みらいの教育―学校現場をブラックからワクワクへ変える (ワクワク対話シリーズ)

  • 武久出版
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894541306

感想・レビュー・書評

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  • 両者の対談は初見だが、
    それ以外は論文の抜粋(?)のようなので、
    他の書籍等で目にしたことがある内容だった。
    再確認という意味では良かったが。

    確かに教員の働き方改革は、一般の企業等と比べると
    大きく差が出てきてしまうと思う。
    ってか無理だと思う、働き方改革。
    教材研究にしたって生徒の指導にしたって
    自己満足の部分が大きいと思うし、
    学校や周囲から求められている部分も大きいし、
    現状が変わる未来はあまり想像できない。
    だからと言って問題意識を持たなくていいわけではないと思うので、
    それは持ち続けていたい。
    教員だけでなく、関わる生徒や保護者、地域も
    たしかにちょっと問題あるよなぁと思ってくるようになれば
    少しは変わっていくのかな。

  • 対話形式で簡単に読める本である。しかし内容は決して軽くはない。むしろ重い。

    特に秀逸なのは後半の二人のそれぞれの論文。苫野さんの論文を読んで、教員聖職者論、教育の特殊性の根拠について初めてエビデンスベースで理解した。内田さんの論文からは、定額働かせ放題の現状を清いと思っているような教育の負の側面も理解できた。
    そして最後の補足で、時系列で法整備の状況が分かった。
    これは多くの先生方が読み、いい意味の議論を期待したい。
    落合陽一さんの「Work As Life」という言葉が好きだが、それが本当の意味で実現できることが望ましいなと思う。というのも、Work Life balanceと言ってしまうと、そればかりを追い求めて、それはそれで今度は仕事をどう捉えているのかが疑問になる。働くことは生きる事だ。それは教員としてどう生きるか、一人の人間としてどう生きるかの問題だろう。そういうことをまずは考えられるような、環境づくり、特給法の改正をお願いしたい。

  • 教員の現状や、その現状を生み出す制度的背景の理解には非常に役立った。ただし、やはり教育哲学・社会学と現場における課題解決の溝は埋まらない印象を受けた。

  •  数値で論理を展開し,学教教育現場の「おかしさ」について警鐘を鳴らし,持続可能な教育活動を目指している教育社会学者の内田良さんと,「自由の相互承認」を目指すことこそ教育の本質であると,哲学的な見地から分かりやすく説いてくれる教育哲学者苫野一徳さんとの対談集です。
     お二人とも,今の学校教育現場のあり方に疑問を投げかけると共に,その対案としての進め方も示してくれています。
     お二人の短い論文も掲載されているので,本書を読んで興味を持った人は,巻末の著者の本を手に取ってみることをオススメします。
     2020年度開講予定の軽井沢風越学園,楽しみだなあ。

  • 将来の社会を担っていく必要のある子どもたちへの投資を最大化させる事を目的に、いま学んでいる「学校問題、教員の働き方改革関連」の一冊として。

    東和誠(著)「問題だらけの小学校教育」では、現場教員だったことから具体的な事例を取り上げ紹介していたが、この「みらいの教育」は学者同士の対談を中心に哲学的に、社会学的に捉えた一冊になっている。

    特に「給特法」の問題点を中心に取り上げられており、「サラリーマン教師」という誤っている上、偏った業界独自の言葉を使った旧態然とした「献身的教師像」を大切にする現場。

    教育に「時間管理」といった概念は不要であり、滅私貢献していくことこそが「良い教師」。方や、民間企業と同様で残業代が支払われていたとすると、年間9000億円分にのぼり、平均して教員一人当たり10万円も増額されるということ。加えて、長時間勤務は過酷を極め、自殺者や精神疾患を患う教員も増えている現実。

    法律改正は国の仕事だが、各自治体から取り組めることを考え進めて行きたいと感じた。

  • 苫野一徳氏の、公教育と自由に関する指摘にハッとした。

  • 日本の公教育の基盤は危うい。投入する資源を増やすか、やることを減らすかしかないが、現行制度では後者は望めず、むしろ負担と責任は拡大してしまっている。このギャップは、教員個々人から奪う事で埋め合わされている。持続可能な状態とは言えない。

    「定額働かせ放題」を合法としている給特法が、この危うい状態を温存させており、課題の可視化を阻んでいる。

    新たな制度設計が必要だろう。
    制度の設計には指針が必要だ。
    そのとき、エビデンスにもとづく政策立案が行われることが重要だが、それが近視眼的に拙速に行われてしまうことには問題がある。たとえば限定的な学力テストの成績向上のような短期的な目標に特化した教育の編成には問題があるだろう。

    そこで、「自由の相互承認」という哲学の指針原理がしめされる。

    「教師の仕事の本質、それは、すべての子どもたちに、〈自由の相互承認〉の感度を育むことを土台に、〈自由〉に生きられるための〈教養=力能〉を育むことにある。そのことによって、この市民社会を最も根底において支えることにある。」(p.75)

  • 京都ではわりと大きめの書店に行ったが本書はなかった。中身を見て買いたかったが、夜中にアマゾンを見ていてポチってしまった。次の日届いた。その次の日に読み終わった。やはり、緊急出版と書かれているだけあって、1600円のわりに中身は少なかった。ツイッターで追いかけているので、だいたいの内容はわかっていた。給特法の成り立ちについては知ることができた。「自由の相互承認」という考え方は腑に落ちた。教師の特殊性の批判は、原理的とは言えないが、森毅はずいぶん言っていたように思う。いろんな先生がいていいし、あまり先生に期待しすぎるのも良くない。一生涯で何度も思い出すような先生と1人でも出会えれば幸せなのかもしれない。さて、教師の働き方である。私のパートナーは子育てがひと段落ついたころ、中学校の教員になった。採用試験には合格していないので、常勤講師の資格である。給与にどれほどの差があるのかは知らないが、仕事の内容は正職員と同じである。部活の顧問もすれば、担任も持つ。今年は中3(年度途中からだが)で受験指導にもあたっている。日々勤務時間は12時間を超えている。このところ日曜の部活はないようだが、仕事が回らないと出て行くことも多い。もちろん、家で定期テストやプリントの作成・採点・添削などもしている。家事の負担は次々にこちらへまわってくる。それはいい。けれど、過労死ラインはしっかり超えている。それでも、おそらく仕事にやりがいを感じていると思う。だから続く。給与はもう少し何とかならないものか。私より長時間勤務して、私の半分ほどだ。そのことよりもさらに問題は、この中学校にある。正職員2名、常勤1名が年度途中で学校に来られなくなっている。1人は自業自得であるが。そして、その補充はない。当たり前だ、仕事の量は増える。それでも、定時で仕事を終えて帰る人もいる。それはいい。ちゃんと自分の仕事をこなしているのなら。自分の仕事をろくにせずに、人に負担をかける人もいる。かえって面倒なことを起こす人もいる。仕事が増える一方だ。そして私は日々そういう愚痴を聞いている。同僚から言われるらしい。「愚痴を聞いてもらえるから続けられるんだね」と。

    めずらしく、パートナーが最後まで読んでいた。

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著者プロフィール

名古屋大学教授

「2023年 『これからの教育社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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