- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480432506
感想・レビュー・書評
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物語に、起承転結があるわけではないのに、最後までぐいぐい読ませる。翻訳の力も大きいが、発表から40年以上経つとは思えないほど、内容が現在なのだ。
氷という題名から想像するよりは、読後のイメージはカラフル。でもそれで、作品の怖さが減じるわけではない。
川上弘美の解説も秀逸。作品の魅力を言語化してくれている。
(2017.7)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
徐々に氷に飲まれていく世界でメンヘラ美少女を二人の男が追いかける話。
村上春樹っぽさがある。地の文が多いが、描写が優れている。話の中で想像と現実の区別がつかない。私は少女に暴力を振るっていたのだろうか? 私が意識の中で閉じ込めようとしていた暴力的な私が妄想の中に反映されている? -
すべてが不確実。破綻しているようでしていない、歪んだ世界にいるようでくらくらする。
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視点はどこだ?
14日土曜日から少しずつ読んでいるアンナ・カヴァン「氷」。今日は第2章だけど、この章の前半部分の視点は誰なのか?「私」だとすれば、当人がそこにいなかったはずの情景を何故語ることができるのか? 第1章もそうだったけど、前に読んだ「鷲の巣」より場面が次々と変わってそれ自体で快感を覚えたりする。まあ、少女探し自体が「失われた自分自身を探す旅」であるらしいので、全てがこの「私」の頭蓋骨内で展開されている情景とも言えるが。
でも、核兵器の使用の疑いとか政治社会批判的な要素も少し含まれているんだよね。
町は、次々と崩壊し無秩序な石の堆積と化した廃墟で構成されているようだった。波が壊し、さらっていく砂の城。かつてこの町を守っていた巨大な防壁は至るところで崩れ、両端は無益に海中に没していた。
(p52)
そんな情景の一つ。「シルトの岸辺」なんかもを思い出すけど、これ入力しながら想起したのはゼーバルト「土星の環」。防壁が海中に没しているところなど、人の記憶の忘却の果てに佇んでいるかのようでもある。
(2016 02/16)
氷とししゃも
「氷」3~5章。カフカっぽい気は「鷲の巣」よりこちらの方が強いけど、物語の筋?はまだこちらの方が追いやすい。構造が見えやすいというべきか。いろいろな場面が次々突然現れるというのも慣れれば溶け込みやすい。
いくつもの空間を同時に動いているというような奇妙な感覚があった。この空間の交錯に私は混乱していた。
(p88)
私=読者ともとれる、そんな文章。空間だけで時間概念というものはないのか。
一方、意外に筋は長官とつながって、「鷲の巣」の管理者よりは面倒見のいい人物…でも反対意見は我慢できず、なんだか催眠術的な能力もあるみたい。それに対する少女の方は…
少女が最も弱く傷つきやすかったころにシステマチツクになされた虐待は、人格の構造をゆがめ、少女を犠牲者に変容させた…(中略)…破滅に導くものが何であろうとさしたる違いはない。どのみち、少女はその運命から逃れることはできない。
(p85)
この少女の記述は作者とも共通するのかなあ。このフィヨルドもある「氷の国」のモデルはノルウェーなのかも。
ではししゃもも泳いでる?
(2016 02/17)
私=長官?
「氷」第6、7章。場面が幾つかの筋のものが並行的に現れるのとともに、視点まで私、少女、長官それに王?という関係図の私の視点に留まらず、長官の視点が交互に入ってくる。この点、「鷲の巣」より実験的手法に踏み込んでいる。
そして、私はこんな疑問を抱きはじめる。本当に我々は二人の人間なのだろうか…。
(p125~126)
当人が疑っているのだから、他人にはもっとわからないな(笑)…作者にもわからなくなってしまってる?
「鷲の巣」の反転で寒い雪の世界が続くけど、熱帯の要素が全くないわけではない。「鷲の巣」に出発時の都市の映像が繋がっているのと同様に、こちらにも熱帯的要素はある。それは私が研究しようとしている(というかとりつかれているような)インドリの歌声。そのレコードを少女が毛嫌いしていたことからも、何かここに読み解く鍵があるような気がするのだが…
今、半分くらいかな。
(2016 02/18)
シュルレアリスム的な樹の情景
「氷」昨夜読み分、8、9章。
一個の存在の片われ同士であったかのように、私たちは何とも不可思議な共生状態に溶け込んでいった。
(p159)
またこんな文章ですが、私と長官の関係は、元々一つのものだった可能性が高い。でも、この関係でもって作者がそこから何を引き出そうとしているのかは、まだわからない。
でも、この二人?の近さに比べると少女の位置はかなり遠くに感じる。髪の色を見ても、彼女を氷から逃すというより、彼女自身が氷なのではないか。
そんな少女の描写から。
少女は、黙りこくった無数の長身の人影の間をすり抜けていくことができる…(中略)…彼らが黒い樹々のように周囲を取り囲み、頭上高くのしかかってくるのに気づいた時、いつもの不安が再び頭をもたげはじめる。
(p161~162)
なんだかキリコ辺りのシュルレアリスム絵画に迷い込んでしまったかのような、そんな箇所。
…細部はいろいろ印象的で美しいのだけれど、全体としてはなんだかわからない、そんな小説感…
(2016 02/19)
「氷」の軸
「氷」。だんだん南下?してきて今のところ暖かい地方まで逃れてきた。なんだか、第二次世界大戦の戦中と戦後の時系列を、地球(と明記してある)の南北軸に移し替えているのでは?という気もした。
これまでで一番最南端?で、インドリに寄り添いながら「私」は何かの声を聞く。
彼は時空間の幻覚について語った。過去と未来が結びつくことで、どちらも現在になりうる、そしてあらゆる時代に行けるようになる、と。
(p201)
そういうのが立ち現れてくるのがビジョン(幻影)であり、西洋ではこの幻影なるものを重視する伝統がある。
(2016 02/21)
破壊され断片的乱反射する平行世界
さて、やっと今日「氷」を読み終えた。
読後感は標題の通り。
このすべてが現実であり、実際に起こっていることなのだが、そこには非現実の感触があった。これは今までとはまったく異なった形で進行している現実なのだ。
(p237)
なんかでも最後には、私・少女・長官という三点セットの構図が崩れて、平行世界も最終的には一つに収まる。
やがて、その向こうには、降りしきる雪のほかには何も見えなくなってしまった。幻の鳥の群れのように、無の世界から無の世界へと果てしない飛翔を続ける、数限りない雪ひら。
(p256)
最後に近い部分から。
(2016 02/22)
氷の象徴するものの一つの説にカヴァンが常用していた麻薬というものがある。白い粉。身体を徐々に蝕んでゆく。それに犯された作者自身の内部に私・少女・長官が貼り付いている・・・
(2016 02/23) -
初めて読んだアンナ・カヴァン。
ちくま文庫版にはクリストファー・プリーストの序文があり、本書がどんな作品かが書かれていたので、初めての私にはとてもありがたかった。
『氷』はスリップストリーム文学で、広い意味での " スリップストリーム " に適合すると考えられる作家は、アンジェラ・カーター、ポール・オースター、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ウィリアム・S・バロウズ、村上春樹。と書かれていて、私はオースターもボルヘスも村上春樹も大好きだから、期待が持てた。解説はこれまた好きな川上弘美さんだし。
さて、読んでみて、感想を書くとなるととても難しい。
私はとても面白かった(面白いというかすんなり読めたというか読み心地が良かったというか、とにかく良かった)。
良かったけれど、すごく良かったというのでもなく、共感とか感心とかそういうものもなく、何だか不思議な作品だった。たぶん、それが魅力なんだろうとも思う。
解説で川上弘美さんが言っているが、《 読者は「私」と「少女」のみちゆきになめらかに寄り添うことだろう。どこの国ともしれぬ場所に、やすやすと連れてゆかれることだろう。抽象的なようでいながら。たいそう具体的なこの小説に伴走するように、共に疾駆すはじめることだろう 》というのはまさにぴったりな表現だと思う。
それから川上さんはこうも言っている。
《 カヴァンの小説は、序文に挙げられた「スリップストリーム」の小説よりも、ずっと「狭い」気がするのだ。 中略 カヴァンの「狭さ」は、ほかに類をみない「狭さ」なのだ。その狭い隙間に、体をするっとすべりこませたが最後、もう二度と出られなくなるような。そして出様として、さらに狭い奥へ奥へと進んでゆくと、もう入り口は全然見えなくなっていて、でもその先も見えなくて、絶望してしまうような。絶望してしまったすえに茫然とたたずんでいると、今までに感じたことのない不可思議な心地よさ、がやってくるような、つまりその絶望感はある種の官能を刺激するものであるような。 》
これまた、言い得て妙、さすがに作家さんはうまいこと言うなぁと思う。私なんかが感想を書くよりずっと分かりやすく的を得ている。
そんな小説で、そして全体の感想としては良かったのだけど、最後の1/4か1/5くらいからの十数ページはつらかった。語り手の男のころころと変わる考え方についていけなくなって、正直苛立って、投げ出したくなった。大阪弁で言うなら「なんやねん、自分(怒)」という感じ。
でもそれ以外は本当におもしろい小説だと思う。 -
雪ふたりだけの世界
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呑み込まれるように読んだ。
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氷に覆われていく終末の世界で、主人公の私はひとりの少女を捜す。アルビノで美しく輝く髪の。ライバルは支配的な青い瞳を持つ「長官」――。
何から何までが謎で、何から何までが氷という小説。常識的に考えればどこから湧いて出てくるんだその資金、と思うほどの資金をまき散らしながら、結構な頻度で車に乗って、終末の世界を少女を捜して/少女を連れて/少女を置いて駆けめぐっている主人公の思考に一貫した物はなく、冷静と言いすぐに激高する。それは少女も同じで、こちらは資金というよりもその美しさを振りまきながら、結構な頻度で被害をうけて、終末の世界でおびえて/おそれて/あるいは嗤いながら退行し駆け抜けていく。同じく登場人物の「長官」もどこから湧いてくるんだと思うほどの強大な支配力をまき散らしながら親しげに/敵対的に/暴力的にその姿を変容させて、残る物は氷しかない。氷、氷、氷。氷につつまれて世界は混迷のままに終わっていく。それだけは事実だ。意識すらこれは主人公の現実なのか、幻想なのか定かではない。 -
アンナ・カヴァンは前に「アサイラム・ピース」を読んだのですが、いまいちピンとこず読んだことすら忘れかけてました。
本書も読むつもりはあんまりなかったのに、Twitterでかなり話題になっていたので、ついつい買ってしまいました。
始めの方は「もうアンナ・カヴァンはいいや」とあまり乗れず読んでましたが、だんだん引き込まれ…。
主人公である「私」は、美しい銀の髪を持つ細身の美女「少女」を追いかけます。しかし「少女」はすでに結婚していたのですが、なぜか出ていき、今度は「長官」と呼ばれる美形で力強い魅力を持つ男の支配下にあったのでした。
「私」はどこまでも少女を追いかけるのですが…
といった話です。
この美少女ヒロインが、どうにも私には綾波レイに見えますw永遠の少女であり、守りたくなる理想の女、ファムファタール。彼女をめぐる男2人。「私」は「長官」が憎むべきライバルでありながら、どこか自分と似たところがあり、憧れたりもします。この男2人も碇親子に見えてしまいます。
そして、いわゆる「セカイ系」のような展開。世界が終末に向かっているのに、あくまで狭い男女の物語に終始するストーリーはまさにセカイ系。
エヴァンゲリオンやラノベ好きの方にもぜひおすすめしたい、古くて新しいSF小説でした。