ライン 幻冬舎文庫 (幻冬舎文庫 む 1-17)

著者 :
  • 幻冬舎
3.24
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本棚登録 : 944
感想 : 68
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344402317

作品紹介・あらすじ

受話器のコードを見るだけで、ライン上で交わされる会話が聞こえる女がいるという。半殺しにされたSM嬢、男の暴力から逃れられない看護婦、IQ170のウエイター、恋人を殺したキャリアウーマン。男女の性とプライドとトラウマが、次々に現代日本の光と闇に溶けていく。圧倒的な筆力で現在のコミュニケーションを描いたベストセラー。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の作品は初めて読んだけども…病んでて暴力的。エグくて、でも特にカタルシスがあるわけでもないので、あんまり私には合わなかったかも。緩やかにさりげなく語り手が交代していく手法はとても面白いと思った。

  • 薄っぺらいもの、イージーなものに触れていると人間は暴力的になる。トートロジーだが、暴力はイージーの最たるものだ。断っておくが、決して、本書がイージーだというわけではない。

    本書は近代という大きな物語が終わった後の物語だ。関係性は切れ切れだ。著者はあとがきでかいているが、大きくはポスト近代の物語として解釈できる。

    登場人物に、共通なのは、葛藤がない、自分がない、ということだ。いみじくみ最後のユウコの感慨が「わたしには他人というものがない」であった。

    しかし、可能性はある。「信号というのはそういうものじゃない」とのユウコのセリフがその唯一の鍵だ。自他を分けるもの。違和感がここにある。

    田口ランディの解説に「病む」ことが「ライン」を抜けるゲートとあった。その通りだと思う。異常性に悩む、逸脱を抱え込む。そこにしか人間らしさはない。

  • 最初の方ちょーやばいと思ったけど中盤くらいから飽きた

  • 様々な人のネガティブな面から、人と人の関わりから見える内面が垣間見えた。決してポジティブにはならないし、気分も上がることはない。もう読もうとは思えないし、読んだことを後悔している自分もそこにはいる。

  • 村上龍の作品を一度は読んでみたかったので。
    私がこんなのほほんと暮らしてるのが心配になるくらい危険はいろんなところにあるって気付かされました。暴力ばっかやな。暴力短編集みたいな。
    でもなんか気になって一気に読んだ。
    なんだか気になるんだよなー。

  • 『自分が話すことはほとんど嘘ばかりだが、他人を感動させたり、恐れさせたり、影響を与えることができれば、それが真実でも嘘でもどうだっていい』
    『決して回答できなかった問題を繰り返し呟く…母親は貧乏だが正直な人だった』


    18人の物語が順に繋がっている。ドラッグ、セックス、暴力。著者の作品はいつも読み辛くなって、一旦置いてもまたすぐに続きを読みたくなる不思議。


    『人間は他人によって自分を確認している…もしそれが正しいのだったら…わたしには他人というものがいない』

  • 面白かったと言えば面白かったけど・・・・

  • 自分とは違う世界線だと思った。
    変人ばかり出てきたので、自分の感覚まで歪みそうになった。

  • この表紙は村上龍によるもの nice。
    会田誠が、自分がロリや美少女を描くのは、自分が好きだからではない。 なぜそれを描くのか考えて欲しい。と言っていた記事を読んだ。
    会田誠は、ロリ、美少女、残虐、性的な作品を作り、鑑賞者が残虐だ、女性を酷い目で見ていると反応するように罠をかけているような作品を作る。
    そういう反応をTwitterで受け、リプライを眺める、そして自らも反論し、連なったリプライ自体を表現としている。
    個人個人を、その個人が育った家庭を学校を社会を魅せる。 

    村上龍が援交、暴力、破壊、性、おとなしい人間、バカな人間、薬、精神病院を描くのはなぜか考えないと。
    共感して終わってはいけない。
    父親や母親が、社会仕事のストレスを、子や家庭で発散し、その下で育った子供が成長しておかしくなる、影響が及ぶ。


    社会仕事のストレスとは。

    2020/12/14 再読
    語り手は、登場人物の認識を代弁し、登場人物をつまらない言葉で特徴のない捉え方で客観的にも説明する。
    語り手はいるようだが、ほとんど登場人物の一人称だ。

    語り手が代弁する人物が節の途中で変わる。
    aからbに変わるとする、変わる時まではaが自分の生い立ちや考え方が語られa側に心が寄っていったところでbに変わる、aがbを貶す言葉は語られず、欲しい情報を持っていたり仕事をくれる相手だったり話しやすい相手だったりする。しかし、語りがbに変わると、bはaを何の魅力もないとか、ダサいとか、偏差値の低そうなとか、様々な言葉で心の中で批判する。

    三島由紀夫読み込み後に村上龍を読んだ。

    村上龍は、日常会話で使われる言葉や言い回し、具体的な情報を、句読点を打ちながら、句読点前後の関わりがなくても、情報としてドンドン出していく。
    三島由紀夫のように、項や行を戻って、どうしてこう変化したんだっけ?、前にきっかけが書かれていたような、ここでこう表明されているからここでのこの行為はこういう意味を持つんだろう、これはあるくくりに含まれる具体的なものだな、大きな括りとして自然と人口が対比されていたら風は自然だな、冷房と扇風機は人口だなと読みとったり、そういうことをしない。
    私の日常は村上龍の言葉の表現そのままくらいの言葉と考えでとどまり、三島のようにもっともっと奥の方までは及ばないのかもしれない。

  • 現代の人生の薄暗さに打ちのめされながらも、一気に読んでしまった。
    この小説が書かれてから20年くらい経っているけど、人々の間の空気はほとんど変わっていないと思う。

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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