- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480069047
感想・レビュー・書評
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国際政治の専門家による、安全保障の話。安全保障についての意見には賛同できる。また、わが国の安保論争について、歴史的な説明はよく纏まっており、参考になった。
ただ、いろいろな人が言っている言葉や意見が多く掲載されているが、著者がそれを使って何を言おうとしているのか曖昧なところがある。やや、論理性、学術性に欠ける。
「(オーウェル)私ははじめて、嘘をつくことが職業である人物に出会ったが、なんとその人のことを人々はジャーナリストと呼んでいる」p18
「(トロッキー)あなたは戦争に関心がないかもしれないが、戦争はあなたに関心をもっている」p57詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2018に再読したため、レビューを追記します
2015年の安保法制(平和安全法制)をめぐる議論を意識し、現在の日本の安全保障に関する議論のあいまいさを非難し、リアリズムに基づいた安全保障を紹介している。
しかし、安保法制反対派がこの本を読んだとしても、安保法制を受け入れることは無いと思う。そういう意味で、タイトルである「安保論争」を解決に向かわせる力を持っている本かというと、疑問に感じた。
安保論争は価値観の相違で生み出されているので、リアリストにとって価値があると思う話を連ねても、反対派に言葉が届くことはないだろう。
反対派が敵視するものは、戦争において人の死という犠牲が軽視される統治機構の非情さ、また、軍隊がしばしば陥った暴走の歴史、といったものなのだから、現在の平和を軍事的緊張とパワーポリティクスが支えている、という現実的な安全保障のメリットを説いてもかみ合う訳がない。
最後に、本書が勧めるように、日本が積極的に国際的な安全保障政策の枠組みに乗っかった場合、世界や地域の安定性は増すのかもしれないが、アフガニスタンのISAF部隊へ参加した多国籍軍のように、少なからず戦死者が出る可能性がある。
これについても言及するのがフェアではないだろうか。
---------------2016年投稿ぶんはここから
著者は国際政治学者で、雑誌への起稿をまとめたものと、描き下ろしの原稿で構成されている。
2015年の安保法制(平和安全法制)の審議に対する反対運動を意識しつつ、
・集団的自衛権を含む集団的安全保障が戦後の安全保障の根幹であり、世界が不安定化しつつある今、集団的安全保障は重要性が増している。
・日本は国際的な安全保障の責任分担よりも国内の感情的な嫌悪感を優先し、外国が実力で維持している平和にタダ乗りしてきている
・内閣法制局の従来解釈や憲法学者の違憲が集団的自衛権を否定している、という指摘はいくつか欠点を抱えている(内閣法制局は諮問機関にすぎず、また過去には日本の集団的自衛権行使を一部肯定していたし、自衛隊を違憲だと考えている憲法学者が多いのに、それには目をつぶって憲法学者が安保法制に反対していることを反対の論拠にするのはダブルスタンダードだ、といったもの。
日本政府の集団的自衛権に関する解釈については知らないことが多かったので、これは面白かった。
一方で、この本を読んでいて気になったのは、バラバラな媒体の原稿を集めた故かコンセプトが不統一で、積極的な安全保障への参加を推進したいのか、安保論争に欠けている要素を指摘したいのか、イマイチやりたいことがはっきりしていない。
その上、「安保論争」というタイトルにも問題があって論争の一方の側…反対派の議論がほとんど掘り下げられていない。
SEALDSの「私たちは、対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求めます。」
という主張が実現困難、という批判はしているのだけれど、自分が考えるに、彼らが21世紀版ネヴィル・チェンバレンみたいな事をまじめに考えている連中だとは思えない。
むしろ、保守政治や武力を用いた安全保障への何となくの嫌悪感といったセンチメンタルな理由から反対していると思うんだけど、著者の専門である殺伐とした国際政治や外交と相性が悪く議論が成立しなさそう。
著者は、日本は平和国家として活動していくことを決めているのだから心配するな、と言うけれど、本当に信じていいのか?
理性的に行動している、平和を求めていると言いながらミニタリズムに入れ込んで無謀な挑戦をしたあげくに国を滅ぼした指導者はいくつも居て、そのような不信感が安保論争を引き起こしたという面があるのではないか。
そのような反対派の思考にフィットしない反論が気になる。
図書館で借りました。