- Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
- / ISBN・EAN: 9784877282110
感想・レビュー・書評
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育ちは栃木だけども鎌倉、高崎、福岡、長崎、高知、郡山、山形、千葉に住んだことがある。引っ越しは合計13回。なかなかである。自分の住んだ街のありのままを読み物にできるってのはなかなか良いものだなと感じた。自分にもこういうものが書けそうだし、いずれ書いてみたいな。
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小林紀晴の写真エッセイは重くて熱の高い写真と、冷めた文章によって構成されていると思う。
筆者本人がとりつかれたように書き撮った「アジアン・ジャパニーズ」は、文章も非常に重く、会う人たちも日本以外では非常に重かったと記憶している。熱でテンションが高いのに、心は非常に冷めている。
さてこの本。東京という街を転々としながら、遠い人と会い、隣人と離れた生活をおくる彼の文章には以前の熱はもうない。ただただ冷たい。
今から15年前の東京。まだ僕は札幌にいた頃。東京に憧れはなく、遠い存在だった東京。あれから何が変わり、何が変わっていないのだろう。生活者(通うもの、住むもの、うろつくものなど)は、東京という場の上で何が変わったのだろう。「探していたものがあると思ったけどなかった」ことに気づき、もしくは作っているような体で過ごし、まだそれを自分が作りだすということに気づいていない15年前の人たち。今40歳に近い彼ら、彼女らは何か答えの欠片でも見つけることが出来たのだろうか。僕は何か見つけているのだろうか。
道を小さくそれ続けたことが、振り返るともう全く違うところにいる。同じ所に居続けることもゆるされない。他人に興味は無く、でも自分がどう思われているか気になる。周りを肯定者で囲み、それ以外を傷つけ疎外する。疎外された人たちはまたその中で仲間をつくり、また会わない人を疎外する繰り返し。そんな人たちで世界はできているのじゃないだろうか。「ない」「なくなった」「顔が見えない」「量だけはある」の繰り返し。「東京」を語る人たちの答え全てが個人に向けての答えであり、自分の考える東京ではない。脈打つ血管、吐き出される油、血である人の存在、矛盾と故障を繰り返しながらも、動き続ける東京は装置である、の答えは著者にしか無いし、バブル直後のほんの一部を切り取ったこの本は、思い出の詰まったアルバムではなく、ただただ、記録的な存在にのみなりえる。 -
【キャッチコピー】「東京は旅の途中の、トランジットルームみたいな気がする」
【レビュー】東京で暮らすことのシビアさを味わいながらも東京を離れられない。東京って「中毒」になるよな、ってこの本を読むと感じてしまう。東京の空虚さを鮮明に映した一冊。
鹿毛 -
この本を買った時は上京中だったので、実家に帰った今読んでも初めて読んだ時と同じ気持ちにはならないんだろうなぁ。