ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (447ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751180

感想・レビュー・書評

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  • 「なんと悲しいことなんだ!僕は歳をとっていく。そして恐ろしく醜い姿になっていく。この絵は若さを失わない。…反対だったらいいのに!いつまでも若さを失わないのが僕の方で、この絵が老いていけばいいのに。…」(P56)

    3月は古典に触れようと思います。
    そんな矢先に、読もうと思ったのがこの本でした。

    人間、いつまでも若々しくありたいもの。しかし、鏡に映る自分は日を追うごとに歳を取って行きます。

    主人公である、美少年ドリアンもそう思っていて、画家バジルが描く自分の姿を見て、冒頭の言葉を言い放った。

    何気なく、情動的に出た一言。しかしこの言葉が彼の人生を大きく狂わせることとなったのでした。

    絵の中の自分は、少しずつでも確実に、彼が行う悪行とともに醜く歪んでいき、その一方で「本当の」自分は全く変わらないまま…。

    理想であった、絵の中のいつまでも変わらない自分の姿が、いざ、現実となってしまった今、彼の心の中の恐怖が、文面を通じて伝わってきます。

    ただ、そこに絶対に起こり得ないという、共感しきれなさがあって、そこがなんとももどかしい。
    気持ちはわかるんだけど、分かりきれていない…。

    そんなもどかしさを味わいながら、頭を巡らせながら読み切りました。

  • 19世紀アイルランド出身の作家・劇作家、
    童話も名高いオスカー・ワイルドの小説。

    高校生の頃、旧訳を古本屋で買って
    積読しっ放しだったことを思い出しつつ、
    あまりに有名なため、
    読まずしてオチを知ってしまっていたので避けていたが(笑)
    まあまあ気に入っている光文社古典新訳文庫にて
    第2刷が出たのを機に購入。
    予想を遥かに上回る面白さに驚いた。
    老若・美醜の問題に囚われるあまり
    言動が常軌を逸していく主人公の混乱っぷりは他人事でもなく、
    意外に感情移入して世界観にとっぷりハマることが出来た。
    男性三人が同性愛の関係にあるのは明白なのだが、
    それが罰せられる世の中だったため、
    極めて婉曲かつ控え目に描かれているところが
    個人的に好ましく思えるのだった。
    この新訳は現代的な言い回しで綴られ、
    読みやすく、お薦めしやすいが、
    解説で紹介されている1950年発表の平井呈一訳の冒頭部分が
    うっとりするほど色香が匂い立つような文体なので、
    機会があったら読んでみたい。

    尚、本書第10章以降で言及される、
    ドリアン・グレイがヘンリー卿から贈られて耽読する
    「悪書」はユイスマンス『さかしま』である。

    [備忘]
    岩田美喜「世紀末の夜の子供たち――『ドラキュラ』におけるアブジェクシオンの作用」
    (東北大学英語文化比較研究会機関誌《川内レビュー》№3〈2004年〉)
    ワイルドと同時代の同郷人ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』と
    『ドリアン・グレイの肖像』のテーマ、モチーフの近似性を論じている。

  • 『幸福な王子』『サロメ』を残したアイルランド出身の詩人、作家、劇作家・オスカー・ワイルド唯一の長編小説。

    「美」と「若さ」をテーマにすえた、強烈な寓話的物語。ところどころに散りばめられている、作者の鋭い人生論的言及をメモメモ。ヘンリー卿のシニカルなワード・パワー、ドリアンのサスペンス味を増す後半の展開に引き込まれつつ、人生の実相に思いを馳せる。あらすじや結末が知られながらも、多くの人を惹きつけ続け、読まれ続けるのは納得。本翻訳の良し悪しはちょっとわからないのだけれど、他翻訳でもぜひ読んでみたいし、繰り返しの読書に耐える作品だ。

  • ▼ウディ・アレンの「レイニー・デイ・イン・ニューヨーク」を観ました。大好きな1本。主演のティモシー・シャラメのためのような映画でした。

    ▼うーん。イケメン。すごい。しかも系統としては、トム・クルーズとかそういうのぢゃなくて、アラン・ドロンとかヘルムート・バーガーとか、ヴィスコンティ系というか渋澤龍彦系というか三島由紀夫系というか倒錯系というか…。ドリアン・グレイ系です。若くして破滅とかしないか心配です。

    (それはそれとして、ウディ・アレンは過去のセクハラ疑惑で糾弾されまくってしまっているようなので、ひょっとしてこれが劇場で観るウディの新作体験としては最期になってしまうのだろうかと思うと感無量。ウディ84歳、クリント90歳が、生きてる監督ではいちばん好きです)

    ▼「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド。光文社古典新訳文庫、仁木めぐみ訳。初出はアメリカで1890年。有名な小説で、「読んだ気になっているけれど読んでなかった本たち」の1冊。

    ▼著者のオスカー・ワイルドさんは、アイルランドのダブリンの医師の息子。幼い頃から天才で、オックスフォードを主席で卒業。ギリシャ語、フランス語も堪能で、在学中から詩人として活躍。卒業と同時にマスコミ社交界の寵児に。欧州、米国で一世を風靡した後に、同性愛で投獄され、出獄後は失意の中で没落し。最後は梅毒で46歳で死去。実にナントモな生涯。唯一の長編がドリアン・グレイ。

    ▼読了したのが昨年なのでうろ覚えですが。貴族の息子で美貌の青年ドリアン・グレイ。どういう美貌かというと、つまりは「ベニスに死す」のタッジオ的な、ヤバい系の美青年。(ベニスに死す、も、映画して見て無くて原作は未読ですが)。インテリで悪魔的な友人の誘い文句にのって、実に世紀末的に堕落した人生を送っていくんですが、見た目が歳を取りません。その代わりに、彼の肖像画が見にくく老いていく…。という戦慄のファンタジー悪徳ホラーみたいな物語。

    ▼正直言って、2020年現在の感覚で言うと、やや冗長です(笑)。文学研究者でもなければ、もはや多感な青年でもない読者としては、ふんふんと飛ばし気味に読んで、そうやって読んでいくと実にオモシロイ小説でした。美を追究して傾倒していくと、モラルと人情から大きく踏み外していく…という。まあ、「金持ち」が「美」に向かってマジになると、ということですが。

  • 老いるのも残酷だが、自分だけ美を保ち続けるのも残酷なんだなぁと思った。
    飽きさせないストーリー展開に加えて、ヘンリー卿の毒舌などでワイルドの人生観を堪能できた。

  • ある意味、この歳まで読まなくてよかったと思います。若い時分に読めば間違いなく、ヘンリー卿のエゴイスティックな快楽主義、耽美主義に傾倒し、その後の人生がどうなっていたか。(まあ、私はドリアン・グレイのような美男子ではありませんが...)

    私の中での、文学上のヒーローはこれまでドストエフスキー「悪霊」のスタヴローギンでしたが、ドリアンとヘンリー卿は彼に勝るとも劣らない強烈な魅力があります。どうも私はインテリな悪のカリスマを崇拝する傾向があるようです(笑)。

    本書の至る所でヘンリー卿の口を借りて展開されるワイルド節は、世間一般の道徳に基盤をおいた価値観を一蹴し、グレイでなくても惹きこまれる悪魔的魅力に満ち溢れています。確かに、道徳というものは共同体における個人の行動を一定の価値観の強要によって規制することで、共同体全体の秩序を保つための道具であり、美徳というものは常に相手や第三者との関係によって成り立っている、ある意味、個人を抑えることを本質にしていると思います。そう考えると、芸術とは凡人による平均的なアクティビティに対して、独創的な特出した価値であり、強い個性あってこそ高い芸術性が生まれるのであって、確かに芸術と道徳は相反するものかもしれませんね。うーむ、人付き合いと芸術とどちらを採るかといったところでしょうか?

    ヘンリー卿にかぶれて快楽と頽廃に溺れていくドリアン。まさに金持ちが暇を持て余しているがための為せる業であり、毎日をあくせく生きることに精一杯な私の目にはまさに憧れの生活です。私が今の状況で真似をすると、単に人生をあきらめ、投げ出してしまったと、グレイの場合とは対極的な陰惨な物語になってしまいますが...

    ところで、読んでいてバジル、ドリアン、ヘンリー卿にホモセクシャルな雰囲気を感じて、しまいましたが、ワイルドさんも家族がいるのに同性愛者だったのですね...芸術家って、何故か多いですね。ゲイ術家...
    (※ このレビューはまだLGBTが今日程一般でない時分に書いたものですが、記録として訂正せずそのまま載せました。気分を害された方がいたら申し訳ございません)

    いずれにせよ、本書は私に非常なインパクトを与えてくれました。原文を読んでみようかな。英語だし。

  • 結構積読しましたが、読了。もう少し生々しくエロティックな小説かと想像してましたが、ミステリーや幻想的な要素もありの硬派な内容だったかな。

    19世紀のエスタブリッシュの交流を垣間見れた。どうもシニカルで自国に対してアイロニーを言葉遊びで混沌としていく会話もなんかぽいなー興味深く読み進めてた。

    ドリアングレイという人生が芸術なのだ。人とは隔てた神聖なもの、日常とは切り離された鑑賞させるべき対象として崇められている。そこに人から滲み出ざるを得ない苦悩や後悔、不正や罪悪、老いや不純さなんてものが一切感じられない、まさに究極。

    本人はそんな自分を呪い、感覚に全てを委ねる。快楽主義こそが人生で肝要であるのだと。破滅や不埒な生活こそ人生なのだと。純粋無垢な青年のような若さは呪縛と言い捨てる。
    事実破綻した生活、芸術への執着を歩んできているのに、世間か疎まれる一面はあるが自身の美しさが事態を好転させる。そこの矛盾に精神が侵されていく様は読み応え抜群。

    最後は精神異常に陥っていて、自画像の呪いによって殺されたのか、実際に自殺したのか混沌としたクライマックス。

    心情吐露する表現が多く、ストーリーが冗長な面もあるがそこがドリアングレイの変わりゆく様を克明に読者の脳裏に打ち付けてくる。どんどん冷淡になっていくドリアングレイ、それでも美しさに一変の曇りもないアンビバレントさ。ごちそうさまでした。

  • あらためてオスカー・ワイルド半端ないと思った。筋は戯曲・舞台調で陳腐と言えば陳腐でドラマチックと言えばドラマチックでとにかく飽きさせない。しかし一番の見どころ(読みどころは)ヘンリー卿とドリアンやその他貴族との洒落た軽妙な会話の数々。頭に浮かぶアイテムをつなぎ合わせたら「サロメ」のにおいぷんぷんなんですが、小説だけの言葉、戯曲だけの言葉の使い分けが徹底的だから筋が舞台調でも読み手がしらけずにいられるんだろうなぁ。セリフだけ書き出してトイレにでも貼っておきたい。

  • ドリアンのとてつもない魅力と醜悪な肖像画との対比が面白く、ゾクゾクしっぱなし。
    ヘンリー卿(私の頭の中ではTom Hiddlestonみたいな見た目という設定、笑)もドリアンとは違う魅力があって、実は彼が持つ思想や影響力がこの物語の一番のポイントかもしれない。

    登場人物たちが知らずして織りなす不思議な運命は、現代を生きる私たちにも色々考える機会を与えてくれる。

  • 大学で絵画を専攻しているのですが、人物画のモデルには、知り合いか他人かに関わらず、特別な感情が湧きます。
    私はモデル本人に打ち明けたことはありませんが、ドリアン・グレイの画家がドリアンに打ち明けたのはすごい事だなと思い、それが印象深かったです。

    制作中は実際会ってる時と違う気持ちにもなり、長く描いてると、絵の中のモデルとの付き合いが長くなり、妙な親密さを持ち、「私の知っている絵の中のモデルとは」を考えることがあります。
    それは自分の見たかったモデルの姿とか、理想像であったり、一瞬の人間らしさを感じるたたずまいなどです。

    だから自分が描いた絵画の中のドリアンが変貌していくなんて知ったら、とても悲しむことだなと感じます。

    結構人物画は、モデルの一瞬の美しさを絵の中に閉じ込めたいから描くイメージだったのが、これを読んで少し変化したように思います。ドリアン・グレイの肖像を読んだら人物画を描きたくなりました。

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