- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904507636
感想・レビュー・書評
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「希望」が大きければ大きいほど、怒って失敗しやすくなる。
「こうなってほしい」は、極限の無知。
他人はみんなエゴイストと思えば、自然と感謝出来るようになる。
「自我は錯覚」。 -
「私」という自我はなく、それは錯覚!
おもしろい。
興味深く読んだ。 -
『怒り』について様々なパターンが書かれており、知識としては面白いですが・・・
『怒り』そのものについての解釈(転換の仕方)には腑に落ちない点も多々ありました。
初期仏教について詳しく知っているわけではないですが、日本に渡ってきている仏教とは捉え方がかなり違うと感じました。
一般向けに書かれているものの、実生活で活かせるかというと疑問も残ります。 -
タイトルのまんまです。
怒りは自分の心身をも焼き尽くす。 -
スリランカ原始仏教のスマナサーラ師が記したベストセラー。
「怒らないこと」に続けて読んだのだが、明らかに印象が違う。
とてもシンプルに言うと、「怒らないこと」は概論編、2は実践入門編。
小学校の歴史で習うものと中学校の歴史で習うものが全然違う印象なのと同じで、きっと内容は、同じなんだろうけど、一歩踏み込んでいる分、難しい。
文章が難しいわけではないのだが、そこに書かれている概念、というか、世界というか、を理解することが難しい。すっと入ってこない。
「自分なんてものは幻覚にすぎない」
「生きることは苦しいこと」
「人間は生まれながらにして怒るように出来ている」
こうして抜き出してみると、それほど違和感があるわけではないのだが、文脈で読んでいくと、しっくり来ないのだ。
たとえば、
「しあわせに生きるためには、目標を持って達成感を味わうのがいい」とあるのだが、
「でも、仕事や子育てやそういうことには、そこそこの努力でいい」となってしまう。それは、
「しょせん、無常で、どんなにがんばってもいつまでもあるものではないから」とくる。
まぁ、究極の目標が、現世の苦行からの解脱を目指すのだから、現世の価値の否定はあたりまえなのだが、とにかく、今までの価値観や人生観を大きく逸脱する思考フレームなのだ。
この思考フレームを支持しようと思えば、今までの価値観を根本的に見直さなければならない。
なんか、いいとこどりの、中途半端な感覚で学びを得ようと思うのは、むしろ危険な感じがした。
考えすぎか。 -
怒りは 猛毒
どんな怒りであろうと、怒りによる行為の結果は かならず不幸である。
怒りを感じたら すぐに消すこと
自分自身に明かりが減ってきていることに気づく
明るさをたもつ
苦は人に必要なこと
感覚があるから 修復ができるのです -
一冊目のインパクトほどではなくて、途中で断念。
また読みたい気分の時に読むか。
最近仏典に興味あり。 -
信仰はないが怒りについては理にかなっていると思った。
私が怒らないために大切なポイントは「人間は不完全なもの」というのを心に留めておくこと。
フランス文学と哲学で「我思う、故に我あり」と言っているのとは相反する箇所もあり。ここについてはもう少し考えてみたい。
仏教の教えは論理的なもの、と書いてあるけれどそれには賛成できない箇所もあるし、人間が不完全なのと同様 すべての真理はきっと完全ではないと思うのです。感覚なので論理的ではないけど。
(怒らないで生きる訓練を真剣に行う必要があるのに比べたら)俗世の仕事や子育ては適度にやればよい、というのも適度のレベル感も違うし、怠けずにやるのと 適度にやるのと いったいどうバランスすればよいのだ。楽しいと思ってできること。それが大切なのは経験から知ってるけれど、そう思えなくなってきた時には改善する。改善するのも適度にがんばるくらいではできない・・等 適度って何?という疑問がぐるぐるしたり。
結局、イ寄りかからずや、スザンナ・タマーロのいうように 自分で考えること、が大切なのだと思う。(Thinkを社訓にしている会社の環境を好きなのは、私が大切だと思うことに似てるから) どんなにほぼ完璧な宗教でも、考え方でも誰か人間が考えた結果だし、考えないで信じきるのは違うと思います。信じきって思考をとめたら楽だろうけれど、弱いと思ってしまうので、できない。
怒らないで生きることの心地よさについては賛成なので、怒らないための技術としては、とっても役に立つと思いました。
洋服やアクセサリーを選ぶ時に 1個のお店のセンスを信じきって買い物するのではなくて、セレクトショップやらあちこちのお店の物を選んだりカスタマイズして自分のよい感じ、にまとめるのと同じように、怒らない技術として精進してみようかなと思いました。 -
1を読まずに2から読んだのが間違いだったのか…?
理解できるところもあるが、腑に落ちないところも多い。
この本の内容を実践出来たとしてそれが幸せに生きている事になるのか、想像が出来なかった。達観することで感情のない人形のようになるのではないかと思ってしまった。
仏教の教えを全く理解できてないからなんだろう。 -
怒りについて仏教的立場での講話です。
『怒りは戦うのではなくて観察する事』
『怒りは理解でなくなる』 -
生命は生まれつき怒っているという言葉には衝撃を受けたが、読んでいくとしっくりくる。色々な怒りの分類にも納得。じゃあどうしたら、という先が遠すぎて・・・凡人にはツライんだよね。
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1冊目はよかったが、こちらはそれほどでもないように思った。
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2のほうがいい。
怒りのとらえかたの話。
一部感銘を受けた。
哲学のいきつく先は仏教の悟りと耳にしたことを思い出す。
これを気に仏教の他書にも手を出したい。 -
環境が自分の計画・希望と違う場合は、その環境に対して抵抗する気持ち、拒絶反応が起こる。その拒絶反応が「怒り」。
生きるということは苦
持って生まれた「苦」というプログラム
絶え間ない「苦」=絶え間ない「怒り」
怒りは、罠
無執着の心=覚り
怒りでやることは、何でも失敗する。だから、怒らないことが大事
解脱 中道、八正道
怒りは、育ってしまう。度を超えた怒りは9種類。
ドーサ(普通の怒り)
ヴェーラ(激怒)
ウパナーハ(恨み)
マッカ(軽視)
パラーサ(張り合い)
イッサー(嫉妬)
マッチャリヤ(物惜しみ)
ドゥッバチャ(反抗心)
クックッチャ(後悔)
ビャーパーダ(異常な激怒)
最初のふつうの怒りはドーサ。怒りを妄想で繁殖してしまうのがウパナーハ。
怒りが繁殖しないようストップさせる
怒りは理解することでなくなる。戦うものではない
ポイントは「一旦停止」 深呼吸
山頂の岸壁に行く道を通らない
怒りを理解し、智慧で克服する
自我という殻は、幻覚
自我という錯覚によって、怒り憎しみが現れる
本当に起こっていることは、耳で音を感じているだけ
希望通りにいかないことこそ「当たり前」
五分間の楽しみに、われわれは一年間苦労しなくちゃいけない。人生とはそんなものである
喜びや楽しみを感じればうまく行く
智慧を開発する、一切の生命を慈しむ -
仏教初心者なので、いきなり生きることは苦と言われて、驚きましたが、その人生の矛盾に正面から向き合うことで、苦しみや怒りを少なくする心構えをするという話には納得できました。
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いいんだけど、断言することがなんだかピントがずれているようで、なんともいえない。2のついていないやつより、深くていい。
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1冊目と比較して言葉の展開に飛躍が多いような気がしました。私の無知と想像力の欠如です。以降は本からの引用です//無常が怒りの原因。感覚は苦。生きるということは苦。瞬間ものごとが消えていく。しがみついたって価値がない。覚り。苦がなくなったら大変。怒りのバージョン違いに欲。苦、怒り、ほしい、欲。チャネルは多いほど楽しく苦しい。共有、素直。わかったふりをしない、私は知りません、だから学びます。自分は変わっていく。「こうなってほしい」は極限の無知。私は妄想概念、幻想
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生き方として、すごく参考になるというより、
自分が「小さく」見えてしまうような本です。
この「覚り」の境地にいくとどんな感じなんだろう。
「どんな感じ」と考えている時点で、
なにか違うのかも知れません。 -
怒りは避けられないと悟るべし。
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はじめのうちの心当たりは、周りにいる人。「あー、これ、あの人のことだ」「そうそう、これはあの人が直せばいい点なのよねー」
しかし、読み進めていくうちに思い当たる節がぼろぼろ出てきて、いかに自分の事を棚に上げて生活しているかというのが、浮き彫りになる本。 -
怒らないこと1よりも、概念的で難しい。実用的に読むなら、怒らないこと1の方がオススメ。
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怒るメカニズムを仏教の観点から分析している。
「仏教用語でそうな風に言うんだ」と感心はするものの、
怒らないようにするための具体的な方法は述べられず。
読むとこころが清らかになって、
「怒るのをやめよう」という感じの内容でもない。 -
怒ることが上司の務めと思っているような人と働いていて、思わず2も手にしたが、前著の方が納得できる内容だった。
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怒りは本性だから避けられないもの。怒りを理解することで抑える。
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自我はない。無常なのだから。
怒りは本性。だから慈しむこころを植える。 -
正直言って1の方が、参考になった。
でもとても読みやすい。
10/11/21-162