ユリイカ 2014年12月号 特集=百合文化の現在

  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791702800

感想・レビュー・書評

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  • 百合の形而上学。
    微妙にピント外れてるので群盲象を撫でてる感。
    新しい何かを発見できるかと期待したけどそれも不作。

  • 百合文化の現在との表題ではあるが、現代へと至るために積み重ねられ、培われた少女小説からのマリみてなどの経緯を踏まえた上での過去からアプローチの展開が多く、そして、これは切っては離させないので何んともし難いではあるが、百合とレズの相違についての言及からジェンダー論、性マイノリティについての議論まで及ぶので百合を語る上での堅苦しさも感じる。
    そして、「ゆるゆり」を筆頭にした女の子同士の日常を描いた「日常系」「空気系」と分類されるゆるく描いた作品についての言及は乏しく、あまり触れないというのは包括した諸相の姿形をした百合から逸脱しかねないのでそこは現在を語るならフェアではないであろうか。
    然しながら百合に限らずジャンルという枠組みカテゴライズするのは、どのジャンルでも難しいものである。
    線引きの曖昧さが多種多様な多様性に分枝し、寛容性が豊潤な土地を育む柔軟な培地となる可能性を秘めるが、それ故に齟齬を生み、誤解も生む。百合(的)なもの/百合(的)ではないもの。その境界線は百合の定義の曖昧さが個人間に起因し、その人が持つ感覚、希求する百合観があり、答えがあることである。論者や筆者たちが語る百合観というものに百合の曠然たる奥深さを思う。
    「百合とは百合を楽しむすべての人のためにある」金言である。

    百合に対するファーストインプレッションによって認識は大きく違うのではないか。そこからまた読み深めるうちに変化はしていくが、最初に受けた影響は大きい。志村貴子か林家志弦では大きく違う。
    私の場合、林家志弦なので重いものではなく、軽さを伴ったものであったが、志村貴子を読んだ時に百合にもこういう世界があることを知り、深遠なる面白さを感じたものである。

  • 百合について、時に文学史的に、時にクィア理論的に、或いはもっと娯楽的に、と様々な観点から語られる。本文も数多のポップカルチャーを絡めて書かれており、百合入門(?)のためのメディアガイドもついていたため、気楽に読めた。百合とされるアニメについて理論的に分析した文も多いので、考察厨も楽しめると思う。
    最も印象に残ったのは「百合は"出来事"」という考え方。あくまでも一瞬の出来事であるから、それ一つでセクシュアリティを決定するのは性急である、と。且つこの論は、百合に限らずBLやヘテロであっても適用されるものだという。これはLGBT界隈の常套句「セクシュアリティよりパーソナリティ」に通ずるものがある。
    もう一つは「百合の可能性」について。『ゆるゆり』のようなライトな接触こそが百合であり、他の『百合姫』作品はガチレズ、そんなものは求めていない! と嘆く人々。『ゆるゆり』の描くものはあくまで百合の一形態でしかないのに、いつしか百合の定義となってしまった。しかし百合はもっと幅広い可能性を持っていてほしいという。ここからは持論になるが、昨今はカテゴライズ隆盛社会とでも言おうか、カテゴリーを定め、既存の事物をそのカテゴリーの中に押し込めていく。しかもそのカテゴリーは大変な勢いで細分化されていく。その概念はこのカテゴリーには入らない、別枠にしろ、とどんどん切り分けていくのだ。カテゴリーを創作(細分化)していく彼らにしてみれば世界を秩序立てようとしているのだろうが、結果は混沌とした単語の濁流である。不毛だ。もっと単語一つに込められた寛容性や可能性を尊重すべきではないか、などと思う。そういった意味で、百合とガチレズの線引きについて興味深く読んでいた。

    最後に、孫引きになるかと思い引用欄には書かなかったが、印象に残った文をひとつ。
    “たとえば、十三歳から十七歳までの美しい姉妹の連続自殺を「僕たち」という曖昧な一人称複数形で描くジェフリー・ユージェニデスの『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』のセシリアは、自殺未遂を咎める医師に「先生は十三歳の女の子だったことなんてないでしょう」と言い放ってこの世を去る。”(190頁)
    書きそびれていたがこのように少女論もいくつか掲載されているので、サブカルチャー傾倒者は読むといい。

  •  今日、女性同士の親密な絆を示す言葉として「百合」というキーワードがある程度の市民権を得ている。
     また、いわゆるLGBTの事柄についても、良かれ悪かれ話題になりつつある。

     しかしながら、否、だからこそ、改めて百合とは何なのか?ということを、あるいは、文芸作品が人と人との絆(もちろん、そこには百合も含まれる)をどのように描き出してきたのかについて考える必要性があるのではなかろうか。
     本書は、上記ののような「百合論」を考えるきっかけになる本だと私は思う。

  • ユリイカ百合特集というなんというかダブルミーニングというか。違うか。
    とりあえず図書館で斜め読み。

    ・今野緒雪のインタビュー。
    「最初は、百合って「女同士の恋愛」のことだと思っていました。でも、私の作品は「恋愛」と言われると、ちょっと違う。だから私の作品が「百合」と言われるのなら、その言葉がさすのはとても大きくなりますよね」
    とか、マリみては百合の火付け役とも言われたりしますけれど本人はあんま意識してなくて、むしろBL談義から生まれましたーなんて言ってたりした。
    ・綾奈ゆにこのインタビュー。
    ちょっと重いというか生っぽい話が好きなので、きんモザはめちゃくちゃ鬱憤たまったんですよねー。その鬱憤が吐き出されたのがろこドルなんですーちょっと百合っぽくなっちゃったんかな笑、ってな感じのことを言っていて確かにそんな感じだったと。逆にきんモザ2期は結構突っ込んでましたね、とか思いました(綾奈ゆにこ脚本回ではありませんでしたが)
    ・「吉屋信子から氷室冴子へ 少女小説と「誇り」の系譜」嵯峨景子
    ものすごい少女小説の矜持にこだわってるなと、そこらへんは引用の方にもいれましたが。『ライトノベルから見た少年/少女小説史』の影響を受けている、というか与えているというか。「少女小説からどんどん小説の部分が抜け落ちて行って、少女の部分だけが商品化されていった」という氷室の思いを継承し、昨今の現状を嘆いているようにも見えます。大橋氏が少女小説をライトノベルに組み込みたくないという主張をするのもある意味わかるというか。ここら辺はきんモザとかそこらへんのものに対してなのかもしれませんね。
    ・「同じ物語なのになせレズビアンが疎外感を味わうのか『LOVE MY LIFE』映画版の謎を分析する」溝口彰子
    原作と映画版で削られた描写が――「男でも女でも彼女を好きになった」→「ちゃうわ、女としてのアイデンティティを持った彼女を好きになってん私」(意訳)という描写が――レズビアンの評価を得ていたのだという主張、そして青い花完結につき実写化される際にそういった描写が削られないように、という。

    上記のあたりの記事が個人的にはぐっと。

  • 学校の図書館で借りた本。百合特集だったので。

    男女限らず同性同士でいちゃいちゃしていると「百合百合してる」と言うときがある。
    これはやはり男より女の方が身体的接触が多いからだろうか。

    BL好きの女性のことを腐女子というけども本書では百合好きな人のことを「百合ファン」や「百合好き」など称されるだけで腐女子のように固有名詞がなかった。まだまだ百合が開拓途上にあるということなのかもしれない。もっと百合の市場が増えてほしい。
    しかし近年百合市場は拡大しているようで期待している。

    さまざまな論者が多角的に論じているが多くの作品を紹介しているので非常に興味深かった。

    百合の定義が未だ曖昧なのが意外だったが(セックスは含むのか否かなどで人によって違う)私のような腐女子だって男二人でてきたら勝手に「これはBLですね」と妄想しては楽しむし、ようは受け取り手の自由で楽しめればいいのだと。

  • 表紙買い。

  • たかが「ゆり」されど「ゆり」。奥が深いな~。面白いな~。これまで知ることのなかった「ゆり」小説の数々を知ることが出来た。

  • 百合について語った本というより、百合という言葉、その現象を前にして、戸惑っているその記録という印象。
    美術手帖のBL特集と合わせて読むのがよい。
    そちらと同じで、インタビューが非常に面白い

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