サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」
- みすず書房 (2013年10月26日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784622077800
作品紹介・あらすじ
今日のコミュニティ論におけるキーワード「サードプレイス(第三の場)」。第一の場=家、第二の場=職場・学校の中間的位置にあり、そこでは役割を持たない匿名の人としてもふるまえて、くつろげる場所のこと。具体的には、町の飲食店だ。この概念の社会学的意義を論述し、広く一般の人々の賛同を集めた著書の待望の邦訳。解説は、マイク・モラスキー氏。
感想・レビュー・書評
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ここで書かれるサードプレイスは探してる場所と少し違うけど、それほど親密でない自分の趣味嗜好と違う人の集まる場所だからこそ自分にないものを提示される意外性があるっておもしろいと思いました。
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サードプレイスの概念について学ぶことができる。
事例が多く、その中から、該当しないものについても把握できる。 -
郊外に一軒家を建てて休みの日は家族でショッピングモールにドライブへ、といったような生活が当たり前になっていくことへの危機感を強く感じる書。
アメリカをはじめ産業化が進んだ地域では、家庭や仕事場での役割から解放されて色々な人とたくさんの話ができる場が失われているという。ここで提示される居酒屋やカフェでは、経済的階級を超えて雄弁に人々が語り合える素晴らしい場であるようだ。
ただ、ここで著者が想定する失われつつある場(サードプレイス)の姿は、解説にもある通り非常にノスタルジックで、ジェンダーやエスニシティ的な観点からはあまり心地の良い場とは言えない。「昔は良かったよな…」から始まる忘年会大好きな上司の話を聞いている気分になる。
しかし、形のない「場」に注目する視点は、とても重要でありながら書くのが難しい主題であるようにも思う。この点に着目した本書が現在でも書店に並んでいるのには、納得がいく。 -
「サードプレイス」という言葉自体はよく聞きますが、自分の職場と家庭から離れて過ごすことができるという位置付けで捉えていました。
この本における、「サードプレイス」とは、単なる場所のことではなく、そこに集まった人たちが、互いに会話をしたり、意見を言い合ったりするコミュニケーションの場であって、すなわち全てのカフェや居酒屋がサードプレイスではないということでした。
こうした「サードプレイス」はこの本が書かれている当時でも減っていると嘆かれておりましたが、コロナ禍においては、もはや壊滅状態なのかもしれません。
もちろん、場としてのサードプレイスはZoomやTeamsなどのオンラインにあるのかもしれませんが、そこは一定の閉鎖性があり、必ずしもふらっと立ち寄ることができるものではないのが現実です。
ついでに何となくではなく、話すことそれ自体が目的となってしまうオンラインの場では、もはや「サードプレイス」的な、分野も異なる知らない人同士が偶然集まるということは、不可能ではないにしても以前よりも難しくなってきているのかもしれません。
よいコミュニティ、悪いコミュニティという基準はありませんが、今いる場から別の場へ移動する手段、それも自分の好きなことばかり集まったフィルターバブルではなく、本当の意味での多様性を受け入れる場所。そうした場所が減りつつある今が、果たして正しいのかどうか。そうしたことを考えるきっかけになるいい本だと思います。 -
解説にもある通り、本著では欧米以外の社会については論じられていないため日本人である自分にとっては実感に欠ける部分も多く、ボリュームのある本である割に可食部が少ないと感じました。解説では本文に批判を加えつつ日本におけるサードプレイスについて言及されているのですが、個人的には著者の主張するサードプレイスの核心部分からは遠ざかっていて物足りないと感じました。
スタバを代表例として引用されるような文脈におけるサードプレイスという言葉は、職場でも家庭でもない、アットホームでくつろげる空間というようなニュアンスで使われているように思いますが、解説でもこれに似たような形で日本におけるサードプレイスを、「取り立てていく必要がなく」、「いつでも立ち寄って、帰りたいと思ったらいつでも帰れる」、「その場所が提供しているサービスとは別の目的でいく」場所であると再定義しています。
本文ではこれに加え、サードプレイスで出会う人々との気軽な会話や、そこで形成されているコミュニティへの帰属感を挙げており、個人的にはこちらの方がずっと重要なファクターであるように思えます。現在日本で隆盛を誇るチェーンの飲食店の特徴として個室を売りにしているものが多いことは指摘されているし(それがサードプレイスのコンセプトと反対であることも)、そもそも知らない人と会話をするのが苦痛であるという考えが主流であることは自分も同感なのですが、個人的にサードプレイスという概念に期待するのはネットではなくリアルでゆるい繋がりと帰属感がうまれる場所で、地域にそのような場所をどのようにつくっていくかに関心があったので、その意味では本著での考察に物足りなさを感じました。
また、「それぞれの社会にあわせてサードプレイスの概念を調整し直す必要もある」のはそうなのですが、そもそもスタバなどを引き合いに出して使われる「サードプレイス」と本著のそれとではコンセプトそのものがずれているように感じますし、そのような定義の調整の仕方ではこの先何を指しているのかよくわからない抽象的な概念になっていきそうな予感がします。 -
自宅でも職場でもなく、気持ちよく過ごせる"第三の場所"。アイルランドやイギリスならパブ、フランスのカフェ、ブラジルは床屋さん…。日本ならどこになるのか。赤提灯のお店だという説があったけれど、私にはちょっと分からない感覚でした。この本では人を受け入れて気楽に語り合える地域コミュニティーという意味が強いよう。
本来の意味とは違うのだろうけど、私は「適当に放っておいてもらえる場所」が好きです。喫茶店がそうかな♪
☆インスタから転記
https://www.instagram.com/p/CK8K9g2M6CR/ -
文体が難しすぎたのでイントロと解説だけ…
アメリカは郊外の国になった。
人々は都市部と田舎の両方から移住し、
快適で十分に蓄えのある家を持つこと、
不愉快な交流や市民ときての義務からの解放を
目指し、成功した。
その結果、歩くこと、話すことが排除され
歩いて行くところ、人の集まる場がない。
サードプレイス(とびきり居心地の良い場所、インフォーマルな公共の集いの場、あらゆる人を受け入れて地元密着である場所)が欠如している。
以前は、郵便局、ドラッグストアなどに人が集まり、お互いに挨拶し、いざというときに助け合えるコミュニティがあった。
この状況は日本でも一緒だよね。
解説では、日本のサードプレイスとは?という話。
喫茶店、居酒屋、銭湯などが挙げられていた。
アフロ記者さんの本でも書かれていたけれど、
近所にふらっと寄れるカフェや銭湯があり
常連さんやお店の方と
ゆるやかな交流が持てることは宝だよな。 -
『インフォーマルな公共生活がないために、国民が仕事と家庭生活に寄せる期待は、職場や自宅で対応できる限度を超えて増大した。家庭内と仕事の人間関係によって、足りないものをすべて補充し、コミュニティをもたない人びとの抑制された生活様式に欠落しているものの大半を供給せざるをえない。』
家庭でも職場でもないサードプレイスが、個人も地域も社会も助けるというのは私もぼんやりと思って来たことなのだけど、その必要性をとことん語っている本。
特徴的なのは、基本的にはサードプレイスはいわゆる飲み屋を想定していること。
仕事の帰りにちょっと立ち寄るといつもの顔ぶれがいて、一息ついてまた家に帰る、というのが著者の「サードプレイス」らしい。
論は面白く、頷けるところもたくさん。
ただ、引っかかるところは幾つかあったのだけれど、解説が見事にそれらを回収してくれた。
色々と考える材料をくれる本だった。 -
レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』読了。
家庭、職場に次ぐ第3の居場所としての居酒屋などの「たまり場」におけるインフォーマルな交流の重要性を説く。
初版が1989年ということを差し引いたとしても、多分に懐古主義が過ぎるのと古臭いジェンダー観が鼻につくけれど、30年前に著者が案じた郊外の「浄化された」住宅地で交流を絶たれた米国社会の行く末が、今日の大統領選における混乱と分断であるというのなら、その懸念と主張の妥当性が立証されたと言えるのでは。
現代日本社会もショッピングモールやチェーン店に大いに依存し、インフォーマルな社交の場を排除しているという点で決して他人事ではないが… -
分厚いので、パラパラと斜め読み
サードプレイス的な場所を自分から整えたいと思い、手に取りました。
サードプレイスと呼ばれるものの魅力とはどこにあるのか?個々人にどんな働きがあるのだろう?そんな疑問を持ちながら読むととても楽しく読めました。
ただこうしたら理想のサードプレイスが作れます!といった記述は(私には)読み取れなかったので、自分で模索する必要があるかと思います。
ぼんやり感じていた、「どうしてサードプレイスは心地が良いのか」について深く考える、知識を得るにはぴったりの本だと思いました。