フーコー講義 (河出ブックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309624242

作品紹介・あらすじ

たえず変貌しつづけながら、そのすべてがあらゆる領域に巨大な影響を与えたミシェル・フーコー。最新の研究と現在の思想状況をふまえつつ、その全軌跡を明快に走査しながら、狂気、表象、生権力、統治性、自己のテクノロジーなどの諸主題の関連をときほぐし、「人間の消滅」の実現としての「人間」なき「自己」/自然的主体の彼方を問い続けた、未来の思想家としてのフーコーをあきらかにする。

感想・レビュー・書評

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  • ・フーコーの思考区分
    ①人間の考古学の探求:『狂気の歴史』(61年)『臨床医学の誕生』(63年)『言葉と物』(66年)『知の考古学』(69年)
    ②人間の系譜学:『監獄の誕生』(75年)『性の歴史Ⅰ』(76年)
    ③自己論:『性の歴史Ⅱ』『性の歴史Ⅲ』(共に84年)

  • 「狂気の歴史」、「言葉と物」、「監獄の誕生」は一通り読んだものの、後期フーコーはまったくカバーしていないことがずっと気がかりで、読んだ。
    著者は「性の歴史」に対して辛口で、講義録も合わせて読まなければフーコーの真意はわからないかもと書いていた。
    今後読むかどうかはわからないけれど、「自己のテクノロジー」というワードはかなり重要な意味を持ちそう。
    もはや私たち人間は、カント的な意味において人間でいることに限界が来ていて、自分であることを持て余している。
    では、人間でなくなることにおいて、どのようなオルタナティブを考えうるか。無粋な考えだけれど、あと20年フーコーが生きていたら、それについて幻の大著を著していたかもしれない。けれども、フーコーはみずからをみずからの「公的な」理性と欲望によって享楽し、死んでいった。むしろフーコーは言うかもしれない。どうして君たちのために、そこまでしなければならないのか。
    あとは自分が考えるしかない。

  • 現代思想、ポストモダンと言われるようなところはぐちゃぐちゃすぎてどこから入ればいいのかよくわからなかったが、フーコーから入ることにきめた。背伸びして本人の本を読む前にこういうガイド本を読むと、理解へのモチベーションが上がる。とても読みやすい。
    いったい自分はいつから自分を異常者と疑うことがなくなったんだろうか。異常である事がまるで正常であるという確信を持ったときからある種の排除を行えるようになったのかもしれない。コレージュドフランスの講義録をよみたい。自己の弱さを受け入れることで、逆に強くなれる....ということの助けになりそうな予感。


    メモ

    相対主義〜歴史性

    構造主義...絶対的だった近代西欧的価値観”理性”を相対化
    しかし、相対化こそ理性のなせる技かもしれないというパラドクス。

    フーコーは近代主義を批判していたが、それは近代とは何かを明らかにし、そこで自分たちが未だなおそこから抜け出せていない地盤とはなにかを明確にするための措置。

    ”どの一元主義からは抜け出せていないか”

    エリートとマイノリティ思考は両立するのか?

    エピステモロジーとの関わり。(カンギレム)

    『監獄の誕生』
    College de France 講義

    ・思想区分と方法論

    ①60s 近代の中で人間が形成されてきた場面を百科事典のようにあぶり出す。「人間の考古学」
    「言語」「言説」が備えている「排除」および「規範性=正常」(この時期が構造主義的)

    二項対立的な分類によって人間の成立と消滅を淡々と述べる。

    ②70s 「人間の系譜期」:人間という対象を形成する力(=政治的文脈では権力)の働きそのものに光が当てられる。
    『監獄の誕生』『性の歴史Ⅱ)
    「規律権力」「生権力」:アノーマルな存在を露呈させながら、そこから「正常」な存在者である「近代人」が構成される力学を探る。
    !!「言語」から「生命」に主軸を移している。!!(特に性の歴史において)
    言語からは正常と異常を切り分けるところの、その結果しか得られない。この時期はそれを可能にする”力”を探る。(分類化を成立させる力学☆)
    方法論(系譜学)〜ニーチェの述語を前提としている

    言語:切り分けるものである限り、否定的=排除的、異常は正常から排除されるマージナル
    生命:発生する力とその働きそのものを示すがゆえ、肯定的=生産的、すべてが等しくアノーマル
    (両者は完全に対立するものではない)
    生命の力の領域では何も排除されないし、何も抑圧されない。生の権力=力の権力ではそれが際立つ。

    ドゥルーズ、ガタリと共鳴。
    フーコーの権力概念はそのネットワーク的生産的特徴から、ドゥルーズ、ガタリが利用したリゾームの概念に関連する部分がある。

    「人間」が解体される事の意義、考古学的思考は終わり、
    「いかにして人間は産出されたか」「そして産出されなくなるか」という事の方に議論の軸は移っている。

    ③70−80s
    「統治性」「自己論」

    『性の歴史』における「生政治」、『性の歴史Ⅲ』
    コレージュドフランス「安全・領土・人口」「主体の解釈学」


    狂人である可能性が人間である事を支えるようになってくる。

    知の形成を支える動的位相としての(被覆?)権力。
    人間の二義性、二重性

    自己分裂の回避
    ヘーゲル「精神現象学」フーコー「主体の解釈学」「自己と他者の統治」
    ”真実を語ることが自分自身によってしか保証されない”

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著者プロフィール

檜垣 立哉 1964年生。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。大阪大学名誉教授、専修大学文学部教授。哲学・現代思想。著書に『生命と身体』(勁草書房)、『日本近代思想論』『ヴィータ・テクニカ』(青土社)、『バロックの哲学』(岩波書店)、『日本哲学原論序説』(人文書院)、『ベルクソンの哲学』『西田幾多郎の生命哲学』(講談社学術文庫)、『哲学者がみた日本競馬』(教育評論社)、監訳書にN.ローズ『生そのものの政治学』(法政大学出版局)ほか。

「2023年 『ニューロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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