本を読めなくなった人のための読書論

著者 :
  • 亜紀書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516080

感想・レビュー・書評

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  • 読書が出来なくなった人向けなのに、それについて本で読むという若干の矛盾を面白く感じながら読書。
    私も少し読書が進まない状態だったので、丁度よかった。
    文字もびっちりではなく、文章も読みやすくて、
    優しいスープのような1冊。

    全部読まなくてもよい、
    読み切る必要もない、
    好きなところから読んでもいい、
    「言葉のジュース」をつくる
    言葉は人生という旅の「薬草」である。

    気になった方はおすすめします。

  • NHK「100分de名著」で著者を、SNSで本書を知り読んだ。丁寧かつ本質を突いた言葉が、自分の中に染み込んでいくのを読みながら感じた。

    知識を得るためだけでは終わらない、正しさを求めない、ひとりの時間を大切にするための読書を今後続けていきたい。読めなくなったらひと休みしたらいいのだから。

    著者の言葉でしっくりきたのは「読む」と「書く」は呼吸のような関係だということ。読めなくなったのは、吐き出したい思いがたまっているから。上手くなくていいから書き出してみる。

    読書も、食事と同じで、量より「質」だなと思った。

  • 今はネット全盛期、スマホも全世代に普及をし、
    改めて読書の存在意義は、何か?この本で語られています。著者の問題意識は、なぜ読まなくなったことから少し視点をずらし、なぜ読めなくなったかに置かれています。この視点は、かなり新鮮なものでした。

    本を読む必要性が、ある人とない人で、大きな格差が生まれていると思います。これは、本を読むのが、良い、悪いとは、違うことです。誰だって、「必要ならやります」。今、読書は、必要なんでしょうか?

    出版業界は、このたった20年で業界規模が半分になりました。新聞も同様です。この減少が意味していることは、なんでしょうか?

    現在家計に占める書籍費の割合は毎月850円です。この数字が、深刻というより、多くの人が読書に価値を置かなくなったことの裏付けできる数字だと思います。本を読む必要性がないと思う人が、圧倒的多数であることは、周知の事実で、「いや、それでも必要性がある」という問題提起は、正直意味ありません。

    〇〇離れを防止するために、〇〇の必要性や意義を語りかける手法というのは、ただ業界が縮小していくと自分達が食いっぱぐれるからでしょう。今、出版業界は、「売り方」だけにこだわり、血みどろの競争をしています。本来は、「在り方」を、問うべきなのに、実体は、如何に読者が求める本を出すかに、必死になっています。いいじゃないかと思いますが、テレビ番組と同様に、実は必要ないのに、なぜか、見られている、売れているというのも書籍には、沢山あります。

    売れる本が良い本というのは、わかりますが、この論理は、自滅につながるというのは、勝てばいい、儲けばいいと考える愚かさと同じです。ただ、自体は、ますます自滅に向かっている気がします。必死に努力をしても、ちっとも良くならない日本と瓜二つです。

    なんとかしなきゃと思い、〇〇離れ自体を、問題にするのは、賢いやり方というより、単なる時間と労力の無駄です。〇〇離れ防止キャンペーンをやる、これは、果たして、有効な方策なのでしょうか?

    本質的な問題を提起しないで、どうでもいいことを、取り上げ、必死に改善し、頑張るのは、日本人の個性と思いますが、それは豊かな時代か、登り調子の時代に許された甘い態度です。今の時代は、もうそんなことが出来る余裕なんてありません。生き残るためには、何をしなければいけないか、それぐらい日本の状況、日本人を取り巻く環境は、切迫していると思います。

    大学教授や企業経営者を使って、読書離れを食い止めることは、それこそ何十年前からあるキャンペーンで、それで何か効果が上がったという話しは聞いたことがありません。

    大学生の勉強時間が世界最低で、
    もちろん読書量も世界最低です。
    根本的な何かが、日本では機能していないと、
    見た方が良いと思います。

    大学教授は、読書をするのが、ほぼ職業と変わらないので、如何にしても今の状況を変えたいと思いますが、それは、説得力があるようで、私はないと思います。ここらへんに、出版業界が抱える大きな問題があると思います。権威が大嫌いなのに、権威を利用して何とかしたい、本当に浅はかな考えだと思います。

    読書に変わるモノが、この数十年年で次々と出現してきました。ネットに代表される新しいメディアは、本を読む行為自体を、あまり意味のないことにしてしまいました。以前それはテレビでした。現在でも、日本人平均で年間1200時間テレビを視聴しています。生活時間を15時間とすると年間80日です。

    以前もテレビが読書を駆逐してしまったと言われましたが、ただ両者は割と相性が良いのか、共存している状況でした。どちらもあるまとまったコンテンツを読者や視聴者と呼ばれる受け手に語りかけるスタイルでした。

    しかしネットは違います。何かを発信したら、すぐにフィードバックがある。これは、読書やテレビよりハマると思います。まるで依存症患者のようになるぐらいまでハマります。ある面では、ユーザーに至福を与えてくれます。その代償はいったい何か?読書とも、テレビとも違うことは、確かです。

    読書は、読み手が能動的に著者の問題提起を理解し、自分なりに解釈する必要がありました。読み手の知性によって、受け取り方が全く違いました。子供向けの絵本が、何十冊の本を読むより、メッセージと優れていることを、経験できる、こんなことは、ザラにありました。

    テレビは、視聴者が一方的に伝えたい側の問題意識を、驚くほどの情報量で、訴えかけられます。視聴者が、その問題を理解するというより、圧倒されてしまう現象が多々起こります。おまけに、ビジネスモデルの中核である企業広告を、これでもかと、見させられまし。それを毎日、毎日、テレビ番組を見れば、何かの感覚が麻痺するのは、当たり前です。

    では、ネットはどうでしょうか?これは、ユーザー同士が双方向に問題意識を投げることができます。しかし、匿名性の特質なのか、問題が理解され、解決に向かうことは、ほとんどありません。必然的にネット世界は、カオスの体をなしています。

    本の世界、テレビの世界、ネットの世界、
    これらをバランス良く「使う」のがいいでしょうが、現実は、「使われる」状態になり、貴重な人生の時間が、どんどん奪われているのが実態だと思います。それをどうするかの答えを何に求めるか、一人一人が真剣に考えなくては、いけないことかもしれません。

  • 本はぜんぶ読まなくていい。たくさん読まなくていい。

    本を読まなきゃ…。でも読めてない…。という焦りを感じたことがある方も多いのではないでしょうか。本書は、そういった思い込みから解放され、人生の言葉と「たしかに」出会うための考え方を教えてくれます。

    本が読めなくなったのは、内なる自分からのサイン。だから、読めないときは、無理をして読まなくていい。読めない本にも意味があるから、積読でもいい。

  • まず、タイトルにも魅かれたが、読み進めていくうちに、この著者の読書や人生に対する真面目で優しい、そして深い態度にひかれていった。
    活字も大きく、行間も広く、それだけでも本を読めなくなった人に対する思いやりがあるように感じた。
    本を無理して読む必要はない。それは自分の内からのメッセージでもあり、読めない本にも意味はある。。。本は私たちがいつか戻ってくるまで、じっと辛抱強く待っていてくれる存在だと気づかせてくれる。(コアラ)

  • ・ひとりの時間の過ごし方を身につけることと、本を読むことは別のことではありません
    ・大切なのは、言葉に出会い、言葉を糧とできるかどうかであって、多く読むことではありません。大切なのは「たしか」に読むことです
    ・この小説を読むのには、人生の時機がある。読める人には読めるだろうが、時機が整わない人は読み進めることができないだろう、というのです
    ・言葉は多く読むことよりも、深く感じることの方に圧倒的な意味があるからです
    ・大げさに聞こえるかもしれませんが、読書への態度は、人生への態度と似ています
    ・むしろ、速い、遅いという枠組みから飛び出ることです。時間や読んだページ数を気にしないで、ただ、言葉と向き合うことです。

  • 読書という行為でマウントをとろうとする奇特な人間に、聴かせてやりたい事ばかり書いてある。
    「~論」といっても、それが全て正しいこととは思わないが参考になった。

    本を読めない時がある。離れたい時がどうしてもある。
    読みたいと思って手にした本が中々開けない。
    恥ずかしながら、そういったことは自分にしか起こらないのではと思っていた。
    実生活で中々話題にしにくい事だったため、一人で悶々と悩んでいたが、その悩みを少し軽くしてくれる内容だった。

    「本も読めなくなったのか」と凹んでいたが救われた。

  • ーー時間をかけて「たしか」にできるようになることだけが大切で、速くできてもよいことはほとんどありません。(49頁)

    若松先生の著書は、私にとって出逢いに満ちている。読み終わってこれほど「満ち足りた」思いになる著者さんは、今のところ、他にない。

    若松先生は本書において、言葉との出会い、本との出会いを、性急に求めることを戒め、「自己との対話」の中から「切なるもの」を見出す大切さを説く。同様のことは『詩を書くってどんなこと?』でも述べられていて、これは若松先生の言葉に対する態度の基本姿勢なのだろうと思う。そしてその「切なるもの」とは「すでに心の中にあるのに、私たちが見過ごしてしまっている何か」なのだと。
    速ければ速いほど、正しければ正しいほど、多ければ多いほど、便利なら便利なほど、よい。そういう現代社会が仕掛けてくる色々な縛りは、結局は私たちを私たち自身から遠ざけ、自己疎外からくる承認不安や過剰なまでの承認欲求を呼び込んでしまう。読書はそうした危機に待ったをかけるための薬にもなりうる。人らしく、自分らしく、は、自己の「切なるもの」との時間をかけた対話から始まることなのだろうと思う。

    とはいうものの、私はどうも速読のクセが抜けきらない。ので、これからも付箋に書き込みながら、あるいはブクログにメモを残しながら読むようにしていこう。書くとその本の印象が強くなって、人に伝えるにも話がしやすくなったような気がする。書くことは「切なるもの」への感度も磨いてくれているように思う。

    さて、モチベーションが上がってきたし、次の本を読んでみるか。で、もうしばらくしたら、本書を再読してみようと思う。

  • まずこの本はタイトルの通り、「本を読めなくなった人」への特効薬にはならないという点に注意するべきだろう。
    なぜなら本が読めなくなった人はこの本を読めば治る、と言った明確な答えは示されていないからである。
    しかし、そんな人にとって何の意味もないのかと言われれば否である。「正しい読書の方法」「読書の量は多い方がいい」と言った、読書の悩みを気楽に考える術を筆者の実体験をもとに示してくれている。
    私自身、高校生になって本の内容を完全に読み取ろうとしたせいで、繰り返して読むことが多くなってしまい、本が読めなくなった。
    しかし、この本が教えてくれた「気楽に」ということをキーワードに読書していこうと思う。

  • 読むこと、そして書くこと。ふたつがつながることでさらに豊かな時間となる。納得。アウトプットの大事さを忘れていた自分に気づいた。
    時に、自分の読書に自信を失ったとしても、この本のおかげでとても前向きになれる気がします。

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著者プロフィール

1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年に第16回蓮如賞受賞。
近著に、『ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う』(亜紀書房)、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『光であることば』(小学館)、『藍色の福音』(講談社)、『読み終わらない本』(KADOKAWA)など。

「2023年 『詩集 ことばのきせき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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