アメリカの〈周縁〉をあるく: 旅する人類学

著者 :
  • 平凡社
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582838732

作品紹介・あらすじ

広大なアメリカ大陸の辺境の町で、文化人類学者と写真家が行き当たりばったりの旅をしながら住民と語らい、分断と社会的痛苦の痕跡を見てとったアメリカの現代社会を抉る記録文学。

感想・レビュー・書評

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  • 2011年から2018年まで、2014年を除く各年計七回にわたるアメリカ紀行をまとめたもの。共著ふたりのうち文章は文化人類学者の中村氏が担当し、文中にマコトとして登場する写真家の松尾氏が撮影した写真が各章の合間に掲載される。第一章の2012年から第六章の2018年の旅まで時系列順に、それぞれ約一週間ずつの旅程で各地をめぐる。エピローグではこの旅の第一回にあたる2011年の旅にさかのぼって終わる。

    タイトルに含まれる<周縁>は、アラスカとハワイを含むように一部は地理的なものを指すが、どちらかといえば社会的な意味合いが強い。とくに主な目的のひとつとなっているのは、居留地を中心に各地のアメリカ先住民を訪ねあるくという試みである。親しくなったインディアン(原文ママ)一家との再会も含まれる。

    アメリカ先住民への聞き取りが大きなテーマではあるが、著者が「積極的ノープラン」を標榜するように目的を限定しているわけではない。道程の飲食店などで出会う行きずりの一般人の声も多く収め、現代のアメリカを素描する。また、最終の第六章では旅の目的地そのものに先住民ゆかりの場所が含まれていなかったり、設定した目的地に到達しないまま終わるケースもある。

    前半は多くの感動的な出会いによって暖かく明るい雰囲気に包まれており、おおむね紀行文として楽しめる。第四章の旅の途中でアメリカ大統領選挙でトランプが勝利したあたりから重い空気感に移り変わり、人文系の研究者としての考察に割く紙数が増える。第六章では、異文化や異教徒に配慮を見せることを忘れないトランプを支持する一般市民との会話や、極右に劣らずたちの悪い極左の人びとの行いから、「リベラル」対「保守」というわかりやすい文法に疑問をもつくだりは印象に残った。多数決でものごとを決定してしまう国家的な「民主主義」と、旧来の誰もが納得するまで話し合って答えにたどり着くような「民主主義」との質的な違いへの着目は、最近読んだ『くらしのアナキズム』にも通じる。

    副題に人類学とあるが、著者がいうとおり「狭い意味での専門書ではな」く、風まかせの紀行文としての傾向が強い。そして、出会いや偶然性を引き寄せるために専門家ではない同行者として選ばれたのが写真家のマコトで、気さくな関西弁と人懐っこい言動で作中の空気をなごませる役割も担う。著者が着想を得た著書のひとつとして紹介する小田実の『何でも見てやろう』のような紀行文と比べて物足りなく感じた理由は、単純に旅程がぶつ切りでそれぞれの旅の期間もやや短くせわしかなかったからかもしれない。あと、エピローグに収められた第一回にあたる旅はなぜ短い扱いに終わったのかがわからなかった。


  • 「アメリカ」「<周縁>」「あるく」、何と魅力的なタイトルだろう。

    <>つきの周縁から連想されるような文化人類学の視点がずっと透けて見えて背筋が伸びるのだが、その一方で旅をすること、移動することそのものが生み出す、全然目的地にたどり着けませんでしたとか、ローカルフードだと思って食べたものが全然ローカルではなかったらしいが美味しいのでまぁよかったネとか、その場その場の、むしろ後から語ることすら野暮なような、相好崩した楽しさも忘れない独特な文体に惹かれた。

    消費としての「観光」でもあり、あてのない「旅」でもあり、多かれ少なかれイデオロギーに立脚した「フィールドワーク」でもある、だがそれ故にどれでもない何か。

  •  旅行に行けない世界線になって久しい中、旅行欲を満たしてくれるかと思って読んだ。結果、かなり満たされてオモシロかった。アメリカの中でもメジャーではないところ(つまりは周縁)をロードトリップして、その際に感じたことが綴られている。エッセイ的な要素が強いのだけど、著者は文化人類学者であり、それぞれの旅がネイティブアメリカンという軸でアメリカを見ており、知らないことが多くて人文書としても興味深かった。
     読んでいて一番強く感じたのは、野村訓市がJ-Waveで毎週放送している「Traveling without moving」というラジオ番組との近似性。リスナーから届く旅行にまつわる思い出メールが番組内で読まれるのだけど、バックパッカー談が読まれることが多い。本著もアメリカの周縁で当てもなくふらふらと流れに任せて旅行する、というのはバックパッカーっぽいし、観光地ではない場所で立ち上がる思いが率直に書かれている点が似ていると思う。(ときににじみ出るポエジーも含めて)また街で出会った初対面の人との様々な会話が収録されており、これが旅の醍醐味だよなーとコロナ禍の今だととても贅沢に見える。すぐに会議したがったり、出社を要求する人を「大事なことはface to faceでしか伝わらないよな」と言って揶揄したりするけど、face to faceのオモシロさが存分に詰まっていた。
     アメリカは自由と民主主義の国であり、思い通り生きることができるというのは事実なんだけども、それを達成できているのは既に住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)を排除した結果であることを改めて認識した。特にドラッグやアルコール、貧困の問題を抱えているリザベーションを訪れた際の何とも言えない、略奪された後の残滓のような虚無感が印象的だった。またトランプが大統領へ立候補した選挙の頃に、いわゆる「真っ赤」なエリアを旅していて、そこでの風景や人物描写、それにまつわる論考もかなり興味深かった。印象的なライン。何か解決したり、断定しているわけではないが、この逡巡こそが今必要な時間な気がる。

    「分断」と報じられ受け容れられた現象をそのまま分断として語ることに、どれほどの意味があるのだろうか。そう語ることで得をするのは誰なのだろうか。しかしその逆に、二分化した両極は、結局のところ相互補完的であると哲学者を気取ってみても、なにかうすら寒いものが残るのだった。

  • 「365日世界一周絶景の旅」つながり

  • アメリカで周縁(marginal)を生きる、ネイティブアメリカンやハワイネイティブたちとの交わりを描いたフィールドノート。
    美大の教授らしく、一般的な文化人類学よりも自らの内面を覗き込むような描写が多い。
    個人的には、周縁を歩き、見聞きし、知ることで、筆者は何が見えてきたのか?ということがもう少し知りたかった。

  • 最初のニューメキシコのチャプターでぐわっと持っていかれた。自分がもともとジョージア・オキーフに興味があったのと、先住民の家族とのプライベートな交流という希少体験というインパクトの強さもさることながら、行き先だけ決めてあとは行き当たりばったりその時側にいた人に話しかけて旅が進んで行く、私の理想の旅スタイルだったから。その辺の人に聞いたレストラン行ってみたり、そのレストランにいた人と話してみたり。

    観光スポットを全否定してイキるつもりはないし多少は行ってみたりもするけど、なんかもうそういうのは飽きてしまった。2人の道中にはいわゆる観光地はない、ラシュモア山くらい。ラシュモア山見た時の冷めていく感情が自分に似ていた・・・

    他は比較的そうでもなくて、旅行ものとして読むことも可能といえば可能だけど、最後の章が筆者の文化人類学者たる所以のある考察が一番含まれていて、また時期もちょうどトランプが選出される頃というのもあいまって少し難しく、でもニュースで見たりした保守層の強い地域のリアルな見聞といった感じで興味深かった。

    P219:物乞いと現代社会に大した違いはない、という文章がグサっときた。
    「カネがないと生きていくのが難しくなった現代社会で、誰もがカネを手に入れたがる。物乞いはあからさまなやり方でカネを要求し、物売りやサーヴィス提供者はオブラートにくるんでその実態が見えないやり方でカネを奪い去る。前者は自身の要求を相手にさらす。後者は、相手のうちに要求を生みだし、合意を形成した上で、カネを求める。だから、相手にカネを出してもらうことを最終目的とする点で、大した違いはない。」

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著者プロフィール

多摩美術大学准教授。一橋大学大学院社会学研究科・地球社会研究専攻博士後期課程修了。博士(社会学)。専門は文化人類学で、「周縁」における暴力や社会的痛苦、差別と同化のメカニズム、コミュニケーションなどのテーマに取り組む一方、「人間学工房」を通じてさまざまなジャンルのつくり手たちと文化運動を展開する。訳書に、『アップタウン・キッズ――ニューヨーク・ハーレムの公営団地とストリート文化』(大月書店、2010年)がある。

「2015年 『残響のハーレム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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