南京事件論争史: 日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社新書 403)

著者 :
  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582854039

作品紹介・あらすじ

一九三七年一二月、南京市を占領した日本軍は、敗残・投降した中国軍兵士と捕虜、一般市民を殺戮・暴行し、おびただしい数の犠牲者を出した。この「南京事件」は当時の資料からもわかる明白な史実であるにもかかわらず、日本では否定派の存在によって「論争」がつづけられてきた。事件発生時から現在までの経過を丹念にたどることで、否定派の論拠の問題点とトリックを衝き、「論争」を生む日本人の歴史認識を問う。

感想・レビュー・書評

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  • 南京事件否定派の論拠を丁寧に潰している本。真面目で、細かくて、でも、面白くはない。

  • 南京事件に関して史実の解明とそれに対する否定派の論争をまとめたもの。これだけ史実として認定されているのに、否定する人たちは史実かどうかではなく、なかった事にしたいのだなと良くわかった。

  • 南京事件全否定や過小評価は、いわゆるヘイト本でしつこくあがったテーマであるし、今話題の”日本会議”の主な主張内容の一つでもある。しかし、彼らの主張する南京事件否定論の内容のほとんどが、すでに東京裁判において論破された最終弁論の劣化コピーということがわかってゲンナリさせられる。しかも主張している人の中には、旧帝大クラスの大学教授や閣僚クラスの政治家が居るという現実に暗澹とした気持ちになる。

  • 2007年刊行。南京大虐殺事件につき、東京裁判から現代までの学説・論争をまとめ、その問題点等を解説したもの。多くの文献が批判的にも肯定的にも挙げられており、論争(論争すらなっていない観もあるが)を俯瞰的に見るには有益。マンガの影響力、大手出版社の影響力の大なることを痛感。なお、虐殺人数はともかく、虐殺否定説は①東京裁判弁護人側証言・宣誓口供書の内容を否定する具体的事実(弾劾証拠では足りない。積極証拠が必要)か、作成過程の任意性否定の事実、②日本軍人・外国人の肯定証言を覆滅する材料が求められるのではないか。
    それにしても、①史料の改竄・捏造、②証拠の牽強付会、③脅迫的言動は如何なものか。また、東京地裁で名誉毀損の認定を受けた何某の学者としての言動も如何なものだろうか。

  • 2015.5.14ちょっと読むのがしんどかったので半分くらいで中断。南京事件はあった。日本は世界に対し深く反省すべき虐殺の歴史を持っている。それはナチスドイツのアウシュビッツと同様である。そしてその史実は政治的な理由やナショナリズムより、なかったことにされたり、そしてそれは違うとまた反論したり。そういう大まかなところがわかったので良しとする。国の姿勢としては、いろんな事情もあり、理想論だけでは国際情勢を生きてはいけないだろうと思うので特に期待もせず求めもしないが私個人としては、しっかりこの史実を受け止め、二度と繰り返さないようにすべきだと思う。教育は国からの統制を受け、故にこのような歴史的関心を持たない学生も非常に増えているとは思うが、そういう国にとって都合の良い一国民になる前に、この世界で生きる一日本人として、この歴史的罪を知る機会があったことはよかった。日本は全く説得力を持って戦争の被害者であり、また同じく説得力を持って加害者である。

  •  大学時代に日本史を専攻した人間として、南京における日本軍の所行について、犠牲者の数はともかくとして、さすがに「なかった」まで言われることはないだろう……と思っていたのだが。授業で近現代史まで到達しなくなった……なんてハナシも聞くにつれ、ちょこっとばかり不安に。小林よしのりの著作やら、それに対する密林のレビューなど読むにつれ、暗澹とした気分に。というあたりで、「南京事件」そのものというよりも、「南京事件についての論争」についてのまとめが新書で出るというのは、ありがたいし、価値のあることだと思う。
     歴史学者らしいというか、たいへん緻密かつ整理された筆運び。事件と同時期に書かれた関係者の手記・新聞報道などに言及する第一章、東京裁判の第二章を経て、1970年代の「本田勝一VSイザヤベンダサン(山本七平)論争、現代にまでいたる「論争」主要キャラクターが出そろう1980年代の論争、いったんは決着したかに見えた90年代前半、そして「つくる会」勢力を中心とした学問的には不毛の論争が繰り広げられた直近まで、ていねいにおさらいしてくれている。
     南京事件はこれだけの「論争」になったことから、史料・証言が掘り起こされ続け、事件から何十年もの時間を経ても生き続け、あらたな断面が切り開かれ続けた。そこで問われるのが、史料・史実に対する姿勢だ。いま生きている人に都合がいいように「歴史」は解釈されるべし、という立場もあるだろう。しかし、昔何があったかということについて極力主観を廃して追究すべしというのは、学問としては当たり前の態度であると思う。南京事件「まぼろし派」の著作と本書を比べたときにまっさきに違いが明らかになるのは、歴史的事実についての「フェアネス」というか、文献に対する真っ正直さである。本書には論争の経過に連れてあらたに得られた記録について、「史実派」「まぼろし派」がどのような対応をしていったのかが描いてあり、そこがたんに「南京事件はあったか、なかったか」本とは違うポイントになっている。

  • 読了してひどく徒労感に襲われた。新書で論争史をたどっただけでそのように感じるのであるから、実際論争の当事者となっている著者等の実感はいかばかりか、想像に難くない。それでも「あとがき」で南京事件の史実の解明がすすんだのは、否定派との論争があったればこそ、と評価する余裕を見せるあたりのプラス思考には頭の下がる思いがする。
    結局のところ、「否定派」のロジックとは、「史実派」の検証作業の矛盾点を洗い出し、部分的に少しでもおかしいと指摘できるところがあれば、それを梃子に事件そのものの否定に繋げていくことにある。そしてその作業にも手詰まりとなれば、「史実派」の構築した事実関係そのものが「陰謀」「謀略」「洗脳」の結果であるとしてオカルト的な陰謀論に逃げ込む。史実などどうでもいい、中身はボロ負けでもタイトルだけは威勢よく「大虐殺説にとどめを差す」などとしておけば「南京事件は無かったのだ」と信じる者が少しでも増えるだろうし、同じ内容の繰り返しでも本を出し続けることに意義がある。最早学術論争でもなんでもない、このようなレベルの輩との「論争」に「決着」など端からつくはずもない。我々はせめて「どっちもどっち」などという安易な結論に流されること無いように、といいたいところだが、これも結構な数のマスコミ、読者(ここの「ベストレビュアー」にもその類が散見される)が「否定派」を支持しているのが現実かと思うと、平成二十年もそう明るい年とはなりそうもない。

  • 南京事件論争について勉強しようと思って読んだ一冊。南京事件肯定派の著者ではあるが、南京事件があったか、なかったという意味での論争では、「あった」ということで決着がついていることに納得できた。人数に諸説あることについては、投降兵を対象者に含めるかどうかといった定義の問題であるということも理解した。全体として、南京事件論争の流れと肯定派の論理、否定派の問題点がわかる良書だと思うが、全体の論調として、筆者の偏見のようなものも垣間見られるのは気になった(例えば、肯定派は市民の側で、否定は自民党政権を中心とする支配層側の動きであるとみなしているような論調)。

  • [ 内容 ]
    一九三七年一二月、南京市を占領した日本軍は、敗残・投降した中国軍兵士と捕虜、一般市民を殺戮・暴行し、おびただしい数の犠牲者を出した。
    この「南京事件」は当時の資料からもわかる明白な史実であるにもかかわらず、日本では否定派の存在によって「論争」がつづけられてきた。
    事件発生時から現在までの経過を丹念にたどることで、否定派の論拠の問題点とトリックを衝き、「論争」を生む日本人の歴史認識を問う。

    [ 目次 ]
    序章 世界に注目される日本
    第1章 「論争」前史
    第2章 東京裁判―「論争」の原点
    第3章 一九七〇年代―「論争」の発端
    第4章 一九八〇年代―「論争」の本格化
    第5章 一九九〇年代前半―「論争」の結着
    第6章 一九九〇年代後半から現在―「論争」の変質
    終章 真の学問的論争を願って

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 筆者の笠原さんに言わせれば南京事件があったかどうかはすでに決着がついていることで、これからはむしろ南京事件とはなんであったか、その全体像を解明する段階に入っているという。善良な日本人がなぜそんなことを起こしたのか。日本人ならだれでもやったのかというとそうでもない。それはある意味起こるべくして起きた。日本人のために考えるなら、この事件の前段階である上海事変とのかかわりがすでに指摘されている。本来の計画には南京攻略はなかったのだ。南京事件を否定しようという人たちは、そのためにいくつもの手をもっている。まずはそれが東京裁判で急にでてきた連合国側の謀略であるという説だ。しかし、当時の参謀本部がそれを知っていたことは周知の事実である。国民が知らされなかっただけだ。それがなりたたなくなると、あれこれ手を変えて否定にかかる。南京事件否定派の手口は自分たちに都合の悪い事実、資料はふせて、ちょっとでも怪しい資料や写真があると、鬼の首をとったように問題にすることだ。中国は30万人犠牲説をかかげ、これがおかしいという人も多いが、問題は数ではなく、国際的にも申し開きのできない虐殺、強姦、略奪があったことを認めるべきではないだろうか。

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著者プロフィール

1944年、群馬県生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程東洋史学専攻中退。学術博士(東京大学)。都留文科大学名誉教授。専門は中国近現代史、日中関係史、東アジア近現代史。主著に『南京事件』(岩波新書)、『第一次世界大戦期の中国民族運動』(汲古書院)、『日本軍の治安戦』(岩波書店)、『憲法九条と幣原喜重郎』(大月書店)、『日中戦争全史(上・下)』『通州事件』(以上、高文研)、『海軍の日中戦争』(平凡社)、『増補 南京事件論争史』(平凡社ライブラリー)などがある。

「2023年 『憲法九条論争 幣原喜重郎発案の証明』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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