ぼくらはそれでも肉を食う: 人と動物の奇妙な関係

  • 柏書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760139620

感想・レビュー・書評

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  • 第1章 人間と動物の相互関係をめぐる新しい科学
    第2章 かわいいのが大事
    第3章 なぜ人間は(そしてなぜ人間だけが)ペットを愛するんだろう?
    第4章 友だち、敵、ファッションアイテム?人とイヌのいろんな関係
    第5章 「高校一の美女、初のシカを仕留める!」
    第6章 見る人しだい
    第7章 美味しい、危険、グロい、死んでる
    第8章 ネズミの道徳的地位
    第9章 ソファにはネコ、皿には牛

  • ヒトはなぜペットを食べないか、という本を読んだことがある。倫理観を前に出した重めの内容だった。これは山形浩生訳であえて軽めの言葉で綴っているのかな?

  •  動物愛護は矛盾していて偽善だらけで外国の動物愛護団体は○○は過激なテロリストでフンガーフンガーつう人に対して「では下等で愚かで矛盾している偽善者扱いしてくださって結構ですので俺様ちゃんが棄てられた犬猫のために募金するの邪魔しないでくれる?」という態度を常日頃からとっていたわたくしですがこの本のオチである「矛盾しない態度で動物と接することができる人などいない」に深く納得しました。

     

  • ・ペットフードになるために殺されている動物、ペットに狩られる野生動物。
    当然ペットとして飼育されることで生き長らえる生命もある。しかし、人類がペットの飼育を断つことと、現在の状況を続けること、生態系にとってどちらが適切なのだろう?

    ・イルカセラピーなんて初めて聞いたけどこんなうさんくさいのにひっかかってしまう人はいるのだな。もっとも世の中こんな例は枚挙にいとまがないのだが。最低限の科学リテラシーを身につけることは大切だわ。

    ・ホーソン効果

    ・人は自分と同じくらいの魅力を持つ異性に惹きつけられやすい…まじで?自分よりかなり上の人間に惹かれる私はマイノリティか?

    ・なるほどペットを自分の延長と見るから、自分と似た要素を持つペットをそもそも選ぼうとしている、だから飼い主と犬が似ると。

    ・虫取りに興じていた自分ではあったが、動物に対する残虐行為についてはとんと記憶にない。動物は常に愛でる対象であったように思う。もっとも虫採りなんて行為そのものが既に残虐行為といえるかもしれないが。

    ・目が見えない人でも動物の名前に対して-無生物のそれには起こらない-特異的な脳の反応が現れる

    ・道徳は感情によるものか、理性によるものか-直前に読んだ「友達の数は何人?」の内容がここでも出てくるなんて。そしてやはり人間の倫理は感情が先に立つものらしい。

    ・rule of thumb

    ・そもそもペット連れでナンパという状況がちょっと想像できない。ドッグランなんかでは見られる光景かもしれんが

    ・人はペットをなぜ飼うか-一番腑に落ちたのは托卵の一形態説。ただ別にほっといたところで動物は野生で生きていけるからなぁ

    ・メスを誤射してしまったからといって泣き出す心情が全く理解できない。オスだろうとメスだろうと1匹の命を奪うことに変わりはないだろうに。

    ・共感・社会性を司るオキシトシン、攻撃性を司るテスタステロン-おそらく私は前者の分泌量が極端に少なく、後者はその逆なんだろう

    ・平均値の差は少しでも、正規分布の両端に向かうとその比は大きく異なってくる

    ・ハンティングにしろ闘鶏にしろ家畜の屠殺にしろ、動物の命を奪うということに変わりはないという考え方はないのかな。食肉として鶏を殺すこと、闘鶏で鶏を殺すこと、全く同じだろう。鶏を食べている人間がことさら騒ぐようなことではないと思う。残虐なゲームだし、自分はやりたいと思わないけど。

    ・つわりが防御機構-おおぅまたしても「友達の数は何人?」と同じネタが

    ・より多くの命を救うためにはよりでかい動物を食肉用にした方がいい-この発想はなかった。同じ肉の量を得るのに穀物の量からしたら鶏肉が最もよいと考えていたが、そうか命の量という考え方もあるのか・・・まぁ鯨を食うべきってのは大賛成だが

    ・動物実験の是非-種の反映のために他の種を殺すのはもう生物として生まれたからには仕方ないんじゃないかと割りきってしまっているところが私にはある。そもそも食うためにあれだけ生き物殺してる人間が動物実験にだけピーチクパーチクいうのは筋が違うような気がする

    ・動物の定義から人間が外されているのはキリスト教的価値観だと思う。ましてイヌ・ネコまで除外とか差別が過ぎやしませんか

    ・ほとんどの科学論文は書いた人の母親以外だれからも読まれないもの-な、なんてむなしい仕事…

    ・人の原罪として他の生き物を殺さざるをえないという思想の元に生きる多くの日本人にとって、過剰な動物保護運動に身を投じるアメリカ人は理解できないよなぁ。俺が特別非情なのかもしれないけれど。

    ・日本人の大部分の考え方として訳者が示す考え方、猫を紙袋に入れて云々についてはまったく理解できないことを除いて、自分も同じ考えであった。

  • 改めて難しい問題だなっと。

    動物の定義とは?
    ペットの定義とは?
    虐待(実験対象)にしていいものと悪いものの違いは?

  • 20110730読了。

    動物に対する人間の関係性に関する学問、のはしりとなるであろう本。

    人は動物にどう接するか?
    菜食主義者、闘鶏家、動物愛護団体、動物を使った実験者、、、

    動物に対する見方はそれぞれ違う、
    動物って何?ペット?食べ物?実験対象???

    何が正しくて何が悪いといったことをこの本では示さず、
    あえていろんな人の動物へのいろいろなアティテュードを紹介。

    マイケル・サンデル教授のJusticeを動物版にしたような本。

  • 動物に対する人間学(Anthrozoology) というものがあるということを知る.人と獣は相容れないけれどそれでも側に置きたいという矛盾する感情を説明してかつ矛盾してもいいじゃんという結論で終わる.サンデルで有名になったトロッコ問題の動物版が出たりして知的にとても面白かった.

  • 日本ではあまり話題にのぼることがないが、アメリカではイルカセラピーという療法が広まり、ずいぶんと論争を呼んできた。イルカとの交流により、人間の苦痛を軽減することができるというもので、ダウン症、エイズ、自閉症、小児麻痺などが緩和され、腫瘍が小さくなると謳うものまであるそうだ。

    論争の争点となってきたのは、実際に症状に改善が見られたかということだけではなく、その倫理問題にもある。複雑な社会生活を営み、洗練されたコミュニケーションシステムと持つ知的な動物を、人間の事情だけで捕まえてきて良いのかと主張する研究者が現れたことに、端発した。

    このような例は枚挙にいとまがない。はたして、動物の権利というものを考える時に、「捕獲」「処分」「管理計画」と「殺戮」「大量虐殺」「残虐行為」の線引きは、いったいどこにあるのだろうか。本書は、そんな人間と動物の関係にまつわる道徳的問題を考察する「人類動物学」をテーマにした一冊である。

    ◆本書の目次
    はじめに なぜ動物についてまともに考えるのはむずかしいんだろう?
    第一章  人間と動物の相互関係をめぐる新しい科学
    第二章  かわいいのが大事 - 人間のように考えてくれない動物についての、人間の考え
    第三章  なぜ人間は(なぜ人間だけが)?人とイヌのいろんな関係
    第四章  友だち、敵、ファッションアイテム?人とイヌのいろんな関係
    第五章  「高校一の美女、初のシカを仕留める!」動物との関係と性差
    第六章  見る人しだい - 闘鶏とマクドナルドのセットメニューはどっちが残酷?
    第七章  美味しい、危険、グロい、死んでる - 人間と肉の関係
    第八章  ネズミの道徳的地位 - 動物事件の現場から
    第九章  ソファにはネコ、皿には牛 - 人はみんな偽善者

    最も多く議論されてきた問題は、食用犬を巡る論争であるだろう。イヌを食べることに対するタブーはふたつの正反対の感情から生じている。アメリカ人やヨーロッパ人は、イヌを家族の一員と扱っているがゆえにイヌ肉を食べない。一方、インドや中東の大半ではイヌは卑しい動物とみなされ、その不浄さゆえに食べられることはない。そして、今でもイヌ肉が人気なのは、韓国や中国である。ここでも中国では冬の食べ物、韓国では夏の食べ物とされているなどの違いがみられる。そして、韓国において食用犬として人気があるヌロン犬は、ペットにはならないなど、社会的に線引きするような仕組みもあるという。そのあり方に賛否はあれど、考古学的な証拠によって、人間は何千年もイヌを食べ続けてきたことがわかっている。

    また、マイケル・サンデルの『ハーバード白熱教室』でおなじみの「トロッコ問題」に派生した思考実験の話も興味深い。

    ◆トロッコ問題
    暴走したトロッコが五人のほうに向かっている。あなたは軌道にかけられた橋の上にいる。となりにはまるまる太った男がひとり。この男を橋から突き落としてトロッコの軌道に放り込んでやれば、五人を救える。さて、これは道徳的に許されるだろうか?

    通常のトロッコ問題では、一人の人間と五人の人間を天秤にかけている。これを、男性と五頭のゴリラ、見知らぬ男性とあなたの飼いイヌなどの問題にを置き換えると、回答がどのように変わるのかという考察である。この場合、人間同士を問題にした場合とは異なる結果が導かれるケースが多く、ほとんどすべての被験者が、人間を優先的に選択したという話が紹介されている。人間は自分達の利害をほかの生物種より上に置こうとする道徳的文法を生まれつき持っているということなのだ。

    このように動物をめぐるさまざまなジレンマを考察するということは、人間自身をより深く知るということにつながる。そして、そこで明らかにされるのは、人間という存在そのものが矛盾をはらむものであり、動物をめぐる道徳心にも、一貫性を見出すことはできないということである。

    人間だけが絶対的な高みに立って、動物たちを線引きをすることなど到底できっこないのである。人間もまた動物界における相対的な存在として、混沌を受け入れていかなければならない。動物を巡る価値観の違いだけで、誰かを非難する資格など、誰もが持ちえないということなのである。

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