〆切本

  • 左右社 (2016年8月30日発売)
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 明治時代から近年までの、小説家・評論家など広義の「物書き」による、〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記などを集めたアンソロジー。
 文章だけでなく一部はマンガもあり、藤子不二雄Aの『まんが道』や、長谷川町子の自伝エッセイマンガ『サザエさんうちあけ話』などの〆切エピソードが抜粋で収められている。

 ありそうでなかった本だし、企画としてもよい。種々雑多な〆切話を集めてくるだけでも大変だったろうから、編者の労を多としたい。装幀も凝っていて、ブックデザインとしても秀逸だ。

 だが、2400円もの値段に見合った価値があるかといえば、やや疑問。
 「これを〆切話に数えるのは無理やりすぎだろ」という文章がけっこうあって、それらは数合わせのために入れたとしか思えない。玉石混交度が高いのだ。
 収録する文章をもっと厳選し、ページ数も減らして価格を下げればよかったのに……。

 〆切をめぐる攻防は、物書きの舞台裏を語るにあたって最も面白いものの1つ。出版業界人の酒席で話が盛り上がる鉄板ネタでもあり、ここに収められていない面白い話がもっとたくさんあるように思う。

 たとえば、マンガ家の中でも遅筆で知られる江口寿史や平田弘史をめぐる話が、1つもない。文章系でも、小田嶋隆が自虐的に自分の遅筆ぶりを綴った初期のコラムがなかったりとか、わりと“抜け落ち感”がある(本人たちが収録を拒否したのかもしれないが)。

 ……と、ケチをつけてしまったが、玉石中の「玉」にあたる文章は大変面白い。
 たとえば、山口瞳が向田邦子の遅筆ぶりに触れたエッセイの、次のような一節。

《「今月は大変なんです」
 と、編集者が言う。
「井上ひさしがあるの?」
「違います。向田邦子があるんです」
「そりゃ大変だ」
 これは、売れっ子になってからの会話ではない。最初から、そうだった。これで作品がツマラナかったら一発でお払い箱になったろう。私はハラハラしながら見守っていた。》

 いちばんスゴイと思ったのは、高橋源一郎がエッセイの中で紹介している次のような話。

《有名な某作家は、本当に切羽詰まった状態になり、編集者から矢のように催促の電話がかかってきてそのたびに「あと二時間待って」といい続けたそうである。うんざりした編集者が、どうせ二時間待っても書いてないに決まってるからと気をきかせて四時間待って電話をかけたら、その作家氏は「せっかく原稿を書いたのに、二時間たっても電話がかかってこなかったから、頭にきて破いちゃったよ。お前のせいだ」と文句をつけたそうだ。もう完全にやぶれかぶれである。》

 ううむ……。
 まあ、これは極端な例としても、昔の小説家には総じて社会的な力があったから、〆切を破っても許されたのだろう。

 私が知人の編集者から昔聞いた話を、1つ紹介する。
 〆切日に「先生、原稿はいかがでしょうか?」と電話をしたところ、とある高名な作家はこうのたまったそうである。
「キミねえ、物書きってのは〆切が来てから書き始めるものなんだから、〆切日に原稿が上がっているわけがないだろう」

 本書には〆切を破らない稀有な作家たち(吉村昭、村上春樹、北杜夫、三島由紀夫など)の話も載っているが、「〆切を守る作家」が神のごとき存在として目立ってしまうのだから、オソロシイ世界だ。
 もっとも、本が売れないいまは、〆切を平気で破る作家はほとんどいなくなったらしい。そんな作家はすぐさま干される時代だからである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本/その他
感想投稿日 : 2018年10月1日
読了日 : 2016年10月2日
本棚登録日 : 2018年10月1日

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