても、それを途中でやめることは今までの自分の非を認めることであり、集団の和を乱すことでもあり、その集団から報復される危険性があることでもある。なのでやめられない。エスカレートするしかなくなる。
     そうした上記の一連はある種の"緊張状態"であるが、その緊張を解消する手段は大まかに2通り、1つは責任を回避する(命令に従っただけ、学習者が間違えるのが悪いetc)、もしくは学習者=被害者から徹底的に目をそらす、見ないようにすること。2つ目は、いよいよ非服従の選択をとることである。ただし後者はかなり精神的コストが高い。もうここまでくると服従する方が楽だ。服従する快楽はここにあるのだなと思う。とにかく"思考停止"の状態、権威者の言われた通りにしただけ、自分では何も考えない、これがその場を切り抜ける最もコストの低い選択なのだと思う。

     そういう意味では、ミルグラムの実験にあるように、とある権威のもとで服従の態度を見せ残虐なことをしてしまう危険性をどんな人間も孕んでいるということだ。では、どうすればできるだけそのような事態を避けられるのか、と考えると、「自分がそういう危険性を孕んでいる」ということを「知っている」ということではないか。この実験で比較的早い段階で非服従した被験者やその際に責任転嫁せず自分の非を全面的に認めた被験者がいたが、彼らは欧州出身でファシズム政権を目の当たりにした人であった。

     ただやはり、人間がある環境下において残虐な命令に服従してしまうことについては、その権威システムの強さだけではなく、生来からの「弱いものいじめ」欲がその権威のもとで正当化されて爆発している、という側面もあるのではないかと思う。歴史を遡ると弥生時代以降、いわゆる貧富の差が生まれて以降ずっと階級システムがあって、人は自分よりも下の者がいることで自らを保ってきた、と言うと露悪的だろうか。その気持ちが強大な権威システムによって正当性を与えられ最大利用されたのがファシズムでは…?なので「服従」という心理の一側面だけではないのではないか、とは思った。

  • 世紀の実験論稿。社会性生物である人間のシステムは、権威への服従と同調を基礎に持つ。実験は、服従への抵抗を確かめるため、道義に反する、他者への電撃行為を、仕事だということで従わせるもの。抵抗し、電撃を与えなくなるまでが服従とする。様々な手法を取り、完璧な実験を仕上げる。成果は、上々だ。

    だが、抜けがある。この実験は、予め、身体に影響が無いと通知されたものだ。被験者は、やや懐疑的になりながらも、自分の仕事をしたに過ぎない。自らの意思を超越し、権威に服従したのではない。この結果が本著が提起するような、アイヒマンのユダヤホロコーストやベトナム戦争での虐殺の免罪符には決してならない。考えても見てほしい。身体に影響の無い仕事への服従と、必ず相手が死ぬ仕事への服従。同義では扱えないだろう。それでも、人は服従するというのか。

    試験項目を変えてみれば良い。一時的に死刑執行人となり、それを遂行する仕事に。何人が服従することか。勿論、権威が試験機関ではなく国に代われば、服従度合いは変わるかもしれない。つまり、権威の形の問題だ。誰も平気な顔で核のボタンやガス室のボタンは押せない。ナチス党を当選させた民衆のユダヤ殲滅運動には、社会的正義が成り立つし、戦争も自国の理論での正義だ。本著がいうような権威への盲従ではない。時代の空気、プロパガンダ、正義の仕事の遂行に過ぎない。自らの意思を超越した権威に、嫌々服従したわけではないのだ。

    では、罪はどうなるか。戦争自体の罪は、戦争行為に加担していないものに対する加虐、残虐行為を裁けば良い。その対象からは、ただ命令に従っただけだから許されるという事を無くせば良いのだ。戦勝国の無秩序な違法行為が、許認される事は許されない。その意味で、時代が正義だろうが、命令だろうが、アイヒマンは罪人。北九州の通電殺人を命令された女性も罪人である。勿論、抵抗できる状態にあったかという定量評価や自己防衛の度合いの査定は要るだろうが。

  • ミルグラム実験については名前しか知らなかったが、近所の書店のフェアで表に出ていて気になったので購入して読んでみた。気持ちの良い話ではないが、とても興味深くて自分の場合はどうだろうかと考えさせられる本だった。

    権威に服従するモードに入ると普段のその人がするとは思えないような残酷な行為でも命令に従って実行できてしまうという心理学実験。権威に服従するというとナチスなどを思い浮かべやすいが、学校で起きるいじめとかでも同じようなことが起きていると思うと、明確な命令がなくても容易に服従してしまうのではないかという気がする。訳者あとがきの批判にあったように人間は残虐性を社会規範という権威によって抑えるようにしているだけなのかもしれない。

    集団を作って生きていく上では服従の全てが悪というわけでもないが、会社でも、社会でも、自分が自律して行動できているのかどうか、服従モードに入っていないか、自分に問うていきたいと思った。

  • 異常に興味深い。
    組織で言われる主体性が必要だ云々という話を前提からひっくり返す話でもある。
    そもそも人は権威に従属するものであり、そういった進化を辿ってきている。
    それは進化の過程で必須の要素であり、進化を経て強化された。

    自律モードと、組織モードがあり、組織モードを「エージェント状態」と言い、
    自身の価値観に関わらず盲信的に権威に従ってしまう状態で、これは社会的な動物としての生存有利性から発生していると。

    一方道徳心・良心などといった個人に属するもの(と筆者はいい、訳者はそれも社会的な権威であるというし、それが正しいと思う)は、2次的なものになると。

    訳者が権威をそもそも定義していないという話はその通りで,自身の感覚も含めると、権威とは「自分が知らないもっと上段の崇高な目的を知っていて状況に合わせて正しい判断ができる。またイレギュラーな決断においても責任が取れる」ということのみであり、単純に白衣を着てればおkということでもないと思う。

    かなり示唆深いし、とくに「エージェント状態」の言語化は俊逸以外の何者でもない。

  • 実験報告みたいで読んでいて面白かった。
    何も考えず権威に服従してしまうのは怖い。状況ごとに自分の意思で選択したいと思った。

  • 服従は、人間が本能的に持っている心理かもしれない。
    さまざま実験を通して、服従の限界を探る中で、個々にある倫理観が、組織の服従より、強いものになる時もあり、どちらを選択するかで、人間社会が大きく変わる感じがした。
    常に個々の倫理観も、意識して持ってるべきだと思う。

  • ミルグラム「服従の心理」 権威に対する服従心理を紐解いた アイヒマン実験の報告書。なぜ 普通の軍人が 非人間的なユダヤ人虐殺や原爆投下をできたのか わかった気がする


    服従の本質=自分の行動に責任を問われない→自分を権威に委ねる→自分の義務を果たしただけ

  • 話に聞くだけではどこまで信用できるのか分からないような印象を持っていた実験だが、こうして細部を知るとなかなか説得力がある。でもなお、この実験での「服従」の度合いが驚くべきものではあるとは言え、その絶対的な水準からあまり多くを汲み取るのも勇み足である気がある。巻末の山形解説もその点、面白い。引き換え、いろいろ条件を変えて服従度合いへの影響を探るあたりは興味深い。

    また、ミルグラムがベトナム戦争でのソンミ村虐殺などに極めて強い問題意識を持っていたこともはじめて知った。山形氏によれば、それがミルグラムの視野を狭めているということで、たしかにその側面は否定できないが、単に心理学の実験というだけではなく、社会的な強い問題意識がバックグラウンドがあるゆえ、これだけ人々の耳目を集める実験にもなったのだろう。

  • 見ず知らずの人に「殴って下さい。」と言われて実際に手を出せる人はまずいない。
    だが、実験室を用意し、実験参加の求人広告に応募してもらい、白衣の指導者が参加者に実験の概要を説明し、
    簡単なテストに間違える仕掛け人と電撃発生装置を用意したならば、その電撃の強さを最大値まで設定できる人間は多い。

    本書は各所で引用されるミルグラムの服従実験を、スタンレー・ミルグラム自身が語る一冊。
    驚くような新事実が載っているわけではないが。
    実験室の様子、与えられる役割、種々の条件設定、結果データの数値など、引用では省かれる詳細がよくわかる。

    だが、本家だからといって実験に対する考察が十分にされているとは言い難く、それは訳者による解説にて補完される。
    この実験から得られる教訓とは、『人は権威への服従により残酷な行動をとりうる』ということではない。
    現代戦争における虐殺や捕虜虐待などは、むしろ体制が厳しく禁じているにもかかわらず発生しうるが、
    その原因を一つに限定することはできない。

    対象との心理的距離の乖離、
    厳しい環境におけるストレス、
    強すぎる共同体の結束と反抗者への敵愾心、
    多段の命令系統による責任の希薄化、
    その中の一つが、本書で語られる進行し続ける状況への服従だ。

    学校でも会社でも遊びでも、始まってしまった状況へたった一人で反抗することの難しさは、誰しも感じたことがあるだろう。
    では、服従さえ克服できれば人類は進歩できるのだろうか。
    手持ちの紙幣の価値を疑い、書籍に記されている歴史を信じず、皆が従う法律を認めず、全ての状況に抗う。
    そして全ての事実を確かめるために世界を巡る。

    そう、状況への服従とは、現代の繁栄の根幹である分業すなわち他者への信用と表裏一体だ。
    歴史への服従・信用があってこそ、2,000年以上を費やした学問の利益を得ることができ、
    社会への服従・信用があってこそ、突然斬りかかられることを心配せず往来を歩ける。

    服従と信用の違いが他発的か自発的かだとすれば、現代社会に生まれた時点で服従を強いられるのは間違いない。
    そうやって生きるためのコストを他者にゆだねて得られた時間を用い、
    信用できる領域をそれぞれのペースで広げてみよう。
    人間社会はそうやって進歩してきたのだから。

著者プロフィール

Stanly Milgram 1933年、ニューヨーク生まれ。心理学者。74年、本書における研究業績を理由に、アメリカ科学振興協会より社会心理学賞を受賞。84年没。世界的な反響を呼んだ通称アイヒマン実験や、ソーシャルネットワーク理論の先駆となったスモールワールド実験他、数々の有名な実験を行った。

「2012年 『服従の心理』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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