日本文化の論点 (ちくま新書 1001)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067135

作品紹介・あらすじ

『NHK ETV特集「ノンポリのオタク"が日本を変える時~怒れる批評家・宇野常寛~」』『ニッポンのジレンマ』などで話題の著者・宇野常寛の初新書。

情報化の進行は、二〇世紀的な旧来の文化論を過去のものにした―。本書は情報化と日本的想像力の生む「新たな人間像」を紐解きながら、日本の今とこれからを描きだす。私たちは今、何を欲望し、何に魅せられ、何を想像/創造しているのか。私たちの文化と社会はこれからどこへ向かうのか。ポップカルチャーの分析から、人間と情報、人間と記号、そして人間と社会との新しい関係を説く、渾身の現代文化論。

感想・レビュー・書評

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  • AKBがいかに新しい文化の形なのかを分かりやすく示している。頭のいい人とはこのような人をいうのだろう。

  • 気鋭の評論家、宇野常寛氏によるポップカルチャーの論点を抽出しつつ、現代日本社会を論じるという時代の地図を描き出す入門書的な書籍でございます。視点が斬新で宇野氏の発言はとても読んでいて面白かったです。

    本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏による現代文明批評を新書という形にし、入門書という形でまとめたものです。僕が宇野氏を知るきっかけとなったのはいまや国民的アイドルグループとなったAKB48について、『ゴーマニズム宣言』などでも知られる小林よしのり氏らとともに、熱く激しい論戦を繰り広げていた様子を動画投稿サイトなどで目にしたからでございました。さらに宇野氏は自費出版で批評雑誌を主宰、刊行しながら自らを『政治評論からAKBまで』と称し、多彩な評論活動を展開されている方だということを本書を通して理解いたしました。

    僕自身もサブカルチャー畑出身の人間ですので、宇野氏の紹介する「特撮もの」(仮面ライダーやウルトラマンetc)を自分なりに見ていたつもりではありましたが、正直な話、ここまで深くは見ていなかったことをつくづく思い知らされ、
    「まだまだ修行がたりんなぁ」
    と反省してしまいました。

    冒頭のほうで掲げられているとで見る日本というお話はとても面白かったです。これは宇野氏の友人の社会学者である濱野智史氏がおっしゃったことなのだそうですが、続に『失われた20年』を生きる現代の日本社会とその狭間で蠢く、ソーシャルメディアや動画投稿サイトなどのネット文化のガラパゴス的な発展は自分もまたその恩恵を受けている人間の一人として、とても共感することが多かったです。

    さらに自らが高田馬場に拠点を構えているということで、東京という街全体が「距離」ではなくて「時間」に置き換わっているというくだりは僕自身も東京で生活をしていた時期がありますので、その辺のことはとてもヴィヴィッドであり、皮膚感覚で理解ができました。さらに、宇野氏自身が得意とする音楽や特撮から日本の社会やコミュニケーションを論じたあと、本書の真骨頂である『AKB48と日本文化』に入っていくのです。

    正直なところ、僕はAKB48については、「広く浅く」というスタンスで、宇野氏のようにCDを何枚も買っては足しげく「握手会」に通ったり「総選挙」で票を投じているわけでありません。『あ、あの娘はいいナ』というメンバーは若干名こそいても、宇野氏が積極的に応援し、更には自らの主催する雑誌の表紙にまで起用した横山由依ちゃんのような存在はいないわけであります。

    俗に「識者」と呼ばれる人間がそれこそ口角泡を飛ばして語られる話題が「AKB48」という「事実」が例えようも無く知的に面白いのです。だからこそ僕は2006年当時、付き合いのあった人間から幾度と無くAKB48の公演に誘われておりましたが、そのときは全く興味が無かったので適当な理由をつけては断り続けて現在に至るという経緯を非常に後悔し続けているのかもしれません。もしも、あそこで彼女達の公演に足を運んでいたとしたら、メジャーになる前の彼女達の貴重な瞬間に立ち会えていたのでしょうし、もしかすれば宇野氏とAKBグループについて熱く語りあえていたのかもしれません。返す返すも残念です。

    しかし、彼女達のドキュメンタリー映画は見ているので、本書で紹介されているエピソードを読んでも『あぁ、あの話か』という理解はでき、彼女たちが有名になるまでのプロセスがかつてのアイドルとは一線を画す形であったのだと言うことは良くわかるような気がするのでした。最後に、我々は宇野氏や濱野氏がおっしゃるように古いとあたらしいが存在する中に生きているのでしょう。個人的にはその両方を行き来しつつ、日常を送っていると認識しておりますが、他者から見た僕はに属している人間なのでしょう。おそらく。

    僕は宇野氏とはまた別のアプローチで「見えないもの」を「観る」ようにはしているつもりですが、僕と宇野氏の違いを挙げるならば、アニメ、ゲーム、アイドルの「濃度」が低い代わりに「文学」と「宗教」さらに「哲学」や「金融・経済」などの視点が入っているのかもしれないと、読み終えた後にそんなことを思いつつ、この文章をしたためております。

  • シラケ世代(古いね)でもないのだけれど単に性格が捻じ曲がっているのか、どうもいわゆるネット論客とか正当なことを朗々と唱える人が苦手なのです昔から。

    テレビで一番嫌いなのは討論番組だしね。
    なのでこの本、まったくこの人のこと知らないんだけど、裏表紙の写真みた時点で「あーこいつ、あたしの苦手なタイプ~ははは~~ん」と決め付けてます。はいすいません。

    でもこういう人って別に、あたしに嫌われたって大勢に影響ないでしょうしね。というわけであたしの中では勝手に「なんか角度をつけたカメラ目線のきもいひと」に認定。以上完了。


    ・・・じゃなかったか。


    えっとこの本は、まぁよくある、最近の「サブカルチャーだのネット内カルチャーをなんとなく擁護している風に、問題点を分析していきます、といいつつ、ネットワールドを夜の世界と断言したり、見方なのか敵なのか、スタンスもはっきりしない微妙なヒクツさも加味されてるので要注意」な論客の人のお話です。

    唯一この人の話の中であたしが納得した論旨は、クールジャパン論争のところでこの人が、日本のアニメは「作品そのものの後ろにある、二次創作文化(時代背景や設定を用いて消費者がわが別の物語を楽しむ文化)に支えられている、と述べた点。

    ま、その直後にこの人は、だから宮崎作品よりも海外にでるべきはガンダムだ、二次創作文化の素材としては優秀だから、と言い放つのであたしはこのひととはもう、袖を分かちましたけどね、気持ちの上で。えぇ。

    あたしの理解はこれとは違う。

    たしかにコンテンツを海外で受け容れてもらおうとする場合、海外の文化は日本以上に、その背景やバックボーン、hidden story(隠されたシナリオや意味)を重視する。それはもう、明らか。

    たとえばプレスリリース1つとっても、それは如実に表れる。日本のプレスリリースはタイトルに「誰が何を」を持ってきて、第一パラグラフで5W1Hをいうことが求められる。重要なファクターは、ひとえに「事実」だ。だからリリースは、いかに数字と事実が明記されるかを肝とする。

    ところが翻って海外のプレスリリース。これは日本とは180°異なり、重要視されるのはなぜそこに至ったか、そうしてこれからどうしたいのかという、企業の「思い」でありシナリオなのだ。だから海外のプレスリリースにはquoteと呼ばれる、自社のエライ人の言葉が引用されたりパートナー企業の賛辞が、リリースの本文の重要な内容になっている。正直それがないリリースはストーリーを担わないクソだと理解されることさえあるほどだ。
    ちなみに日本でもこの「賛同文」というのはあるが、これはリリース本文に組み込まれることはほとんどなく、通常は賛同文がリリースの後にずらっと並べられる。

    海外のリリースでは企業の「言葉」は企業の現在と将来を推し量る重要なファクターであると評価されるのに、日本のリリースでは企業の思いではなく「事実」が重視されるのが、広報担当しているとよくわかる。賛同文も、内容ではなくて、何社からもらったのかという「事実」ないしは数字として評価の対象になるに過ぎないからだ。

    ということでわき道にそれたけど、海外文化がコンテキストの外にある背景や世界観を重視する文化であるのだから、それに向かってアピールするには、別に宮崎作品でもいいと思う。ただ、その世界観をうまくガイジン受けする形に展開すれば。


    あとはちょこちょこ文章があったけど他はあまり響かんかったな~(えらそう)なんか、1つ取り上げるテーマへの論及が短くて、散文みたいに最後が自分の意見でしまっていて、このひとあまり、文章力ないんかな?とさえ思ったです。(さらにえらそう)

    論客の人って大変ね、ぜんぜん関係ない人にまでぶーぶーいわれんだもん。
    あ、それともこの書き方、このスタイルそのものが、あたしの知らない次世代の子達のアタリマエなのかな?もしかしたらそうなのかも。一番熱の入っていたのは彼がおそらくすきなんだろうね、AKB48の部分で、そこがある意味一番肩肘張らずに読めました。

  • マンガ・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーを代表とする「周辺領域」であった〈夜の世界〉の想像力が、政治や経済といった〈昼の世界〉を書き換えていく・・・
    すでに『PLANETS vol.8』を読んでいたので、すんなりと読めてしまう。『P8』での多くの刺激的な議論から抽出されたさまざまな論点が、この「〈夜の世界〉からの社会変革の戦略」を帰納的に論証していくかのように、新書としてまとめられている。

    論点①クールジャパン:日本が世界に輸出できるもの
    それはソフトそのもの(作品)ではなく、ニコ動やコミケといったコミュニケーションのインフラである。消費と創作の主体が一致してしまうような(二次創作)、現実と虚構の境界があいまいになった「中間の空間」にこそ、輸出されるべき「日本的想像力」はある。

    論点②地理と文化の関係は分断された
    地理が文化を決定するのではなく、文化が地理を決定する。そして祝祭の場としての現実空間に文化が要求するのは、建築の機能、とくにその規模=サイズの問題だけである。あたらしいホワイトカラー層の出現と、鉄道網に支えられたいままでの〈昼の世界〉とはべつの「夜の東京」とは・・・

    論点③価値はコンテンツからコミュニケーションへ
    情報化の進行によって、コンテンツの単価はゼロに近づいていき、コンテンツを媒介としたコミュニケーションこそが価値を帯びる。カラオケや初音ミク。楽曲自体の価値をその作品の内部だけで批評することには意味がなくなっている。

    論点④ゲーミフィケーション化する社会
    従来は不可視的といわれてきたコミュニケーションにおけるあいまいな「雰囲気」や「空気」のゲーミフィケーションによる可視化・数値化。「市民」と「動物」の二項対立から、双方向的で「中動態」的な(ほんらいの)人間へ。人間観の解体と更新。

    論点⑤反現実の歴史構造とファンタジーの作用する場所
    戦後的想像力、そして「虚構の時代」「終わりなき日常」の終焉。現実と虚構の境界が崩壊したのちにこそ作用する、あたらしい想像力の生成。〈ここではない、どこか〉へ連れていくのではなく、〈いま、ここ〉を異化させていくものとしての想像力。

    論点⑥すべての論点を包摂する論点としてのAKBシステム。
    〈劇場という現場とソーシャルメディア(夜の世界)〉が、〈マスメディアやヒットチャート(昼の世界)〉を席巻していく。楽曲そのものの価値よりもコミュニケーションの価値。「推す」という感情が社会を作る、社会に作用する。秋元康自身による二次創作、彼とファンとの循環的なn次創作。

    少数派たるサブカルチャーそのものが発信できる想像力に限るよりも、コミュニケーションのありようを変容させていくようなテクノロジーのもつ経済力や想像力を広く動員していくほうが、具体的な社会変革のモーメントを産み出すのではないだろうか。

    とはいえ、日本的な想像力や経済力・動員力、そしてさらに「百合」的なエロティックな欲望を兼ね備えた存在がAKBなのだ、という主張は説得力がある。

    ただし、性的な文脈や巨大な経済(現金収集)システムとしてのAKB批判をやんわりかわそうとすればするほど、日本社会を変革するうえで避けられない論点である〈性(と家族)〉と〈金(再分配と循環)〉についてなにか奥歯に挟まった言説にとどまってしまう、というジレンマを抱え続けてしまうと思う。

  • 「地理を失った」都市社会と化した日本の文化を、「昼の世界」と「夜の世界」の逆転の視点から読みといていこうとする本。それを端的に現したものとして「AKB48」についても詳しく論じられている。読みやすいが、言わんとする内容がいいだけに逆にもうちょっと分厚く論じてほしかった気もする。

  • PLANETS副読本、的な。
    宇野さんがいまどんなことを意図しているか、問題意識を持っているか、についてコンパクトにまとまってる。その意味では非常に新書というパッケージを活かした感じ。ふらっと本屋さんに行くくらいの(言葉は悪いけど)文化レベルがあって、かつちょっと手にとってみた人に刺さりやすそうな印象。PLANETSを読んだあとだったので、そこまで興奮がなかったのは事実ですが、復習を兼ねる感じになったというか、そういう意味でも副読本。

  • ソフトウェアでなくハードウェア(インフラ)を輸出する

    都市と地域文化の有名無実化

    ゲーミフィケーション

  •  経済的、社会的に日本は疲弊・衰退してしまったが、本当にすっかりだめになってしまったのか、という問い立てに対し、筆者が「オタク文化が育んだ想像力にこそ、現実を変革する力があり、現代の日本が武器とするべきはそこだ」というようなことを論じていく、というような内容。「昼の世界」(経済力など)が衰退した「失われた20年」の裏側では、「夜の世界」が着実な成長を遂げていたのだ、という感じ。

     面白く読んだ箇所も決して少なくはないけれど、論じ方としてはやや荒っぽい印象を受けた。言葉の定義が雑(インターネットという言葉が、ネット上のコミュニティを指すのか、提供するサービスを示すのか、どのサービスまでを含むのかなどが曖昧)な一方で、(ないしそれゆえに)異なる文脈においても、言葉の中身を再定義しなおすことなしに議論を進めていくので、結局言葉遊びに過ぎないように思えた。
     個人的には、実証主義的な方法論が取り入れられていないところに、不満を感じる。全てに根拠や資料を示すべきだとは思わないけれど、何かしら確かな情報に依拠している訳でもないのに、断定調で意見を述べることが多すぎる。推論をあたかも事実であるかのように提示しながら、そこに推論を重ねていくので、言っていることのところどころは頷けても、諸手を挙げて賛成できない場合が多い。もっとも、これは学問によって作法が異なるのかも知れないけれど。
     また、筆者のいう、現実を変える力を持つような「夜の世界」の想像力は、インターネットを筆頭に様々な例が登場するけれど、実のところ一番言及したかったのはアイドル(特に、というより厳密にはAKB48)についてなのではないか、と感じる。一章まるまるAKBについて、特にそのシステムに関して熱く語っているけど、それだけにとどまらず、その影は別の章でも時折ちらつかされる。読み終わってみれば、「日本文化の」論点といっておきながら、AKBに収束するような構成になっていたのではないか。場合によっては少し無理にアイドルに言及するせいで、少し各章の軸や論理展開がブレてしまっているように思った。

     更にもっともっと個人的な関心に基づいた話をすると、AKBについて言及する箇所で軽く触れられる百合への解像度が低すぎる。別にそこが「女性が女性を性的に消費した(この表現がそもそも引っかかるけど)」決定的な契機でも代表例でも特例でもないし、AKBで二次創作をした女性が「普段はBLを受容していた」とは一概には言えないだろうと思う。二次創作を楽しむ女性をBL読者にひっくるめてるのか、ちゃんと書き手(読者は無理だろう)がそれ以前に描いた作品を精査した上でいっているのか。前者なら定義が雑だし、ちゃんと精査したのであれば、せめてその旨を書くくらいはして欲しい。1ページにも満たない文量だけれど、自分はここでもげるほど首をひねった。

  • 思索

  • 【要約】


    【ノート】

  • AKBの章の熱量が他と違いすぎる。文化論というより、AKBのシステム論が主題のようでしたが、非常によく分かった。
    握手券単体で売ればいいやん、と思っていた私が浅はかでした。

  • 宇野常寛「日本文化の論点」読了。団塊ジュニア世代の視点で文化論という感じ。同世代としては非常に共感できる視点、論点だったように思う。無数にある文化の境界のどのへんに自分がいるのか見えてくる良書。

  • 宇野さんの『日本文化の論点』を読む。当たり前だけど、新書ということもあり『ゼロ年代』のような重厚な筆致で構成されているわけではない。情報社会論とサブカル批評を往復しながら、現代文化批評を行う試みとあとがきになるように、さすがAKB48の全体構造に関する分析は流石すぎた。

  • 【目次】
    序章 “夜の世界”から“昼の世界”へ 007
    論点1 クール・ジャパノロジーの二段階論――集合知と日本的想像力 027
    論点2 地理と文化のあたらしい関係――東京とインターネット 041
    論点3 音楽消費とコンテンツの「価値」 061
    論点4 情報化とテキスト・コミュニケーションのゆくえ 073
    論点5 ファンタジーの作用する場所 091
    論点6 日本文化最大の論点 111
    終章 “夜の世界”から“昼の世界”を変えていくために 161
    付録 『日本文化の論点』を読むキーワード [175-189]

  • 昼の世界と夜らなの世界の分析から現代日本 文化を切る。(1)地理を規定している。オタク文化が秋葉原を塗り替えた。特定の都市文化が規模の文化を生んだ最後は裏原宿。
    (2)新宿、渋谷で乗り替えて、一時間かけて都心に通うライフスタイルが取れるのは、専業主婦の奥さんがいたから。戦後的サラリーマンのライフスタイルが東京を西側に延ばした。

  • サブカルチャーの分析を通して、現代日本の置かれている状況と将来の展望をおこなった本です。

    とくにおもしろく読んだのは、東京という都市とメディア消費の関係を論じた第2章です。東京では、所有コストと道路事情のために自動車中心の生活が不便になっており、そのために鉄道依存のライフ・スタイルが当然になっていると著者は言います。押井守が「距離と時間が置き換わっている」と指摘したように、東京という都市は地理的な距離の関係によってではなく、鉄道でのアクセス時間によって捉えられるのが、当たり前になっています。さらに著者は、都市が文化を育むという時代はすでに過去のものとなり、オタクの聖地となった秋葉原に代表されるように、文化的な想像力によって都市の意味が与えられるという現象が生じていることに注目しています。

    「日本文化最大の論点」と銘打たれた第6章は、著者のAKB48論です。ところで著者は『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)の中で、東浩紀のサブカルチャー批評に対する批判をおこない、セカイ系の作品や美少女ゲームに見られるセクシュアリティの問題を指摘していました。一方本書では、「アイドルについて性の商品化と切り離して考えることはできない」と述べた上で、「商品化される性の中に、資本主義のダイナミズムを逆手にとってそのあり方を拡大し、解放していく可能性を考えるべきだ」と主張しています。具体的には、メンバー間のいわゆる「百合営業」にセクシュアリティの多様性を見いだそうとしているようです。

    ただ、美少女ゲームを享受することとアイドルの「百合」関係を享受することとの間に、どのように明確な違いを見いだすことができるのか、本書を読んだ限りでははっきりと見えてきません。著者はAKB48の主要メンバーが出演した『マジすか学園』が女性のボーイズ・ラブ読者に支持を受けたという事実を指摘していますが、男性ファンによる「百合営業」消費について著者はどのように考えているのか、少し気になりました。

  • 非常に「もったいない」本。着眼点にハッとさせられる文章がいくつもあった。でも、掘り下げ不足で十分に展開できていない。勿体ない。もっとも、元が「語り起こし」であることを考えれば、それも致し方ないのかもしれない。ならば、この堅苦しいタイトルは何とかできなかったのか。勿体ない。また(たぶん読者へのサービスとして書かれているであろう)著者の身辺雑記的なエピソードが面白くない。思うに、それは内容が面白くないのではなく、書かれている内容と文体の齟齬、読者との距離の測り間違いの問題のように思う。勿体ない。で、最終章で「AKB=現代日本文化最大の論点」とちょっとイタイことを言い、その割に、最初の章で広げた大風呂敷的キーワード〈夜の世界〉のイメージが最後まで結像しない。困った。見得を切るべきところで切らず、おかしなところでこれみよがしに切っているので、どこまでが本気かわからない。…と、ここまでの文章を読み返すと、貶してばかりの感想になってしまってますが、くり返すと「ハァ?」と思う部分以上に「ハッ」とさせられる部分は多く、一読の価値あり。たとえば、ネットに文化生成の場としての役割を奪われることで、建物の収容容積(ハード的な価値)だけが求められることになっていく都市空間。あるいは、動物的反応と市民意識を繋いできた「アイロニカルな大きな物語」が失墜していく中、「ソーシャルメディアを前提とした大きなゲームともいうべきモデル」を軸に、問い直しを迫られている「正義/悪」。これらのことを最も的確に論じることができるのは、この人だと思ってる。だからこそ、勿体ない。傑作になり損ねた「もったいない」本。

  • たしかに、筆者のいうように、ネットが社会や文化の在り方を変えていくのだろう。
    そして、その変化は楽しみな部分もある。
    サブカルというたちばから、社会を変えようという姿勢も、悪くないとは思う。

    ただ、東京中心の、ある特定の階層の人の感覚だなあ、と思う部分が多々ある。
    確かにいつの時代も、ある一部の人が覇権を握ってしまい、それが普遍的なものだと言い張ることはある。
    この人は、どこまでそれを自覚しているのだろう。
    そのあたりがわかりかねて、どうも読みながら落ち着かなかった。

  • メディアでもよく出ている批評家宇野さんの本です。
    クールジャパンやAKB48など日本の現代文化を取り上げる内容になっています。

    自身の体験談を踏まえ、説明しており、平易で読みやすく、著者の主張も明確な気がします。
    今後のコンテンツの考え方には共感することも多く、読めました。ただ、結構焦点が独特な気もして、大衆向けというものではなさそうな気がします。挑発的な内容にもなっているので、著者に対するアンチも多数いる気もしてしまいます。

    最後の帰結が、AKB48になっているのが、どうも疑問で仕方ありませんでした。ここに力を入れすぎていて、「うーん」という感じが否めません。
    個人的に横山由依推しは、同意見ですが...

    あと、著者のリトル・ピープルの時代は読みたいなと思ってかなり月日が経ちました。

  • 東京の地理の話と、AKBは秋元康への民主化の歴史という話はなるほどと思ったけど、
    全体としてはいまいちしっくりこなかったかなあ。

  • AKBについて勉強になりましたw

  • 所在:展示架
    資料ID:11202179
    請求記号:361.5||U77

  • 地元の図書館で読む。AKBに関する部分を読む。再読の価値ありです。

  • 新書ということもあって、宇野常寛入門書といった趣。基本的には広くサブカルを扱ってはいるが、最近の宇野さんの興味柄か、やはりAKBについての紙幅が多い。「<夜の世界>の知恵が少しでも<昼の世界>を変えていくための力になってくれればいい、いやそうならなければならない」というあとがきの一文には、昨今の宇野さんの積極的な活動における信念が窺える。

  • クールジャパンという飴と非実在青年というムチによって<昼の世界>は<夜の世界>に介入してくる。が、政治は大衆と無視できない。だからネット選挙という形式によって<昼の世界>が<夜の世界>に扉を開いたかに思われたが、結局何も変わらなかった。体よくガス抜きされただけ。
    日本人の区分としては、都市と地方の地域論、現役と老人の世代論等々ある。リベラル勢力の結集・強化には賛同する。が<夜の世界>を都市のホワイトカラーに限定してしまって、その想像力だけで<昼の世界>と戦えるのか?で、郊外のブルーワーカーにどうやって広げていくのか?地方や老人はどうするんだ?こにもリベラルはいるんじゃないか?それともこれらとは対立するのか?
    <昼の世界>より<夜の世界>の世界の方が楽しいし、政治には文学や哲学が必要に思う。が、<昼の世界>で忙しいと<夜の世界>まで関心がまわらない。また<夜の世界>には女子供向けという軽蔑対象になる属性がある。AKBがその最たるものだろう。それを日本文化の最大の論点にしてしまって本当にいいのか?
    本書の最大の収穫はAKBの「じゃんけん」の意味がよくわかった事。政治にも「じゃんけん」があってもいいのでは?と本気で思う。というか、もう日本変革するには「じゃんけん」しか残ってないような。

  • 読みやすくておもしろかった。どこか入試で出さないかな。現代文の教材に使いたい。文化論の入門として生徒の入りやすい話題を取り上げられる。

  • 再読

  • ●標準家庭という概念の無効性 P9
    ●情報技術の生むあらたな「中間のもの」P18
    ●「地理」の死んだ街・東京
    P43 七年間住んでつくづく思うのですが、僕はこの東京という街はとても「変な街」だと思っています。たとえば僕は自宅のある高田馬場から距離的には数キロと離れていないはずの護国寺や目白台といった地区のことをとても遠くに感じている。感覚的には九段下や渋谷よりも遠くにあるくらいです。これはどういうことかというと、単純に鉄道のアクセスの問題です。電車の乗り換えの関係で、本来近い場所が遠い場所として機能しているし、その逆のケースも多い。これはおそらく、この街が極度の鉄道依存の街であるために起こっている現象です。
    ●コミックマーケット、ニコニコ超会議の開催場所について P50
    ●「虚構の時代」の終わりと東日本大震災 P103

  • 宇野常寛『日本文化の論点』読了。AKB48、ニコニコ動画などガラパゴス日本で生まれた想像力に停滞する我が国の新しい可能性を見る。体制内変革を信じることが出来ないという宇野さんの主張に共感。“仕組み”ごと変えるという思想は橋下的な潮流でもあり、これは時代の要請なのだ。

  • 今後日本を牽引するのは〈夜の世界〉の文化、つまりマンガ、ゲーム、アイドルといったバカにされがちだったサブカルチャーであり、しかもコンテンツではなくそれらを構築している仕組み(ニコニコ動画やコミケやAKB48のシステム)であるという考えには大変興味深い。それによってアジアの若者が文化的につながっていければ楽しいと思った。

    AKB48がソーシャルメディアと現場とファンのコミットメントによっていかに成功し得たかを熱く論じている。というか、途中からいちファンによるAKB48賛歌になっていくあたりは確信犯的(笑)。

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著者プロフィール

1978年生まれ。評論家。批評誌「PLANETS」「モノノメ」編集長。主著に『ゼロ年代の想像力』『母性のディストピア』(早川書房刊)、『リトル・ピープルの時代』『遅いインターネット』『水曜日は働かない』『砂漠と異人たち』。

「2023年 『2020年代のまちづくり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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