先生はえらい (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (175ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687029

感想・レビュー・書評

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  • 石井ブログ

    本書はちょっと書名が変わっていますが、コミュニケーションの本質について様々な考察がされている本です。

    私がそうだったのですが、コミュニケーションって、「分かりあうこと」だと考えている人がいたら、目からウロコの内容です。



    本書を読んで思い出されたのは、オラクルのパッケージソフトです。多くの会社が導入しているのは、そこに「手がかかる」からです。



    この意味を私は、手が掛かることで「間に入る」IT会社が「儲ける」ことができることだと考えていました。



    だけど、この事実は少し業界をかじったことのある人間なら知り得る知識であり、この手間がかかって導入支援IT会社の人件費を稼ぐことだけが目的なのであれば、これだけ多くの会社が「流される」ことはないという思いが同時にありました。



    しかし、本書を読んで感じたのは、その「手が掛かる」部分を通じて、導入支援IT会社と、導入会社との間に、「コミュニケーション」が図られる場ができるということが、実は最も多く導入されている理由だと感じます。



    コミュニケーションの本質は、やりとりそのものであり、そのために「誤解の幅」がある方が面白いという論点は、私のような時に「完璧」を目指してしまいがちな人には、大きな救いになります。



    以下、抜き書きまとめです。



    何か感じてもらえる部分があれば是非ご一読をおすすめします。



    ■ほんとうに言いたいこと



    それを聴く用意のある人間に出会うまで、私たちは自分の「ほんとうに言いたいこと」をことばにすることができません



    未来への志向を含まない回想は存在しません



    ■「聴き手の欲望」だと思いこんだものの効果



    あなたが話したことは



    「この人はこんな話を聴きたがっているのではないかと思ったこと」



    ■深い達成感をもたらす対話



    「言いたいこと」や「聴きたいこと」が先にあって、それがことばになって二人の間を行き来したものというものではありません



    ことばが行き交った後になって、はじめて「言いたかったこと」と「聴きたかったこと」を二人が知った



    ■コミュニケーション



    何かと何かを交換すること



    何かと何かを取り替えたいという欲望がもっともコウ進するのは、そこで取り替えられつつあるものの意味や価値がよくわからないときだけ



    ■メッセージの正確な授受



    相手に「君の言いたいことはわかった」と言われると、人間は不愉快になる



    「キミのことをもっと理解したい」というのは愛の始まりを告げることば



    「あなたって人が、よーくわかったわ」というのはたいてい別れのときに言うことば



    ■コミュニケーションの目的



    メッセージをやりとりすることそれ自体ではないでしょうか?



    だからこそ、意思の疎通が簡単に成就しないように、いろいろと仕掛けがしてあるのではないでしょうか?



    そうすればコミュニケーションがどんどん延長されますから



    ■「誤解の幅」と「訂正」への道



    私たちがコミュニケーションを前に進めることができるのは、そこに「誤解の幅」と「訂正」への道が残されているから



    ■「扉が閉じられたことば」



    「あなたが私の話の内容を理解しようと理解しまいと、あなたがいようといまいと、私は今と同じことを言うだろう」と告げられて傷つかない人はいません



    ■太宰治



    「100%の理解」が成就することがないように、そんな風に太宰治は書いています。



    ■ジャック・ラカン



    たぶん20世紀でいちばん頭のいい人の一人



    彼の本は何を書いているのか、ぜんぜんわからないくらい難解



    「誰が読んでもすらすらと分かるように書く」という作業はそれほどむずかしいこととは思われないのに、どうしてそうしなかったんでしょうか



    ■誤解の余地



    コミュニケーションはつねに誤解の余地を確保するように構造化されている



    ■何ともいえない脱力感



    「ああ、そうかオレのアイデンティティというか、余人をもっては代替不能であるところの「かけがえのなさ」というのは、まさにオレの「バカさ加減」によって担保されていたわけだ・・・」という冷厳なる事実に粛然と襟を正しているうちに、青年客気でぶいぶい言わせていたころに比べると、なんとなく腑抜けたような「おじさん」ぽい顔つきになる



    ■「自分のバカさ加減を知ってしまったおじさん」



    この「自分のバカさ加減を知ってしまったおじさん」の、何ともいえない脱力感が、若者にはなんだか底知れぬ英知の余裕のように見える



    ■太公望秘伝の兵法の極意



    能楽「張良」



    黄石公というよぼよぼの老人
    奥義を伝授してあげよう
    そういっただけで何も教えてくれません
    張良の前まで来ると、ぽろりと左足のクツワを落とす
    「取って、履かせよ」
    別の日、
    今度は両足のクツワをぽろぽろと落として
    「取って、履かせよ」
    甘んじてクツワを拾って履かせます


    その瞬間に、張良すべてを察知して、たちまち太公望秘伝の兵法の奥義ことごとく体得して、無事に免許皆伝



    ■「居着き」



    「相手がどう出るかZ?」という「待ち」の状態に固着してしまうのは「居着き」の最悪の形態の一つ



    ■解釈者の立場



    解釈者の立場に身を固着させるということは、武道的に必敗の立場に身をおくということ



    相手に先手を譲って、それをどう解釈するかの作業に魅入られるというのは、構造的に負けるということ



    ■「読み筋」



    解釈者は必ず「読み筋」というものを設定して、その文脈に出現するシグナルだけに注視することになる



    ■学ぶ者の定義



    「自分には何ができないのか」、「自分は何をしらないのか」を適切に言うことができないもの



    師が師でありうるのは、師がいかなる機能を果たすものであるかを、師は知っているけれど、自分は知らないと弟子が考えているから



    ■先生



    先生とは本質的に機能的な存在であり、先生を教育的に機能させるのは学ぶ側の主体性



    【本日の紹介書籍】



    先生はえらい (ちくまプリマー新書)
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    内田 樹
    筑摩書房
    売り上げランキング: 32780

    おすすめ度の平均:
    砕けに砕けた文体と拗くれた書名
    先生観が変わる
    だ・か・ら・先生はえらいんだよ!
    「えらい」とは何かを様々な例を出し説明
    「先生がえらい」のではなく「えらいと思った人が先生」

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    今年度始まったばかりですが、今年度一押しの本になれる本だと思っています。



    後段の「脱力感」についてのくだりや、合気道をたしなむ内田さんらしい、兵法の奥義「居着き」についての解説も、活目すべき内容です。



    【関連エントリー】


    ■書評■「人間関係」藤原和博
    http://ameblo.jp/satokumi1718/entry-10377290393.html
    ■書評■「職場は感情で変わる」高橋克徳
    http://ameblo.jp/satokumi1718/entry-10418206742.html



    ■セミナーレポート■インプロワークショップ byどみんごさん
    http://ameblo.jp/satokumi1718/entry-10369788524.html
    ■セミナーレポート■NLPミニライブ by千葉英介さん
    http://ameblo.jp/satokumi1718/entry-10248189750.html



    【編集後記】
    4月からももちゃんの保育園入園、妻の職場復帰という大きなトピックが起きているにも関わらず

  • 新 書 S||370||Uch

  • 無煙

  • いわゆる、師匠について。弟子の誤解から生まれる師弟関係。師匠が教えるのではない、弟子が自ずから悟る。

    ラカン 夏目漱石の書籍から引用。

  • よくわからなかった
    結局なにが言いたいのだろう

  • 師を得るというのはどういうことか?ということが分かる本。先生礼賛の本かと思って読んだが全く違った。
    師と出会うというのは、本人の勘違いであり、恋と似たようなもの。そうでなければならないとこの本は主張する。夏目漱石の著書も例に引き、どんな人でも、自分の師になる可能性があり、他人を師として学べるかどうかは、まったく自分次第であるということを説明してくれている。すばらしい師に巡りあえなくて、自分の不運を呪っているそこのあなた、その原因は自分自身にあるかもしれないことをこの本を読んで確認してみませんか?

    以下注目点
    ・オチのない話は、恋人と親友にしかしない。
    ・謎の価格設定
    ・貨幣は商品

  • 話がどこに行くのかなと思っていたら、しっかり戻ってきた。オチも秀逸。
    先生は何を教えているがわからないが、学んでいる方が勝手に理解する。
    一般にいう「先生」のことではない。



  • mmsn01-

    【要約】


    【ノート】
    ・新書がベスト

  • 非常に平易な文章で書かれているが,ジャック・ラカンの引きながら「学び」や「コミュニケーション」の本質を説いている.

    ・「これが出来れば大丈夫」ということを教える先生と,「学ぶ事には終わりがない」ということを教える先生は雲泥の差
    ・「学びの主体性」とは?人間は自分が学ぶことの出来ることしか,学ぶことはできない.学ぶことを欲望するものしか学ぶことはできない.
    ・コミュニケーションは,常に誤解の余地があるように構造化されている.
    ・「わかる」ことは,コミュニケーションを閉じる危険性と常に隣り合わせ
    ・人は知っている者の立場に立たされている間は常に十分知っている.

  • 終始わかりやすい文章、かといってどんどん読み進めていると、いつの間にか深い話になってよーく咀嚼しないと取り残される、というのが、内田先生の本を読んだときに陥るパターン。中高生向きとはいえ、今回も同じだった。
    学びは学校に限った話ではないが、先生が生徒に査定されるのが当たり前になった昨今、本当の「学びの主体性」に立ち返れたら双方どれだけ幸せだろうと考えてしまう。学びの最中にある若い人に読んで欲しいなぁ。
    お茶目な終わり方もいつも通り、素敵です。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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