- Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480085252
作品紹介・あらすじ
芸術と生活の境界に位置する広大な領域、専門的芸術家によるのでなく、非専門的芸術家によって作られ大衆によって享受される芸術、それが「限界芸術」である。五千年前のアルタミラの壁画以来、落書き、民謡、盆栽、花火、都々逸にいたるまで、暮らしを舞台に人々の心にわき上がり、ほとばしり、形を変えてきた限界芸術とは何か。その先達である柳宗悦、宮沢賢治、柳田国男らの仕事をたどり、実践例として黒岩涙香の生涯や三遊亭円朝の身振りなどを論じた、戦後日本を代表する文化論。表題作『限界芸術』に加え、芸術の領域での著者の業績がこの一冊に。
感想・レビュー・書評
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文系研究の道を切り開いた鶴見さんによる一冊。
生活の中から自然と生まれることになる芸術である限界芸術。純粋芸術と大衆芸術との関係。日本における他国文化の受け入れなど、芸術の需要と誕生の軌跡を辿れます。 -
本書の表題となっている評論では、われわれの生活や仕事の中から生まれてくる作業歌や折り紙などの様式を取り上げている。筆者はこれらを「限界芸術」と呼び、その特徴やわれわれの人生や社会における意味を考察している。
これらの芸術は、純粋芸術や大衆芸術とは異なり、マスの需要者によって消費されることを想定していない。あくまで一つの生活圏やコミュニティの中で形作られ、その環境を構成する人々の中によって消費される芸術である。
しかしながら、これらの芸術は、われわれの生活の中の様々な活動の「倍音」として形作られ、それらを楽しくし、単調な生活を豊かにしてくれる。
さらにそれだけでなく、生活の中の一つひとつの行いが限界芸術という形で高められることにより、人生そのものが芸術になる。その象徴的な実践が、宮沢賢治の生涯であったという。
われわれが何気なく受け継ぎ、生活の中に埋め込んできたものに、筆者がこのような豊かな可能性を見出したというところに、非常に感銘を受けた。
その他に、カルタ、作文(綴り方)、新聞小説、落語、まげもの映画などのそれぞれの中に、社会に対する向き合い方や自由で豊かな言論の芽、他社に対する優しい眼差しなどを見出す評論が含まれており、一つひとつが新しいものの見方を教えてくれるような内容だった。
戦後の昭和の時代をただ懐古の情で思い返すだけでなく、その時代の人びとの底流に息づいていたこれらの生き方や考え方こそ、忘れ去ってはいけないものなのではないかと感じた。
筆者がそれらを書き残してくれたことで、われわれが今の文化や社会を考える際にも示唆を得られることが多いと思う。 -
芸術の中でも特に生活と接している限界芸術にフォーカスを当てた一冊。日々の生活の中にある小さな芸術を見つける意義、面白さを教えてくれた。芸術と生活を区切る考えは個人的に面白く、また境界線を意識して生きるということは
①連続した毎日の流れに句読点を打ち、意味あるものにさせるのが美的経験である。
②全ての子供は芸術家であるが、大人は酒を飲んでいる間だけ芸術家になることにとどまる。
③芸術と生活の境界線にあたる作品を限界芸術と呼ぶ。
④宮沢賢治において芸術とはそれぞれ個人が自分の本来の要求にそうて、状況を変革して行く行為。
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思索
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限界芸術と大衆芸術。
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表題論文以外は、特に注目すべきものはなかったように思う。あ、黒岩涙香もちょっとよかったかな。
鶴見俊輔ならば、もっと面白い本がある。 -
黒岩涙香の話が印象的な一冊。色んな角度から限界芸術(純粋芸術と大衆芸術の間にあるもの)の描写がなされているのだけど、その中でも黒岩氏の話が際立ってた。抽象論より具体的な人物にひとりスポットライトをあてた文章は面白い。
黒岩涙香という人をこの本で初めて知ったのだけど、不思議に面白い人。サークル的になされている限界芸術を、新聞というプラットフォームを通じて大衆娯楽にまで高めようとしたのは面白い。荒くいうなら、今でいうFacebookみたいなもの。彼のように個々の芸にも秀でていて、かつ世の中や未来を見通すことのできる、つまりミクロもマクロも実力がある人は貴重な人材だったのでは。彼の存在を知れて良かった。 -
後述