すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

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著者 : 堀江貴文
  • 光文社 (2017年3月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334039745

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すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)の感想・レビュー・書評

  •  本書のタイトルは,なんとも刺激的な題名である。
     教師である私にとっては,それこそ,死活問題になる話である。もし,私のやってきたことが「洗脳」ならば,オウム真理教がやってきたことと,なにも変わらないことになる。
     それは本当か?
     言いすぎではないか,ホリエモン!
     が,しかし,私は「今の教育はそのままでいいのだ。ホリエモンよ,お前の言っていることはおかしいぞ…」と反論することは,まったくできない。ホリエモンの意見に同意してしまう自分がいる。
     ホリエモンの言うとおり,今の日本の教育は,明治から全く変わっていない。あの悲惨な戦争を経験し,日本を支配していた教育勅語は廃止された…といっても,日本人の本筋の所は全く変わっていない。
     子どもは未熟だから,社会に出たときに困らないように「適応させる」必要がある。だから,そのために「今は我慢させて」でも,道徳をはじめとする学校教育の「枠にはめる」のだ。
     そして,はみ出した子には,学校での居場所は保障されない。ましてや,学校を拒否して生きることは,相当のエネルギーが必要になる。かくして,子どもたちは,まるで金太郎飴のように,均一化されて学校を出て行くのだ。

     こんな社会にだれがした…。子どもたちこそ,次世代を担う新しい社会の作り手ではないか…そうホリエモンは言いたいのだろう。

     が,しかし,子どもたちは,成長して,新しい社会を作っていくだけではなく,ある程度は既存の社会に合わせていく力も必要であることは論を待たないであろう。たったの1人で社会を作ることは出来ない。ある程度のその社会を支配する道徳や学力(一般的なもの)もないと,友と一緒に社会を変える力さえも発揮できないかも知れない。

     今の教育は,余りにも均一すぎるし,子どもの興味関心を無視しすぎているという指摘には,大いに賛成するが,だからといって,公教育をすぐに廃止するわけには行くまい。
     いや,公教育があってこそ,人権感覚も身について来たのだという過去の歴史もある。「ヒトは教育によって人になる」というのも,あながち的外れではないはずだ。

     教育界に,もっと自由があれば,教師ももっとゆったりとできて,いろんなタイプの子どもたちともゆったりとつきあえるはず。

     ま,学力テストで1位だ2位だといっているようでは,今の学校には,まったく期待できないね。
     
     いろいろと教育について考えるキッカケとなる本でした。

  • アクセルを踏みながら、ブレーキをベタ踏みしてエンストを起こしている人が多い。そんな人がブレーキの外して、自分の好きなことにはまり、遊び・学び・仕事を三位一体で行っていくべきということが書かれていた。嫌なことを我慢するというマインドセットは学校での勉強や会社での仕事でついてしまうという。自分の経験を振り返ってみても、心当たりがあった。
    一方で、はまるという経験の心地よさもわかる。小さいことでいえば、虫取りであるし、少し大きくなってからも漫画を大量に読むことがあった。それが、社会人になってからあまりできていないように感じる。周りの人で優秀だなと感じる人、人材として価値があると思われている人は、その時々で何かにはまっている。
    何かをしたいというときに、できない理由を探すのではなく、とにかく一歩踏み出してみる。本を読む、人と会う、旅をする、なんでもいい。自分が楽しいと思えることをその瞬間にする。好きと思えることでないと、頭に入ってこないし、生き抜くためには情報が大事なのだから、思い切り良くアクセルをベタ踏みするという生き方をした方が"将来”を考える上でもいい。そして、なにより”今”この瞬間が楽しくなるはずだ。

  • 学校や会社に縛らるのはばからしい。逆算せずに、自分の好きなことにとことんはまれという堀江さんの主張は、何かに没頭していない自分には耳が痛い。

    没頭は、頭を使って結果到達するものといった視点は自分にはなかった。

    次同じ感想を書くことがないようにこれから一歩を踏み出そうと思う。

  • 大切なのは自分が求めるがままに没頭すること。
    分かる気がする。

  • この方の自由的発想には驚きます。常識人からみれば、アウトローなんでしょう。
    ロンブー淳さんの生徒会長の話もそうですが、自分が正しいことを貫けるかだと思います。

  • 自分のやってきたことや、すでに持っているものから「やること」を決めてはいけない。
    過去は、ただの過ぎ去った時間でしかない。
    過去を元手に決断すれば、その時点で可能性は1000分の1に縮こまってしまうだろう。
    「予想外の出来事」は、予想できないから予想外。
    自分が求めているものは何か、やりたいことは何か。今この瞬間、どんな生き方ができたら幸せなのかを真剣に考えぬく。それが何に資本を投じるのかを決める原動力になる。

  • 3つのタグって考え方自分も考えてみようと思った.

  • 学校って何だろう?

    ここ数年持ち続けている疑問の答えの一部がこの本にありました。
    洗脳の場であると。
    背景も「大筋はそうかな?」と思いました。

    私は何も考えずに学校教育のレールに従順に乗ってきた人材の一人だが,それによって幸せになれたと到底思えない。
    私生活でやりたいことは多いのにできない。
    仕事に没頭できない。やりたくない業務が多い。
    そのため転職を何度も考えては踏みとどまった。
    洗脳の結果だと思います。

    しかし,一方的な話に思えた部分もあります。
    学校が背負っている現状に触れられていませんでした。
    教師はどのような労働条件で働き,どのような責任を負わされているかということ。
    良くないと思いつつも,労働条件や保護者からの不条理な要望に応えようとする状況の改善がなければ多様性を真に認める場を生み出しにくくもなろうというのが本音です。

    学校が不要かと言われたら,それはまた疑問符がつきます。
    しかし,これから先学校がどのようにあるべきか,本書を通じて考えるのはかなりの価値があると思います。

    学校関係者は一読すべき。
    特に頭の固い人たちは。
    そのような本だと思います。

  • 今年読んだ堀江さんの本の中で群を抜いてオススメ。

    堀江さんの本はとどのつまり「(悩んでいるんだったら)いいからやれよっ。」ってことなんですよね。

    至極単純なことなんだけど、これが出来ていない人は僕もそうだけどすごく多い。

    そして、皆やらない理由を探している。なぜなら、洗脳されているから。

    教育だけでなく、やりたいことをやれていない・見つからない人におすすめ。

  • おもしろすぎて一気読み。
    もう一回読み直そう!

    楽しいこと、没頭できることだけをやる人生絶対楽しい‼︎
    わたしは完全に貯蓄型だし、がっつり洗脳教育受けてきた感はあるけどブレーキベタ踏みから自分をもっと解放していきたい。

  • 教育の意義を再考する必要にかられる一冊。
    教育は産業革命期、「優秀な」工場労働者を多く輩出するために生まれた。その頃は、正確に、速く、従順に仕事をすることが求められた。ここでは、いかにモノをたくさん持っているかというものさしのもと、幸せの正解が一つだった。
    しかし、グローバル化、技術革新により、単純作業は機械に取って代わられ、なにより「国家」がなくなった。生き方も多様化し、唯一であった幸せの正解がなくなった。
    その中で、良い国民を製造するための教育から、各々が主体的に生きられるよう支える教育に転換する必要があるのでは。

  • 好きなこと、ワクワクすることをしている時に感じていた何かが自分を引き留めようとする力。いい歳なんだから遊んでばかりいないで…うんちゃらかんちゃら。その声が自分の中に染み付いた洗脳によるものだとハッキリ分かった。
    常に自分に正直に、今を生きる人になる。
    堀江さんの本は鋭い言葉が並んでいるようでいつも暖かく、読んでいて安心するし本当に楽しい。

  • 学校教育というよりは家庭教育なのか常識なのか、これまでの価値観に修正が必要というのはその通りだと思う。そもそもどう生きたいのか、を先に考えないといけない。あと定時が待ち遠しいような仕事は、仕事そのものをなくす方に考えないとと思う。

  • 学校教育は、イギリスの産業革命時代に、決めれたルールのなかで黙々と作業をしてくれる工場労働者を育成する目的で始まったと書かれている。それはゆくゆくは、たとえば大戦中の日本などでは、軍人やよい国民を育成するための機関として学校は機能することになる。その学校教育は現代でも本質を変えることなく、個人のやりたいことなどに自由に没頭することを抑制し、その影響で多くの人たちが没頭することにブレーキをかけている。そして、自分のやりたいこと、望むことを見失い追求することができなくなってしまっている。
    現代はインターネットの流通により、個人が自由に国を行き来し、情報を得、仕事をし、国に頼らずとも自分の力で生きていける社会となった。そうなった現代でも、学校は古い時代の生き方を子どもたちに刷り込み、洗脳している。その教育はもう意味をなさず、没頭することを抑制する害でしかないと著者は言う。会社も本質として変わらない。つまり、学校や会社は、個人を幸せな人生に導くはずの没頭する力を摘む機関となっている。
    私は、学校教育には馴染めなかったので共感しながら読み進めた。馴染めなかったものの、親やこれまで受けてきた、著者のいう洗脳から抜け出せずに窮屈な思いをしている。そんななか知人に紹介され、この本と出会った。著者の新しい考え方に刺激を受けた。著者は言う。自分の本に刺激を受けても、なお行動しないひとが多いと。私は行動する。行動を続け、没頭できる好きなこと、楽しく続けられることをしていく人生を送る。

  •  元ライブドアCEOで実業家の堀江貴文氏による、現代における学校の不要性、ネット社会での自分らしく新しい生き方論を綴った新書。本来学校とは国家に従順な国民の養成機関であり、現代の学校でも結局は従順な生徒、会社の言うとおりに動く人材を育てている。しかしインターネットの普及で「国家」という幻想が急速に力を失い「幸せの正解」がなくなった現代では、自分で思考し行動することことが幸せになる唯一の手段である。そのためには「もう学校はいらない」。教育の隠された根幹を曝し、これからの超情報化・AI化をフル活用した「遊ぶ」「働く」「学ぶ」三位一体型の新しいライフスタイルを、自己の超行動派の生き方を裏付けとして提唱する。

     ホリエモンの著書を読んだのは初めて。あまりいいイメージを持っていなかったが、本書を読んで印象が変わった。彼の行動や発言は批判の的となってしまうが、それらの根底には一貫した主義・信条がありそれをここまで生き方そのものとして具現化できている人を私は知らない。イノベーションを起こして財を成す実業家は以前からいたが、ネット普及後、特にスマートフォン普及後はそのイノベーションの形が大きく変わった。汗の匂いも涙の跡も見えない成功に対し、世間の目は冷たい。しかしそれがこれからの社会の特徴であり、決して怠けでも希薄でも、ましてや悪などではない。
     私は一公立校教員として学校教育に違和感を抱き続けてきたが、その違和の正体を著者が明快に示してくれた。それは「社会で生きる力を養う」と掲げる学校教育が、現代社会で活きる学習を提供できていないということだ。現場の教師に聞いてみると良い。自分の授業の学習内容がどのように社会で活かせるのか、明確に筋を通して説明できる教師がどれだけ少ないことか。学習指導要領を背骨とすれば良いというのが行政の考え、そしてそれを全教員に守らせる、まさしく「言うとおりに動く教員」を国は作ろうとしているのだ。『すべての教育は「洗脳」である』という書名は、考えれば考えるほど的を射すぎていると感じてしまう。
     しかし教師の矜持として、「学校はいらない」という結論に抵抗しないわけにはいかない。そのためには学校教育が本当の意味で意義あるもの、つまり「現実社会で生きる学習」を提供しなければならないだろう。だが敵は身内にありで、ネット普及以前の学校現場の杵柄を振りかざす教員が上層部に多くいる現状ではそう簡単には変わらない。まずは自分一人からの地道な変革の積み重ねか。その変化の速さから現代社会はよく激流に例えられるが、我々教員は残念ながらその激流へ身を投じることができない。できるのは情報収集ぐらい。「激流の中で自己の幸せを見つけ捕まえる力」を養う教育が実現できなければ、本当に学校はもういらなくなってしまう。危機感をありがとう、ホリエモン。

  • 読了した本がたまっています・・・

    付箋部分を抜粋します

    ・「やればいいじゃん!」これは僕が口癖のように言っているアドバイスだ(p3)

    ・自分の「欲望」を抑えつけるような「我慢」「準備」は積極的にするのに、どうして一番やりたいはずの
     「行動」には至らないのか。我慢によって、一体何を得ようとしているのか(p5)

    ・やりたい、動き出したい気持ちはある。右足はなんとなくアクセルペダルを踏んでいる。でも同時に、左足で
     ブレーキペダルをベタ踏みしている。しかし、そのことに気づけない。我慢が習慣化しているからだ。
     学校教育が作り出すのは、こうした無自覚の習慣に他ならない(p7)

    ・一言でいえば、従順な家畜である(p21)

    ・あなたが自分自身の「楽しい」や「嬉しい」「気持ちいい」といった「快」の感情をシェアすると
     そこにたくさんの賛同者(いいね!)が集まり、、つながっていく。そして、そのつながりが関わった人たち
     全員に豊かさをもたらす。この共感が、これらの世界を動かす原動力なのだ(p78)

    ・モノやお金の価値が最小化されていく社会では、誰にどれだけ支持されているか、共感されているかが重要な意味を持つ(p81)

    ・これからの時代に重要なのはむしろ「やりたいこと」のためにどれだけ本気になれるかだ。なぜなら、支持や共感を
     得られるのは、心からやりたいことをやっている人だけだからである(p82)

    ・大切なのは自らアクセルを踏み、ハンドルを切ることだ。そして何より「それをさせる気持ち」だ。早く先へ進みたい。
     じっとしていられないというワクワク感こそが、あなたにアクセルを踏み込ませるのである(p85)

    ・つまり没頭は、人を決して立ち止まらせないのだ。常に人を前へ前へ押し出し、新しい体験をつかませようとする(p90)

    ・没頭できるかどうかを決めるのは、人の性格でも、あるいは没頭の対象の種類でもない。それに対してどれだけ主体的に
     関われるかだ。目の前に現れたものを「与えられた作業」ではなく、「自分でルールを作れるゲーム」だととらえられるように
     なれば、あなたの人生は今この瞬間からでも、没頭で埋め尽くされていくだろう(p121)

    ・「投資」だ。1万円を「使う」ことによって10万円へ、100万円へと増やしていくように、自分自身の市場価値を
     高めていくのだ(p129)

    ・「貯金型思考」を支えるのは我慢であり、「投資型思考」を支えるのは先読みと決断(p131)

    ・あなたの価値を最大化するのは、「どれだけ我慢したか」ではなく、「どれだけ自ら決断をしたか」なのである(p133)

    ・常に「やるべき時は今」という意識さえ持てば、「いつか何かあった時のために」「老後のために」なんてつまらない
     発想は吹き飛ぶ(p143)

    ・使うべきは、時間でも労力でもない。お金ですらない。「頭」なのだ(p147)

    ・「いざという時」ではなく、「今この瞬間」自分にどれだけの価値があるのか。それを考えるのが「投資型思考」だ(p148)

    ・みんな、もっとインスタントに「唯一無二」の存在になって、そのメリットを利用しつくして次へ進めばいいじゃないか。
     僕は本気でそう思っている(p153)

    ・「時間をかけ、苦労や我慢を重ねて得るものの方が、短い時間で手に入れるものよりも価値が高いはずだ」という
     根拠のない思い込み---つまり思考停止である(p163)

    ・僕は自分の「いいじゃん」という感覚を信じている(p167)

    ・「できるわけがない」という言葉は「変化したくない」や「このままでいたい」の言い訳でしかない(p179)

    ・「老後の楽しみのため... 続きを読む

  • 堀江貴文氏の本を読むのは、これで4冊目である。さすがに4冊目ともなると、著者の考え方があらかた理解できて、新しい発見はないかと思いきや、きちんと新しい発見がありました。

    まず本書は
    第1章 学校は国策「洗脳機関」である
    第2章 G人材とL人材
    第3章 学びとは「没頭」である
    第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!
    第5章 会社はいますぐ辞められる

    以上の5章立てになっています。

    著者は、

    "「学校は会社が使いやすい労働者を大量生産する工場である」と言い切っている。そして、インターネットの登場によって、旧来型の国民国家が解体されつつある現在、もはや「国民」の養成機関としての学校には何の価値もない。"

    と主張しています。
    さすがに、ここまで言い切ってしまうのはどうかなと思いますが、的を得ている部分もあります。日本では教科書はいまだに検定制度をとっており、「国がお墨付きを与えていないものは、教育に使用してはならない。」となっています。この本でも触れられていますが、これは明らかに洗脳です。そういう意味では著者の意見に賛同できるところは多いにあります。

    まず学校が必要ないということを前提として、第2章では今後、生き方の選択としてグローバルに生きるか、ローカルに生きるかに分かれていくと主張を展開させています。そして第3章では、何かにハマることの大切さを説き、第4章では頭を使い「レア」な人材になろうと説いています。
    最後の第5章では、会社もまた洗脳機関であり、その会社はすぐに辞めることができると説いています。私は40歳を過ぎたおじさんなので、この部分を積極的に読みました。そのうえで著者が

    ”会社なんてさっさと辞めてしまえばいい。少しでも不平不満があるなら迷わず辞めるべきだ。”
    ”会社を辞めたくらいでは、大変なことにはならない。”

    と言っているところに、すこし違和感を感じました。
    確かにその通りかもしれません、会社を辞めた程度では大変なことにはならないかもしれません。しかし、次の仕事が見つからないかもしれない、家族を養っていけるのかという不安に苛まれながら、仕事を辞めるわけにはいきません。
    そもそもその常識が、ここまで日本を豊かにしてきたという事実は無視できるものではないと思いました。

    この本は良い内容でしたし、楽しく読めました。
    ただ40歳を超えて、これまで刷り込まれてきた常識を覆すことは容易なことではないと感じました。

  • ホリエモンの教育に対する考え方は、本質を捉えすぎて、特に団塊の世代以上には受け入れられないと思いました。

    ボクは、教育は社会に平行して適合しなければならないと思っていますが、現状では、ホリエモンのいうように、学校は、今でも工場要員の養成所でしかないと思いました。

    親としてのエゴが子供にどう影響するのかも考えなければなりませんが、それ以上に、システマチックにホリエモンのいう洗脳的教育システムは子供たちの本当の思考を奪うのだと思い、日本の教育の現状に絶望しました。

  • 思い込みや暴論で書いてしまっている部分も多かったり、分類名がダサかったりとツッコミどころは有りますが、ではこの本を論破できるかと言われると、反論しきれない1冊。
    私自身、著者が忌み嫌う学校教育のレールにきっちり乗ったL人材なので、読んでいて図星すぎて反感を覚えたのかも。
    学校教育はこれからどうすればいいんでしょう。学校自体が不要とはどうしても思えないです。

    なぜかレールに乗ることや我慢することを美徳と感じる日本社会のおかしさに対する指摘は的を得ていて、ハッとさせられる部分もたくさんありました。
    本当の学びとは「没頭」であること、これからの幸せは「快」のシェアであることなど、本書の幹の部分には大いに納得&励まされました。

  • 没頭する力、今に投資する、
    イギリス産業革命時代の教育が今も活用されている、

  • 日本には我慢しない人を軽蔑する文化がある
    我慢する事はいけないことなのか、必要ないことなのか。
    身動きが取れなかったのは環境のせいではなく、ブレーキペダルをベタ踏みしていた自分自身のせい

    目上の人に認められるのは良いこと
    与えられた環境で我慢し上の位を目指すべき
    →それは違う。ただ、学校は必要なのでは?

    常識を疑う事は良い事だと思うが常識に背を向けることがいいことなのだろうか?

    他者と共存するためにあるのではないか、ある程度同じ知識がある事でお互いを理解しやすくなる。相手を知ることができるのではないか。

    インターネットの浸透によって国家はなくなりつつある。

    別の世界というイメージを作り出すのは接触コストだ。
    今や接触コストがかからなくなっているため世界の枠組みがなくなりつつある。

    人間がこんなにも進化したのは、人間にはフィクションを作り、大勢で共有する能力があったから

    中国や北朝鮮、アメリカなど国として戦争をやっていても、その国民は日本で普通に日本人と仲良く交流している。それはなぜか?国家という枠組みとは何か、なぜ戦争がなくならないのか。

    昔は共通の幸福論があったが、現在は多様化し幸福論がそれぞれ人によって違うというものになってきた。

    これからの世界を動かす原動力となるのが感情のシェア
    まさに自分も楽しかったことを共有したいためにSNSで投稿している。ともすれば『浅くて広いのは、、、』『リア充アピール』など言われる事もあるが、そうではない。多くの人と関わりたいからこそ自分が興味がある物を他者に伝え賛同(共感)してくれる人を見つけているだけである。

    学びとは没頭すること。

    オールB思考は確かにいらない

    教養とは、それぞれが好きな事をして行く中で、必要なタイミングで身に付けるもの

    知の地平線を拡大する作業の楽しさ。

    人間は誰もが子供の頃没頭の達人だった。
    大人にとってはちっとも面白くないようなことを何十分でもやり続ける。特定の大きさの石だけを集めるとか、積み木で何かを作ったり崩したりを永遠続けるとか。
    ほとんどの人は成長過程で没頭を押し殺し、いつしか没頭そのものを忘れてしまう。子供は皆天才なのではない、それが通常なのだ。

    『没頭出来るようなことが見つからないんですが、どうすればいいですか?』
    この社会のどこかに『没頭』というラベルが貼られたお宝があり、それはキラキラしているため見ただけでこれならハマれる!と確信させてくれ、マリオがスターを取った瞬間から無敵になるように、自分もそれに手をかけさえすればたちどころに没頭状態がやってくる。そう思っている人が多い。
    順番が逆。人は没頭が約束されたものに取り組んだ時に没頭に至るのではなく、目の前の事にとことん取り組んでみて、ふと我を忘れる瞬間がやって来た時に初めて自分がそれに没頭していた事に気付く。
    とことん目の前に見えるものに取り組んで見る。
    餌を待つ雛鳥の様に口を開けて待っているだけでは、どんな豪勢な遊びを提供されても、本当にそれにのめり込むことはできない。

    希少性は要素タグの掛け合わせによって生み出される。
    100万分の1のレア人材になる。

  • 没頭するということの大切さをそぎとる学校や親たち。思考や生き方、お金の考え方など。
    C0237

  • 誰もがやりたいことをやらない。いろんな理由をつけて。自分もそう。
    やりたいことをやろう!楽しいことをしよう!
    没頭しよう!そんなモヤモヤした思いをかかえるひとの背中を押す本。
    でも自分の本当にすきなこと。やりたいことってなんだろう?考えてやりながら見つけていきたいと思った。もっと自由に。

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