- Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784896918984
作品紹介・あらすじ
自閉症裁判の初のリーディングケースとして位置づけられる浅草女子短大生(レッサーパンダ帽)殺人事件は、なぜ、単なる「凶悪な通り魔」殺人事件として処理されてしまったのか?被害者に向き合わない加害者支援運動が無効なように、検察と一体となった報道や「責任能力」論議を垂れ流すだけのマスコミと厳罰を処して事足れりとする司法は、本質的に同じ間違いを犯している。ほんとうの意味での再犯防止につながる「障害」への理解がなければ、再びこのような悲劇はくり返されるからである。-四年に及ぶ徹底取材を経て、司法・教育・福祉・司法精神医学が問わずにきた重要課題を明らかにする問題作。
感想・レビュー・書評
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何かしら犯罪を犯して服役している受刑者のうち、知的障害を持った受刑者は少なからずいるのだという話は、今までに読んできた類似した本のいくつものなかで言われていたことだ。
それは決して、知的障害や発達障害があることが即犯罪を犯すことにつながるのではなく、リスク要因になりやすい、ということだ。それはそういった人びとの障害の特性たるゆえんであると言える。
本書のなかで幾度も取り上げられる被告人質問の回答の仕方に始まり、彼の行動特性や過去の所業など、どれをとっても明らかに発達障害の特徴を示していることがよくわかる。
裁判での発達障害の特性を理解しない紋切り型のやり取りに、もどかしさを感じないではいられなかった。
著者も言うように、決して障害があるから刑を軽くしてくれ、とかそういうことではなく、現実として、こういう司法の場が弱者に非常に不利であること、現実社会での社会的保障が不十分なために、服役して社会に戻ってきてもまた同じような間違いを犯してしまいがちであること、真に罪の償いをさせるためには自分の犯した罪の意味と重さをしっかり受け止めさせるべきであるのに、今の日本の社会にその機能がないために、単に「切り捨て」「厳罰」に処して良しとしてしまう、それでは再犯防止、同様の悲劇を繰り返さないための方策にはまったくならないということ。
これらのことを、警察や裁判所も含め、社会全体で何か手を打たなければ、また同じような悲劇が起こり得る。 -
4.0障害理解と社会ルールの遵守。社会に問われる合理的配慮とは?と言うルポルタージュ。司法の世界が一番遅れている分野。共生の社会づくりを進めるための強烈な問題提起の一冊。
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だいたい権威に弱い私は、ノンフィクションライターとかフリージャーナリストとかの書いたものより、大学教授が書いたものを信頼する傾向があります。今回めずらしくジャーナリストと呼ばれる人が書いたものを読みました。(ただし図書館で注文してですが。けっこう高い本で読んでみたいけど手元に置いておくほどではというものについては、図書館になくても、どんどん注文しましょう。)それは新聞書評で見つけて、興味深く思ったからです。読んでみるとやはり、余分な記述が多く、なかなか本題に入らない(本題をオブラートで包んでいるよう)ので少しイライラしました。けれども、犯人であるところの男の生い立ち、家族のことなどよく分かりました。何度も犯罪を繰り返していながら、どうして人一人が犠牲になるまで周りが動かなかったのか。社会の仕組み自体の問題も感じます。同時に被害者の立場に立って、その家族の気持ちなどを読むにつけ、どうして被害者がさらに(マスコミなどによる)被害を受けるなどという理不尽なことが起こり得るのかと憤りを感じます。著者は長年自閉症の子どもたちと接する仕事をされていました。自閉症の人たちのことを分かってもらおうと取材を始めたのだと思いますが、被害者家族と会ううちに、自分自身の立場が揺らいできているようすがありありと伝わってきます。本事件は大量殺人ではありませんが、その犯人の異様な姿が話題にのぼったため、記憶に残っている方も多いかも知れません。マスコミは当初大きく騒ぎ立てましたが、犯人が障害者であるということが分かると突然報道しなくなったのだそうです。マスコミ自体の問題点についても考えさせられます。
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浅草で、レッサーパンダ帽の男が、通りがかった19歳の女性を刺して死亡させた事件。犯人逮捕のセンセーショナルな報道の陰で、男が知的障害者(自閉症)であることは封殺されていた。
公判ではうつむいたまま沈黙し、裁判官とのコミュニケーションさえスムーズにとれない男は、逮捕直後の取り調べでは「訊かれたことには、なんでもすらすらと答えた」ことになっていた。裁判では、男の障害についてはなにひとつ考慮されないまま、無期懲役が言い渡された。
著者は公判だけではなく、被害者・加害者の周辺にまで取材し、事件を立体的な構図で描いている。とくに、この本で初めて知った加害者の壮絶な家庭環境には絶句。これほどの背景が「報道されなかった」ことに、驚きを禁じえないと同時に、恐ろしさまで感じる。そうまでして、犯人は「更正不可能な凶悪犯」でなければならなかった。
著者自身がとまどい、悩みながら、「知的障害者による犯罪」というタブーに分け入っている。安易に用意した結論に結びつけた裁判結果とは対照的に、ひとつひとつていねいに事件の背景に迫る足取りが、この本の魅力をつくっている。 -
障碍と裁判。減刑を求めるのでもなければ責任能力の有無を争っているのではない,自閉症の者が自閉症として罪に向き合いそして裁かれる,その難しさ。
大石弁護士の「報告」における“<第四五回公判・論告求刑の予定が延期となった>日本の刑事事件は「疑わしきは被告人の利益に」という原則をあまりにも重んじていないことをあらためて実感しました。検察も裁判所も確実に,単純に,社会防衛,秩序維持,危険排除,変人隔離,を基調としています - P.286 第六章 裁判(七)より”ここはすごい重要なところです。
よく,加害者が重んじられて,被害者は軽んじられている!という声を聞くが,どちらがどうではなく,どちらも重要なのだ。そして,刑が確定すると人権が著しく制約されるのだから,加害者に慎重になるのもこれは当然のことだろう。これを許すと言うことは,いずれ自分が不利益を被りかねないということを表している。
“この判決の意味はなにか。被告を「社会から永久に排除せよ」ということに尽きる。判決をもし社会が支持するのであれば,もう二度と「ノーマライゼーション」などという言葉は口にしないほうがいいと思う。 - P.288 第六章 裁判(七)より”同じく大石弁護士の話したところだ。罪は罪として償うのは当然として,なぜそのような事件が起こったのかを社会は全くフォーカスを当てようとしない,先の危険排除を行って,ではどれくらいの人をどれだけ隔離すればいいというのか,いずれは恐ろしい社会となるだろう。この裁判はそう社会に問いかけたものであったと思う。 -
2013年5月2日
装丁・カバー写真/間村俊一 -
真実を解き明かす事や被告に自分のした事を理解させ反省させるために、障害を踏まえた裁判を望んでるのに、責任能力や減刑で争ってるとしか受け取ってもらえないもどかしさ。被告よりもう少し重度の自閉症が身内にいるから、著者や弁護側の言い分もよくわかる。限られたページ数で伝えたいことをまとめなければいけない事情もあったみたい。でも、被告の身勝手な部分(同級生の女性に一方的な手紙を送り続け、結婚したいとも言っている とか)については詳しく触れられてなくて、自分の中での答えが出し辛い。もっといろんな面での事実を知りたいと思った。
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誰か一人が最悪の一手を打った訳では無いが、その渦は大きく大きく成長し、多くの人を巻き込んだ。その一人、加害者の妹さんの最後に涙。
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本当に公正な裁判とは。
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いい本だと思います。発達障がいに関心をもつ方、特に実際に当事者と係わりを持つ仕事をされている方は一読して損はないでしょう。
私自身も発達障がいを持つ方の生活支援を仕事の一部としていますが、日々係わりの中で悩んでいることについてちょっとした視点が得られるのが大変ありがたかった(なぜ放浪するのかなど)。
わざと荒削りのごつごつとした構成にして、問題の難しさ、社会の矛盾を浮き彫りにする技法をどう見るか。かえって作りこみすぎのような気がするが、他の著書も読んでみて判断したいところです。
性差別や犯罪被害者の支援に関心のある方にもお勧めできる。著者がもともとは障がい者の教育・支援に携わっていた方で、そこから犯罪の被害者をとりまく問題へと入っていかざるをえなくなった。二つの苦しみを正面から受けようとした著者の真摯な態度が、この本の社会的位置を確定しています。 -
一家心中や事件に障害者が絡んでいるとマスコミはそれに触れたがらないという事実。この事件はよく覚えているが、変質者の起こした「ありふれた」事件、という以上の印象は残っていなかった。
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この国は社会的弱者に対する支援が足りないように思った。
犯罪被害者やその遺族、発達障害の人たち、制度は存在してもそれを利用するすべを知らない人たち。
そうした人たちを助けようと、弁護士やNPOの人たちが活動している。行政やマスコミはうまく機能しているように思えない。
今のままだと、誰も幸せになれない。
自分には何ができるだろうか。 -
非常に興味深くまた胸の痛い話だった。司法と福祉は社会の中でどのように役割を果たすことができるか、考え続ける必要がある。
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知的障害を持つ犯罪者がどのようにして取り調べを受けているのかがよくわかります。
ただ服役させるだけでなく、まず罪は罪として理解させることが本人はもちろん被害者や遺族のためにもなると思います。
心身喪失や耗弱による減刑などの法規定についても考えさせられました。 -
とても配慮が細かいのに、正義が貫かれた文章を見たことがない。被害者も加害者も人間なのだということを、事件の前に、人々は忘れがちなのかも知れない。普通に生活している人こそ、読んだ方がいい本。
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自閉症(あるいは軽度の知的障害を伴う発達障害)の男による「通り魔殺人」の裁判をめぐるルポルタージュ。
「罪を犯した障害者は障害者として裁かれるべき」とは、障害なんだから仕方ないじゃん☆などということではもちろんなく、その人に伝わるように話すとか、その人が語れるように訊くという意味。
日本語がわからない人に通訳が必要なように、障害のせいで裁判を理解できない人にはサポートが必要だ。
現状では取り調べも裁判も、(「累犯障害者」などによればその後の処遇も)「ふつうに(=なんの配慮もされず)」扱われている。
それじゃ事実確認も反省も更生ものぞめないじゃないか。
という内容自体は良かったんだけど。
こっちに書いたとか、あっちに書いたとか、後で記すとか、読みづらい。
文体のくせが気になる。なんでいちいち否定からはいるかな。
「一般人」の(否定的な)反応を想定して、いやしかしこんな事情も…とくる語り口が被害者への配慮というより言い訳がましくてイラつく。読み手をなめるなよ。
登場人物をイニシャルにするのもどうかと思う。隠すなら隠せ。出すなら出せ。
著者は定型(だと思う)だけど、定型の自覚はあるんだろうか。
非定型の「男」について語るばかりで定型を顧みないんじゃ、定型と非定型の距離を測れるはずがない。 -
今まで知らなかった知的に障害のある人の犯罪、裁判など考えさせられた。
が、本自体長過ぎるような。