「夫はピュア過ぎて」ってセリフの後、あのモラハラ男のどこが?としばらくぼんやりしてしまったのだけれど、それが夫婦の(ほぼ)セックスレス状態のことを指しているのだと気づいたとき、心底バカらしくなった。妻にピュアと評された夫は外で娼婦を買い、廃墟で同衾していたのだからお似合いのふたりだ。そうとはしらず妻は内緒でアダルトビデオに出演し、ゆきずりの男たちと寝ているのだが、どちらもありがちな不倫で、そのへんにごろごろ転がっていそうな退屈な日常の一コマに過ぎない。にもかかわらず、それを心の闇だかなんだかに回収してしまうのはいかにも間抜けだ。東電OL殺人事件にインスパイアされた作品だと聞き、興味を持ったのだけれど、やはり園子温は苦手だと再認識した。不倫や売春ごときでがたがた騒ぎ過ぎ。

ってかそもそも女の性に幻想を抱き過ぎなのだ。性の解放=堕落みたいな価値観こそが女を追いつめ抑圧しているのに、それをわざわざな ぞっていったいなにがしたいんだろう。ポエムや城がどうこういうくだりもしつこいし無意味だし、教授は無駄に声を張っててうざいし、わざとらしい魔女メイ クとか、はいはい狂気狂気って感じのセックスシーンとか、鏡にむかって全裸でソーセージいかがですかって叫ぶ場面とか、ビッチを連発する言葉攻めとか、うすらさむくて精神的に追いつめられる。エロとグロさえ出しときゃいいとばかりに割り切った安いホラー映画の方がなんぼかマシだ。ちょっとおもしろかったのは「さっさと死ねババア!」「おまえが死ね!」のやりとりに至る食卓のシーンだけ。水野美紀演じる刑事は存在自体が邪魔。

2014年4月24日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2014年4月24日]
カテゴリ 邦画

ミューズとはつまりホモソーシャルに愛でられた女のことだ。ならば林由美香こそミューズのなかのミューズといえるだろう。出棺の際、その柩を運んだのは彼女のかつての男たちだった。このむせかえるようなホモソーシャルには戦慄をおぼえるが、これこそが「監督失格」そして林由美香の象徴なのだ。それをおもうと暗い気持ちになる。「愛でられる」といえば聞こえがいいけれど、それは「犠牲」とほとんど同義だ。たとえばキキ。マン・レイの恋人で、藤田嗣治やキスリング、ピカソやユトリロ、スーチンやモディリアーニなど、あの時代の画家や彫刻家が、こぞってモデルにしたエコール・ド・パリのミューズだが「モンパルナスの女王」とも称された彼女は、その実、生け贄のようなものだった。キキことアリス・プランは、ブルゴーニュ地方で私生児として生まれる。従兄弟たちと共に祖母の家で育ち、母に引き取られてパリへ出たのが12歳。工場やパン屋で働くも、仕事をまもなくクビになり、そんなおり、モデルにならないかと彫刻家に誘われる。アトリエを訪ね、彼女は5フランで裸になった。現場を見た母は、娘をしたたかに殴りつけ、以来、キキは親元を離れ、宿無しになって、芸術家のもとを転々とする。寝床と食事を与えてくれれば、誰にでもどこへでもついていったという。このとき彼女は14歳。それからしばらく生活のためにモデルを続け、その過程で多くのアーティストを魅了して、ミューズと呼ばれるまでになるのだけれど、華やかな時代は人生のほんの一瞬で、ほんとうはあまり裸になるのも好まなかったらしい。これが現代の話しだとしたら、芸術家たちはのきなみ逮捕されていたはずだ。

また、アメリカのセックスシンボルで、ハリウッドのミューズであるマリリン・モンローは、ケネディ兄弟の愛人だったといわれている。彼女はホモソーシャルに愛でられ、そしてホモソーシャルに殺されたのだとおもう。女神だなんだともてはやされても「冗談じゃない、わたしは人間だ」と拒絶できる強さがあれば問題ない。でもキキやマリリンや林由美香は、それをそのまま受けいれてしまったのではないだろうか。ホモソーシャルはとかく女性に受容を求めるものだ。世界に対して愛を乞うタイプの女優やモデルは、男たちの欲望や妄想につい引きずられてしまう。この映画を観るまえに自転車三 部作(「由美香」「流れ者図鑑」「白 THE WHITE」)を鑑賞したが、スクリーンに映る林は心地よい程度にしか男を振り回わさない(そのへんが媚びない、裏表がないと評されるゆえんかもしれな い)既婚者にとって理想の恋人にみえた。その聞き分けのよい愛人ぶりが切なかった。もちろん平野監督の奥さん(平野ハニーさん)の聞き分けのよい妻ぶりも 切ないのだけれど、林のよるべなさには胸のつぶれるおもいがした。林を「運命の人」だといいながら、平野は離婚する気など毛頭ないらしい。愛人にはばかることなく奥さんの話しをして、旅先から電話もかける。そのくせ不倫のさみしさから男友達にハガキを出した林に激怒し、そのときの喧嘩がきっかけでタイトルにもなった「監督失格」という言葉が生まれた。どこにでもあるような、うら悲しい不倫の風景。それでもロードムービーとして「由美香」は独特のおもしろさがあったし、ぬけぬけとでれでれする平野もふしぎと憎めなくて、予想外にたのしかった。

でも「監督失格」には娘を失った母の慟哭とホモソーシャルの気持ち悪さしかない。泣きじゃくるカンパニー松尾。棺桶をかつぐ林にふられた(?)男たち。思い出を語るV&Rプランニングの面々。喪失を抱えて葛藤する平野。林に女友達はいなかったのだろうか?彼女を女神視する人々のそれではなく、親しかった友人がいるならば、その人の話しを聞きたかった。林由美香がどういう人物だったのか、これでは断片しかわからない。浮き彫りになるのは...

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2014年4月24日

読書状況 観終わった [2014年4月24日]

両親の死を受け入れられない少年(演じるのはデニス・ホッパーの息子、ヘンリー・ホッパー)が末期がんの少女に出会って恋をしてって筋書きに、あまり意味なく日本兵の幽霊が絡むという、いかにも思春期の少年少女が好みそうな(?)脚本で、目当ての加瀬亮も坊主頭じゃいまいち萌えず(そういや「硫黄島からの手紙」のときもそうだった)水彩画のようなうつくしい映像にもぜんぜんのれなかった。死をテーマにしているが悲壮感はなく「ヴァージン・スーサイズ」を観たときのような、胸くそのわるさがまたよみがえる。これは全体を覆う、お洒落な雰囲気を消化しきれないもやもやだとおもう(舞台も最初アメリカじゃなくて、イギリスかどこかだと勘違いしてた)それでもアナベル(ミア・ワシコウスカ)のファッションはかわいくて、見ててたのしかったし真似したくなった。とくにベージュのワンピース&パンプス+ダルメシアン柄のコート+赤い手袋ってコーディネイトが素敵だ。芥子色のカットソーにエメラルドグリーンのカーディガンって部屋着の配色も絶妙だった。作品としての印象はうすいが、うごくカタログとしてはそう退屈じゃない。あれからずっと赤い手袋をさがしてる。

2014年4月24日

読書状況 観終わった [2014年4月24日]

「96時間」では海外旅行先で娘がさらわれ、競売にかけられて売れられる寸前で救出に成功し、めでたしめでたしという展開だったが、今回は前作で壊滅させた人身売買組織の身内が、死んだ息子の仇を取るため、再び最強父さんとその家族を狙う。舞台はトルコのイスタンブール。元妻ファムケ・ヤンセンと共に、最強父さんことリーアム・ニーソンが拉致監禁され、ひとり別行動していた娘が脱出に協力する。のだけれど、結局は父親の駒でしかなく、指示通りに動いておしまいなのは残念。しかし、救出される姫君としてだけ存在していた前作と比べれば成長だ。ちなみに妻は前作の娘と同様、ただ捕まってるだけで、何の役にも立たない。最強父さんは今回も最強で、サスペンスなのにドキドキもハラハラもさせられない安心感と安定感。脱出劇では不測の事態もほとんど起こらないし、解決まであっという間の超スピード展開だ。これは最強父さんの最強ぶりを見せつけるための映画なのだとしみじみおもう。だから脇役は雑魚か添えものでなくてはならないのだろう。最後に対面する親玉くらい、ラスボスとしての頑張りをみせて欲しかったが、蓋を開けてみればいちばんの雑魚っていう……。

2014年4月24日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2014年4月24日]

リゾートとしても有名なアメリカ一の高級住宅地ハンプトンズ。かつてはこの地で、父とふたり幸せに暮らしていたアマンダ(エミリー・ヴァンキャンプ)だったが、ある日を境にその人生が一転する。テロ組織による航空機墜落事件の資金提供者として、父が逮捕されてしまうのだ。しかし、それは地元の権力者グレイソンの策略。成長したアマンダは、エミリー・ソーンと名乗り、身元を隠してこの地へ舞い戻る。無実の罪で投獄され、刑務所で死んだ父の無念をはらすために……というのがあらすじ。エミリーの初期スペックが高過ぎる(美人で社交的で知性があって芸術にも造詣が深く大金持ちで武術の達人で日本語も喋れる)うえ、協力者の財力や特殊能力がすごくて、そのせいでたいしたピンチにならないため、復讐劇としてのドキドキハラハラはほとんどないし、サスペンスとしてはチープで雑。なのだけれど、アメドラにありがちな、次々に新キャラと新事実が出てくる怒濤の展開で、アメリカ社交界を描くソープオペラとしてはおもしろい。「デスパレートな妻たち」がすきなひとにおすすめ。デスパも一応サスペンス絡みだが、基本はご近所愛憎劇だし「リベンジ」もそれはおなじだ。デスパと違うのはコメディ要素が薄いこと。でも、常に唇をわなわなふるわせている、グレイソン夫人(マデリーン・ストウ)の孤高の女王ぶりは最高だし、彼女の演技はホラーとしてもギャグとしても秀逸だとおもう。個人的にはいろいろと尽くしてるのに皆からすげえ適当に扱われてる、IT長者にして天才ハッカーのノーラン(ガブリエル・マン)が、きもかわいくてお気に入り。夫と一緒に週末の3日間で1シーズンを一気に観てしまった。

2013年6月6日

読書状況 観終わった [2013年6月6日]

リゾートとしても有名なアメリカ一の高級住宅地ハンプトンズ。かつてはこの地で、父とふたり幸せに暮らしていたアマンダ(エミリー・ヴァンキャンプ)だったが、ある日を境にその人生が一転する。テロ組織による航空機墜落事件の資金提供者として、父が逮捕されてしまうのだ。しかし、それは地元の権力者グレイソンの策略。成長したアマンダは、エミリー・ソーンと名乗り、身元を隠してこの地へ舞い戻る。無実の罪で投獄され、刑務所で死んだ父の無念をはらすために……というのがあらすじ。エミリーの初期スペックが高過ぎる(美人で社交的で知性があって芸術にも造詣が深く大金持ちで武術の達人で日本語も喋れる)うえ、協力者の財力や特殊能力がすごくて、そのせいでたいしたピンチにならないため、復讐劇としてのドキドキハラハラはほとんどないし、サスペンスとしてはチープで雑。なのだけれど、アメドラにありがちな、次々に新キャラと新事実が出てくる怒濤の展開で、アメリカ社交界を描くソープオペラとしてはおもしろい。「デスパレートな妻たち」がすきなひとにおすすめ。デスパも一応サスペンス絡みだが、基本はご近所愛憎劇だし「リベンジ」もそれはおなじだ。デスパと違うのはコメディ要素が薄いこと。でも、常に唇をわなわなふるわせている、グレイソン夫人(マデリーン・ストウ)の孤高の女王ぶりは最高だし、彼女の演技はホラーとしてもギャグとしても秀逸だとおもう。個人的にはいろいろと尽くしてるのに皆からすげえ適当に扱われてる、IT長者にして天才ハッカーのノーラン(ガブリエル・マン)が、きもかわいくてお気に入り。夫と一緒に週末の3日間で1シーズンを一気に観てしまった。

2013年6月6日

読書状況 観終わった [2013年6月6日]

家に帰らず売春で生計を立てる、よるべない少女たちの壮絶な性と生の記録。援デリやアンダー(未成年)風俗で働く家出少女が主な取材対象だ。扇情的なテーマと内容だが、それに終わらず、児童福祉制度の改善や母子家庭への就業支援等の公的扶助の充実、児童養護施設の問題点、そこで働く職員の窮状を、後書きできちんと訴えている。そのことにとりあえずほっとした。十代の性を扱う記事や書籍は、ただそれをセンセーショナルに書き立て、読者の感情や欲望を煽って終わり、というものも少なくない。それを考えれば、この本はかなり良心的だ。少女だけでなく、彼女たちを搾取する泊め男や援デリの経営者にも話しを聞き、双方の視点をつまびらかにしている。その点も評価したい。なにより、まっとうな結論が示されていてひとまずはよかった。

しかし、著者が「少女の誘惑に負けて一度だけ関係を持ってしまった」泊め男を「善意の人間であると判断した」くだりは、ほんとうに馬鹿げているとおもう。この本に登場する家出少女たちは、現代日本を彷徨うストリートチルドレンだ。親による苛烈な暴力やすさまじい貧困から逃げてきて、先の見えない日常を送りながら、都市に潜伏している。連れ戻されることをなにより恐れる彼女たちは、監禁風俗に囚われても、泊め男の家で輪姦されても、警察に被害を訴えることもできない。家出少女はたびたび強姦の被害に遭う。ときには監禁されて長期に渡り搾取される。被害を訴えるどころか誰かに保護を求める術さえ持たない子どもを、性犯罪者がほおっておくはずがない。親にも社会にも棄てられた少女が直面するのは、身震いするほど残酷な現実だ。

それは強姦を受け入れて生きていくしかないということ。自力ではアパートも借りられず、携帯電話を持つこともできない、そんな未成年の少女が寝る場所や食べものを確保するには、男の下心に頼る他なく、そこで縋るのが泊め男(家出少女を自宅に宿泊させる男。多くはその見返りにセックスを求める)なわけだが、大人と未成年が性的な接触をすればその時点で強姦だし、他に選択肢がない相手とのそんな取引はそもそも侵害である。少女たちはよりマシな強姦を受けるために、日々奔走しているに過ぎない。好奇心から家出少女を呼び寄せ、慈善家気取りで彼女らの境遇を嘆いてみせる、そんな泊め男が善意のひとであるはずがない。少女はただ寝る場所が欲しくて、身を投げ出しただけだ。それをじゅうぶん理解していたくせに、それでも誘惑に負けた男。

そのどこに善を見いだせばいいのか、わたしには皆目わからない。誘惑に負けたのがくやしいだの、身体を提供することでしか感謝を示せない少女にがっかりだの、14歳の子どもを相手にして、32歳の大人が、いったいなにをいっているのだとおもう。こんな戯言を聞かされてそれを善意と受け止めるなんてちょっと正気じゃない。

2013年6月4日

読書状況 読み終わった [2013年6月4日]

酢豚にパイナップル、ターキーにクランベリーソース、生ハムにメロンやイチジク、春雨サラダにみかん、鶏肉にオレンジソース、ポテトサラダにリンゴ。わたしは果物を使った料理が大好きだ。リンゴやオレンジ、グレープフルーツはもちろん、柿やキウイフルーツを野菜と和えたサラダ、柑橘類の果汁を絞ったドレッシング、パイナップルとベーコンをのせたハワイアンピザ、マンゴーやバナナを入れたカレーもよく作る。肉や魚にフルーツソースをかけたものも嫌いじゃないし、パイナップルライス(南米のパイナップル入り炒飯)も好物だ。生ハムにはたいていのフルーツが合うとおもう。これはそんなわたしにぴったりのレシピ集。まるまる1章を「フルーツたっぷり料理」に費やした夢のような本だ。イチジクのサラダ、ザクロとクルミと鶏肉のカレー、プルーンとラム肉の重ね煮、白身魚のオレンジサフランソース添え。掲載されているのは果物とハーブ、野菜とナッツをふんだんに用いた、スパイシーな料理の数々。どれも皆ヘルシーで、とてもおいしそうだ。果物を当たり前に使うのがペルシャ料理であるらしい。トルコ料理に似ているが、こちらの方がすこし華やかな雰囲気。写真を眺めているだけで、口のなかに唾液が溜まる。タマネギや挽肉と一緒に炒めた米を包むペルシャンロールキャベツや、茹で卵やフライドポテトを盛りつけたコレシュ(カレー)など、果物を使わないレシピも豊富なので「酢豚にパイナップルは許せない」派も、心惹かれるメニューがきっとあるはず。香りの強い料理が好きなひとにお勧め。

2013年3月9日

読書状況 読み終わった [2013年3月9日]
カテゴリ 料理/グルメ

「私がこの聖堂を完成できないことは、悲しむべきことではない。必ず、あとを引き継ぐ者たちが現れ、壮麗に命を吹き込んでくれる」ガウディはそんな言葉を残した。建設半ばでかれは亡くなるが、そもそも自分の生きているうちにサグラダ・ファミリアが完成するとはおもっていなかった。教会の構造はあまりに巨大で複雑だし、建設費を信者の寄付に頼っていたため、資金はいつも乏しく、工事は遅々として進まない。着工から数十年、自身もすでに高齢だ。しかし、そのことを悲観せず、後世に生きる人々へ教会を託した。これは「あとを引き継ぐ者たち」の物語だ。もうそれだけで心揺さぶられるけれど、それが海を渡ってこの地へやってきた外国人、ガウディとは縁もゆかりもない(というか、なかったはずの)日本人なのだから、ますます昂揚してしまう。

サグラダ・ファミリアはカタールニャの人々すべてに愛されている。この教会はスペインの宝であり、カタルーニャ人の誇りであり、かれらの我が家のようなものだという。外尾悦郎はその主任彫刻家だ。25歳のとき、軽い気持ちで欧州へ出掛けたかれは、バックパックひとつでバルセロナに辿りつく。それはほんの寄り道だった。しかし、そこで巨大な石の教会と出会い、その姿に打ちのめされて、そのままこの地にいついてしまう。ガウディについてはほとんど知らなかった。それから34年、サグラダ・ファミリアを彫った唯一の外国人である外尾は、教会内に個室を持つ唯一の彫刻家となった。「この世でいちばんガウディに詳しく、誰よりもかれを理解している人」サグラダ・ファミリアを訪れた際、教会を案内してくれたカタルーニャ人ガイドはそういった。

「スペインの宝を日本人が彫る。すごいことだとおもう」著者のいうとおり、それはほんとうにすごいことだとおもう。京都の美大で彫刻を学び、卒業後は中学校や高校で美術の非常勤講師をしていた外尾。しかし、それでは物足りなくなって、彫刻の本場ヨーロッパへ旅立つ。この本はNHK・BSプレミアム・ハイビジョン特集「いつでもスタンバイOK 彫刻家・外尾悦郎 ガウディに挑む」をもとに書き下ろしたドキュメンタリーだ。くせのない簡潔な言葉で、外尾の情熱と勤勉、繊細な仕事ぶりと実直な人柄を伝えている。かれは膨大な資料に目を通し、さまざまな場所へ赴き、カタルーニャを、ガウディを学ぶ。勉強と観察と研究を重ね、故人の思想を丁寧に読み解き、それを形にしていく。わずかな手がかりから法則をみつける手腕は鮮やかとしかいいようがない。

でも、もっとも感動的なのは物語の後半だ。外尾には実は弟子がいる。それが第6章で明らかになる。これから製作される「生誕の門」の扉は、おそらくその弟子が彫ることになるだろう。彼女もまた日本人だ。外尾の下で働きたいと、バルセロナへ押し掛けてきた。「必ず、あとを引き継ぐ者たちが現れ、壮麗に命を吹き込んでくれる」外尾もまた、次世代に教会を託そうとしているのだ。それはなんてすばらしいことだろう。

2013年2月21日

読書状況 読み終わった [2013年2月21日]

沖縄にはぜんぶで45もの島があるという。この本はそのすべてを網羅している。横浜から沖縄に移り住み、石垣に嫁いだ著者は、実際にひとつひとつ島を巡り、島民と交流しながら土地の名物を食べあるく。伊江島の伊江牛、久高島のイラブー汁、奥武島のアーサー天、阿嘉島の島豆腐、オーハ島のティラジャ、大神島のカーキダコ、宮城島の黄金芋、伊計島のパパイヤ、屋我地島のモーイ豆腐、久米島のヤギ汁。個性豊かな島々と多種多様な料理。一島数ページの情報量だけれど、それぞれの特色がよくわかる構成だ。ガイドブックではなく紀行本だが、写真も豊富で飽きさせない。沖縄の離島がだいすきで、一時期は年に三度も通っていたのに、こんなに島があるなんてしらなかった。沖縄にかぎらず離島にはけっこうくわしいつもりでいたけれど、聞いたこともない島や食べものや料理がいくつもある。たとえば多良間島のパナパンピン。「花のてんぷら」という意味で、形状からそう名づけられたらしいが、一見してもどの花なのかはわからない。これは小麦粉と牛乳と卵と塩でつくる伝統菓子で、家庭によって微妙に味がちがうそうだ。南大東島のインガンダルマについては風の便りで聞いていて、機会があれば食べてみたいとおもっていた。別名をアブラソコムツというその深海魚は、人間の身体に吸収されない特有の脂を持っていて、食べ過ぎると大人でもおむつの世話にならなければならない。それゆえ「禁断の魚」といわれている。座間味島のローゼルジャムは食用のハイビスカスを煮詰めたもの。透明な桃色のゼリーに、赤い花弁が映える、宝石みたいなジャムだ。粟国島のソテツ料理は戦後の飢饉を生き抜くために考案されたもので、実に有毒物質を含むため、それを食糧とするまでに幾人もが命を落とした。ちなみにわたしがおとずれたのは石垣島、宮古島、西表島、黒島、由布島、竹富島、小浜島、伊良部島、渡嘉敷島、新城島、瀬底島、水納島。もう大半はたずねた気でいたけれど、まだたったの十二。いつかこの本を片手にのこりの島も制覇したい。

2012年2月5日

読書状況 読み終わった [2012年2月5日]

映画に登場する印象的な料理と、それにまつわるエピソードを紹介したレシピ本。家族の食卓、仲間の食卓、恋人の食卓、男の食卓と4章にわかれて展開し、それぞれに世界各国のさまざまな献立がならぶ。たとえば、やわらかい骨付き肉にパン粉をまぶして焼いた「サウンド・オブ・ミュージック」の子羊のカツレツ、レモンソース添え。ニンニクとローズマリー、赤唐辛子を挟んだ「アメリカン・ビューティー」のチキンソテー香草風味。トマトソースとチーズを何層にもかさねた「ライフ・イズ・ビューティフル」の米ナスとポテトのグラタン。レーズンとブラックオリーブ、茹で卵を一緒に包んだ「イル・ポスティーノ」のエンパナーダ(肉詰めパイ)長ネギとショウガ、パセリが山ほど盛られた「ブエノスアイレス」の若鶏の唐揚げ薬味ソース。百合根や赤ピーマン、パパイヤやフクロダケの入った「恋人たちの食卓」の色あざやかな中華メニュー、車エビと季節の野菜炒め。

3種(クランベリーと赤ワインを煮詰めたルビー、バルサミコ酢とオリーブオイルを混ぜたオニキス、マヨネーズと生クリームとリコッタチーズを合わせたパール)のドレッシングでたべる「ティファニーで朝食を」のキャビア入りサラダ。他、おいしそうなメニューが満載。なのだが、おどろいたのはそれらの料理をながめていても、なにひとつおぼえていないしおもいだせもしないことだった。食い意地がはっているわりに、映画のなかの食べものには無頓着な性分らしい。かろうじて記憶しているのは「フライドグリーントマト」のフライドグリーントマトくらい。なにせタイトルだし、聞いたこともない料理だったのでよくおぼえている。たべてみたくてレシピをしらべたこともあるのだけれど、そこで満足してしまい、未だつくったことはない。この本にレシピは載っていないが、おかげでそれをおもいだした。いつか青いトマトが手に入ったら挑戦してみようとおもう。

2012年1月31日

読書状況 読み終わった [2012年1月31日]
カテゴリ 料理/グルメ

著者のそだった京都のおおきな商家では、月に幾度か出張料理屋がやってきて、客人をもてなしていたという。その様子を朝から晩まで「広い台所に続く庭の片隅にじいっと腰をかけ」ながめていた彼女は、自然ともてなしの技術や作法を学んだそうだ。この本はそんな著者の頭の引き出しからできたもので、春夏秋冬の献立レシピと食材や季節に関するコラムで構成されている。「日本料理 盛付指南 美しい盛付のための実践指南書」に掲載された料理は、みな芸術品のようで、ただただうつくしく、手をつけるのもためらわれるかんじだったが、こちらは素朴な家庭の献立がならび、いかにも食欲をそそる。旬の食材をつかった季節の料理の数々は、地に足がついてるっていうか、家族や自身をねぎらう献立なんだとおもう。たとえば春のそれは「鶏のわらび鍋、新ごぼうご飯、あわ麩とよもぎ麩の二種田楽、赤貝、とり貝、長いものしょうが酢、煮物椀(えびしんじょ、わらび、うどの花吹雪」夏は「冷や汁、へぎあわびの酒いり、うど、みょうが、青じそのわさび酢、おなすの丸だき、一夜干しあゆの火取り、たでのだし割り酢、抹茶がゆ」どれもすごくおいしそうで、みているだけで唾が出てくる。

2012年1月18日

読書状況 読み終わった [2012年1月18日]
カテゴリ 料理/グルメ

盛付けの心得と飾り切りやあしらいの包丁技術がまなべる本なのだが、実例として載せられた日本料理の繊細なうつくしさにとにかく目をうばわれる。ちいさな金彩蛤と松の枝をつかい、盆栽のように盛りつけられた先付け。すりガラスの菓子皿に咲くひらめの薄造り。竹筒にあしらわれた鰹や蚫、松茸やすだち。青磁輪花皿を彩る華やかな前菜。糸目平椀にたゆたう白荻豆腐。 白磁平皿に盛られた西瓜やパパイヤ、いちじくに巨峰、キウイフルーツ。蜜漬けの水菓子はつややかで、刺身に添えられた花びら大根はたおやかで、椀にしずんだかにしんじょは粉雪みたい。なにもかもが優美で儚い。著者いわく「盛付とは、器のなかに風景を作ること」そこには確かに洗練された風景があった。コツは貧相でなく、かといって華美でもなく「味も量も演出も、あと少し足りないな、というくらいにとどめるのがほどよい加減」「料理は不足を尊ぶべし。盛付もしかり」と肝に銘じることだという。なにかとtoo muchになりやすいわたしとしては、あらゆる場面で心がけたい教えだ。丸いものと四角いものを対比させて見た目をキリッとさせるとか、一文字盛りは一直線でなく少しずつずらして流れをつくるとか、微妙な角度のずれや不揃いな空間の取り方で美を演出するとか、立体感や躍動感、強調したい素材の存在感の出し方とか、実用としても優れているけれど、器にひろがる景勝地をただながめているだけでもたのしい。

2012年1月16日

読書状況 読み終わった [2012年1月16日]
カテゴリ 料理/グルメ

まず冒頭、繁華街が映し出されそこで投身自殺が起こる。騒ぎを聞きつけてヒロインのウニ(チョン・ドヨン)はそれを見に行こうとする。この部分、かなりながい描写なので当然のことながらなにかの伏線だとおもっていると、最後までなにひとつ回収されない。やりっぱなし。ヒロインが働く豪邸の主人フン(イ・ジョンジェ)が、部下を引き連れてさっそうと登場する場面では、わりとシリアスっぽいシーンなのに右側の男が足をすべらせてなんかカクッとかなってる。ジャッキーの映画だったらエンドロールのNGシーンでながされるレベル。宣伝の煽り文句は一切スルーして単なる復讐ホラーを期待していたのだが、それでも肩すかし感はパない。

天然ボケとおもわせて実は結構したたかとかそういうキャラかとおもえばヒロインは単なるうすらぼんやりで、ボーッとしているうちに子どもを堕胎させられる始末だし、それでさすがに復讐の鬼と化すのかとおもいきや、敵にたいしたダメージも与えずあっさり自爆。その結末はただただ悲しい。嫁と嫁母がメイドの子を殺したと知り、主人が激昂するシーンも、理屈を聞いてりゃ「おれの子どもを勝手に処分しやがって」みたいなあれで。この映画でいちばんというか唯一といえる怖い場面は、娘の誕生日にマリリン・モンローよろしく妙なシナをつくりながら「ハッピバースデートゥーユー」と口ずさむ若妻の姿だろう。まるで意味不明だ。

2011年12月31日

読書状況 観終わった [2011年12月31日]
カテゴリ 韓国映画

この小説が音羽お受験殺人を下敷きにしているのはあきらかで、だから最初はもっとスキャンダラスな筋書きを期待していた。「だれがだれの子を殺すんだろう」そんな下世話な好奇心を全開にして、物語半ばまでよみすすめてやがて、ああこれはそういう作品じゃないんだと気づく。作者が焦点を当てたのは子殺しではなく、母親たちの閉塞感だった。あの事件を主題にしながら、作者はひたすらそれを描写していく。きっと桐野夏生だったら、まったく異なる展開になっていたはずだ。もともとはむしろそっちを期待していたのだけれど、これをよんだ今、あの事件を扱ったのが、角田光代でよかったと心からおもう。あれをテーマにするならば、彼女の選択は圧倒的にただしい。ママ友という特殊な連帯感からうまれた、たどたどしい友情。おっかなびっくりにつむいだそれを、それでも大切にしようとした女たちの関係が、子どもの受験、その先の進路や将来設計をまえにして、徐々に綻びをみせはじめる。そしてそれはじわじわと崩壊していく。「森に眠る魚」は、その過程とそれぞれの心情を、息がつまるくらい、丁寧に緻密にえがいている。母親たちの孤独と、それを書く作者の真摯な姿勢に、泣きたいような笑いたいような気持ちになる。夫の影がうすいどころか、かれらの輪郭さえみえないのも象徴的。どちらも親でありながら、子どもとそれを内包する社会と、対峙しているのはいつも片方だけなのだ。

2011年12月30日

読書状況 読み終わった [2011年12月30日]
カテゴリ 小説

タイトルに漂う歌謡曲臭が苦手で、今まで手に取ろうともおもわなかったが、これは母と娘の確執を描いた半自伝的小説ということで、村山由佳を衝動的に帯買い。支配的な母の描写に引き込まれて一気に読んだのだけど、主人公への共感より彼女への同情が勝ってしまい、読後感はすっきりしない。その母はわたしの母にも似ていたから(娘に疎まれる母の人格は意外と没個性で、誰のそれもよく似ている)自分でも意外だったが、父への思慕もない者にとって、かれへの寛容さはなんだか不気味で。そのぶん母への酷薄さが目立つと感じた。だって不倫する父親なんてそれだけでいやだし、そのせいで妻が自殺未遂までしたのに、それでもあれはいい経験だったと娘相手に昔語りはじめるとか、想像を絶するおぞましさだ。ましてや不倫相手のことを性技に長けていただの、からだの相性がよかっただの、それに比べておまえの母親は受け身で淡白で……だの、正直それを聞いてる娘の神経も疑わしい。「嫌じゃないよ。むしろ聞かせて」とか言ってるし。そんな話し全力で聞きたくないよ!

2011年12月9日

読書状況 読み終わった [2011年12月9日]
カテゴリ 小説

粗野な男たちの檻へ放り出され、不安と失望と恐怖を浮かべる少女の顔。お試し版とでもいうのだろうか、うすい冊子に掲載されていたのはそこまでだった。「かつてこれほど残酷な、少女の運命があっただろうか」そんな帯の惹句にもつられて、ただただ好奇心だけで、わたしはこの本を買う。そのようなコピーがつけられた本なのだからもちろん、あかるい展開など望むべくもない。それは百も承知だけれど、にもかかわらず、なかなか読みすすめることができない。むしろおぞましいものをこそを求めていたはずなのに、気持ちはどんどん暗く沈んでゆく。全8話で構成されたこの陰惨な、しかしうつくしい物語には必ず、絶望への伏線として、わずかな希望が描かれている。それがどんなに人の心を打ちのめすのか、この作者はよく知っているのだとおもう。

2011年11月21日

読書状況 読み終わった [2011年11月21日]
カテゴリ 漫画

チェブラーシカって小猿(ピグミーマーモセットとかそのへんの系統の)かとばかりおもっていたらそうじゃなくて、なんだかわからない謎の動物って設定で、だから自らのアイデンティティをもとめてさまようってキャラクターらしい。なまえは「ばったり倒れ屋さん」という意味で、すぐ失神することから名づけられた。オレンジの箱に入れられてどこからかやってきたチェブラーシカ。たどりついたのは友だちのいない孤独な人々の集う街。もうつかわれていない街角の電話ボックスで、チェブラーシカはひとりぐらしをはじめるが、そんなある日、友だち募集の広告が舞い込んできて……。ひとりぼっちの動物や人間がよりそっていきていくはなしなのだけれど、すげえ大雑把な脚本なので1ミリもこころがうごかなかった。ぬいぐるみの造形はかわいいがそれだけ。映画館でみせていい代物じゃない。

2011年11月21日

読書状況 観終わった [2011年11月21日]
カテゴリ アニメーション

12匹兄妹の末っ子で唯一の女の子ジャッキーは、ねぼすけの兄たちのために朝食を買いにいき、その道すがらケイティと出会う。すぐに仲良くなるふたりだったが、ケイティは病弱で、ある日とつぜんたおれてねこんでしまう。はやくよくなるようにとジャッキーは毎日ケイティを見舞った。しかしなかなか熱がさがらず具合はいっこうによくならない。くるしそうなケイティをみて、ジャッキーは彼女のすきな紫の花を摘んでこようとおもいつく……。小熊の女の子とそれを見守る兄たちの物語で、チェブラーシカと同様、映画にするまでもない超たわいないエピソードだ。小熊といっても縫い目があるのでおそらくぬいぐるみなのだろうが、そこに言及する場面はなく、あくまで動物然としていて、そのへんのスルー具合がじつにシュール。だとおもったのだけれど、大半の人間にはどうでもいいことか。

2011年11月21日

読書状況 観終わった [2011年11月21日]
カテゴリ アニメーション

ステュ(エド・ヘルムズ)が結婚と聞いてなんの疑いもなくヘザー・グラハム再出演とおもっていたのに当てが外れてがっかり。そのうえ彼女とのことが黒歴史あつかいになっていてどんより。そのせいか最後までいまいちノりきれなかった。ミスター・チャウ(ケン・チョウ)の活躍はうれしかったしわらえたけれど、身体欠損ネタには引いたし。あれ最終的には「指が欠けた弟はいなかったんだ!」ってことになると予想していたのだがそうじゃなかったしな。いちばんおもしろかったのはアラン(ザック・ガリフィナーキス)がお母さんにえばりちらすところ。甘やかされた中年ニートの憎たらしさがよく出ていた。おはなし的には前回とおなじだし、登場人物もかわらないし、やっぱりすべての元凶はアランなんだけれど、今回はアメリカじゃなくタイが舞台で、なんでタイかっていうとステュの婚約者がタイ人のローレン(ジェイミー・チャン)だから。でも国境を越えたからといってなにがどうなるわけでもなく、筋書きは忠実に前作をなぞっていて、なんかファンサービスみたいな印象を受けた。異国情緒はあっても新鮮味がないぶんパワーダウンしたようにも感じる。下ネタはよりしつこく、やらかし度もアップしており、写真で伏線を回収するオチの暴走度は確実にあがっているがそれも含めて。

2011年11月21日

読書状況 観終わった [2011年11月21日]

アメリカ史上初の女連続殺人鬼アイリーン・ウォーノスの半生をえがく「モンスター」は、愛に不慣れな女の孤独と哀しみが胸に迫る佳作。アイリーンを演じたシャーリーズ・セロンはこの役でオスカーを獲得する。役のために太り、特殊メイクを施しただけあって、半裸のシーンで露になる身体のたるみっぷりがリアルだ。恋人のセルビーを演じるクリスティーナ・リッチも、彼女の酷薄さやこずるさをうまく表現していたようにおもう。印象的なのはアイリーンが遊園地で激しく回転する遊具「モンスター」に乗る場面。「ずっと乗りたいとおもってたけど、乗ったら怖くなって気持ち悪くなって、もう二度と乗らないって誓ったの」彼女は回想の後そうつぶやく。怪物と呼ばれたアイリーンだが、彼女にとってはその愛や人生こそが「モンスター」だったのかもしれない。そう暗示させるこのシーンがとりわけ好きだ。エンドロールにながれるのはジャーニーの「Don't Stop Believin」わたしはこの曲をこれほど切なく聴いたことがない。

2011年11月21日

読書状況 観終わった [2011年11月21日]
カテゴリ 洋画

「ソウ」(のジェームス・ワンとリー・ワネル)×「パラノーマル・アクティビティ」(のオーレン・ペリ)のタッグと聞き、期待半分、不安半分(「ソウ」は大好きなホラーシリーズだが「パラノーマル・アクティビティ」は確実にオールタイムワーストなので)で観に行ったら大当たりだった。とくに前半の今そこになにかがいる、さっきそこになにかがいた、という描写がすばらしい。南国をおもわせる陽気で呑気な音楽にあわせ、不思議なダンスを踊るなにものか、とその伏線であるひとつまえの場面は、おれ史上に残る最恐シーンだ。一見、子どものようにも小人のようにも、あるいはおおきな操り人形のようにもみえるそれは、おなじ素材と色でつくられたジャケットと半ズボンと帽子を身につけている。いやどうだったかな……とにかく色と素材はもはや曖昧だけれど、それはどうやら制服っぽくて、見てくれはそんなかんじでいかにもおそろしげではないのだが、その分(?)っていうか、にも関わらずっていうか、異形のオーラがすさまじく、ダダ漏れる得体のしれなさが画面全体を禍々しくしている。仕草や姿形はむしろユーモラスでコミカルでありながらものすごくこわい。昔からたびたび「住宅街の夕闇にキティちゃんの着ぐるみが立っている」という恐怖の妄想に取り憑かれているのだけれど、ちょうどそんなかんじのやみくもに不安感を煽るなにかがあった。しかも、あれさっき壁際になんかちっちゃい人へばりついてたよね?それとも学生帽がかかってただけ?みたいな未だ錯覚なのかそうでないのか判然としないカットが直前に挿入されていて、そこらへんの演出はマジ神だとおもう。なにものかの全貌が露になる後半は、ちょっと攻撃的なホーンテッド・マンションに過ぎないが。

2011年11月21日

読書状況 観終わった [2011年11月21日]

脚本も演出もいろいろとぐだぐだなのだけれど、それでもそこそこおもしろかったのは、この映画の怖がらせ方がわたし好みだからだとおもう。背後になんかいるとか物陰になんかいるとか窓の外になんかわさわさいるとか、とにかく得体のしれないもの、顔のみえないなにものかが画面のどこかに潜んでいる、という描写によわい。とはいえとくにそのへん巧みだったわけでもないが、まあ好みの演出ではあったなということで。市松人形のシーンなんかは今どきベタ過ぎてあれなうえにちょっと意味がわからなかったけれど。その他ぐだぐだな部分はあげたらきりがなくて、まず最初らへんの追跡劇なんてのっけから相当イライラさせられた。警察に通報せず延々バンを追いかけ回し、ずっと後ろに張りついていたのにナンバーすら確認していない愚鈍。山道まできてやっと携帯を取り出したとおもったら圏外という案の定。あげく縛り上げられた女の子を放置して道ばたで超ぼんやりする主人公。さっさと紐を……紐をといてあげて!とこころのなかで叫んでいたら、車なのに音もなくしのびよって犯人登場。もうアホかと。時間軸も登場人物の接点もはっきりしなくて、途中までなにがなにやらだったが、やがて全貌がみえてくると一気に鬱モード。想像していたよりずっと嫌な話しだった。ラスト、閉じ込められた箱のなかで必死に主の祈りを唱える主人公。ぶっちゃけ壮絶に間抜け。「死にたくない!!」と絶叫する姿におもわずニヤニヤ。

2011年11月21日

読書状況 観終わった [2011年11月21日]
カテゴリ 邦画

日本ではポルノ映画として公開された、70年代のレイプリベンジもの「発情アニマル」こと「悪魔のえじき」のリメイク。オリジナルは未見。執筆のために森の一軒家を借りた若い作家が、地元のろくでなしどもに輪姦されたあげく殺されかけ、復讐の鬼と化す話し。コンプレックスまみれでとことん情けない強姦魔たちのキャラが秀逸っていうかなんていうかとにかく胸くそわるい。かれらが彼女に目をつけたきっかけも完全に逆恨み。ガソリンスタンドでろくでなしのひとりにナンパされ、誘い文句がださいのでおもわず吹き出したら「都会の女に田舎者扱いされた!」と、なんかあさっての方向に男が激怒。悪徳保安官とグルになってレイプ!レイプ!レイプ!要はもともと「都会から来たインテリの美人」が憎くてしかたがなかったのだろう。憎悪と欲情であっさりテンションMAX。なんてわかりやすいヘイトクライム!強姦シーンはそれなりに覚悟していたのだけれど、想像していたほどにはきつくなかった。でもその最中、悪徳保安官のもとに幼い娘から電話があり、レイプされる作家を横目でみながら奴が猫なで声で会話をし出しめ、おもわず鳥肌が立つほどおぞましかった。というのが前半。後半はリベンジ!リベンジ!リベンジ!無駄に趣向をこらした残酷な方法でヒロインが強姦魔たちをなぶり殺す。さんざん痛めつけてきっちり全滅させるやり方がすばらしい。のだが、観賞後いつものようにつらつらと他人の感想を読んでいると、おそらくエロ目当てでこの作品を観たのだろう男ブロガーが、露出の少なさやレイプシーンのしょぼさ(べつにしょぼくないけれどね)にねちっこく不平を述べており、果てはそもそもヒロインがスタンドで男を小バカにしたから(以下略)とセカンドレイプをはじめたのでわらった。いろいろくだらない理屈をこねていたが、平たくいうと「もっと裸を!」そして「もっと凄惨なレイプを!」ってことで、なにを期待していたのかが丸わかり。ちんこの声だだ漏れ。レイプじゃなくリベンジに主眼が置かれた作品で御愁傷様でした!

2011年11月21日

読書状況 観終わった [2011年11月21日]
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