マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 61
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582834840

感想・レビュー・書評

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  • 同世代でもさっさと就職して上手く世の中を渡ってきた人もたくさんいるというのに、不器用な人だなあ。若さゆえの純粋で、自分を曲げられない強さと脆さに痛みを感じる作品。

  • 安全地帯を抜け出して、自分が正しいと思う「ジャーナリスト」に泥臭く向かっていく姿・Kに疑問を感じつつも、それでも最後までKを信じる姿が青く、信じ続けたがゆえにKと共に落ちていくのがなんだか切ない。

  • ノンフィクションの読み物としては興味深かったが、引き込まれるような文章力は感じなかった。自分は団塊の世代の子供世代だが、60年代のことは「団塊の世代が語らない青春時代」として、直接関係者や肉親などから聞くことがないので、各事件が繋がらない年表にはなっても、包括的なイメージは持てなかった。

    その「語らない理由」、「命を懸けた青春」、「無言で働く父親たち」をなんとなく理解できた気がした。

    いい時代なんかじゃなかった。死があり無数の敗北があった。だが、かけがえのない“われらの時代”だった。だれもが他者のことを考えようとした。ベトナム反戦は真剣だったが、平和で安全な地域にいることの後ろめたさが拭えず過激な衝動に身を投じた人達がいた。時に同志であったはずのその人達は、人を傷付け、犯罪者となっていった。

    大きな正義と矛盾のなかで恵まれた環境にいることが、自分と他人を傷付ける原因になっていた。

    そんな世代が自分たちを産み、育てたとはじめて実感した。

  • 実は「マイ・バック・ページ」は妻夫木聡&松山ケンイチ出演でちょうど映画化されている。
    映画も先日観てみたのだが、この原作本の幾つかの章をエピソードとして散りばめながらストーリーを展開。
    そして映画の幹となるのは、「逮捕まで」という章になっている。

    全体を通しての「どんより感」・・・これは60年代には仕方の無いことか。
    川本三郎氏は「週刊朝日」の記者であるが、映画では「週刊東都」という設定になっている。
    この時代のジャーナリストというのは、ホントに命かけて果敢に取り組んでいたのだろうな・・。
    原作本自体は、ドラマティックという感じでなく、川本氏の全くの回想録。
    そして回想録だからこそ、話せる本当の事実がある。

    「実は大変なことがたくさんあった。あんなことがあって、結局オレはこうなったんだ」
    端的に言えば、こんな感じの本である。←強引にまとめすぎ。

    原作本を先に読んでいる人は、「あの本をこういう形でまとめたのか」と思うだろう。
    しかし映画を観た後に、原作本を読んでも・・おそらくあまり感動は無いだろうね。
    (川本氏の本がつまらないということでは、決してありません。)

  • 映画を鑑賞後に購入。
    読みやすい文体なので、一日でサクサクと読める。

    私はまだ齢26で全共闘時代にはかすりもしていない。
    恥ずかしながら、さほどの知識もなく、ときどきテレビ等で流れる「あの時、時代は○○だった!」的な特番でしか、この時代の知識を持ち合わせていないし、そういったテレビで流れる映像は大体、浅間山荘事件だったりするので、「全共闘=暴力的」なイメージが脳に染みついている。
    その意味で、この本は私の中での全共闘時代のイメージを覆している。


    また、この本の素晴らしいのは、書かれたの1988年に書かれたのにも関わらず、全く古臭さを感じさせない点である。

    本のあらすじは、全共闘時代を生きた一人の雑誌記者が、若者の思想的・暴力的活動にシンパシーを感じつつ、ジャーナリストとしての立場を守るために葛藤する、一つの青春物語である。

    あとがきにもあるように、この話の中心には「組織の中の個人」という極めて普遍的な問題を扱っている。川本氏は全共闘にシンパシーを感じつつも、新聞社という「組織」に守られ、安全な立場から活動を見守ることしかできない自分に常に苛立ちを感じている一方、その組織を利用することで、自らのジャーナリズム業をやりやすいようにしている。

    この手の問題は現在の私たちの社会にも十分通じる点がある。
    会社という組織とそれに属する自分。組織に属することで得られる効用もあるが、それによって諦めなければならない個人としてのこだわりもある。

    だから、この本を読んでいても全く古臭さは感じず、むしろ身につまされる思いであった。


    余談ではあるが、映画版ではこの「組織の中の個人」という問題はかなり大胆にカットされ、代わりに犯人側の視点を大いに盛り込み、この時代の若者像を深めている。
    山下敦弘による演出が抜群に冴えている一方で、どこか突き抜けた感じがしないのは、その問題をうやむやにしてしまったからかもしれない。

  • 全共闘運動の全盛期から衰退期と重なる時代の出来事を当時新人の記者だった著者が回想したもの。
    全共闘運動の結末上、話はどうしても感傷的な挫折の物語にならざるを得ない。
    しかしそこには自分達が社会とどう関わっていくかという真摯な問いがあった。

  • 若者の青春と挫折。ジャーナリストの挫折。
    とある60年代の物語。

  • 若者達の青春と挫折が満ちた時代、60年代後半。

    1人の若いジャーナリストの失敗と挫折の物語。

    あの時代とは一体なんだったのだろうか。

  • おや、と思った。何だかいつもの川本三郎と感じがちがう。文章も生硬で余裕が感じられない。それに、60年代をテーマに謳っているのに出てくる話が暗いことばかりじゃないか。死者についての話も多い。それに何より「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」記者としての個人的な感想がいかにも青臭い。いや、臭すぎる。いったい何を書きたいのだろう、と思いながら読み進めていった。

    先に書いておくが、実はこの本1988年に河出書房新社から出版された同名の書物の復刻版である。その前年に雑誌「SWITCH」誌上に連載された文章を集めたものだ。当初は「60年代の様々なできごとをさらりと客観的に書くつもりだった」と、88年版のあとがきのなかで川本は書いている。しかし、第一章から川本の口調は滑らかではない。何やら60年代のことを思い出したくない様子なのだ。映画の中に引用されている三里塚闘争の映像を見たときのことを「いやだな、思い出したくないな」と書いている。

    当時川本は、ジャーナリストにあこがれて朝日新聞に入社したばかり。それなのに、新米社員にはつまらない仕事しか回ってこなかった。ベトナム戦争に取材に行っている先輩をしり目に、自分は安全地帯にいて第三者的な立場で意見を述べているばかりという事態に焦れていたのだろう。「センス・オブ・ギルティ」や「ベトナムから遠く離れて」といった章のタイトルにもそれは表れている。

    それにもう一つ、川本は「週刊朝日」に配属されていたが、当時勢いのあったのは圧倒的に「朝日ジャーナル」の方だった。あの雑誌をくるっと巻いて小脇にはさんだり上着のポケットに指したりするのが流行りのスタイルになっていたくらいだ。三里塚闘争にしても「朝日ジャーナル」の方は支援の姿勢を明らかにしていたが、「週刊朝日」の方は旗幟鮮明ではなかった。同じ社内にあって、新左翼シンパの自分が「週刊朝日」の方にいることが悔しかったようだ。

    しかし、上層部の判断で「朝日ジャーナル」のスタッフが配置転換され、その後を他の部局から入ってきた者が担うことになった。若い川本もその一人だったが、前メンバーからは第二組合的な扱いを受け、冷ややかな目で見られていたらしい。頼りになるメンバーも限られ、どうしたら「朝日ジャーナル」を続けていけるのかという不安の中で事件は起きた。

    アメリカン・ニューシネマやウッドストックといった話題もあるのに、どうして暗い話ばかりと感じていたが、それには深い理由があった。「ニュース・ソースの秘匿」。今でもジャーナリズムのモラルの一つとしてよく取り沙汰される話題だ。「赤衛隊」という名前を記憶している人も少なくなっただろう。自衛隊朝霞基地で警備中の自衛官が刺され死亡するという事件があったが、なんと川本は、犯行以前に、その犯人に単独インタビューをしていたのだ。

    それだけならまだしも、犯行後に証拠品である警衛腕章をもらい受けてもいる。インタビューに同行した社会部記者は警察に情報を流すべきだという。川本がそれに反対したのは、ジャーナリストのモラルを守るためであった。この事件を単なる殺人事件とする社会部記者に対し、思想犯だとする川本の論理は完全に食いちがう。その結果、逮捕され拘留。取り調べに対し完全否認するも犯人の方はぺらぺらと自分のことをしゃべっているらしく、このまま否認を続ければ「殺人教唆」の罪まで被る危険性が出てきた。

    結果的には、事実を述べたことで「証憑湮滅」だけで起訴され執行猶予つきで釈放されるが、朝日は馘首。ジャーナリストのモラルに違反した自分を川本は許せなかった。以後、政治を語ることは自分に禁じてきたという。88年版が出たとき、丸谷才一が「比類なき青春の書」、「どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆゑ文学的」と評したのはさすが。72年に起きた事件を語るのに15年かかったのだなあ、と読み終えて思った。改装版が出ることになったのは映画化されることが決まったからだ。

    暗い話ばかりと書いたが、後に高田渡と武蔵野タンポポ団のメンバーとなる青年(シバ)の下宿でフォークソングを一緒に歌ったり、阿佐ヶ谷の「ぽえむ」で永島慎二の隣でコーヒーを飲んでいたりと、懐かしい名前も登場する。後知恵ともいえようが、川本三郎の資質はむしろそちらの方に向いていたのではないだろうか。貧しい者や弱い者に優しく、声高にものを言うことのない筆者の書く物を愛読してきたが、こういう時代があって今の筆者があるのだなあという思いを強くした。

  • 2011年5月26日読み始め 2011年5月28日読了
    映画化をきっかけに新装版が出たので読んでみました。
    キネマ旬報などエッセイで知られる川本三郎が、実は朝日新聞社につとめていて、しかもクビになったのが、学生運動家の自衛官殺人事件の証拠を燃やしてしまったことが理由だったとは全く知りませんでした。
    本人もあまり思い出したくない出来事らしく、真相を書こうとしてぐるぐると逡巡している感じがよく出ています。
    三分の二は過去の思い出で、三分の一が事件についての文章です。
    ジャーナリストとしての守秘義務と、一般市民としての犯罪の通報の義務の板挟みになってしまうのですが、自分はそもそも、思想犯であったら殺人犯をかくまってもよし、という理屈がやっぱり受け入れられないです…
    それはともかく、すごく面白かったです。

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著者プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう):1944年東京生まれ。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」記者を経て、評論活動に入る。訳書にカポーティ『夜の樹』『叶えられた祈り』、著書に『映画の木漏れ日』『ひとり遊びぞ我はまされる』などがある。

「2024年 『ザ・ロード アメリカ放浪記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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