贈与論 (ちくま学芸文庫 モ 11-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (305ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480091994

感想・レビュー・書評

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  • 昔読んだけど、難しかったなー。
    よく分からなかった。

  • 社会学、人類学という枠組みとは別に、「贈与」とは何かを問う一冊。

  • [メモ(暫定)]一連の研究の問題意識は「未開あるいはアルカイックといわれる社会において、受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られたものに潜むどんな力が受け取った人にその返礼をさせるのか」であり、モースが分析の対象としたポトラッチやクラは以下の特徴をもっている。①交換し契約を交わす義務を相互に追うのは個人ではなく集団である、②彼らが交換するものは、専ら財産や富、動産や不動産といった経済的に役に立つものだけでなく、何よりもまず礼儀、饗宴、儀礼、軍事活動、婦人、子供、舞踊、祭礼、市といった社会の全領域にわたる資源であり (全体的給付)、経済的取引はその一部にすぎないということ、そしてこの給付に対する反対給付がなされなければ公私にわたる闘争が起きる。贈与する義務、受け取る義務、返礼する義務の三つが働いている。
    ポリネシアやメラネシア、北西アメリカの民族誌、はたまた最古のローマ法や古代ヒンドゥー法、ゲルマン法から贈与=交換の行為やそれに関する精神が浮き彫りにされるが、①それらを社会構築の原理にまでまとめたところに『贈与論』のすごみの一部があるのではないかと。一見すると自由でありながら、しかし義務として守らなければならない贈与=交換は他集団との平和的連帯を作る有効すぎるほどの手段であり、それはまったく過去の理論ではない(むしろ普遍的なものだと言いたい)。モースが晩年傾倒していた労働組合運動などはまさに社会的な互酬性を志向するものであって、楽観的に捉えているようにも感じたが、たしかにそういう志向こそが互酬という友愛に満ちたすばらしき道徳への回帰につながるのであろう。②またマリノフスキーが『西太平洋の遠洋航海者』で行ったのと同様に『贈与論』は、経済学によってなされてきた、凝り固まった図式に歪められ矮小化されてきた未開人の経済生活に関する先入観を相対化した。(その先入観とは、“原始人ないしは野蛮人は、あらゆる行為を、私利私欲を求める合理的な考えに促されて行い、目的を直接的に、かつ最小の努力で達成する。人間、特に低い文化水準にある人間が開花した利己主義からくる経済的動機に純粋にしたがって行動する”というもの)

    『贈与論』から引用する。
    「オーストラリアや北アメリカ(東部と平原インディアン)のクランの生活を統御する、集団の内側の比較的不定型で無私無欲的な経済がある。他方に、セム族やギリシャ人によって見出されて以来、少なくともその一部分がわれわれの社会にも知られてきた、個人主義的で純粋に利益追求的な経済がある。これら二つの類型の間に、経済制度や経済事象の膨大な系列のすべてが段階的に並べられるといえる。この系列は、容易に理論が組み立てられてきた経済的な合理主義に支配されているのではない。」(p278)

    ※「経済社会学上および政治経済学上の結論」の部分は、個人的にはすぐれた労働論のように思われるし、また網野善彦『無煙・公界・楽』の市場という場の性質と商品の性質につながるものがあるように思える。

    ③「全体的社会事象」という研究対象の提案が功績の最後に挙げられる。これはデュルケム『規準』の「社会的諸事実を物のように考察すること」を洗練させ、深化させたものではないかと思っている。(それまでの社会学が、社会の諸要素をあまりにも断片的に分割しすぎ、あまりにも極端な抽象を行っていたことへの警鐘であると。)複雑な現象を、諸要素に分割することなく、動的な状態で全体を具体的に観察し記述することによって、その事象の「本質を、その全体の運動を、その生きた側面を、社会や人間が自分たち自身と他者に対する位置を情緒的に意識するその儚い瞬間を」、捉え、理解することができる。

    最後に
    「諸社会は、社会やその従属集団や成員が、どれだけ互いの関係を安定させ、与え、受け取り、お返しすることができたかに応じて発展した。交際するためには、まず槍から手を放さなければならない。そうして初めて、クランとクランのあいだだけでなく、部族と部族、民族と民族、そしてとりわけ個人と個人のあいだにおいてでも、財と人との交換に成功したのである。その後になってようやく、人々は互いに利益を生み出し、共に満足し、武器に頼らなくてもそれらを守ることができるようになった。こうして、クランや部族や民族は――だから、文明化されているといわれているわれわれの社会においても、近い将来、諸階級や諸国民や諸個人は同じようにできるようにならなければならない――虐殺し合うことなく対抗し、互いに犠牲になることなく与え合うことができたのである。これこそが彼らの知恵と連帯の永遠の秘密の一つである」(p290)

    ――――――――――――
    薄いがアツく偉大な作品だった(全く関係ないが、一番最後に「アーサー王物語」の円卓の騎士の話をもってくるあたりとても好き)。レヴィ=ストロースを勉強し直すための有意義な遠回りだったと思える。『贈与論』は明らかにレヴィ=ストロースに「交換」の示唆を与えたのはわかるが、ブルデューが感じとった「実践」や「戦略」の含みをどんなにがんばっても感じ取れなかったわたしは、まだまだ未熟でも読み込みも浅いのでしょう。それにしても誤植が多かった。。。

  • 情けは人のためならず、風が吹けば桶屋が儲かる、ペイフォワード、バタフライエフェクト。これらはすべておんなじことを言っているのだと思う。こやまとしのりさんの実践されている陰陽五行の話にもつながる点は多い。

  • 贈与と返礼を巡る考察。豊富な具体事例も魅力の一つ。

    古代社会・未開社会での経済を考えたとき、「物々交換」とは異なる原理が存在するのではないか、ということを事例を引きながら丁寧に説いている。本文中の引用に留まらず、注釈部においても多く事例が掲載されており、読むのにとかく時間がかかった印象。それだけに結論部で述べられている利己的すぎてはいけないし・度を過ぎた寛大であってもいけないこと、また社会学という学問のあり方についてが非常に印象的だった。

  • バタイユきっかけで。
    まずはじめに単純な物々交換の話じゃないんだよ、と釘を刺される。

    興味深かったのは以下の点。

    ■ 私たちの社会では区別がついている事柄が混ざり合っている社会

    ・取り上げられている社会では、
    法、呪術的な意味、物の価値、他の族との交流、物資の流通、
    地位や名誉の保持・更新…
    色々なものが混ざり合っている。

    ・人・物・魂の混ざり合い →古いローマ法の売買について

    ・贈り物の拒否が盗みと混同される(p52) →受け取る義務

    ■ 物に宿る精霊・魂

    ・私は物を失くした時、「あーどっか遊びに出かけたのか」と思うことがある。
    そういう感覚の意識下の部分は、これと繋がってるような気もする。
    意識上の理由は喪失感の埋め合わせと、そういう世界の方が面白いからというものだが。

    ・物を与えることは自分の一部を与えることでもある。
    だから物には還るべきところができるし、もらった側は返さねばならない。
    他人の魂に由来する物を持ち続けると自分を蝕む (p37)。
    → 贈り物は毒でもある

    ・赤い糸じゃないが、贈り主と品物との間にはそういう繋がりがあって、離れない。
    だからもらった側はそれを断ち切る儀式を行う(p262)
    これも感覚的にわかる気がする

    ・自分の領地に生えているのに、その木を切る際神々に対価を払うトラジア族。
    上と似てる。神々の物を自分の物にする手続きなんだと思う。
    父が窯焚きをする前に、安全祈願で窯の上に塩や酒を供えることがあるのだが、あれはかまどの神様に「火を操る術を自分にも分けてください」という手続きとしての意味も含まれてるんじゃないだろうか。


    ■富の循環

    ・サモアのオロア(父方の財)とトンガ(母方の財)
    子供はトンガである。
    里子に出すことで、オロアとトンガを相伝的に交換する体系。
    (注釈と合わせて考えると意味がよくわからなくなった。解説がほしい)

    ・トロブリアンド諸島の宝、ヴァイグアの循環
    日本だと神輿の持ち回りとかでこういうのありそうだ


    ■権力の保持・更新

    ・ポトラッチ: 富をどれだけ破壊できるか競争する(供犠の意味もある)

    ・返礼の義務がある中、どれだけ威厳をもって贈り物を受け取れるか


    ■ゲルマン法

    ・贈与・受領・返礼の義務が垣間見える伝承
     (招待されなかった人々の呪詛、招待された人々の謝意・気前のよさ)
     眠り姫の童話を思い出す。

    ・物の拘束(ネクスム)
     契約の際、担保として価値の低いものを売り手に渡す(手袋、一枚の貨幣、ナイフなど)。
     これらは自分の個性が染み込んだものであり、相手の手中にある限り拘束される。
     契約履行は自分を取り戻すこと。
     また、受け取る側も縛られるため、まず地面に投げつけるなど警戒する。


    贈与が他者との信頼関係の持続に繋がり、協同関係が生まれるという最後の話も面白かった。社会の根幹に贈与が根を下ろしているのだなーと。

    最初は読みにくい本だと思ったが、何回か読み返して線を引いていくうちに慣れてきた。誤字がいくつかあってそこは残念。でも読むたびに発見がある面白い本だと思う。

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    ここの「感情の贈与」も面白い内容:
    精読会初参加: 『たのしいムーミン一家』を『贈与論』の観点から読む
    http://gf777.exblog.jp/13967277/

    『レヴィ=ストロース入門』 p138 プリコラージュ

    ブログヘ:
    http://haiiro-canvas.blogspot.jp/2013/03/blog-post_21.html

  • 人類学の古典中の古典。非常に面白い。

  • 2009/3/7 読了

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