ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門

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  • 教育評論社
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784905706847

作品紹介・あらすじ

言語ゲームとは何か…後期ウィトゲンシュタインの代表作『哲学探究』をわかりやすく読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 難しいが、哲学と言語学の知識が少しあれば、何とかついていけるかも。赤ちゃんの言語習得に関する知識があればなおいいかも

  • 楽しい読み物。しばらくはウィトゲンシュタイン一本に浸る気持ちになった契機。

  • 『哲学探究』の中でも、言語ゲームにおける議論を、平易でわかりやすい文章で解説している。言語ゲームは、生活形式の中での言葉の使用のあり方で、記号や意味で一つの全体として回収されるものではない。また、語はなんらかの対象を名指すだけのものではなく、使用される文脈において意味内容が変わる可変的なものである。全ての言語に共通の本質、一般形式などは無く、あるのはそれぞれの関係における類似性だ。語は、多くの動植物によって日々生成変化していく生物多様性のようなものであり、境界もなければはっきり細分化もできない。概念はピンボケであるからこそ使用可能である。適当、いい加減の二重の意味が世界のありさまだ。ウィトゲンシュタインの哲学は難解な用語で専門家だけに通じるゲームに参加するような哲学とは無縁である。生の場、<ここ>から離れない。哲学史の多くの問いが、言語による錯誤から生じたとウィトゲンシュタインは考えていた。
    私的言語とは、自己しか感じ得ない感覚のことだ。感覚や感情など私的な事柄については、他者が同じように感じる表現としては言語化できない。なぜなら、痛みの感覚は他人は知り得ないからだ。痛い、というのは叫び声の代わりであって、感覚そのものではない。私と痛みは不可分であるが、ich habe schmerzen(私は痛みを持つ)のように別のものと言語では考えてしまい、そのような「文法の錯誤」が生まれてしまう。フロイトを借りれば語の無意識とも言えよう。言語で表現できる構造を「表層文法」、世界の接触面である部分を「深層文法」という。言語ゲームは、現実とは別の嘘の表層文法だけで成り立つものであり、人はそれによって事実を認識している。しかし、同時に言語それ自体は、私的な深層を形成している。

  • 言葉について。語の意味に対する態度として、考えるのではなく見ることが大事。考えるというのは数学の問題を解くようにある結果を目指すことであり、見ることというのはただ見ているだけ。言葉の意味を理解するには、言葉のシャワーを浴びろという認識をした。

  • ウィトゲンシュタインは、難解な哲学者である。

    が、難解さが、他の哲学者とちょっとちがう。
    そもそも、何を問題にしているのか、すら分からないのだ。

    それでも、「論理哲学論考」は、まだ、言わんとすることは、なんとなく分かる。
    とくに、最後のほうの結論部分は、衝撃的で、「お〜、かっちょいい!」と思う。
    どうしてそういうことになるのかという道筋は分からないのだが、結論は分かる。

    で、結論にもとづくと、これまでの哲学の諸問題は最終的な解決(?)を得て、もうこれ以上、哲学は必要なくなる。というわけでウィトゲンシュタインは、哲学者をやめて、ひっそりと暮らすことになる。

    が、「論考」が最終解答になっていないことに気づき、再び、哲学に復帰し、いろいろ思索した結果をまとめたのが「哲学探究」である。

    これが、見事になにいっているのか、見当もつかない本である。その難解さは、「論考」の難解さとはちょっとニュアンスが違う。書いてある一つ一つは読めるし、一応、意味が通じる。ある意味、日常的な文章に近いとさえ言える。が、文章が一つ一つがつながってパラグラフになり、本になっていくと、どんどん意味が分からなくなる。ある一つのパラグラフも、ウィトゲンシュタインの主張なのか、反論しようとしている考えなのかすら、分からない。

    というわけで、気になりつつ、手のつけようがなかった「哲学探究」だったのだが、数年前に、どうしたことか、「あれっ?」という感じで、文章が意味をなし始めて、分からないなりに、一通り、読めてしまうということがおきてしまった。

    で、この「入門」を読んでみたんだけど、かなり「なるほど」「なるほど」とさらに意味がつながり始めている。なんとなく、全体の見通しがついて来た気がする。

    これって、なんかすごいことだと思う。

    ウィトゲンシュタインって、難しげな哲学用語、概念をつかわずに、日常の言葉をつかって、自分の頭で、徹底的に考えようとした人なんだな。だれもが問題にしないほと、当たり前としていることを、本当に具体的にそうなのかということを徹底的に考えた。他の哲学者が以前に考えたようなことは全部無視して、自分で一つ一つ考えていたんだね。

    だから、ウィトゲンシュタインの難解さは、他の哲学者の議論をバックグラウンドとして知らないから、というのでは全くない。自分の頭で徹底的に最初から考えていることから出てくる難解さ。そして、自分の頭とウィトゲンシュタインの頭は考え方のくせが大きく違うので、彼が一生懸命考えていることをトレースするのは困難を極めるんだよね。

    「哲学探究」

    私が読んだ全集版以外にも翻訳がでているので、もう一度、チャレンジしてみよう。

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著者プロフィール

1958年長崎県佐世保市生まれ。中央大学文学部教授。小林秀雄に導かれて、高校のときにベルクソンにであう。大学・大学院時代は、ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッドに傾倒。
好きな作家は、ドストエフスキー、内田百閒など。趣味は、将棋(ただし最近は、もっぱら「観る将」)と落語(というより「志ん朝」)。
著書に、『いかにしてわたしは哲学にのめりこんだのか』(春秋社)、『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』(春風社)、『ホワイトヘッドの哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン ネクタイをしない哲学者』(白水社)、『ベルクソン=時間と空間の哲学』(講談社選書メチエ)、『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)、『落語―哲学』(亜紀書房)、『西田幾多郎の哲学=絶対無の場所とは何か』(講談社選書メチエ)『続・ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社)など。

「2021年 『ウィトゲンシュタイン、最初の一歩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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