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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757103870

作品紹介・あらすじ

情報環世界王にボクはなる!   
生物学者のユクスキュルが提唱した「環世界」という概念がある。生物はそれぞれ特有の知覚世界の中に住んでおり、その閉じた世界の中で行動しているという考え方である。現代社会において、私たちはテクノロジーによって制御された情報に囲まれ、閉じた情報の世界で行動している。そうしたいわば「情報環世界」の中で、私たちはどのように豊かに生きることができるのだろうか。気鋭の研究者、クリエイターたちが、情報技術と人間の関わりの中で考え、テクノロジー、人間科学、芸術表現に基づく人間・社会の新しいビジョンを提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 難しい。。

  • ・まえがきによると問題意識は「「人間が自然環境を制御する」「人間が情報環境を制御する」といった考え方で世界を捉えることがうまく機能しなくなっている…中略・・・人間と自然と情報が交差する世界の中で、私たち自身を、そして私たちと自然や情報との関係をどのように捉えるべきか、新しい視点が求められます」。
    ・ユクスキュルの「環世界(すべての生き物は固有の感覚機能に基づいて独自の世界の知覚の仕方をしている)」という概念にインスパイアされて、人間の認知について今思っていることをそれぞれの専門家が語っている本。ユクスキュルの「環世界」のことがわかる本ではない。
    ・この本で言われている「環世界」とは、人間のコンフォートゾーンとしての認知世界のことでしょうかね。人間の認知の枠組みについて、「身体」「情報」「わかる」「関係」といったキーワードを手掛かりに理解を進めていきます。哲学、脳科学、言語学、アート、情報学など人間の認知をめぐるあらゆる領域にタッチし続けます。深掘りではなく、タッチという感じ。
    ・お互いの環世界同士を受容しあうための対話が大事ではないかということを対話的な編集でまとめていて、なので巻末にはお互いの環世界をわかりあうための対話のワークショップ手法がいくつも紹介されている。

  • 2021I007 007.3/Wa
    配架場所:A1  東工大の先生の本

  •  対立的な本である。
     どこが対立的かというと、この研究会、完全に二分されていると思われるからだ。

     その論点はこの2点のみ。そして、それは非常に重要な論点だ。

     一つは最初の障がい者の話にもあるように、「閉鎖性」への尊重を巡るものだ。【「ダイバーシティ」や「寛容性」のような言葉をちりばめた「べき論」によって、個人の環世界を無理やり開かせようとするのは、場合によってはかなり暴力的な行為なのではないかと感じます。】というところ。
     もう一つは……と思ったけれども、正直この一点といって良い。【今日のわたしたちに必要なのは教条的な思想よりも、具体的な方法を編み出すことではないかと思います】という一文もある。

     つまり、「教条」への警戒。そして「閉鎖」への尊重。
     
     この本の中で、この主張について鋭く対立している。
     他のページでの別の論者は、閉鎖を尊重しつつも、開かせていかねればならないといったような、そして教えを広めていかねばならないといったような、結局はこの本の結論と真逆にいっちゃってないか? という風な文章がところどころにある。というか二分されているように思える。

     簡単に言えば、人間が閉鎖してもいいじゃないか、というのがまず第一の主張として本著では出てくるのだが、他の論者は、同じ書籍内で、「開かせていくべきだろう」というのをちょっと述べていたりするのだ。

     私は、心を開いていこうということが「正解」になっている世の中にもかからわず、逆に「閉鎖性」の効用について、哲学的に、情報学的に、体験的に、具体的に述べる論考を冒頭に持ってきた本著に敬意を表する。
     おそらくドミニク氏も、開かせるだの、なんだの、教条的なもの、そういったものに対しては懐疑的ではあろう。
     この根底の哲学としてはオートポイエーシスがあるのだが、その哲学は保守反動のように思える。

     というのも、「対話」や「共感」といったものは、どちらか「言葉」が強い方に、弱い方を染めてしまうか、乗っ取ってしまうことにつながるし、対話・共感の重視というのは、イデオロギーというかある政治思想などを広めるのにはもっとも有効なものである。そうしたアクティブラーニング的なるものが、実は言論統制へと繋がり、国家の思う通りに人を動かす世の中に一役買っていたことを論証している論文もある。(『アレ』Vol.9所収 松井 勇起「生涯教育という見果てぬ夢」)
     まあ現実的に、「対話しましょう」なんて言ってくる人間にろくな人間がいないことは、人生を普通に生きていれば分かることである。

     逆に、西垣情報学やオートポイエーシス、もしくは共話といった手法、「ちゃちゃをいれて対話をさせないこと」、そういった、「対話共感というものではない話し合い」というものは、まあオートポイエーシス的会話とでも言えようか、それは保守反動のように教条主義者に一撃を食らわせるし、重要なことではないかと思う。自分の思想を広めたい、という人間にとっては厄介この上ないだろうけれども。

     伊藤亜紗という人はたいしたもんだと思う。 

  • まだ名付けられていない感覚に出会う「遊び」の可能性とは? インタープリター 和田夏実さん | こここ
    https://co-coco.jp/series/interview/natsumi_wada/

    情報環世界 身体とAIの間であそぶガイドブック|書籍出版|NTT出版
    https://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002467.html

  • 「環世界」という概念は、人間同士、人間と機械など、あらゆる関係性の在り方を考える基本になると感じた。美学者、デザインエンジニア、情報学者・研究者、編集者の考察や思考の広がりだけでも楽しめるし、それらをまとめ上げていった渡邊さんの論考も見事でした。

  • 人間・自然・情報の関係性を捉え直すための本。
    その糸口となっているのが「環世界」という概念だ。それが、この本の元となった、著者たちのクローズドなディスカッションの場「情報環世界研究会」の根底にある、人間を捉える視点となっている。

    コロナ禍は、人々に、自分が「閉じた環世界」にいることを、強制的に意識させている。だからこそ、自分の環世界で通用してきた感覚・運動器官が、今までと同じようには使えない。
    このような状況から抜け出し、環世界を構築し直すためには、“自分でないもの”の存在が不可欠だ。他者を感じ・他者に関わり・他者と創ることで、自分が新たな「開いた環世界」の住人になるのだ。
    自分に非ざるものと、共に生きる社会をつくるために、「環世界」は必要な考え方だ、と私は思う。

  • ユクスキュルの環世界を、現代的に解釈する試み。

    様々な立場からの解釈は、納得する部分が多く、好奇心を刺激された。

    環世界とは、生物全てが、それぞれ閉じられた世界で暮らしているということ。
    虫が特定の色しか見分けられないなど。

    人間は、ほかの生物と違い、環世界を移動することができる「環世界間移動能力」がある。これがまさに思考するということ。

    例えば、盲導犬は、犬が人間の環世界を理解するということだから、どんなにすごいことか。

    現代においては、スマホに没入することは、新たな環世界の獲得と言える。

    人間の環世界には、意識と無意識の環世界がある。ほかの生物はほとんど無意識の環世界に生きているが、人間には意識の環世界があるから、移動できるのかもしれない。

    そして、無意識の環世界が、テクノロジーの進歩によって意識できるようになってきている。
    触覚さえコンピュータ上で表現できるのだから。

    そうなると、さらに人間の思考は深まるのか。
    興味は尽きない。

  • 明確な答えがないままフワッと進んでいくけど、そういうものなんだと思う。
    いろいろ考えるための材料をたくさん散らしてくれた感じ。

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著者プロフィール

NTTコミュニケーション科学基礎研究所上席特別研究員 

「2020年 『表現する認知科学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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