コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版
- 日経BP (2019年10月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (452ページ)
- / ISBN・EAN: 9784822289935
感想・レビュー・書評
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グローバリゼーションのきっかけとして、物流コストの低下があげられるが、その一躍を担ったのがコンテナで、コンテナ事態は箱にすぎないが、その規格化を通して、陸運と海運をシームレスで一体化させて、各工程の最大コストの積荷の費用と時間を大幅に削減したことが大きな要因として挙げられる。またコンテナの積荷に対応した港湾の設備通しや戦略で、現在の各都市の港湾の明暗が別れたと考えられる!
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6年くらい前にビルゲイツがお勧めしてるからぜひ読みなよと同僚からお勧めされた本にやっと手を伸ばすことができました。
単なる箱に過ぎないコンテナは、いかに世界の物流に影響を与えたかが時系列でよくまとめられています。海運送業にもたらした構造変革(前時代の港における荷役による積み下ろしから工場からラストワンマイルまでの直輸送)の大きさを理解することができます。
【コンテナ輸送のポイント】
・如何に多くのコンテナを効率的に運送し、行き帰りで積載量を最大に近づけることができるか
・コンテナ輸送には特別な技術的ハードルもないため、先行者利益が小さく、完成したシステムを大規模に展開できるか
→現在繁栄しているコンテナ港でも後発新興国の脅威から逃れるためには追加の投資が不可欠。そのために、「財務管理」と「経営手腕」がモノを言う。
前半~中盤は正直に言ってかなり眠たくなる内容も多く、読み飛ばした部分もありました。しかし、第13章「荷主」からの内容は読みごたえもあり面白かったです。
序盤で躓いてしまった方は何とか13章までたどり着いてほしいなと感じた一冊でした。 -
コンテナが物流をどのように変えたか、業界がどのように変わっていったか詳述した一冊。
物流を通じて物を運んでいる方々にとっては興味深い一冊。現在にも通じるボラティリティの高い業界の一端を垣間見ることができる。
ちなみにKindleで購入したのだが、ページ数が多いため読破に難儀した。 -
The BOX コンテナ物語
本書の構成
コンテナの影響が最初に述べられ、普及した背景が述べられていく。そして、現在起こったことに対する見解が述べられる。
経緯に対しての感想
システムの開発から統一までの経緯が本書には詰まっていた。
マクリーンのアイデアの影響範囲を広く捉えるという視点は良いと思った。(コンテナなら、自社コスト削減どころか、海運のシステムを変えられるなど。)
また自社だけだと資産や影響力に限りがあるので、以下に他社を巻き込みチャンスを掴むのかのが大切かもわかった。(軍しかり、投資家しかり。)さらに普及の過程では、totalで仕事の生産性は増すとしても(理解している人も少ないかも)、雇用の安定性、競合他社自身の利益など、普及の阻害要因は沢山出てくることがわかった。しかし、現代社会においては技術の進展による解雇は経営者側が有利と思われる。特に日本だとストライキも起こらないので。
いかに先駆者利益を勝ち取るかという点においては、港の設置はプラットフォームビジネスだなと思った。さらにそこで差別化や付加価値の提供が出来ると強いor 必須。
現状(&結果)に対しての感想
コンテナ化により、運賃コストは下がり、輸送の信頼性、安定性は向上した。
規模の経済を拡大させていくと、格差は広がるなと感じた。安いところは悪循環で発展しにくい。しかし、成功者もまた拡大にはリスクを抱えている。やがて生き残るものは少なくなる。
物流の進化により、市場のグローバル化が加速したのは間違いないと思った。海外品が入ってきて、価格競争に嫌でも巻き込まれる。また逆に自社は海外に拡大できる。
第1章 最初の航海
物体の価値は使われ方にある。最小限のコストで貨物を運ぶ高度に自動化されたシステム。その主役がコンテナ。
コンテナにより、工場の位置が都心から地方に変わり、グローバル化も進んだ。(勝手にもう巻き込まれる)
コンテナ港は、ほとんどコンピューターにより制御されている。人為的ミスが入り込む余地がない。
輸送費は今では本当にわずか。
本書では3つの研究テーマを重ね合わせた。「輸送技術の変化がもたらした影響」「イノベーションの重要性」「輸送コストと経済地理学との関連性」
第2章 埠頭
コンテナ登場以前は、港の荷役作業は危険で労働集約型だった。
トラック対抗のため導入されたコンテナだが、初期は相変わらず沖仲仕がいり、コスト節減には繋がらなかった。
第3章 トラック野郎
マクリーンは最初トラック輸送業者から始まる。ルートの認可よりも借りると言う発想で、ICC(利益よりも安定を優先の州際交通委員会)の規制を回避。会社を成長させ、高速の渋滞回避を考えていた時に海上輸送の方法を考える。ターミナル用地はちょうどよく見つかる。トラック運送会社が船会社はできないので、別の会社に資産を移し、その後アメリカ初のLBO(レバレッジバイアウト)を行う。LBO後は、不要資産の整理も行なった。
そして、さらに大胆なコンテナのアイデアを思いつく。スペースが無駄だからトラックから車輪を取ればいい。
マクリーンは輸送コストの圧縮に必要なのは、単に金属の箱ではなく、貨物を扱う新しいシステムだと理解していた。港、船、クレーン、倉庫、トラック、鉄道、そして海運業そのものだと。
第4章 システム
セルとクレーンの改良。
続いて、物理学者によるアプローチの紹介。コンピューターのシミュレーションを用いて、コスト削減などの計算をしている。またコンテナの寸法(作業時間と無駄なスペースの関係から)も決めている。クレーンは岸側に設置。
マクリーンはプエルトリコの航路を独占。その過程で、現地を支援する子会社を設立したり、政府重役への配慮を行なったり抜かりない。またすっかり大企業になっても、コスト意識は相変わらず高く、またビジネスマンとしての言動・行動も伴っている。
第5章 ニューヨークvs ニュージャージー
ニューヨーク港 vs ニュージャージー港でニューヨーク港が時代の流れに背き、衰退していく様子が書かれている。
ニューヨーク港は、1950年代前半には栄えていたが、内陸輸送費、ストライキ、犯罪、施設老朽化により衰退の一途。ニュージャージーは、港湾局に、マクリーンも巻き込めた。
コンテナは職業や工場立地に大きな影響。
第6章 労働組合
沖仲仕の労働組合は、機械化により仕事が減るのではないと懸念。さらに、機械化による恩恵を還元しろと要求。結局海運側は、雇用保証などお金を払うこととなる。ただ、それ以上に機械化の利益はあった。ただ、このように機械化の恩恵を、経営側と労働側で分かち合うのは珍しい例だった。
第7章 規格
各社コンテナのサイズが色々あったが、これではコンテナにあった船やクレーンがいることになり、非効率である。しかし、コンテナの規格化は、各社の最適解があったり、鉄道などの影響が及ぶ範囲も広く難易度が高い。
まず、長さは複数出すことにした。そして、組み合わせがいいよう長さはに10、20、30、40フィートとした。さらにISOにより、欧州側で主だった小型も追加される。なお、コンテナの先駆者のパンアトランティック海運とマトソン海運のコンテナはいずれも規格外になった。ただ、後に綺麗な数字よりも市場で役立つ数字ということで追加された。また固定具などの問題は有用なもので統一された。最適といかないまでも、コンテナ普及のために妥協して決定されていった。
第8章 飛躍
マークリンはお金がないが船が欲しかった。そこで、お金があり造船技術も持っている会社とうまく提携して、船を確保した。(これまでは、新たに船を作るよりも中古の軍用の船などを安く買っていたほうがコスト的によく市場にはコンテナ非対応の船が多かった。)そして、実績を出し普及。
しかし、アメリカの鉄道会社は、現状うまく行っている有蓋貨車を守るため、コンテナの設備投資を回避するために、非協力的なままだった。
第9章 ベトナム
当時兵站が課題であった。ベトナムの港は数も少ない上に、整備もされていなかった。
そこに、業界を革命していたマクリーンが呼ばれて、さらにコンテナアイデアを大将に直訴して、結果で認めさせた。軍は最大の支援者になった。
第10章 港湾
コンテナの普及により海運会社にとって、どの港にも立ち寄る時代は終わろうとしていた。建造にカネがかかり、必然的に効率を命とするコンテナ船は、大量の貨物を高速で運ばなければ利益が出ない。したがって、大量の貨物が確保でき、スムーズな荷役な補償される港でなければコールする価値がなかった。つまり、コンテナ輸送が盛んになる程、海運は少数の大型港に集中し、港は生き残りをかけて競走する必要が出てくる。
西海岸は、もともと地理的要因から冴えない状況が続いていて、コンテナの可能性にいち早く気づいた。(当時、貿易はヨーロッパ中心で、アジアは戦争や政情不安、内陸の需要も西海岸は薄い。)コンテナ以前は、健全な地方経済を支えるのは製造業だというのが常識だった。一方、港の価値は輸送需要の大きい製造業が近くに立地するかで決まっていた。ところが、コンテナの出現により、「もはや物流は、生産と消費を結びつけるだけの他業種に依存した産業ではない。独立した産業として逆に生産と消費のあり方を決めるのが、物流である。」とされた。また「市内の産業と港との距離が近いことは、もはやさしたるメリットではない」とも言われた。
一方、東海岸では、労働組合と予算の観点からコンテナ普及が遅れた。(ニューヨークでは年間所得保障と引き換えにギャングの人数削減を労使が合意している。)。そしてコンテナ輸送萌芽期中に、出遅れた港はフィーダー港(支船港)になった。
コンテナ化の流れは海外でも起こり、欧州全体やイギリスでも大きく勢力図が変わった。シンガポールも力をつけた。
第11章 浮沈
1966年の春に国際コンテナ輸送が始まり、1968年には、ロッテルダム(オランダ)、ブレーメン(ドイツ)、アントワープ(ベルギー)、フェリスクストウ(イギリス)、グラスゴー(イギリス)、モントリオール(カナダ)、横浜、神戸、サイゴン(ベトナム)にはコンテナの設備が整った。
設備投資にお金が必要な中、アメリカにはコングロマリット(巨大企業がいた)という味方がいた。マクリーンは、公定運賃ならば集荷で差をつけるのはスピードとして、船の建設に力を入れる。そして、地元のよしみもあるタバコ会社に身売りして、お金を調達することに。
同時に世界では船の建設ラッシュが起こるが、供給過剰に陥る。すると、値下げ競争という苦痛に満ちた局面に突入することになる。しかも、設備投資のための借金を抱えながら。運賃体系が崩壊すると、船会社の利益は当然減り、業界再編が起こった。また競走の制限とちう解決策にたどり着いた。しかし、景気低迷や供給過剰になれば必ず再発すると考えられ、運賃は輸送コストギリギリまで下がるだろう。すると、ローコスト体質の企業の方が生き残れる可能性は高く「もっと大きくもっと速く」というプレッシャーが企業にかかるようになった。
しかし、オイルショックにより燃料費が高く取られる船はかえって不利になった。マクリーンは、運輸業は資本集約型で景気やライバルなどの外的要因を受けやすいとして、タバコ会社からスピンオフされた。独自技術から次々にヒット商品を生み出し数十年にわたって高利益を上げ続けるのは難しい。
第12章 巨大化
船が大きくなり、港も巨大化する必要が出てきた。港の、問題はサイズであり、立地でなくなった。かつては、貨物を一旦そこで堰き止め、改めて送り出すことで繁栄していた。港の背後に控える内陸部と経済的に密接に結びついていた。しかし、コンテナ時代には、ごく少数の港に立ち寄るのみ。荷主は始点から終点までにかかるトータルコストが一番安いルートを選ぶようになった。
またリスクを背負いながら借金を払い続けることが負担になった政府は、民間に売り渡された。この頃(1980年代初頭)には、民間も資本を調達できるようになっていた
マクリーンはスピードが遅く(オイルショックの反省から)巨大な船を注文するようになる。しかし、1980年代石油価格は大幅に下落し船は場違いに。負債も溜まり、ついにユナイテッドステイツ海運の持ち株会社(マクリーンの会社)は破産する。ついに、マクリーンはこの破産に耐えられなくなり公から姿を消した。しかし、彼への敬意は皆忘れていない。
第13章 荷主
コンテナの影響を最初に受けたのは、海運業界(船主、港、港湾労働者など)。コンテナ革命の最も重大な影響が現れたのはもっと後。何をどこで作ってどこで売るか、何かを輸出または輸入した時に割りに合うかを考える時に、運賃が非常に重要な要素だった。この重みを変えた時、世界経済を様変わりさせた。
コンテナの影響を考えるには、海上運賃の他、陸上運賃、梱包、倉庫、港湾使用料、保険などさまざまに考えなくてはならない。陸上運賃以外はコンテナ化により確実に削減された。
またコスト削減に寄与しているのは、荷主の存在もある。盟外会社が行き交うようになったこと、また運輸業の規制が緩和されたことで、荷主の力が強まった。
そして、こうしたコスト減少の結果、消費者は多大な恩恵を被った。
第14章 ジャストインタイム
ジャストインタイムに代表される定時輸送は、コンテナの存在が大きかった。貨物を1個1個人力で運び、港に何日も停泊し、船からトラックへ、トラックから鉄道へま、受け渡しに煩雑な手順を要する時代では、「いつ着くか」を予想することは至難の業であった。よって、生産ラインを安定化させるには、在庫をたくさん抱える必要があった。
輸送の安定性・信頼性が増加すると、企業は人件費の安い海外に拠点を移すようになり、労働集約的な作業は人件費の安い国で行うようになった。しかし、サプライチェーンに組み込まれるためには港が必要。アフリカは人件費は安くても港がなく普及してこなかった。
コンテナ革命は1980年代前半で終わったが、その余波は30年経っても続いている。欧州でも日本でもアメリカでも、安価な輸入品が高価な国産品を押し除けるようになった。先進国で物価が下がった。
旧態依然の港や非効率な港に呪われた国は、グローバル経済で躍進を遂げようにも致命的な障害を抱えることになる。
巨大化もデメリットはある。建造に巨額の融資を伴うため、十分集荷できないと採算が合わない。またコール回数が減り、港のインフラが放置されることもある。
最近では自動化の進展がめざましい。
第15章 付加価値
港の選ばれ方は、トータルで見たコストや所要時間が他のルートより有利だからという理由に尽きる。だから港は、貨物の通過を円滑化・迅速化することで存在理由を強化しなければならない。アントワープら、艀輸送サービスの拡充で港としての魅力を高めた。
コンテナが引き起こす3つの社会問題。① 放置された大量のコンテナ ② ディーゼル燃料で動くコンテナ船やトラックなどの排気ガス ③ 公安当局の頭痛の種(テロ・コンテナ、人間コンテナなど)
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1950〜2000年代にかけてコンテナリゼーションの変遷を学ぶことができました。コストがかかる海上輸送において、より効率的なコンテナ輸送を実現することで世界的に経済発展を促し、埠頭での雇用や設備環境を大きく変えてしまったのは非常に面白かった。ベトナム戦争を皮切りに、コンテナ活用の押し上げ、日本を経由することで空のコンテナの有効活用、ジャストインタイムによるグローバルサプライチェーンの実現など多様な歴史を知ることができました。付加価値をつけながら次なるフェーズへの発展という点では、多くの企業が学ぶべきステップアップだと感じました。
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世界を繋げたのは、箱でした。
インターネットで情報は繋がった。
飛行機や電車、車で人は繋がった。
そして、物が規格化されたコンテナで繋がった。
コンテナで繫がることで、生産地から加工地、消費地とシームレスに繋がることになった。
まさに、世界経済圏。
コンテナで繋がることで、世界の港と世界がどう変わったのか。
そして、古い海運と新しい海運の闘い。
私の頭の中にある、港で船乗り海運世界はずーっと前になくなってたんだと世界をアップデートできました。
港を見に行きたくなりました。 -
船の物流にかかせないコンテナについての歴史本。
評判がやけにいいので読んでみたのだけど、ただコンテナについての歴史を書かれてあるだけなので、自分はちょっとささらなかった。
物流のイノベーションの物語ではあったのだけど、特に技術的に目新しい感じではなかったし。
せめて、もうちょっと写真や図がほしかったなと思う。
コンテナの歴史を語るうえで、「マルコム・マクリーン」という方が重要だということがよく分かった。まあ、コンテナという概念自体は前からあったようなので、この人がいなくても近いうちに誰かがコンテナ船を作っていたとは思うけど。
とにかく、マクリーンの功績によって、船による物流コストがかなり下がったらしい。海外から港から港へ運ぶより、内陸部へトラックで運ぶ場合のほうが高くつくこともあるよう。まあ、トラックだと量が少なくなるしね。
ただ、この分野については無知ということもあって、いろいろ意味がよく分からない言葉も多かった。「艀」ってどういう意味でいったい何と読むのかとか。調べてみると「はしけ」と読むらしく、大型船がとおれない浅い水面で貨物を運べることができる船らしい。いろいろ工夫はされてたんだなぁ。
最初は機械化に反対していた組合が、機械化が進むと楽になるからと「早く機械化を進めろ」と言い出したという話にちょっと笑った。ただ、それは残った組合の人がクビにならなかったからだとは思う。
日本についての話もいくつか書いてあって、1970年前後には、横浜は神戸でコンテナターミナルが建設されて、アメリカ西海岸までの定期輸送が開始されたのだとか。そのころは日本は高度成長期で、着眼点も良かったんだろうと思った。
他に、日本の話だと、初期のバービー人形は日本製だったとか。それがリカちゃん人形に繋がったりしたのだろうか。
あまりアフリカについての話がでてこなかったけど、アフリカにも早くからコンテナ対応の港ができてたら、もっと発展してたのかなと思った。これから増えていくのかな。 -
コンテナが今の世界を築きあげていることが分かった。