ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

  • みすず書房
4.18
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622076537

作品紹介・あらすじ

言語をつくるのはほんとうに本能か?数がない、「右と左」の概念も、色名もない、神もいない-あらゆる西欧的な普遍幻想を揺さぶる、ピダハンの認知世界。

感想・レビュー・書評

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  • 大変面白かった。17章は感動的ですらある。
    犬(6章p144)、イビピーオ(7章p181)、夢(7章p185)、背中にコイン(10章p237)、レタス(14章p292)のエピソードが特に印象的。
    直接体験したことしか語らない(夢の話などもするが、日中の出来事と区別をつけない)ということがさまざまなエピソードに表れている。

  • 30年以上アマゾンの一部族ピダハンとともに暮らして学んだことをまとめた本
    数えたり計算したりしない
    色もない
    遠い過去も未来も空想も話さない
    左右もない

  • 赤ちゃん言葉がなく子供も大人も対等に扱われ、親族が死にかけていてもそれが運命と助けることをせず、自分の目で見たものしか信じず、それでいて先進国の我々よりは精神的に豊かで幸せな民族。

    常に進化や物質的な豊かさを追い求めることが本当の幸せかを考えさせられる。

    ただし言語学的な考察がしっかりしている分、教養を求めて興味本位で読む一般人には辛い部分も多い。

  • この本をこれだけの人が読んでいるということ自体に驚くけど、その方面では有名なんかな。
    言語の研究でありつつも、部族、文化の研究で、やっぱりこういう異文化を知るというのは面白い。全く新しいものを受け入れない頑固さが、キリスト教やらを押し付ける西洋人ならではのアイデンティティとぶつかり合うさまは小気味よく読める。これが200年前に起きてたら、日本もまた違う未来を進んだんだろうか。

    ともあれこの強烈な虫どもと共存できる力は分けてほしい。アマゾンで上半身裸ってヤバい。誰か科学者がこの遺伝子を解明して薬作ってプリーズ。

  • 未知の世界が語られている本を読むのは、わくわくするものですね。
    「ピダハン」のことを知ったのはやはり本でしたが、数字に当たるものがない、色の名前もない、など、私たちとはまったく違った生活をしているピダハンを、言語学の立場から研究している著者ということで興味を持ちました。また、キリスト教の伝道師の立場でピダハンと接触したのに、本書を執筆したときには「無神論者」になってしまったという、著者の変化も非常に気になりました。それだけピダハンという存在は、例えばテクノロジーにかこまれた社会で生きる著者をはじめ、私たちにはない”何か”を持っている、ということだと。
    読み始めて、ピダハンの生き方は野生動物みたいだと感じました。著者も動物が教師みたいだと指摘しています。自分が感じたのは”いまを生きる”あり方とか、親族や村の仲間が死にそうでも(その人が助けて、と訴えていても)自分にはどうしようも出来なけれは、手出しはしないところです。
    例えば草食動物は、仲間が肉食動物にやられていても、ただじっと見ているだけです。大勢でいけば何とかなる!とか思って肉食動物へ復讐とかしませんね。でも人間だったら普通、たとえなんとも出来なくても倫理的に何とかしようとはします……。慌てたり、右往左往したり。
    とはいえ、ピダハンは冷酷ではもちろんありません。助け合うことは強い「規制」となって現れると著者はいいます。また自分の飼い犬が殺されたら、大粒の涙を流しかなしみます。
    ちょっと難しかったのは「精霊」の存在。それをぜひ見たいと思っていた著者と仲間がピダハンに頼むと、見れる場所を教えてくれて行ってみると、教えてくれた本人が、死んで間もない女性に扮してジャングルから出てきた。そして自分が今どんな状況か”語る”。周りにはほかのピダハンが「聴衆」となっている。
    著者はこれは”演劇”じゃないかといっています(西洋人的な感覚で)。しかし著者自身も指摘するように、精霊とはピダハンにとって、目に見える「現実」で体験されるものなのです。夢も眠っているときに見える「現実」だといいます。
    死んだ人(精霊)を演じるというと、能と似ていると思いました。自分は詳しくないのですが、この芸術も人間と霊(精霊)とのやり取りの演目が多いと聞きます。見えないもの(と私たちが勝手に思っている)に重きをおけるのは、ひょっとすると”幸せな人間”の条件なのかな、と感じました。

  • アマゾンに住む少数民族のピダハンの言語と文化について。

    聖書をピダハンの言語に翻訳するために彼らの言語を研究し、その中で今まで普遍だと思われてた人間の言語に関する常識が覆されていく。

    彼らは実際に見た事しか信じず、自分たちの生活が豊かだと感じているから、他の文化や言語を取り入れる事なく暮らしている。言語として抽象化が極端に少ないため、色や数、左右を表す単語がないことは驚いた。

    伝道師としてピダハンの言語を元気してた著者が、ピダハンと関わることで信仰を捨ててしまうのも驚きだった。未来や過去なんかの抽象的な事を考えるから不安を抱くのであって、現在しか考えなければ信仰に頼る必要もないんだな。

  • ピダハン(Pirahã)というブラジルはアマゾンの中で暮らす少数部族。20年以上にわたって、何度も村を訪れては生活を共にし、学んだ著者の記録である。

    ピダハンへの理解が進むにつれ、自身の信仰に揺らぎが出る、人生が大きく変わって行く著者の物語でもある。

    ゆる言語学ラジオで特集されていたのが面白かったので、読んでみた。結果、すごく面白かった。このあたりのジャンルの本、もっと読んでみようかなぁ。



    宣教師として、家族とともにピダハンの村で暮らしはじめる。が、まずは言葉を覚えなければ何もできない。言語学者でもある著者は、彼らの言語・文化を調べ始める。

    ピダハンの人々は、みんながみんなそれはそれは幸せそうで、どの顔も笑みに彩られ、ふくれっ面ややふさぎ込んだ顔はいない。大人も子供も、著者に興味しんしんだ。

    辞書も文法書も、なんならYouTubeなどの動画素材まで充実している言語ですら、外国語というのは習得がなかなか難しいのに(私だ、、)、文字すらない未知の言語をイチから調べあげるなんて、想像しただけで気が遠くなる。

    でも、その過程を私は著者とともに、ただ本を読むだけでたどって行くことができる。言語学者のフィールドワークを追体験できる貴重な本なのだ。

    彼らは名前が長い。もっともよく登場するいちばんの言語の師匠は、コーホイビイーイヒーアイ。そして、何かの節目で名前を変える。彼はティアーアパハイと変えた。精霊から名前をもらうのだそうだ。全く別の人間に生まれ変わるのだ。前の名前で呼びかけても返事をしてくれない。

    ピダハン語には、関係節がない。また、修飾語は1つ。2つ以上になると、文を分ける。

    「おい、パイター、針を持ってきてくれ。ダンがその針を買った。同じ針だ。」という。
    英語なら「ダンが買ってきた針を持ってきてくれ」のひと言で済む。

    この、関係節で文を入れ子構造にできることを、リカージョンと言う。ピダハン語にはリカージョンがない。

    ピダハンは、直接体験したことしか信じない。これは、ピダハンの生活、言語を体験して行く上で著者がひしひしと感じていたことだ。

    ピダハン語にも慣れ、聖書の翻訳にとりかかり、いくつかピダハンに説教を試みる。

    聖書は、大昔に起こったとされる奇跡・物事が伝聞された書物で、実際に今の人々が体験したことではない。なので、やはりピダハンはいくら信じた方が良いと説得されても信じようとはしなかった。

    そういったことに著者は心を揺さぶられた。そして、キリスト教の伝道師たる自身の信念にも疑念を抱きはじめた。それから20年もの間、隠れ無神論者として過ごし、打ち明けた結果は、家族を失うこととなってしまった。

    言語と文化はセットで互いに影響を及ぼしている、と言うのがこの本の大まかな主張(だと思う)。

    ピダハン語には「心配する」に対応する語彙がない。著者は過去30年あまり、アマゾンの他の部族の調査も行ってきたが、ピダハンほど幸せそうな様子の部族は他にない。ピダハンの村にきたMITの研究グループも、これまで出会った中でもっとも幸せそうな人々だ、と評する。

    著者が当初宣教しようとしていたキリスト教の教徒より、他のどんな宗教の人々より、ピダハンは類をみないほどに幸せで充足し切った人々だ。
    そんな締めくくりで終わった。

    ピダハン語の音源をYouTubeで見つけて聞いてみたが、めちゃくちゃ難しそうだ。これを聞き取れるようになる気がしない。著者の根気に改めて敬服する。

    本の途中、言語学的観点から難しい文章が延々と続く章があるが、その辺は目が文字の上を上滑りしているだけだった。。。何もわからん。日本語さえ。。。

    しかし、とにかく面白かった!

  • とても面白く読んだ。
    ピダハンの強固な世界観に驚く。
    進取の気性というのが全くなく、自分たちの生活を良いものとして続けるというのは、なかなか稀な事だと思う。ひょっとしたら老子の言うユートピアかもしれない。
    毎日を楽しく、肯定的に生きるということが幸せなのかも。うまく行くならそれは正しい、、というフレーズを思い出した。
    言語学者としての考察も面白い。
    文字に関しては余り記述が無かったが、おそらく使わないのだろう。
    その事は世界観に強い影響があるのではないかとと思った。

  • 過去回のゆる言語学ラジオで聴いて、なんか面白そう!と思ったので、夫からのお誕生日プレゼント資金で購入。

    著者のダニエル・L・エベレット博士は当初キリスト教福音派の伝道師として、アマゾン川流域の一部族であるピダハンの村に赴く。1970年代から30年がかりのフィールドワークで、ピダハンの言語と文化、認知世界を解き明かしていくのだが、結論から言うととにかくめちゃくちゃ面白かった。
    まずピダハンの言語、文化が面白い。
    数がない。色がない。左右がない。
    創世神話もないし、自分たちのために食糧を備蓄することもしないから、お腹が空いても狩りに行かず、今踊りたければ一晩中でも踊る。
    自分の常識はアマゾンの奥地ではまったく通用しない。
    第1章ではそんなピダハン族の生活について描かれているのだが、まったくわからない言語を1から習得するという苦労、異文化を知るって簡単に言葉にするけど、その中で生活するとなると、当たり前ながら全然簡単じゃなくて、著者の奮闘ぶりにすごく引き込まれる。
    マラリアで死にそうになったり、交易商人に唆されたピダハンに命を狙われたり、普通にエンタメ系な読み物としてもとてもエキサイティングだった。

    第二章はピダハンの特殊な言語から、現在の言語学の主流であるチョムスキーの生成文法理論との齟齬を語っていて、
    うーん、…正直めちゃくちゃ難しい。
    チョムスキーって名前、ゆる言語学ラジオでは聞いたことあったけど、どんな理論を言っている人だとかは知らなかったので、wikiで調べたよね。
    よくわかんなかったけど笑
    ところどころ、おっ!と思うところもあったけど、一章よりページ捲るペースは遅くなった。

    そして第三章。
    これは素晴らしかった。
    読み始めの頃からぼんやりとあった問いに一定の解を得たような、さらに大きな問いが生まれるような結びで、
    少し高価な本だったけど、買ってよかったと思わせてくれた。

    有用な実用性に踏みとどまり、未来を憂うことのないピダハンにとって、この民族の言語や文化を継続させようという外部からの意思というのは是か、非か?
    その意思とは誰のものなのか?

    …面白いなぁ。

    実はこの本にも登場したエベレットの息子さんの、最近出た本も一緒に購入したので、そちらを読むのも今から楽しみ。


  • 過去や将来を考えない。その日一日を生き延びていく生活。独立した一人でありながら、集団の中の仲間意識は強い。
    美しくて、優しい自然と人に囲まれているから充足していて、神話も民話も必要がない。
    だから、不安や心配はない。
    必要のないものを無理に取り入れない。発展せず、程よいところで維持するということこそ幸せが続くコツなのかもしれない。

    文化的なところに面白さを感じたので、言語学や旅行記的な部分より文化の比重がもっと重めだったらよかったな〜、と個人的には思う。

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