すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
- 光文社 (2017年3月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334039745
感想・レビュー・書評
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すべての教育は「洗脳」である
21世紀の脱・学校論
著:堀江 貴文
紙版
光文社新書 871
学校教育を洗脳といい、使いやすい労働者を大量生産する工場という
グローバル人材(G人材)と、ローカル人材(L人材)を対比していく
そして、ナショナリストな人材(N人材)も
けっこう暴論な一冊ですが、ITと高齢化を捉えていて、考えさせる内容でした
気になったことは以下です
・学校教育のエリートは、洗脳されることに慣れた人たちだった
・学校はただ、ゆがみきった常識を植え付けるために、存在する機関なのである
・そもそも、学校は工場の誕生と連動して作りだされた機関なのである
・国家は、想像上の産物である
・そもそも、使用する教科書を国家がチェックするという制度自体、先進国の中では極めてまれである
・人種の壁、国境の壁、年齢の壁、あらゆる壁を越えて、人はそれぞれの居場所を自在に作ることができる
・G人材:グローバルを行動範囲とする
L人材:ローカルに根づく
・Lの世界に関して注意すべき点を2つ
①とにかく保守的な人が多い
②地方の居心地のよさは、非常にもろい条件の上に成り立っている
・G人材の最大の特徴とは何か、それは実は、所有からの解放にある
・ITの力は、国家間の格差をフラットにしつつある
トーマス・フリードマン 「フラット化する世界」
・N幻想の失われていく世界とは、つまり、優秀な人がその出自に関係なく、価値を正しく評価される世界なのである
この恩恵を受けるのは、開発途上国の人たちだけではない、僕たち全員だ
・僕のいう、学び、とは、没頭、のことだ
脇目もふらず没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが、学び、だと僕はおもっている
・面白ければ、ユニークであれば、いい
手軽に、レア人材になった人たちが、そのことを踏み台に、着実に次にステージに進むのを見て来たからだ
みんな、もっとインスタントに、唯一無二の存在になって、そのメリットを利用しつくして次へ進めばいいじゃないか
・オンリーワンになれるかもしれない
・手抜きでやりたいことの時間を作れ
・会社なんてさっさと辞めてしまえばいい
その会社をよほど好きならともかく、少しでも不平不満があるなら迷わず辞めるべきだ
学校を転入・編入するのに比べたら天職なんてずっと簡単だし、自分で事業を起こすことだってそんなに難しくない
・国家にしろ会社にしろ、幻想で出来上がっているコミュニティのために、人が罪を犯したり、自分の健康を危うくしたりする必要はない
・19~20世紀の工場的な考え方は、21世紀にはあっていない
①社会に求めれる仕事がもはや昔のような、工場労働ではないということ
②人間の寿命が100年前の倍近くまで延びているということ
である
・退職後35年も年金だけで生きていくのは不可能だ
かといって、同じだけの期間を遊び暮らせる資産を作るためには、会社員としての報酬の大半を預貯金や投資に回さなければならない
それでは人生を楽しむこと自体が難しくなる
目次
はじめに 「何かしたい」けど「今はできない」人たち
第1章 学校は国策「洗脳機関」である
第2章 G人材とL人材
第3章 学びとは「没頭」である
第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!
第5章 会社はいますぐ辞められる
おわりに
ISBN:9784334039745
出版社:光文社
判型:新書
ページ数:208ページ
定価:740円(本体)
発売日:2017年03月20日初版第1刷詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
書籍内で例示されているものが国の恣意的な制度である、あるいは一部の利権が伴うものたちからの洗脳であるという点は否めません。その点は同意です。
しかし、その側面のみで学校を廃止する極論は困難でしょう。
学校制度のメリットをどう補完するべきか?
例えばネットで解決できると一口に言っても、相対的貧困率が高い日本、レベルの低い親の環境で平均以上の環境を提供できるのかは甚だ疑問です。
つまり、脱学校化の先にあるのは一部の優秀な層とそうでない層の乖離でしょう。その論点についてより代替案があればなお良かったです。 -
過去から現在の学校教育の問題を論理的に書かれており、極めて分かりやすい文章で表現されています。
10代、20代の方々に読んで頂きたいです。 -
「学び」とは没頭である。脇目も振らず没頭し、がむしゃらに取り組むことのすべてが学びとなる。学校では、そこに通う人間を規格通りに仕上げようとする性質があるという。しかし、インターネットが普及した現代では、これまで以上に自由があると考えて行動してもいいのではないかと本書は訴える。自分自身の時価総額をあげることができれば、いまこの瞬間も、自分がワクワクすることに時間を使えるのだろうと思う。本書では「貯金型思考」から「投資型思考」へと考え方をシフトさせることで自分の価値を最大化できるとあった。本書を読み、現状に対して思考停止になっている自分に気付かされた。
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教育への批判。いちいちごもっともなんだよなあ。教育は変わらなきゃ。もっと、学びは楽しいものじゃなきゃ、と思う。
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書名は過激ですが、内容は過激でなくまっとうなものでした。
「~するな」とか「~はダメ」とか禁止の多い学校教育は害悪でしかなく、これからの時代は「没頭」することが大事でそれが「遊ぶ」「働く」「学ぶ」の三位一体につながるということでした。
ネットが発達し、AIが人間が嫌う仕事をやってくれる時代が来つつあり、もう苦しい仕事をすることが美徳な時代ではないんですよね。まず、没頭できるものを見つけることが大事だとわかりました。 -
産業革命に起源を持つ学校は、工場労働者の育成機関。知らないうちに自分たちは国にとって都合の良い人材に育て上げられていた。
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タイトルの通り
ホリエモンの本はどれも一貫した意見なので、数冊気になるのを読めば十分かな?って個人的には良いと思います。