本を読めなくなった人のための読書論

著者 :
  • 亜紀書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750516080

感想・レビュー・書評

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  •  書くという経験でもっとも重要なのは、「うまい」文章を書き上げることよりも、自分という存在を感じなおしてみることなのです。むしろ、「うまく」書こうとしたとき、自分の心をよく感じられないことも分かってきました。
    「うまく」書こうとする気持ちが、心の深みへと通じる扉を見えなくしてしまうのです。(p.41)

    「読む」とは、今日まで生きてきた、すべての経験を通じて、その日、そのときの自分を照らす一つの言葉に出会うことにほかなりません。
     読書とは、印刷された文字の奥に、意味の光を感じてみようとすることなのです。読書とは、自分以外の人の書いた言葉を扉にして、未知なる自分に出会うことなのです。(pp.78-79)

    旅とは、行く先々の光景を扉にしながら、自分の心のなかを見つめようとする営みだともいえそうです。
    このことに気がつけば、旅はどんなところへ行っても発見があるものです。あまり快適ではない旅だったとしても、思い出深く印象に残ることがあるのはそのためです。(p.120)

    本が読めなくなった、というのは、決まりきった名所見物のような「正しい」読書というたびにはもう、喜びを感じられなくなったということです。
    そう考えてみると、読めなくなるということをきわめて自然なことのように感じられます。
    ゆっくりと光景を眺めて、さまざまなことを感じ直し、これまでの人生とこれからの人生を深く見つめ直したい、そう思っているときに、見方を決められ、せかされているわけですから、いやな気持ちがして当然です。
    本が読めなくなった、ということは、自分の旅は、自分で作るときがやってきた、という人生からの合図です。
    ほかの人たちがやっているように、ではなく、自分にあった場所へ、自分にあった歩調で進んでいく。そして、世の人がみるものではなく、そのときの自分が見つめなくてはならないものを「観る」ことを、人生が求めているのです。(pp.121-122)

    読書で大切なのも「肌感覚」なのです。
    「肌」で情報以外の意味を受け取ることができるようになると、次第に情報もしっかりと受け止められるようになります。しかし、逆はうまく行きません。「あたま」に情報が先に入ると、肌感覚は休眠することが多いのです。(p.129)

     本が読めなくなっているということは、「からだ」からの肌感覚を取り戻せ、という合図なのかもしれません。
     情報収集としての読書に「からだ」が拒否反応を起こしているのかもしれないのです。
     かつてのように読めなくなっている。それは情報以外のものを摂りいれなくてはならない、という「からだ」からの合図かもしれません。(p.130)

    「見る」を「読む」に、「物」を「言葉」に置き換えて読んでみてください。

    どう見たのか。じかに見たのである。「じかに」と云うことが他の見方とは違う。じかに物が映れば素晴らしいのである。大方の人は何かを通して眺めてしまう。いつも眼と物との間に一物を入れる。ある者は思想を入れ、或者は嗜好を交え、ある者は習慣で眺める。(『柳宗悦 茶道論集』)(pp.136-137)

     直に「物/言葉」にふれればそこに意味をありありと感じることができる。だが、そのためには3つのことに気を付けなくてはならない、と柳はいいます。
     1つ目は「思想」です。世の中にはさまざまな「思想」があります。どんな思想でもそれを通じて見ると意味が歪んで見えてしまう。
     2つ目は、「嗜好」です。もっと平易な言葉でいうと、「好き嫌い」です。好きか嫌いかの判断を先にすると、本当の姿が見えなくなる。
    3つ目は、「習慣」です。先月読んだ本だから、もう読まなくてよい、という態度を柳は戒めます。人は、日々、変化している。日々、新しく世界と向き合っている。昨日興味を持っていなかった本に、今日、「人生の一語」を見つけることは、けっして珍しくないのです。(p.137)

    訪れるもの、呼びかけ来るものは、いつ来るかわからない。そのいつ訪れるかわからない物が、いざ来たという場合、それに心を開き、手を開いて迎え応ずることのできるような姿勢が待つということであろう。邂逅という言葉には、偶然に、不図出会うということが含まれていると同時に、その偶然に出会ったものが、実は会うべくして会ったもの、運命的に出会ったものということをも含んでいる。(唐木順三『詩とデカダンス』)(p.169)

  • 少し前、本が読めなくなった。
    読みたい気持ちが起こらなくなった。
    そうしたらこの本が目についたので、買ってはみたものの、読めずに放置。
    最近は本が読めるようになったので、この本を読んでみた。
    何だか自己矛盾しているようだけど、そういうことになってしまった。

    私の場合、本を読めなくなったのは気持ちの問題で、いろいろと「頑張らねば」と肩ひじを張っている自分に疲れて、心が一休みを要求したのだと思う。
    今にしてわかる。
    そういう時は無理して本を読まなくてもいいのだ、と。
    だけど、心は休養を求めても、頭が読書を求めていたから苦しかったんだよね。

    ”読書で大切なのも「肌感覚」なのです。
    「肌」で情報以外の意味を受け取ることができるようになると、次第に情報もしっかりと受け止められるようになります。しかし、逆はうまく行きません。「あたま」に情報が先に入ると、肌感覚は休眠することが多いのです。”

    なるほど、そういうことか。

    若い頃より読みたい本は増えているのに、若い頃より読むスピードが落ちていることも辛かった。
    だけどしょうがない。
    年齢とともに身体能力は落ちていくのだし、年齢とともに本を読みながら作者と対話したり、自分の経験を振り返ったりと、心の中で体験することが増えているのだもの。
    時間がかかるようになったけど、読書が深くなってきているような気がするのだもの。

    ”本が読めなくなったとき、多くの人は、その理由を外的なものに探します。しかし、ほんと再び出会い直す「鍵」はすでに自分のなかにあるのです。”

    読書で大切なのは量ではなく質なのだと、受け止める自分の準備が整えば、おのずと読書と再会できると。
    わかっちゃいるんだけど、読みたい本は増えていき、人生の残り時間は減っていく。
    悩ましいところです。
    でも無理せず、読書に気が乗らないときはぼ~っと過ごすことにしよう。
    割とすぐ読書に戻ってこられることが今回わかったから。

  • 最近どうも本を読み切るのが苦痛だったり、長く感じたり、そもそも読みたいという本に出会えなかった。結果、誰かがいいという本、仕事に必要な本、ベストセラーに走り、本屋さんに行かず、Amazonでばかり買っていた。昔は仕事の帰りに毎日のように書店に立ち寄り、買う日もあればうろうろするだけの日もあった。しまいにはKindleにどんどんダウンロードして積読。Audibleで速度を速めて聴いて読み終える。そんな読書は今の自分に必要なかったのだ。だから読まなくなっていたのだ。

    ハッと気づかされたのは、
    多読がいいことという思い込み、同じく速読がいいという思いこみ。誰かが勧める本が自分に合うとは限らないこと。言葉を、自分に必要な言葉を探すために読書をするのだから、時に立ち止まり、考え、何年かけて読んでもよいということ。

    著者の語り口はとても優しく、まるでカウンセラーの先生の話を聞いているようである。押しつけは一切なく、心が楽になる。

    仕事でも言葉に多く関わる。自分の言葉を育むため、これからは自分のための本、言葉をゆっくりと探そうと思う。
    著者の他の作品も読んでみたくなった。

  • 岩見沢市立図書館 塚谷有加

  • 読書に対する心のつかえが取れた気がする。読んでよかったな〜

  • p.2019/12/22

  • 読書は自分との対話だから、たくさん読むことや全部読むことにこだわらなくも大丈夫!

  • 著者のことは100分de名著という番組で、とてもわかりやすく優しい口調で哲学的な内容の作品を紹介してくれる書評家として知った。私が本を読めなくなっているのは、単に時間がないというだけではないのだと、この本を読んで気付いた。示唆に富む言葉と「コトバ」や本の数々。例えや引用も交えて、説得力抜群。字も大きくて気持ちを楽にしてくれる。量でもなく、話題性でもなく、自分の中にある大切なものを発見できる読書。それをめざそう。

  • 読書に関する本はいくつか読んできた。
    だいたい同じようなことが大切だと再確認させてくれる。
    特に著者の言葉は誰よりも優しくて、じんわりと胸に響いた。

  • 「思い」「想い」「憶い」
    3つめは使ったことがなかったけど、
    歳をとると圧倒的に
    「憶い」が強くなるかも。

    慈悲という言葉に
    「悲しい」という字が入っている理由もなるほど。

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著者プロフィール

1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。 慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年に第16回蓮如賞受賞。
近著に、『ひとりだと感じたときあなたは探していた言葉に出会う』(亜紀書房)、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『光であることば』(小学館)、『藍色の福音』(講談社)、『読み終わらない本』(KADOKAWA)など。

「2023年 『詩集 ことばのきせき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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