- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569693071
作品紹介・あらすじ
日清・日露戦争だけを美化し、戦前・戦中の昭和を断罪した司馬遼太郎の歴史観が、戦後の日本人に与えた影響は計り知れない-。護憲派は大戦を「侵略戦争」と称し、保守派は彼らの歴史認識を「東京裁判史観」と批判する。我々にとってかけがえのない過去は、左右両派のイデオロギーによって書き換えられてしまった。一方で、朝日新聞と読売新聞は"共闘"して「戦争責任」を追及。しかし、罪を問う資格のある日本人などいるのだろうか?我々は昭和の歴史をどう振り返るべきか。先の戦争をあらためて問う。
感想・レビュー・書評
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先の大戦に於ける責任論や今なお続く日本周辺諸国からの内政干渉とも言える様な批判の嵐。靖国神社を政治家が参拝すれば、韓国や中国では日本車が燃やされ、日本人オーナーの店などは背筋が凍る。靖国問題はA級戦犯の合祀の決着は付かず、未だ東京裁判の見方についても意見は大きく割れている。憲法改正についても自民党と野党の言い争いは続くし、新聞各社も世論の代表なのか自説を振りかざしているのかよく判らない。勿論さまざまな本を読みながら、私自身もそうした一つ一つの「未解決」問題に対して持論はある。問題は根深く一概にどちらが当たっている、外れているとも言い難い。何より歴史は時間が経てば経つほどに直接その場その時代を生きた関係者は減り、当人達の心理を読み取ることなどできないからだ。それだけでなく、ある人物が信念を抱いて主張する内容は、他の人から見れば全く同意に当たるということもなく、ましてや国家間のレベルになると、お互いの国の考え方・主張が一致する方が珍しい。経済的な状況や、敵の敵は味方といった様な複雑な国家間の意図も含まれてくると、何が真実で何が偽りかは判らなくなってくる。寧ろ判らないくらいに複雑なものだ、と言って逃げ出した方が余程懸命である。本書は世に蔓延るその様な疑問に対して反論を重ねることで、読者に考える事を促していく。
事実だけを見ていくと、人や組織のいっていることはそもそも矛盾だらけだ。新聞社などは戦争礼賛から戦後は一気に反対派に立場を一変させ、いかにも世論を代表するかの如く振る舞いを変える。何度もこうしたレビューで言ってきたことではあるが、私はその様な新聞は信用していない。朝日も讀賣も所詮は発行部数重視のビジネス集団だし、真実を伝える立場をとる事自体が恥ずかしく、過去に何度も誤報を繰り返し、それでいて大した反省もなく国益を失うきっかけを作り続けている。
本書の立ち位置的には、そうした世の中に蔓延る矛盾した意見や立場を真っ向から非難するものであり、読んでて爽快になるのは間違いない。だがそれも結局はどちらかの意見に偏重するきっかけとなりかねない。だからこそこうした書籍を読む際は自分を見失わず、かつ書かれた内容をそのまま鵜呑みにしないよう気をつける必要がある。
重要なのは、まずは自分の力でたくさんの情報を仕入れ、自分の頭で考えることである。そうしたきっかけ作りに、是非とも筆者の様な批判する立場を取って、自分の中でシミュレーションするなどして練習してみるのも良いと思う。そんなきっかけになる一冊である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書、いいことを言ってる部分もあると思うのだが、基本、揚げ足とりに終始してしまっていてかなり残念。また、著者は、過去の同胞の行為を他人事のように批判することへの嫌悪感を繰り返し述べているが、客観的であろうとする学者的な論証をも批判しているようで、この点も頷けない。まあ、先の戦争の実態は、戦前のあるから日本全体が抜け出せない閉塞感に覆われてしまい、政治もマスコミも国民もこぞって合理的な判断を失って戦争に向かってずるずると墜ちていった、ということのようだから、特定の者の戦争責任云々を論じるより、ある種の集団ヒステリー状態からいち早く抜け出すにはどうしたらいいか、と言うことこそ考えないといけないのかもしれない。そういえば、米国も、911テロの後数年間、国全体にナショナリズムが台頭、合理的な判断が出来ない状態になっていた事を思い出す。あの時は怖かった。
いずれにしても、本書は、タイトルから期待したような、「司馬史観」を論じた書ではありませんでした。 -
堅い右の史観。かなり同感なんだけど、引用多くて読みづらい…
でも、勝った日清日露は素晴らしく、負けた大東亜戦争が悪なのかってのは確かに都合の良い歴史認識の刷り込みのようにも思える。
司馬遼太郎に大東亜戦争を書いて欲しかったな。しかし、そこでは旧帝国軍は悪と描かれていたんだろうか。
根底認識は教育により刷り込まれる。特に教育レベルの低い層が。
正しい歴史観を持つべきなのだけど、何が正しいとは判断できないので、過去の世界で行われた植民地、侵略の歴史と比べて、これまでの日本がどうなのか、誇りに思える国だと言うことをしっかり教育しないといけないな。
朝日、読売の叩き方が尋常ではないですが、同意。毎日もね。 -
広く浅くブログ並みの文章だが、司馬史観は言うに及ばず、ベタな「戦後」の御用学者である五百旗頭という輩が、防衛大学の校長になったことへの指摘は重要。(とはいっても、民主党政権下では田中真紀子のダンナさんが大臣になったのだから、おどろくに値しないのだが)
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タイトルに引かれて買ったのであるが、読みにくい本である。反論のための反論になっていると言っては言い過ぎだろうか?読んでいて疲れる本ではあるがいくつか参考になる点もあります。
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未だ途中で、「大東亜戦争(この呼び方自体が少し感化されてるかも知れません、(笑))」に関する知識、観念も未熟です。なので、色々な書物を淡々と読んでます。そもそも、歴史を振り返って考えを纏めるって本当に難しいと思います。読んでる最中なので、著者の言いたい事が未だ掴めてませんが、文中、具体的に他の著書、著者の名前を挙げて評論してます。 歴史とは、所謂「視点によって様々な考え、解釈が存在する」と言う一般的な概念を踏まえ、様々な書物で、この戦争は「湾曲されて伝えられている」、「真相をもっと理解し、伝えるべき」、「そう簡単には纏められない」、「バランスが必要」等々を言及してます。 勉強になるのですが、やっぱり「評論」ですよね。より真実に近い内容を知るには、実際に戦地に送り込まれ、戦闘してきた方々の話を聞くことが一番心に伝わってくるのだろうなっと思います。 既に他界してしまった祖父の話をもっと聞きたかったです。あまり話したがらなかったそうですが。 彼は大和の甲板で何を見たんですかね・・・。 粛々と読み続けます。
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超必読
鋭い切り口で
迫る -
著者は何が言いたいのだろう? 昨今右より左よりの論をともに批判しているように見えるものの、では著者の意見はというと鮮明には見えてこないです。私の読み方が不十分なのでしょうか? 批判の俎上に載せる様々な引用が多いために、著者の意見の部分が見えにくくなっているのかもしれません。ただ、最大の疑問は、編集部の意向なのかもしれませんが、大見得を切って「司馬史観」などとタイトルに挙げているのに、本文中ではほとんど触れられていませんし、肝心の司馬史観とやらがどんなものなのかも著者は明らかにしていないように感じられました。タイトルに騙されるな、という感じがします。