- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480039255
感想・レビュー・書評
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赤瀬川原平が亡くなった。子供のような好奇心を持ち、直感力に優れ、その直感を愚直に言葉にし深く正しいところに到達する、それも、ユーモアをもって、あくまでフラットに。そんなところがとても魅力的だった。そんな赤瀬川原平は、気むずかしい白洲正子なども惹きつけた。なお、自分が日本美術に興味を持ったのは赤瀬川原平のこの本のおかげだ。ご冥福をお祈りする。
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クラフト・エヴィング商會の「ないもの、あります」に赤瀬川さんのエッセイが載っていて、どんな人か気になったので。美術館に行きたくなります。
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ネット画像で観れば事足りる作品もあるが、本書は日本美術は「ナマ」で観るべし、のスローガンで洒脱に下世話に、解説でも感想でもない軽妙な文章を読ませる。教養と技術をベースにしてこそ出来ること。
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絵を見るのに作法は要らない。こういう本は楽しい。
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むかし買ってびゃーと読んだ本なので家にあるはず。
また読んでみることもあるかもしれない(あいまい。
日本美術に対する敷居を、ぐっと低くしてくれた本のように思う。 -
テンポがいい。言いっ放しのようで、ずばずば本質をついてくる。感覚的にすごくよくわかる。
・精神性なんて普遍的でもなんでもない。人による。人によるってことをもっと実感に基づいて考えなきゃ
・飾るエネルギーって人間のかなり根元的なもの -
2013/04/25 読了
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若い頃は、キュビズムとかシュルレアリスムなどのアバンギャルドな芸術から興味が湧き、そこそこ落ち着いた年頃になると、ルネサンスとか印象派などわかりやすい芸術に興味が移る。そしてもっと年を重ねると日本美術の良さに気づく。 J−POPに飽き、洋楽に飽き、演歌の良さに気づくみたいなものか。
対談されている当時の赤瀬川氏も山下氏もおじさんだ。そして今の自分もおじさん。これはおじさんによるおじさんのための日本美術本だ。
解釈が面白い。この本を読んだからといって、造詣が深くなるというほど高尚なことは書いていない。でも、そこが良い。俗っぽい対談の内容がとても身近に感じる。
例えば尾形光琳の『紅白梅図屏風』。 国宝なのに、これは「嬲る」という漢字を絵画化したものだ、という説を紹介し、光琳とスケベは切っても切れないと言う。
また他の例では、「北斎は美空ひばりに似ている。天才で抜群に上手い。でも下品。あの下品さは広重にはない」と、貶しているかのような表現がズバズバ出てくる。
もちろん貶しているわけではない。褒めているのだ。
日本美術を語るキーワードは『乱暴力』と赤瀬川氏は言う。
単なる荒々しさではなく、抑えきれない精神の発露が生む力強い表現が日本美術にはある。
曽我蕭白の障壁画に見られる乱暴な線、円空の仏像に見られる鉈彫りの勢い、縄文土器や土偶に見られるプリミティブで呪術的なエネルギーの爆発、などなど。
日本美術は机上で画集を開いて、ああ、きれいだなと眺めるものではなく、実物を目の前にしたときに体感する圧倒的な乱暴さに魅力がある。
確かに若冲とか蕭白とか雪舟とか、画集やテレビの画像で見るのと、美術館で実際に見るのでは迫力が違う。二人に言わせると、展示ガラスも取り除いてしまいたいらしいが、とにかく足を運んで実物に対面しなければ日本美術のすごさはわからない。
巻末にある、等伯の国宝『松林図』は描きかけのボツ原稿だったんじゃないか?という、とんでもない説も、読めばなるほど面白い。
「乱暴力」という見方で、これからは日本美術を楽しみたい。